第五章 十九節「地上戦線」
地上に現れた敵は五、六人のロケット団戦闘員だった。繰り出されたのはマムシのような毒タイプのポケモン、アーボが三体と紫色の体色をした兎のような形状のポケモンだった。ただし兎と異なるのは頭部に発達した角を持っていることだ。背中にも毒針が並び、戦闘に特化した外観を持っている。四足で地を踏みしめるそのポケモンはニドリーノといった。三人のロケット団が同じニドリーノを戦闘に出す。
辺りには焼け焦げたタマタマの死骸が転がっていた。地面は根とは別の、高温の熱線によって焼きついた黒い筋があった。カイリュー達の「はかいこうせん」だろう。その筋を上塗りするように、コノハのハクリューの放った破壊光線が空間を貫いた。オレンジ色の光条がニドリーノの毒の角ごと、表皮を根こそぎ蒸発させる。二体のニドリーノと三体のアーボをその一撃で始末できたが、残り一体はそうはいかなかった。ニドリーノが主人へと歩み寄ると、戦闘員は懐から石を取り出した。三日月の模様が刻み込まれた掌に収まる程度の大きさの石――月の石だった。その石から蒼い光が放たれ、ニドリーノは蒼い光を身に纏った。その光が膨張し、ニドリーノの身体が人型に限りなく近いものになってゆく。二つの足で地面を踏みしめ、両腕を振るって蒼い光をニドリーノだったそれは剥ぎ取った。そこにあったのは岩のような筋肉に身を包んだ巨躯だった。紫色の表皮はそのままに、さらに鋭くなった角と、まるで背びれのように並んだ背中の毒針がある。長い尻尾がつき、それが地面を擦って近くの樹に絡みついた。樹を絡みこんだその尻尾はマッチを折るように容易く、太い幹を割った。裂けた口から獰猛な獣の咆哮が上がり、構成員達が腰を抜かした。そのポケモンはニドリーノに月の石を使うことによって進化するポケモン、ニドキングだった。王の名を冠するそのポケモンは、名前以上に凶暴な咆哮を響かせる。その声に呼応するようにニドキングを中心として地面に茶色の波紋が広がってゆく。その波紋が消えた瞬間、地面が轟音を立てた。道路に転がった瓦礫がカタカタと震える。
「地震だ!」
誰かが叫ぶ。ポケモンは自然界に働きかけることも出来る。その際たるものが「じしん」だった。ニドキングの声に導かれて、地面が激しく鳴動する。それに足を取られたポケモンと構成員へとニドキングが近づき、その巨大な足で構成員を踏みつけた。断末魔の叫びを上げることもなく、潰された構成員の腕がニドキングの足にひっつく。その光景に逃げようとした構成員をニドキングは尻尾で絡め取った。先ほどの樹よりも容易く、全身の骨を砕かれ尻尾の中で構成員が絶命する。ニドキングの腕が構成員のポケモンを掴み、恐怖に慄くその頭部を裂けた口で食いちぎった。首からスプリンクラーのように血飛沫が舞う。
コノハは戦慄すると共に、ここで背を向けては駄目だという強迫観念にも似た感情に衝き動かされ、ハクリューに指示を出す。
「ハクリュー、冷凍ビーム!」
ハクリューの首筋の水晶が輝き、そこから水色の冷気が放たれ口の前に球体を展開する。その球体に冷気が集まり、次の瞬間、細い一条の光芒が放たれた。それがニドキングの胸部へと命中するや否や、その胸部から上半身を包み込むように凍結させる。だが、それが腕にまわる前に、ニドキングは両腕を内側に強く振るった。それだけで胸部の筋肉が膨張し、覆っていた氷が弾け飛んだ。だが、白い筋肉の胸は凍傷を受けたように赤くなり、内部の筋肉繊維が見えていた。
あと少し、とコノハがもう一度ハクリューに指示を出す前に、ニドキングが角を突き出してハクリューとコノハへと襲い掛かった。
コノハは思わず叫んでいた。
「来ないでーっ!」
ハクリューが主人の思惟を感じ取り、ずいと前に出て角の一撃を受け止めた。ハクリューの白い腹に紫色の毒々しい角が突き刺さる。ハクリューの口から叫びが上がった。ハクリューは角に突き刺されたまま、ニドキングの腕に尻尾と頭部を掴まれた。ニドキングの腕の筋肉が膨れ上がり、ハクリューの身体を両側から引っ張る。ミシミシと肉のちぎれる音が響き、コノハは顔を覆った。
その時、後ろから現れた巨体がニドキングを突き飛ばした。ニドキングの手からハクリューを取り返したのは、灰色の鋼のような身体を持つサイドンだった。主人であるセルジが歩み出て、コノハの前に立つ。
「こ、これ以上、好きにはさせないっ!」
震える声で叫び、ニドキングへと指を向けサイドンに指示を出す。
「サイドン、角ドリル!」
サイドンの頭部についた角が高速回転し、周囲の空気を巻き込む。サイドンはそれを突き出して、ニドキングに体当たりをかけた。ニドキングは突き飛ばされた身体を両腕で持ち上げ様に、紫色の長い角でサイドンの「つのドリル」を受け止めた。その瞬間、その場にいた全員の鼓膜を高周波の音が劈いた。ニドキングもまた「つのドリル」を使用し、サイドンの角ドリルとぶつかり合っていた。ただし、ニドキングの角ドリルは高周波で相手を貫き引き裂くものだった。
回転したサイドンの角と、ニドキングの角が激しく火花を散らす。拮抗していたかに思えたその様相はすぐに崩れた。ニドキングが立ち上がったことにより、高周波の角がサイドンの角を押し返した。サイドンは高周波の角に押され、地面に爪を立てながら後ずさる。
ニドキングの腕の筋肉が膨れ上がり、両手でサイドンを突き飛ばした。サイドンの身体がニドキングから大きく離れる。ニドキングは裂けた口を開いて、空気を吸い込んだ。その空気の中にオレンジ色の電子が混じり、ニドキングの口腔内に球体を作り出す。「はかいこうせん」が放たれることは誰に目にも明らかだった。誰もが諦めて逃げ出そうとしたその時、割って入る声が耳朶を打った。
「ドリュウズ、ドリルライナー!」
後方から鋼の腕を突き出したドリュウズがニドキングへと突進する。ニドキングの胸部に腕が触れた瞬間、ドリュウズが蓑のような形状へと変化した。帽子のつばのように突き出た頭部の角と、鋼の両腕を組み合わせてドリュウズがドリル形態へと変ずる。巨大なドリルが空気を巻き込んで高速回転する。鋭いその一撃がニドキングの筋肉繊維を破り、肺に達した瞬間、ニドキングが身体を仰け反らせた。溜められていた力の奔流である破壊光線は逸れ、オレンジ色の光芒が上空に放たれた。唖然としているセルジの横に現れたヤマキが「一人で格好つけんなよ」と言葉をかける。それに最初は驚いていたセルジはヤマキと顔を見合わせ頷いた。
「サイドン、もう一度角ドリル!」
その声にサイドンが地面を蹴り、激しい轟音と土煙を上げながら頭部の高速回転する角を突き出してニドキングへと直進する。その角がドリュウズの当てている「ドリルライナー」と同じ、コノハのハクリューが冷凍ビームで弱らせた胸部へと突き刺さった。血飛沫が上がり、筋肉繊維を二つのドリルが引き千切る。二つのドリルが共鳴しあい、大きな竜巻を生じさせる。その竜巻を纏った一撃が、ドリュウズとサイドンによって放たれた。肺を破り、心臓まで達したドリルが背骨を貫いて背中から突き出す。ニドキングは呻き声を上げて身体を仰け反らせる。
だが、ニドキングはまだ死んでいなかった。二つのドリルを両手で掴み、腕の筋肉が倍以上に膨れ上がる。ニドキングは掴んだ手に渾身の力を込めた。両掌から血飛沫が舞い、ドリルで皮膚が削られる。ニドキングは血反吐を吐きながら激しく咆哮した。
ニドキングの手がドリルをくわえ込み、その回転を止めたのはほぼ同時だった。セルジとヤマキがそれに驚く前に、ニドキングは二つのドリルを握力だけで砕いた。鋼のごときドリルの破片がニドキングの足元に落ちる。ニドキングは血まみれの両手でドリュウズとサイドンを突き飛ばした。ドリュウズとサイドンが大きく後退する。
ニドキングの胸は抉れており、内部器官が見えていた。肺が垂れ下がっており、脈打つ心臓から血が流れている。今にも倒れそうでありながら、ニドキングは力強く吼えた。その咆哮に気圧されたように、セルジとヤマキがさがる。
ニドキングの眼が二人を捉える。
せめて、この二人だけでも道連れにする。そのような意思がニドキングから放たれ、二人はその場に縫い付けられたように動けなくなった。ニドキングがゆっくりと近づいてくる。蛇に睨まれた蛙の如く動けなくなった二人へと、ニドキングの手が覆いかぶさろうとした。
その時、一筋の光芒がニドキングの胸で脈打つ心臓を貫いた。二人は目を瞑ったまま、何が起こったのかと辺りを見渡す。後方でニドキングを指差すコノハと、その横に立つ満身創痍のハクリューの口元に僅かにオレンジの電子が残っている。それで二人はハクリューが破壊光線を放ったのだと理解した。ニドキングが固まり、その場に崩れ落ちる。その身からはおびただしい鮮血が流れた。それを見てロケット団は勝ち目がないと悟ったのか敗走する。その背に水色の光の剣が突き刺さった。ハクリューの冷凍ビームだった。ハクリューは他の戦闘員達にも狙いを澄ませて攻撃する。冷凍ビームの攻撃に人体は耐え切れずに貫かれ、血飛沫は飛ぶ前に凍りついた。それを言葉もなく見ていたセルジとヤマキは後ろからゆっくりと歩いてきたコノハに道を譲るように後ずさった。何故だか分からない。だが、二人はこの瞬間、違うと感じた。コノハは自分達とは決定的に違うと。それは他の構成員達も同様に思っていた。これは戦争だ、と先ほど言い放ったコノハの言葉にヤマキとセルジは唾を飲み下した。これはポケモンバトルじゃない。やらなければやられる、本物の戦争。
転がったロケット団の死体を見つめ、コノハは上空を仰ぎ見た。木々の葉に隠された空の果てを視るように、その眼は澄んでいた。