第五章 十八節「それぞれの戦い」
赤く染まった廊下をチアキとナツキは走っていた。チアキの背へとナツキは声を掛ける。
「チアキさん! これはどういうことなんですか!」
「ディルファンスの攻撃だろう。本部を狙ってきたということは奴ら、ここで我々を殲滅するつもりだ」
その言葉はナツキの中に重く響いた。殲滅、それはつまり殺されるということなのか。自分も、チアキも、あの親子も。
「ナツキ!」
振り返ってチアキが呼びかける。チアキは廊下に備え付けられた非常扉に手をかけていた。扉の横の認証パネルにカードキーを通し、扉をこじ開ける。中は僅かな光源が連なる通路だった。
「ここから外に逃げろ。恐らくヤマトタウンを超えた辺りに出られるはずだ」
「そんな。チアキさんは」
「私はいい」
チアキは振袖をナツキへと掲げた。そこにある「R」の文字が覚悟を物語っている。
「私はロケット団だ。逃げたとしても戻るべき場所もない。この力で戦うしかない。お前には戻る場所も、未来も残されているだろう。こんな場所で踏みとどまるな! ミサワタウンのナツキ!」
チアキの言葉に、ナツキは通路に目をやった。ここから外に出れば、これまで通り旅を続けられる。ポケモンリーグにも挑戦できる。ディルファンスとロケット団の戦いなどとは程遠い、自分の未来に。
だが、それでいいのか?
これまでのように憧れに逃げ、無神経に過ごしていいのか。現実を自分は知ったというのに。
ナツキは非常通路の扉を閉めた。それを見たチアキが驚く。
「何をしている? 早くその通路から逃げろ」
「逃げません。私も、もう戻れない」
「戻る場所はある。お前の未来が――」
「だったら、チアキさんはどうしてテクワ達に会わせてくれたんですか」
遮ったナツキの言葉に、チアキは返事を窮した。ナツキは鳴り響くサイレンの音に掻き消されないように声を荒らげて続ける。
「現実を知って欲しかったからでしょう? 私が何も知らずに、ただ定義されたものだけを信じて生きることがないように! 本当の意味で、覚悟することが出来るように! なら、私は何も知らない頃に戻っちゃいけない。それは現実を生きている人に対する冒涜になるから!」
現実を知って変わらなければならない。それこそが現実を知ったものが背負う覚悟というものだ。そして変わり続ける努力を続ける者こそが、未来を掴み取ることが出来る。
チアキはナツキの顔を見据え、「本気なんだな?」と問いかけた。ナツキはそれに静かに頷いた。
「言っておくが、ここでディルファンスに歯向かえば、お前はロケット団の一味として見られるかもしれないぞ。そうなればこれまでの人生を棒に振ることになる。それでも、いいんだな?」
「ここで逃げたら、現実から逃げたことになってしまう。もし、テクワ達が許してくれても、多分、私は逃げ出した自分を許せない。だから、戦います」
チアキはその言葉に頷き、ついて来い、と促して歩き出した。ナツキはその背に続く。
「褒められることじゃない。分かっているな?」
「分かっています。私も、テクワ達を守りたい。それだけなんです」
ナツキの言葉にチアキは微かに笑った。
「配置場所につく。この二階層に敵を入れさせはしない。行くぞ」
チアキが走り始めた。ナツキがその後を追う。もう戻れない。だが、自分の心に後悔はしたくない。そう心に刻み付けて、ナツキは赤く染まった廊下を駆けた。
「第一防衛ラインを空中の三体が突破! 第二防衛ラインも展開しましたが突破された模様。指揮官! もう後が――」
「騒ぐな!」
団員の上げた声を、指揮官は肘掛を殴りつけた拳と怒号で遮った。巨大なスクリーンに投影された映像は、粗いが確かにゴルバット部隊の迎撃を退けた三体のドラゴンポケモンだった。
フクトクはコンソールのディスプレイに映し出された戦況を見て驚愕していた。いくらドラゴンタイプのポケモンとはいえ、たった三体で第二防衛ラインまでも突破できるものか。その背筋を悪寒が走り、ディスプレイの端に先刻撮影された金色の龍のポケモンへと目をやる。これが、やったというのか。
「第三防衛ラインを張れ。タマタマの対空砲火はまだ生きているのだろう? 弾幕を切らすな!」
「指揮官。地上部隊が第一防衛ラインに差し掛かりました。地上のバクオングがやられたようです!」
驚愕の表情で振り返った団員へと指揮官は手を振るった。
「手の空いている戦闘団員に迎撃させろ。テレポートで第一防衛ラインに送れ。五、六人で構わん!」
混迷するブリッジに指揮官の声が響き渡る。指揮官もまさかこれほどまでディルファンスに攻め込まれるとは考えていなかった。第二防衛ラインを突破された時間は、予想を多きく上回っている。何が起こっている? 巨大なスクリーンへと視線を投じ、その先にいるであろうドラゴンタイプの三体を睨み据えた。あのポケモン達がやったというのか。空中ならば主人の声も届かないであろうというのに。薄ら寒いものをスクリーンに映し出された三つの点滅するマーカーに感じた瞬間、
『指揮官。戦況はどうなっている』と低い声が回線に割って入った。
「シリュウ様ですか? どこにおられるのです」
指揮官は思わず立ち上がり周囲を見渡した。シリュウの声は苛立ちを含んで言葉を継ぐ。
『そんなことはどうでもいい。戦況を的確に報告せよ』
その言葉に上官への挙手敬礼を思い返した指揮官は直立して報告した。
「は。ただいま敵空中部隊が第二防衛ラインを突破。第三防衛ラインの展開を急がせていますが、空中部隊がしのげる確率は低いかと。敵の地上部隊は第一防衛ラインへと差し掛かったようです。現在、第一防衛ラインへと戦闘団員を回していますが、こちらも防ぎきれるかどうか……」
『分かった。ならば、敵空中部隊に対する最終防衛ラインを私が担当する』
濁した語尾を断ち切るように放たれた声に、指揮官は思わずと言った風に返した。
「そんな、シリュウ様が直々になんて」
『私を誰だと思っている。ロケット団幹部、疾風のシリュウだぞ。必ず防ぎきる。最終防衛ラインを私に預けてくれ』
その切実にも聞こえる言葉に、指揮官は席に力なく座って頷いた。
「分かりました」
『内部へと攻め込む別勢力があるかもしれない。内部の守りも固めろ』
「内部はカリヤ様とチアキ様に既に預けています。チアキ様は何故だか通信を切っておられますが」
『カリヤだけでも大丈夫だろう。そちらは任せた』
「はい。……シリュウ様」
『何だ?』
指揮官は見えていないにもかかわらず立ち上がって挙手敬礼をした。それを見ていた団員達も、その時ばかりはコンソールから顔を上げ同じように立ち上がり指揮官に倣った。フクトクもそうしていた。
「ご武運を……」
『了解した』
その声に、フッと笑った声が混じった気がした。