第五章 二十一節「潜入、ロケット団本部」
アヤノはヤマトタウンまで辿り着いていた。だが、ロープウェイは使えないという。見れば、宙吊りになったロープウェイが中腹辺りで止まっていた。電力供給のトラブルだと言われていたが、ロケット団の仕業であることはアヤノでも察しがついた。
アヤノは仕方なく、とぼとぼと元来た道を帰ろうとして、家の陰に誰かがいることに気づいた。アヤノは息を殺し、壁に背中をくっつけてそれを見つめる。家の陰で話している二人組は白地に青いラインの入った制服を着込んでいる。片方は男で、もう片方は女だ。アヤノはそれがいつか雑誌を見せながらナツキが言っていたディルファンスの構成員だと思い出した。
話し声がかすかに聞こえてくる。アヤノはその声に耳を澄ませた。
「……だからさ、ここで逃げても多分ばれねぇって。俺らは逃げようぜ。こんないかれた戦い、ついていけるかよ」
「私も、それには賛成だけど、でも」
「でもじゃないって。死ぬかもしれないんだぞ」
どうやら男と女が言い争いをしているらしかった。アヤノが見つめていると、不意に心の奥底から声が響いた。
(アヤノ。あの女を襲って服を奪いなさい)
アヤメの声だ。アヤノは小声で言い返した。
「何で、そんなこと……」
(ディルファンスはロケット団の本部へと入るつもりよ。制服に身を包んでいれば、一緒に入れるかもしれない)
「そんなこと、分からないじゃない」
(それ以外にディルファンスがリツ山付近を歩き回る意味なんてある? それにさっきの会話。死ぬかもしれないって言っていたでしょ。多分、これから入るのよ。さぁ、早く)
「あたし、出来ないよ、そんな。奪うなんて」
アヤノは消え入りそうな声で言った。その言葉に(あっそ)とアヤメの声が返る。
(じゃあ、私がやるから。あんたちょっと、引っ込んでなさい)
その瞬間、アヤノの意識は昏倒した。
次に目を覚ますと、アヤノはディルファンスの制服を纏っていた。傍らにはエイパムがおり、丸い目をアヤノに向けて手の形をした尻尾を振っている。エイパムの力を使って二人を気絶させて、制服を奪ったのは想像に難くなかった。どこかへ追いやられたであろう二人に、謝るように少し頭を下げた後、アヤノはディルファンスの他の構成員に合流するためにヤマトタウンを駆けた。
樹海を移動する地上部隊は、火の手が上がったことによって阻まれ進めなくなっているという報告が無線越しにエイタの耳朶を打った。その無線へと命令を吹き込む。
「水ポケモンを持っている構成員はそれで対処してくれ。新たに現れたドラゴンポケモンはコノハのカイリューに任せるんだ。いいか、そんな強大なポケモンが出たということはもう最終防衛ラインに近づいている。あと少しだ、持ってくれよ」
慰めにもならない言葉に我ながら自嘲するものを感じつつ、エイタはヤマトタウンからリツ山へと伸びるロープウェイを見上げていた。無論、そこからの侵入をロケット団が許すはずもなく、こちらの戦力がロクベ樹海に侵入したと同時に、ロープウェイの電力供給が断たれた。今や空中に浮かぶ箱と化したロープウェイには十名以上の民間人が乗っている。だが、そんなものに構っている時間はなかった。ロクベ樹海からの攻撃で敵の戦力を集中させ、ヤマトタウン側からの別部隊が一気に内部へと侵攻する。ロープウェイでなくとも手はあった。エイタはジャケットの懐から四つ折りにした紙を取り出して広げた。それはリツ山のロケット団本部の内部地図だ。それを見つめ、ヤマトタウン側からテレポートで辿り着ける範囲の場所を探す。
「テレポート」は万能の移動技のように思われがちだが、それには勿論有効範囲というものがあり、なおかつ行った経験のある場所しか空間を飛び越えることは出来ない。それ以外で有効となるのは地図がある場合だ。地図によってポケモンに任意の座標を示し、その座標へと送らせる。だが、この場合、何があるのか分からない場所にいきなり転送されるという不安が付き纏う。しかし、その不確定要素があっても、本部に押し入らなければならない。そうでなければロケット団を一網打尽に出来るチャンスはもう巡ってこない。
エイタは地図の中に、テレポートの範囲にぎりぎり入る部屋を見つけた。逆にその一部屋しか、入ることは出来ない。
「あの、エイタさん。まだですか」
何も言わないエイタを訝しむ構成員の一人が声を掛ける。エイタは「大丈夫だよ」と社交の笑みを浮かべてから、人知れず舌打ちした。自分ひとりではさすがにロケット団を壊滅させるのは不可能だと判じ、何人か構成員を連れて来たがエイタの先回りしすぎる行動を怪訝そうに思っている人間もいる。こんなことならば連れてくるのではなかった、と思いつつ地図を懐に入れ、エイタはモンスターボールを腰から抜き放った。緊急射出ボタンに指をかけ言葉を発する。
「行け、バリヤード」
ボールが手の中で割れ、光に包まれたバリヤードが姿を現す。エイタはバリヤードへと座標軸を告げ、その場所へとテレポートするように命じた。バリヤードから放たれた目に見えない念がエイタを含む構成員達を包み込む。エイタは構成員達と身体を密着させ「離れないで」と告げた。
ディルファンスの制服を纏った集団が空間へと溶けてゆく。アヤノはそれを見つけて、走り出した。このままではカリヤのもとに辿り着けない。アヤノは滑り込むように、その集団に入った。空間が見えない何かで包み込まれてゆくのが分かる。エイパムをモンスターボールへと戻す暇もなく、肩に乗せたままの格好は明らかに不自然だったが、制服を纏った集団は気にする素振りを見せなかった。
次の瞬間、ヤマトタウンだった風景は消え、どこかの室内に変わっていた。天井が高く、鉄骨がむき出しの岩肌を支えている。照明はほとんどなく、広い空間だった。アヤノはその部屋の隅にいた。鉄骨の支柱のちょうど陰になる場所だ。どうやらギリギリで突っ込んだせいでアヤノだけ座標がずれたらしい。ディルファンスの構成員の集団は中央にいる。この場所にいては潜り込む機会を失う、と歩み出しかけた瞬間、照明が重い音を立てて一斉に点灯した。眩い明かりに照らされ、構成員達が息を呑む気配が伝わる。アヤノは踏み出しかけた足を戻し、鉄骨の支柱に隠れた。構成員達が立ち止まり、奥の方を見つめている。声も聞き取れず、アヤノが出るタイミングを見失ったことを後悔していると、不意に腹の下から突き上げる衝撃と轟音が走り、アヤノは蹲ってその身体を震わせた。
エイタがテレポートで入ったのは、漆黒に塗り固められた空間だった。闇に慣れ始めた目が天井の鉄骨を見つめる。ついで八方に跨る支柱を見渡し、どうやらここは相当な広さを持つ空間だということが知れた。
「エイタさん」
構成員の一人が声を上げる。「どうした?」とエイタは注意を向けながら応じた。
「ここ、ロケット団の復活宣言の時に使われた部屋ですよ」
その言葉にエイタは改めて周囲へと目をやった。確かに、あれほどの団員と幹部を一同に会するにはこれほどの空間が相応しい。だが、そんな部屋に招かれたということは――。
その思考を遮るように、重い音が響き眩い照明が闇に慣れていた目を刺激した。条件反射でモンスターボールに手をかけた構成員達を見やり、エイタは落ち着いて言った。
「散らばるなよ。明かりが点いたって事は敵がいるってことだ」
エイタは周囲に人の気配を探った。その時、冷たい足音を立てて、こちらへと近づいてくる人影が視界に入った。黒いスーツを着込んでいる。あの夜に密会したキシベと同じスーツだ。左胸に「R」の毒々しい赤い文字。すらりとした長身でスーツを着こなした者の顔をエイタは見つめた。
瞬間、驚愕に目を見開いた。
「お前は……!」