ポケットモンスターHEXA - 交錯、思い滲んで
第五章 二十四節「血戦」
 プレッシャーが重たい空気の膜となって全身にぶつかってくる。圧力に押し潰されないように、コノハは思考を針にしてカイリューに飛ばした。

 思惟を受け取ったカイリューが空中に身を躍らせボーマンダへと破壊光線を放つ。ボーマンダは頭上から降り注ぐ破壊光線を口から放った呼気で相殺した。ただの呼吸が破壊光線と同等の威力を持っている。その現実が圧し掛かり、カイリューの動きを鈍らせる。ボーマンダは巨大な赤い翼で羽ばたき、地面からその巨躯を浮かび上がらせた。木々が風圧で倒れてゆく。ボーマンダが放った火炎放射の残滓である火種が揺らぎ、赤いその身をくねらせて被害を拡大させる。

 ボーマンダはカイリューへと口を大きく開けて食いかかった。

 それを阻むかのように後続したフライゴン二体が破壊光線の光軸を空間に描く。二つの破壊光線が折り重なり、ボーマンダの水色の表皮に突き刺さった。しかし、それは火傷程度のダメージにもならない。表面が少し赤らんだだけだ。

 ボーマンダが首を巡らせ、フライゴンをその黄金の眼球の中心に据える。フライゴンがそれに気づいて身を翻そうとした刹那、ボーマンダの口から放たれた細いオレンジ色の光芒が菱形の羽根を貫いた。

 破壊光線、だが恐らく全力の何十分の一の威力。

 それでもフライゴンの羽根を焼くには十分な威力だった。空中でバランスを崩し、フライゴンの身体が傾ぐ。ボーマンダは赤い翼で大気を切り裂き、落下を始めたフライゴンへと空間を駆けた。口を裂けるまで開き、フライゴンの落下地点に先回りしたボーマンダは、その牙でフライゴンの身体を噛み砕いた。頭部から落下したフライゴンは自身に何が起こったのか知る前にボーマンダに食いちぎられた。ボーマンダが咀嚼を始める。口から僅かに出ていた緑色の尻尾が樹海へと落ちる。

 もう一体のフライゴンが、仲間の仇とでも思ったのか、破壊光線をその無防備な背中へと撃つ。しかし、背骨に沿うように放たれた破壊光線は薄皮さえ破ることが出来なかった。ボーマンダが緩慢な動作で背中から抜けてきたフライゴンをその目に捉える。フライゴンの血で染まった乱杭歯を剥いて、ボーマンダは攻撃してきたフライゴンへと狙いを定めた。

 フライゴンはボーマンダと相対するように向き合い、羽根を震わせて空気中の埃を舞い上がらせた。菱形の羽根が埃の軌道をコントロールし、渦を描かせる。埃の中にフライゴンの体表から放たれた砂が混じり、砂は渦の中心へと吸い込まれフライゴンを中心とした砂の竜巻が発生していた。

 これが「すなあらし」である。地面タイプを持たないポケモンへと断続的なダメージを与え、なおかつ砂隠れの特性を持つポケモンからしてみれば立派な防御壁になる。まるで膜のように張った砂の中にフライゴンの姿は隠れた。代わりに砂塵の渦が、凶悪な風を刃として纏いボーマンダに襲い掛かった。ボーマンダの鼻先が砂の刃が突き刺さる。だが、破壊光線の効かなかった相手にこの程度の攻撃が通用するはずもない。ボーマンダは首を振り様に破壊光線を一閃させた。砂嵐が斜に裂け、渦が跡も残さずに消滅する。しかし、その中にフライゴンの姿はなかった。シリュウと直結したボーマンダの意識の網がフライゴンの位置を捉え、その首を上げた。

 太陽の中に、フライゴンはいた。口先で充填されたオレンジ色の電子が走り、球体を成す。その球体が一挙に弾け、破壊光線の光芒がボーマンダの頭上から襲い掛かった。フライゴンの気配に気づき、視線を上げた瞬間の出来事だったため、ボーマンダはこめかみに直撃した光の奔流に一時的に視界を奪われた。

 鼻先を掠め、背中へとフライゴンが抜けてゆく。ボーマンダは視界に頼らず、シリュウとの意識の連結によってフライゴンがいるであろう空間へと首を向けた。僅かに戻ってきた視界の中には、フライゴンはいなかった。そこには両手を胸の前で合わせたカイリューがいた。手と手の間には青い光が渦を巻いて球体を成している。球体を練るように掴んだカイリューは、次の瞬間、両手を横に大きく開いた。胸の前で握られていた球体が分裂し、左右に三つずつ展開される。青い光の球体はまるで星の輝きのように、太陽の光を照り返した。左右三つずつ、計六つの青い球体がまるで衛星のようにカイリューを中心として自転し始める。回転音が聞こえてきそうなほどに高速で自転する球体に囲われたカイリューが両手を組んで前に突き出した。その瞬間、コノハの声がボーマンダとシリュウの意識の網を震わせた。

 ――カイリュー、流星群!

 六つの球体がその声を受け取ったように弾け、空間に青い軌跡を描きながらボーマンダへと直進する。さしものボーマンダでも視界を一部奪われている上に、唐突な眼前からの攻撃を回避する術はなかった。六つの青い球体がボーマンダの首、頭部、体表へと二つずつ食い込んだ。自転していた球体は弾丸のように空気を巻き込みながら皮膚を抉り、その皮膚の下で爆発した。

 これが「りゅうせいぐん」、ドラゴンタイプの究極の技であるが、特殊攻撃力が著しく下がる諸刃の剣だ。

 ボーマンダの体表で血飛沫が弾け、水色の皮膚に初めて傷が刻み込まれる。傷口から白煙が上がり、ボーマンダが裂けた口を開いて咆哮する。それは痛みによるものではなく、怒りによるものであった。決して傷つけられるはずがないという傲慢さを傷つけられたことによる怒り。またシリュウへの痛みのフィードバックによって、ボーマンダの内奥に沸いた煮えたぎるような殺意だった。

 ――よくも、この疾風のシリュウに傷を負わせたな……!

 傲慢な怒りが空気を伝ってコノハとカイリューに突き刺さる。あまりに強い感情の波に、カイリューから意識が剥がされそうになる。コノハは耐えてカイリューに意識を定着させようとするが、一瞬の動きの鈍りを見逃すシリュウとボーマンダではなかった。オレンジ色の電子がボーマンダの乱杭歯を伝い、口腔の中心に球体の高エネルギー体を形成する。

 それが全力に近い破壊光線であることは疑いようもなかった。コノハは離脱の指示を飛ばそうとするが、「りゅうせいぐん」を出したせいか翼の馬力が足りずに離脱する機を逃した。気がつけば、首を伸ばしたボーマンダの口腔が眼前にあった。避けきれない、そう直感したその時だった。斜め上から飛来した影がカイリューを庇うように身体を開いた。それはフライゴンだった。フライゴンは僅かにカイリューへと赤い複眼越しの視線を向けた。それが主人への最期の忠義に殉ずる眼だと気づいた瞬間、視界はオレンジ色の光で満たされた。



















「……やったか」

 呻いた拍子に意識を失いそうになりながらも、シリュウは岩壁に体重を預けながらボーマンダとの繋がりを保った。今の攻撃は全力の破壊光線だ。生きているはずがない。シリュウは背中に岩肌のごつごつする感触を味わいながら笑い声を上げた。勝った、と確信しボーマンダの視界との接続を確かめもせずに高笑いした。ボーマンダを制御し、ディルファンスの空中部隊を壊滅させた。だが、その代償は決して安くなかった。額と頬、首筋に焼け爛れたような丸い痕がある。ボーマンダとシンクロしていた分のフィードバックだ。

 位置が悪ければ即死だった。運は向いている、とシリュウは自分に言い聞かせ、脂汗の浮いた額を手の甲で拭った。汗と一緒に血も滲んだ甲は、この戦いの凄まじさを物語る。片腕に突き立てた注射器の本数を見やる。もう二本注射した。残り一本だけ中の青い液体が揺れている。これを使うのはあのガキを殺すときだ。そう思い、シリュウはボーマンダと再度、視界を接続した。

 その時、その視界にありえないものが映っていた。破壊光線の軌道上にある空間が歪んでいる。それはいい。あれほどの威力の技を放ったのだ。

 だが、射線上になぜまだ敵のドラゴンタイプの姿があるのか。

 シリュウは己が目を疑った。カイリューの黄金の皮膚は黒ずんでおり、飛散粒子のせいで所々焼け爛れてはいるが健在だった。カイリューの眼がボーマンダ、その先のシリュウへと向けられる。その眼は湖畔の月を映したように蒼く輝いている。

 殺意の輝きだ、とシリュウが思った瞬間、カイリューの姿が視界から掻き消えた。一体どこへ、と探す間も無く、頭部への鈍痛に視界が歪むのを感じた。ボーマンダと直結した視野が動く。額へと上空から蹴りつけてきた、赤い燐光を棚引かせるカイリューの姿があった。ボコッ、と額が陥没した感触にシリュウは覚えず呻き声を上げた。カイリューの姿が再度消える。シリュウは痛みに悶え苦しみながら、ボーマンダへと意識を飛ばすと同時に叫んでいた。

「ボーマンダ! そいつを焼き殺せ!」




















 思惟に反応したボーマンダが口に酸素を取り込み始める。火炎放射がくることを予期したカイリューは赤い残像を空間に引きながら、ボーマンダの背へと回り込んだ。背中に降り立ち、僅かに浮き上がっている背骨へと拳を叩き込んだ。赤い鉄拳が皮膚を破り、その下の脊髄へと衝撃を与える。ボーマンダの口から火炎放射が放たれ、目に見える範囲の樹海を焼き払った。その中には人工破壊光線の砲手をしていた団員の姿もあったようだ。その者達の思念がカイリューの中に流れ込む。

 ――シリュウ様、どうして……。

 その思念はボーマンダを操る者も恐らく感じているだろうに、ボーマンダの攻撃はやまなかった。樹海を焼き続けるボーマンダを他所に、カイリューは何度も拳を背骨の浮いた皮膚へと突いた。強固な皮膚が過負荷に耐えかねて抉れてくる。その下の血管を破った途端、血飛沫がカイリューの視界を覆った。だが、構いやしなかった。

 カイリューはそのさらに下、神経系統を引き裂いた。ボーマンダが火炎放射を吐き出しながら、呻くような声を上げた。赤い翼が垂れ下がり、力を失ってゆく。どうやら偶然にも翼を制御する神経を破ったようだった。これでボーマンダは地上に縫い付けられた状態になる。カイリューの拳が神経を剥がし、さらにその下へと手を突き入れた。固い感触を感じ、一気にそれを引き抜こうとする。だが、それはそう簡単に引き抜けるものではなかった。カイリューは砕いて引き抜こうと考えたのか、手を引っ込め赤く広がった穴に指を引っ掛けながら口元を近づけた。生物の根源が忌み嫌うような血の臭いが鼻をつく。オレンジ色の電子が口腔内に集束し、球体を形成する。その球体が膨張し、カイリューの口で弾けて光芒を閃かせた。破壊光線が刃のように脊髄を繋いでいる神経を高熱で切る。この距離ならば「りゅうせいぐん」で威力が落ちていても問題はなかった。

 ボーマンダは内側からの激しい痛みに、火炎放射を中断して、身体を揺り動かそうとした。その時、後ろ足が不意に崩れ落ちた。破壊光線が後ろ足の運動神経を焼き切っていた。
文字通り、手も足も出せぬ状態で身体を無理矢理動かそうとするボーマンダの背へと、カイリューは再び手を突き入れた。破壊光線の高熱が融かした骨をその手が掴み、一気に引き抜いた。ぬめりとした赤黒い液体がカイリューの手に纏わりついていた。脊髄液だった。カイリューはこの場所を攻撃し続けても、殺すのは不可能だと判断して、ボーマンダの身体を足場に首までよじ登った。

 振り向いたボーマンダの裂けた口が目の前にある。カイリューはその中に飛び込んだ。ボーマンダは何が起こったのか分からず、反射的に口を閉じる。だが、その口は完全には閉ざされなかった。上顎と下顎の間に入ったカイリューが無理矢理こじ開けてゆく。赤い燐光を纏った皮膚が粘膜を焼いてゆく。その眼の先には喉仏があり、その先の頚椎を見据えている。

 カイリューは口の中に電子を溜め込んだ。だが、それはボーマンダとて同じだった。牙をオレンジ色の電子が伝い、カイリューの眼前に高エネルギーの球体が形成される。その大きさに比すれば爪の先ほどにも満たない光を全身から迸らせ、カイリューはボーマンダが破壊光線を放つ直前に針のように細い破壊光線を放った。高エネルギーの球体にすり鉢状の傷が入り、光芒がその反対側に抜ける。粘膜の壁を破り、頚椎を破壊したエネルギー体はそのままボーマンダの皮膚を突き破った。後頭部に孔が開き、血が僅かに舞った。

 ボーマンダの金色の眼から光が失せる。カイリューは力が入らなくなったボーマンダの口を、力任せに縦に引き裂いた。元々裂けていた口がさらに裂け、頬の筋肉が破けて布のように千切れる。カイリューは赤い残光を空間に引きながら口の中から飛び出した。中空に留まってボーマンダを見下ろす。ボーマンダはそのままうつ伏せに倒れた。布地のように裂けた頬から血が溢れ、焼けた樹海を濡らした。

 カイリューは身を翻し、リツ山へと目を据えた。もう誰も止めるものはいない。悪が蔓延るその根城へと、カイリューは赤い燐光を空間に残しながら宙を駆けた。























「そう。カイリュー、私達やったね」

 コノハは他の構成員達から身を隠すように巨木の陰に座り込んでいた。構成員達は間も無く敵の地上部隊を破り、第一線を抜けるだろう。コノハは自身の白い腕へと突き立てた直方体の注射を見つめた。これで最後。ようやくフランの仇が取れる。もう視界はカイリューと同一化していた。目の前にあるはずの乱立する木々が見えない。自分は座り込んでいるはずだが、本当にそうなのか定かではない。感覚すらカイリューと混ざりつつある。だが、それでもよかった。これで目的が果たせるならば、人間としての生など惜しくはない。カイリューと接続した視界の中、リツ山が映りこむ。灰色の山肌の中に、目立たないように細工がしてあるが増幅した視野に敵意の塊が蠢いて見える。

「あそこに敵がいる。フランを殺した敵、世界の敵が」

 今にも霧散しそうな意識を振り絞り、コノハは鋭い思惟をカイリューへと飛ばした。























 シリュウは空を見つめていた。一点の濁りもない青空。その青が目の底に沁みてくる。
ボーマンダの頚椎が破壊光線で貫かれた瞬間、シリュウとボーマンダの意識は断絶された。

 ポケモンの痛みはそのままトレーナーへと返ってくる。程なく死が訪れるであろうその身を岩肌にもたれかけさせ、シリュウは空に目をやっていた。脊髄を焼き切られたせいで下半身が全く動かない。もうすぐ終わりが来る。そうだというのにシリュウの心は穏やかだった。シリュウはその視界の中に、在りし日のサカキの背中を幻視した。ロケット団を率いてゆくカリスマの存在。その頼もしき背中が広かったことを思い出し、まるで空のような人だったと今更の感想が脳裏を過ぎる。そのサカキがこちらに振り向いた。ロケット団隆盛時には一度もまともにその目に捉えたことのなかったサカキがシリュウに振り返り、その手を差し出した。シリュウは感無量になって喘ぐような声を出した。

「……ああ。サカキ様。疾風のシリュウ、最後にあなたの顔を見られて、もう悔いはございません」

 直後、シリュウの頚椎をボーマンダのダメージフィードバックが襲った。シリュウはそのまま岩肌に倒れた。

 誰にも見つけられることはなく、その身は山と共に風化していった。最後の表情が今までの重石を取り去ったように安らかだったことを、誰も知らない。


オンドゥル大使 ( 2012/10/16(火) 23:12 )