第五章 十二節「血塗られた正義」
轟音がディルファンス本部を揺さぶる。構成員達は何事かと周囲を見渡した。地面が揺れていることに気づき、誰かが「地震だ!」と叫ぶ。この地下では地震は致命的だった。誰もが崩れると思い、目を閉じた。
コノハは揺れに気づいても動じなかった。ポケットに隠した注射器を手にとって見つめ、これを使うことがなくてよかったと安堵に顔をほころばせた。
トンネル掘りの作業に従事していたセルジとヤマキが顔を上げ、周囲が揺れていることに気づく。「地震か?」とヤマキが声を上げ、セルジと共にポケモンの下に避難した。しかし、その頃には揺れはおさまっていた。
「何だったんだ?」とセルジが周囲を見渡す。すると突然、サイドン達の背後にあった岩盤が激しく音を立てて崩れ落ちた。サイドン達は主人を守ろうと後ずさる。当の主人達は何が起こっているのか分からず少女のような悲鳴を上げた。
するとサイドン達の背後から光が降り注いだ。
「あの世の光か?」とヤマキが口にし、うろ覚えのお経を唱える。セルジがポケモン越しにその光を見つめた。
「いや、違う」と言って、サイドン達の腹から這い出る。「危ないぞ」と制止するヤマキの声も聞かずセルジは光に導かれるように歩いてゆく。ヤマキはあの世でも一人になっては敵わないとセルジの後を追う。すると、輝きが増してゆき、その身が温かな光に包まれた。
視点を上に投じれば朝方に獲物を取りにゆく鳥ポケモン達が飛び交い、薄暗闇の皮膜が張ったような太陽が目に映る。下方に目を向ければ、草むらで突然の地下からの来訪者に驚くポケモン達がいた。上と下に何度も目をやり、二人で顔を見合わせてから、同時に叫んだ。
「外だー!」
それは二週間ぶりに外に出た者達の歓喜の声だった。
エイタは予定通りの爆発にさも何も知らないという風を装って息せき切ってモニタールームに向かった。モニタールームは本部地下一階にある。大小さまざまな機器が並び、構成員達のバッジの位置と廊下や部屋に設置されたカメラの映像が幾つものディスプレイに表示されている。
エイタはモニタールームに入るなり、「何があった?」と声を張り上げた。それに気づいた構成員がエイタへと視線を向ける。
「エイタさん。どうやら小規模の爆発が地下三階層の一区画で起こったようです。地下三階層には監視カメラはありませんから、詳しいことは分かりませんが他の階層に異常がないことから見ると、やはりそこかと」
エイタは笑い出しそうな口元を抑えるため代わりに顔に緊張を走らせた。
「地震の類の誤認じゃないのか?」
「この辺りには活断層はありません。それは本部をこの場所に造った際に確認されています。今速報を調べていましたが、地震に関する報告はありません。やはり、爆発であるかと」
「三階層に降りよう」
エイタが身を翻すと、報告を行っていた構成員が「危険です!」と声を上げて制した。
「情報が少なすぎます。必要最低限の情報を集めてから調査チームを編成しますので、それまでしばらくお待ちを」
「ロケット団の襲撃かもしれないんだぞ!」
エイタが振り向き様に叫び返すと、モニタールームにいた構成員達がざわめき始めた。口々に「……ロケット団。まさか」という声が聞こえてくる。計画通りの状況に笑みを浮かべそうになって、エイタは俯いて隠した。
「状況は分からない。でも、地下三階層といえばすぐ上が居住ブロックだ。部屋にいる構成員達にすぐ地下一階のレクリエーションルームに集まるように通達してくれ。もし襲撃なのだとしたら寝首を掻かれる心配がある」
その言葉にモニタールームに緊張が走った。すぐにマイクを取った構成員が地下二階の居住ブロックへと回線を繋げる。
「ディルファンス構成員全員に告げる。地下三階層に異常発生。各員、すぐに部屋から退避し地下一階のレクリエーションルームに向かえ。繰り返す……」
アナウンスが反響するのを確認しながら、エイタは出口へと向かった。レクリエーションルームで構成員達を従えて地下三階層に降りる。そこでカトウの残した爆弾の欠片なりを拾い、ロケット団による襲撃だと思わせる。サキとマコの死体が一部でも残っていれば余計にロケット団の襲撃だと思わせることが出来る。白い廊下に反響するアナウンスを聞きながら、エイタは口元を歪めた。
その時、向かい側からやってくる二人組を見つけてエイタは慌てて笑みを掻き消し、沈痛な面持ちで向き合った。
二人組は新たな入り口を作るためにトンネル掘りに従事させていた構成員だった。セルジとヤマキと名乗った構成員達は土にまみれた顔をタオルで拭いながら興奮気味に喋った。
「エイタさん! さっきの地震ですが」
「ああ。あれは地震じゃない。何者かの襲撃の可能性があるんだ。二人ともすぐにレクリエーションルームに避難して――」
「それどころじゃないんです! さっきの振動のおかげでトンネルが開通したんですよ!」
「何だって?」
想定外の言葉にエイタは演技も忘れて驚いた。二人はまだ興奮冷めやらぬといった様子で話す。
「すぐにエイタさんに報告しなければと思って。これでディルファンスはまた活動できますね」
願ってもないことだった。こうも立て続けに自分にとっての幸運が連鎖すると怖いぐらいだったが、エイタは平静を装って言った。
「分かった。地下三階層の調査が終わったらそれをみんなに報告しよう。君達もレクリエーションルームに一緒に向かおう」
二人が同時に頷きエイタの後ろに続く。このタイミングでディルファンスが活動再開できるとなれば、必然ロケット団との全面戦争に気運を向かわせることが容易になる。ツキは自分に向いている、そう感じエイタは分からぬ程度に口元をほころばせた。
レクリエーションルームには既に人が集まり始めていた。レクリエーションルームは本部の中でもかつてのロビーに匹敵する拾い部屋だ。アナウンスを聞いてすぐに駆けつけたという風にエイタは部屋に入るなり声を張り上げた。
「全員、いるかー!」
ディルファンスは構成員を何十人も抱えている。全員の顔をエイタが覚えているはずもなかったが、聞こえてきたアナウンスがその思考を補足した。
『エイタさんに連絡。現在、構成員七十二名、レクリエーションルームに集まっています』
そのアナウンスにエイタは舌打ちした。これではバッジに発信機を埋め込んでいるのがばれてしまう。だが、恐慌の中で誰もそのアナウンスを気に留めるものはいなかった。エイタは今しがたレクリエーションルームに入ってきたアスカと目を合わせる。アスカは動揺を隠せずにエイタに訊いた。
「エイタ、どういう事? 地下三階層で異常があったって、まさか――」
そこから先の言葉をエイタはアスカの口元に人差し指を当てて制した。
「誰も知っちゃあいない。余計なことは口にしないほうがいい。それよりも、君はリーダーだ。ここでうまくまとめてくれよ」
エイタが背中を軽く叩いて、アスカを前に出す。構成員達の不安を感じ取ったアスカが、口を開いた。
「皆さん、落ち着いてください。先ほどの振動は何者かが本部を襲撃した可能性があります。もちろん、他の可能性も視野に入れていますが襲撃者がいるという最悪の想定の下でこれから私とエイタが地下三階層に降ります。他にも数名を引き連れます。別名あるまで他の構成員はこの場で待機していてください」
アスカはひと息に言いきった。エイタが前のほうにいた構成員数名を選び、ついてくるように促す。アスカはレクリエーションルームから先行して、廊下に出た。その後をエイタと他数名の構成員が続く。アスカは地下三階層に向かう階段を降りた。地下三階層にはエレベーターが止まらないため階段で向かう必要がある。階段を降りる最中、誰もが不安を押し殺したように黙っていた。襲撃者の可能性があるために油断が出来ないのだろう。中には腰のモンスターボールに指をかけたまま、落ち着きなく視線を走らせる者もいた。アスカは岩肌がむき出しの階段を降り切り、廊下へと踏み出そうとしてハッと足を止めた。
白いはずの廊下は黒く焼け爛れており、天井の電気設備から火花が散って廊下に降り注いでいた。エイタがアスカの前に踏み出す。
「僕が行くよ」
言って数人の構成員を引き連れてエイタが焦げた廊下に踏み出した。空気がちりちりと焼けて喉を刺激する。進めば進むほどに爆発の余韻を感じさせ、この先を知ってはいても自然と額に汗が滲む。バチバチと天井で火花が爆ぜる。突き当りらしき場所の扉は斜に切り裂かれており、その扉を跨ぐように爆発の中心地である部屋に入った。その途端、空気を伝って何か生き物が焼ける時特有の臭いが鼻をついた。その臭気に顔をしかめながら周囲を見渡す。壁は砕け、岩肌が見えている。天井の照明が残さず割れてむき出しの電気設備から火花が床に向けてこぼれている。部屋はというと真っ黒に焼け焦げており、そこらかしこに細かな部品が散乱していた。爆発の衝撃波で砕け散った破片が岩肌に突き刺さっている。狼狽する後ろの構成員達が部屋の中央に視線を移した瞬間、うっと呻くような声が聞こえた。その声にエイタも部屋の中央に目をやる。そこには充満する悪臭の根源があった。鼻をつまみながらエイタは部屋の中央に近寄る。床には、張り付くように刻まれた二つの黒い影がある。肉が削げ落ち、骨も焼けて形を残していない。爆発の瞬間、高熱に晒されて肉体が地面に張り付いたのだろう。僅かにその部分だけ盛り上がっていることが、これが遺体なのだということを物語っていた。
「……エイタさん。それは」
背後で恐る恐るそれを見ていた構成員が口を開く。エイタは遺体の周囲に目をやった。爆弾の破片とコンピュータの筐体の破片が一緒になって判別できない。肝心のロケット団がやったという証拠はない。その事実に人知れず歯噛みして、エイタは遺体に目をやった。灰の中に布切れがある。皮膚かもしれないと思ってエイタはポケットから白い手袋を取り出して両手にはめ、その布切れをつまんだ。布切れはボロッと崩れたが、そこにラインが入っているのが分かった。これで十分だ。お膳立ては整った。エイタは笑みをつくって頷き、振り返った瞬間沈痛な面持ちを刻んで言った。
「これは、ディルファンスの制服だ」
それを聞いた構成員達が驚愕の表情を浮かべた。エイタがつまんだその布切れを近くの構成員に手渡した。構成員は半透明の袋にそれを入れる。袋に入れた構成員が中身を確認し、「本当だ」と呟いた。その言葉に構成員達がざわめく。そのざわめきを裂くように、エイタは言葉を発した。
「これより、僕はレクリエーションルームにいる人々に報告に向かう。君達は現場を継続して調べてくれ。……嫌な報告になりそうだ」
エイタは踵を返し、斜に切られた扉を跨いだ。その扉のすぐ前まで来ていたアスカが心配そうにエイタに寄りかかった。
「エイタ。中は――」
「見ないほうがいい」
開きかけたアスカの口をその言葉で遮って、エイタは僅かに背後を振り向いた。後ろには誰もいない。部屋の中にいる構成員達は慣れない現場に戸惑いながら調査を続けている。何かを聞かれる心配はない、そう思ったエイタはアスカへと言葉を発した。
「全て思い通りだ。何も心配することはないんだよ、アスカ。これからレクリエーションルームに向かう。君も来るんだ」
エイタはアスカの手を引っ張ってレクリエーションルームへと歩を進めた。その顔に笑みが浮かんでいるのを、アスカ以外誰も見ることはなかった。
レクリエーションルームに着くなり、エイタは構成員達に点呼を取らせた。慣れないことに戸惑いながらも、構成員達が番号の声を上げる。それが六十七を知らせた時、エイタは口を開いた。
「モニタールームにいるものと下にまだ調査で残っている者を入れて七十六。僕とアスカを加えて七十八。ディルファンスの現在の構成員の数は八十人ジャストのはずだ。これが何を意味するか、君達は分かるか」
その言葉に動揺の空気が構成員達に広がった。エイタはもったいぶって言った。
「実は先ほど地下三階層の機密倉庫で押し入った後と、二つの遺体とあるものを見つけた。じきに皆も知る事になるだろうから言っておく。そのあるものとはディルファンスの制服の切れ端だ」
動揺の空気が高まり、制御不能のざわめきと化す。エイタはそのざわめきに掻き消されないように、声を張り上げた。
「爆弾のあったはずの場所にディルファンスの制服がある! これは奇妙なことだ! そしてこれは、ディルファンスの中に外部勢力の内通者がいたことを示している! そして、我々に敵対する外部勢力とはこのカイヘン地方では一つしかいない! それは、ロケット団だ!」
ロケット団という言葉にざわめきが止み、水を打ったような静寂が訪れる。その静寂こそが次に人々の機運が盛り上がる前、いわば嵐の前の静けさであることをエイタは知っている。エイタは、今度はわざとゆっくり言ってみせた。
「二つの遺体。これは、恐らく爆発から逃れ切れなかった内通者のものだろう。だが、内通者がいたからといって、お互いを疑りあうのは愚の骨頂、相手を思う壺だ。こんな時だからこそ、お互いを信頼しあい、無残なことをやってのけた相手への報復が必要になる。君達は、こんな惨いことを平気で実行し、あまつさえ自分の仲間を切り捨てるロケット団を、どう思う? どう感じる?」
群衆の中から「許せない」という小さな声が上がった。それを引き金とするように、許せないという声が高まってゆく。それを聞き届けたエイタは両手を広げて叫んだ。
「そう、許せない! それが我々の答えであり、我々の気持ちだ! 奴らはお互いさえも道具としか思えない組織、いわば悪魔の集団だ。いくら奴らがディルファンスを槍玉に挙げたとはいえ、このような暴挙を許していい道理はない!」
「そうだ!」と声が上がる。
アスカは一歩引いてそれを見ていた。シルフカンパニー襲撃時の再現だった。犠牲を人々の前でちらつかせ、制御のつかない暴力の衝動を根付かせる。報復は正義だと信じて疑わない空気にアスカは背筋が寒くなるのを感じた。もし、この集団が自分も悪だと定義するならば、今までのアスカの地位など無に帰してどんな暴力をもいとわないのだろう。仲間でも裏切ったのならば許せない。欺いたのならば許せない。そしてその大元はもっと許せない。罰を与えるべきだという熱にも似た感情が昂り、人々の意識を狭めてゆく。
「僕はこの証拠と共に、マスコミへとこの事件を流す。そして誰もが思うだろう、ロケット団は口先でいくら詭弁を振りまいてもやはり悪だということを。全ての悪を払うディルファンスという盾こそ、民衆に必要なのだということを。我々の正義を示そう、世の人々に! 今度こそ、ロケット団を駆逐する!」
エイタが力強く拳を引き上げる。その言葉に引っ張られるように構成員達から暴力に飢えた声が上がった。ロケット団を許せない、ロケット団に今度こそ死を、という声が亡者の叫びのように空間を満たしてゆく。赤黒い力の引力に引き寄せられるように、誰もが呪いの言葉を口から放つ。
「奴らは愚かにも自分達の拠点を示した。それは我々が行動に出られないと見てのパフォーマンスだろう。だが、すぐに奴らは思い知ることになる。そんな少しばかりの思い上がりが命取りになるのだということを。正義に異を唱えるものがどうなってきたか、歴史が証明してきたように、奴らは己が身をもって歴史に刻み付けるだろう。奴らの思い上がりを正すために、我々はようやくこの穴倉から飛び出すことが出来るのだ。僕もつい先ほど、報告を受けたのだが、トンネルが開通したらしい。ディルファンスが抗戦に出るための光の入り口が、遂に開かれたのだ。奴らの我々を滅ぼすために放り込んだ兵器によって我々は外へと放たれる。これは時代が味方していることに他ならない!」
エイタの言葉に賛同した者の叫び声がレクリエーションルームを震わせる。その叫びが脳髄を満たしてゆく心地よさに、エイタは愉悦の笑みをこぼしそうになってそれを押さえた。まだここで笑うわけにはいかない。もう少しすれば堂々と笑えるようになる。
「我々はロケット団復活宣言によって辛酸を舐めた。正義が間違っているのか、と自問した。だが、正義は決して間違っていなかった。正義は我らにある。我らディルファンスこそが、このカイヘンでの光であり、正義だ!」
反抗の暴力を求める凶暴な声が、正義の名の下に放たれようとしている。正義はそれほどまでに絶対だった。殊にディルファンスにおいては、その存在理由と言えた。正義には必ず相対する敵が存在しなければならない。決して正義が迷ってはいけないのだ。迷えば、そこに正義は消え、狭間で揺れ動くことになる。迷わないことこそが正義。そして今、この場所では、ロケット団を悪と定義することこそが正義だった。定義された悪は滅せられなければならない。他の誰よりも正義の手によって。
「ついて来てくれる勇気のあるものだけで構わない。これからディルファンスは、ロケット団との全面戦争に突入する!」
勇気がない、などとのたまう者などいるはずがなかった。誰もが自身の目の前に正義があると信じ、この時は自分が発している声が邪悪な暴力の言葉だと知らずにその声を反抗の剣として掲げた。