ポケットモンスターHEXA - 交錯、思い滲んで
第五章 十一節「友愛」
 結論から言えばアスカの部屋にも何も無かった。

 エイタの部屋に入ったのと同じ手順を踏んで、ディルファンスリーダーの部屋に二人は侵入し、デスクの棚の中、ベッドの下、テレビの裏など同じ場所を物色したが、得たものは何も無かった。同じインテリアの部屋で同じ行動をしたせいか全身を包む倦怠感は倍になっていた。違ったものといえば女性らしい化粧品や下着などだったが、それ以外は同じだった。マコはこの部屋にもエイタの部屋にあったのと同じアルバムがあったことを気にしたが、サキは興味など端からない様子で、目的のものが見つからなかったと見るやそこいらに散らかった物を面倒そうに元の場所に戻した。

 サキとマコは下の階層へと向かうことにした。エレベーターでは他の構成員と鉢合わせになる可能性が高いため、利用者の少ない階段を使うことにした。階段が利用者の少ない理由は、削ったときの岩肌がそのまま残っていて不気味な事と、照明が十分でないため足場が悪い事、そして何より一階層降りるだけだというのに階段は長く、直ぐの移動には適さないことの三点が挙げられた。サキは足場の悪さをものともせず、階段を降りてゆく。その後ろについていきながらマコは尋ねた。

「ねぇ、サキちゃん。いつからサキちゃんはディルファンスを疑っていたの?」

 その言葉にサキは振り返りもせずに「どうしてそんなことを訊く?」と尋ね返した。

「私、決して長くディルファンスに居るわけじゃないけど、でもサキちゃんよりはディルファンスを見てきた期間は長い。それなのに一度も疑ったことは無かった。何を理由にしてサキちゃんはディルファンスを疑ったの?」

「疑い始めたのはお前がロケット団の下っ端に捕らわれたときだ」

 サキの言葉にマコはタリハシティでロケット団の下っ端二人組に捕らわれて、酷い目にあったことを思い出した。あの時サキが助けに来てくれなければ今の自分はいない。あれからもう一ヶ月も経ったのだ、とマコは感慨深く思い返していた。

「あの時、ディルファンスの幹部連中が雁首そろえてやってきた。普通、一構成員を助けるためにしたことにしては考えられない。多分、バッジの中に盗聴器か発信機、またはその両方が入っているって確信したのはその時だ。そしてバッジが第三者に渡ったことを知り、解析されないためにわざわざ幹部連中を寄越した。マコ、あれはお前を助けるために来たわけじゃない。私がバッジを調べることを阻止するために行ったんだ。そこからディルファンスはまともじゃないと判断した。構成員のバッジの一つ一つにそんなものを仕込む組織が善良な自警団なんて笑えてくるだろ?」

 サキの階段を踏む音が長い回廊に響き渡る。鉄の階段がサキの軽やかな足取りを受け止め、対照的に足が重くなってゆくマコの体重を受け止めた。もしサキの言ったことが事実ならば、サキがあの場所に来なかった場合、自分は助けてもらえなかったかもしれないのだ。サキがあの場所へと来たからディルファンスの幹部達もあの場所へと誘われてきた。

「その後の本部襲撃でも私はさほど驚かなかった。構成員にわざわざ首輪をつける組織だ、ロケット団と裏のコネがあってもおかしくはない。まぁ、カトウほどの人間が来たことには私も驚いたがな」

「サキちゃんは、本部を襲撃してきたロケット団の人の事、知っていたの?」

「ああ。お父さんに教えてもらったんだ」

「お父さん、ってさっきの電話の人?」

 訊いてから先ほどの電話の声を思い出した。あの声、どこかで聞いたことがあるのだが名前があと一歩のところで出てこない。サキは階段に踏み込むと同時に青い髪を揺らして頷いた。

「そう。お父さんは昔、ロケット団の兵器開発に従事していたらしいから。今はもうロケット団との縁は切れていて、ただの研究者だけど」

 ロケット団との関係があった人物がサキの父親だということにマコは驚愕を隠せなかった。覚えず、どこか距離をとるような空気を出してしまう。本当はそんな理屈は無視して、友達としてだけ向き合いたいのに。

 その空気に気づいたのか、サキが振り向いて口を開いた。

「気にすることは無い。昔の話だ。私はロケット団の開発に従事していたからといってお父さんを嫌いになったことはないし、私自身には関係がない。お父さんは、カブトを私にくれた大切な人だ。出来れば、私がディルファンスに入っていることも話したくないんだ。心配させるのは嫌だからな」

 サキが僅かに顔を翳らせる。マコはその横顔に歳相応の少女の姿を見たような気がした。強がっていても大切な誰かに心配をかけたくないのだ。それがサキの心の内なのだろう。マコは話題を変えようと、サキのカブトについて訊いてみた。

「カブトはお父さんにもらったポケモンだったの?」

「ああ。初めてもらったポケモンだった」

 サキが再び背を向けて階段を降り始める。その背に続きながら、マコはサキが大切な人にもらったポケモンだと言っていたのを思い出した。

「カブトは、どうして進化させなかったの? ヘルガーを育てるほどの余裕はあったのに」

 言ってから、しまったと感じた。ヘルガーのことはサキには言わないようにしていたのだ。誰でも亡くしてしまったポケモンのことを言われるのは辛い。気づいたマコはすぐに「ごめんなさい」と言って俯いた。サキは一瞬マコのほうを振り返ったが、すぐにまた足元の階段へと視線を固定した。

「いいんだよ。ヘルガーはよく頑張ってくれた。私の誇りだ。カブトのことだが、私はお父さんからカブトを譲り受けるときに、カブトの生態調査をして欲しいと頼まれたんだ」

「生態、調査?」とマコが聞き返すとサキは「そう」と応じた。

「古代のポケモンであるカブトにはまだまだ未知な点が多い。加えてカイヘンではまだ化石のポケモンは見つかっていないだろ。それはこの地には古代にポケモンが棲んでいなかった為だと考えられるんだ。だから、カントーで化石から再生したカブトをカイヘンで成長させて経過を観察してみた。そうすることで違った生態が見られるかもしれないと考えたんだ。まぁ、カブトプスになってしまったことは言えないな」

 マコはその言葉に、サキが自分達を守るためにカブトプスにしたことを思い返し、また謝っていた。サキは振り返り、マコへと近づくとその頭をぺちと叩いた。

「いいんだよ。前にも言っただろ。形には私はこだわっていないって。私はお父さんがくれたポケモンと一緒にいられるだけでいいんだ」

 言ってサキはその身を翻してまた階段を一段一段降り始めた。その背中に続きながら、マコはサキが叩いた箇所をさすった。本当なら拳骨をくれてもいいくらいなのに、サキはそうしなかった。それだけポケモンのことを本当に想っているのだろう、とマコは思いその背中を見つめた。少しのことでも押し潰されてしまいそうな背中、その背にヘルガーの死と人を殺したことの責を負っている。その背中を支えるのが自分の役目だった。友達と言ってくれたことに報いなければ自分はサキに何もしてやれない。

 サキはタンと階段を蹴ったかと思うと、踊り場までジャンプした。青い髪が宙に舞う。マコはその背中に続こうとその場からジャンプしようとした。しかし、跳躍が足りなかったのか、階段に足を引っ掛け顔から滑り落ちた。鼻を中心にして痺れるような痛みが広がる。サキが頭上から「大丈夫か?」と心配そうな声を振り掛ける。マコが顔を上げ「大丈夫、ちょっとミスっちゃった」と言って笑顔を浮かべようとしたその時、サキが吹き出した。

 お腹を抱えて笑うサキを見て、何がそんなにおかしいのかと鼻をさすると鼻血が出ていた。浅いものだからすぐに止まるだろうが、サキはそれが可笑しくて仕方がないらしい。心外だと、マコは怒ろうとしてそういえばサキがこんな風に笑っているのは初めて見ると思い、キョトンとサキの笑顔を見つめた。

 その視線に気づいたのか、サキは咳払いをひとつして威厳を取り戻し、マコへとハンカチを手渡した。

「鼻血が出ているぞ、馬鹿マコ。ちゃんと拭いておけ」

 少し上気した顔を逸らしているのがマコには可笑しく、マコも吹き出してしまった。それを見たサキが顔を赤くしてマコの頭をぺちぺち叩く。

「な、何がおかしいんだ、この馬鹿マコ! お前がおかしいのであって私は全然おかしい所なんてないぞ!」

 意地になって反論するのがまたおかしく、マコは頷きながら鼻血を拭い徐々に笑いを鎮めた。

 サキが「まったく」と言って階段を再び降り始める。マコもその後に続いた。目的の階層は目前に近づいていた。サキは一足速く階層の廊下へと到達し、その先へと歩みを進めていた。マコは地図を広げながら、その階層にある部屋を確認しようとする。その時、サキの声が前で弾けた。

「おーい、マコ。部屋、あったぞ」

 その声にマコはようやく階段から廊下へと降り立ち顔を上げた。廊下は円を描くように湾曲しておりサキの姿は窺えなかったが恐らく突き当たりにいるのだろう。声の反響の具合からそう判断したマコは地図へと視線を落とし、ある事に気づいた。

「あれ? サキちゃん、ちょっと」

 呼びかけると、サキが怪訝そうな顔をして戻ってきた。マコはサキを手招きしながら、地図を示す。

「この階層、部屋なんてひとつもないよ」

 マコの言葉に「そんな馬鹿な」とサキは地図を引っ手繰って確認した。だが、確かに湾曲した廊下の端には何も無く、その途中の道にも部屋らしき構造物は描かれていなかった。

「だけど、ちょっとこっちに来てみろよ」

 サキがマコを伴って廊下を走る。辿り着いたそこには、固く閉ざされた銀色の扉があった。横に認証パネルがあり、カードキーを通すための溝と数字を入力するためのテンキーがある。

「……何これ。すごい頑丈な扉」

 呟いたマコは認証パネルに視線を向けた。一ヶ月前に本部の入り口を見たが、それよりも厳重に作られている。

 サキは銀色の扉を触りながら、

「なるほど。これはにおうな」

 地図へと視線を移し、それと目の前の扉を見比べる。

「あるはずのない部屋、というわけか。他の構成員が気づかないのは、なるほど、そういうことか」

「何が、そういうことなの?」

 マコが問いかけるとサキは地図を掲げて、今しがたまで降りていた階段を示した。

「この階層には階段じゃないと来られないんだ。エレベーターはこの階層には止まらない。それが、他の構成員達が気づかない理由だろう。それと、この階層の下、地下四階は食堂、地下五階より下は倉庫になっている。これより下に重要なものを置いているとは考えにくい。それに、マコ。扉の前の廊下を見てみろ」

 その言葉にマコは訝しげに屈んで扉の前の廊下へと視線を投じた。白色の廊下がずっと続いているはずだったが、奇妙にその場所だけが黒ずんでいた。一応拭いたのだろうが、他の白色の廊下と比べれば一目瞭然であり、その違いがすぐに分かった。マコが屈んだまま、サキへと目を向け「これは?」と首を傾げる。

「多分、カトウの血だ」

 サキが冷たく放った言葉を聞いた瞬間、マコは小さく悲鳴を上げ弾かれたように後ずさった。これが本部を襲撃したロケット団の血? だとすれば、ここでカトウは死んだということになる。サキへと視線を向けると、サキはマコが言わんとしていることが分かっているかのように首を振った。

「違うな。こんな場所まで来ておいて自殺なわけが無い。ここでカトウは殺されたんだ。恐らく、アスカとエイタによって」

 マコは呆然と汚れた廊下の一画を見つめた。ここでディルファンスのリーダーと副リーダーがカトウに手を下したというのか。ここで絶命したであろうカトウが最後に見たであろう景色に、マコは思いを馳せた。天井から降り注ぐ照明、それが反射することによって視界を白く染めるような廊下、その突き当たりに佇むあるはずのない部屋。この場所でカトウは何をしようとしていたのか。

 サキはカードキーへと化けたメタモンを認証パネルに通している。何度かのエラーの末、ようやく『認証されました』とアナウンスが流れ、次にテンキーが内部からの光源によって緑色に輝いた。

「マコ。何か番号みたいなものを預かっていないか?」

 その質問にマコは立ち上がって首を振った。サキは考え込むように顎をさすり、扉を撫でるように触れた。まるでその厚みを確かめるように。

「……これなら、いけるか」

 呟き、サキは扉から数歩距離をおいた。何をするつもりなのかとマコが後ろで見守っていると、サキは腰のモンスターボールに手をかけた。ボールを掴み、緊急射出ボタンを押すと同時に叫ぶ。

「行け、カブトプス」

 手の中で割れた球体から光に包まれた物体が射出される。それは人間のような二足歩行だったが人間と異なるのは両腕が鎌になっていることだ。光が晴れると、外骨格に包まれた積層構造の茶色の身体が露になる。岩を組み合わせたような身体、水蟷螂を思わせるシルエット。それはサキの持つポケモン、カブトプスだった。

 カブトプスが鎌を下段に構える。紫色の波動が鎌の表面で波紋を作り、鎌を染めてゆく。空気が鳴動し、カブトプスの鎌へと周囲の電磁波が吸い込まれてゆく。照明がちかちかと明滅し、一瞬暗くなった。その暗闇の中でカブトプスの鎌が紫色に輝いた瞬間、サキは叫んだ。

「カブトプス、亜空切断!」

 カブトプスが下段から上段へと斜に鎌を振るう。その軌跡がそのまま紫色の閃光となって扉を切り裂いた。銀色の扉に切れ込みが入る。「あくうせつだん」は空間ごと切り裂く技だ。物体の耐久性や密度に左右されない波動の刃は、この世界では切れぬものは無かった。カブトプスが扉に歩み寄り、その扉へと蹴りを叩き込む。すると、紫色の断面を残した扉が部屋の内側へと崩れ落ちた。カブトプスが先行し、サキがその後に続く。マコはしばらく呆然と見つめていたが、取り残されそうなことに気づくとすぐにサキの背中を追いかけた。サキは部屋に入ったところで立ち止まっていた。マコはその背中越しに部屋の中を見た。

 そこには所狭しと黒色の機器が置かれていた。縦長の機器は天井に届くか届かないかの高さである。配線が部屋の中央に向かって伸びており、そこに小さな物体があった。それは鳩のようなシルエットをしていたがその色と形状が鳩とは根本的に異なっていた。色は水色とピンクを基調としており、丸みは無く全身が面で構成されている。カクカクとした形で内部が透けて見えており、その身体の中を幾つもの光の線が通っている。その光の線が0と1のデータの線であることにサキは気づいた。そしてこの物体の正体も。

「……この鳥みたいなのって」

 マコが声を掛ける。サキは頷いた。

「ああ。ポケモンだ。それも世界で初めて人工的に造り出されたバーチャルポケモン、ポリゴンだ」

 サキの言葉にマコが近づいて見ようとすると、黒い機器の隙間に見知った赤と白の球体が見えた。それはどの黒い機器の隙間にもあり、配線と共に床に固定されている。マコがモンスターボールかと思いその球体へと近づくと、球体がぐるんと回った。その球体の赤い部分には鋭角的な目があった。その目がマコの目と合い、鋭い光を湛えて睨みつけた。マコが驚いて悲鳴を上げると、サキが後ろから頭をぺちと叩いた。

「いらんことで驚くな。それはビリリダマだ」

「び、ビリリダマ?」

「ポケモンだよ。発電施設なんかで電気を作るために重宝されている。大方、このポリゴンと、これに繋がっているコンピュータを動かすための電力として使われていたんだろう。普通の電力ではまかないきれないし、足がつく危険性があるからな」

 マコはサキの言葉に林立する黒い機器を眺め、そして視線を中央のポリゴンへと移した。ポリゴンの中では激しくデータが絡まりあい、体表面には常に何らかのデータが意味不明の記号として血のように流れている。サキはポリゴンに近づいて観察するような視線を注いでいた。

「ビリリダマがポリゴンを動かしているの?」

「ああ。ポリゴンは人工生命体だ。他のポケモンのような普通の食事では生命を維持できないし、普通のポケモンのような用途にも用いない。こいつは多分、データを双方向に転送していたんだろう」

「何の、データを?」

 サキがポリゴンを見ていた視線をマコに向ける。その赤い眼に「もう分かっているだろう」と言葉が被せられる。

「ディルファンスのデータだ。ロケット団とディルファンスはポリゴンのネットワークによって情報を交換し合っていた。出来レースを演じるためにな。普通のパソコンに何もなかったのは、ネットワークや履歴から足がつくからだ。だがポリゴン同士を用いたネットワークならばポリゴンの中を解析しない限り何のデータを送ったのかは分からない。閉じたネットワークの完成というわけさ。だが、このポリゴンの中を解析さえすれば、これから起こることも止められるかもしれない」

「警察に渡すの?」

 マコの質問にサキは首を振った。

「警察じゃ駄目だ。ディルファンス寄りになっていて情報封鎖される。下手を打てば私達が情報漏えいで捕まる。私がお父さんに頼んでみよう。研究者のお父さんなら、きっとポリゴンの中のデータも――」

「させると思っているのか?」

 サキの言葉を遮ったその声に二人は一斉に振り返った。空間が歪み、頭からその姿が見えてくる。薄く紫がかった眼鏡、そして口元のいやらしい笑みが視界に映り、サキはカブトプスを近づけた。マコもサキへと歩み寄る。サキはマコの手を握り、目の前に現れた人影を睨み据えた。人影はその視線に肩をすくめる。

「これはこれは。随分と嫌われたようだ」

「――エイタ、さん。どうして」

 マコが人影の名を口にする。そこには銀色のケースを片手に持ったエイタがいた。エイタはテレポートに使ったバリヤードを侍らせ、芝居役者のような大げさな身振り手振りで応じてみせた。

「どうしてここが、って?」

 エイタが指を鳴らす。すると天井から何かがエイタの前に降り立った。それはギザギザの模様を何も無い空間に浮き立たせていた。その模様から波打つようにその姿が空間に現れる。緑色の体色をしており、頭には王冠のような鶏冠がある。ぜんまいのように巻いた尻尾と舌が特徴的なカメレオンのようなそれはポケモンだった。

「僕のカクレオンは君達が部屋に入った直後から見張ってくれていたんだ。ポケギアで僕に合図を送ってくれてね。探りを入れている人間がいる≠チて」

 見ればカクレオンの腕にはポケギアが巻かれていた。そのポケギアでエイタを呼び寄せたのだろう。自分達の行動がずっと見られていたと知って、マコは薄ら寒いものを覚え、サキの小さな背中へと隠れるように後ろに回った。サキはマコを庇うように一歩、踏み出す。

「それで、私達を始末しに来たという訳か。だが、運が悪かったな。来るのならこの部屋に入る前にカクレオンで私達を殺すべきだった」

「というと?」

 エイタがふざけたような仕草で返す。サキは眉間に皺を深く刻んで鋭い眼で言った。

「お前はここでは戦えない。誘爆する可能性の高いビリリダマ、それに大切なデータが入ったポリゴン、この二つを壊すわけにはいかないからだ。だが戦闘になれば必然的に犠牲になる。私達に手を出すことは、お前には出来ない」

 サキの言葉をエイタは咀嚼するように頷きながら聞いていたが、やがて何かに弾かれたように笑い始めた。その狂気の笑い声に、マコの手が震える。その手をサキが強く握り返し、

「何が可笑しい?」

「いや。確かに君の言うとおりだよ。僕にとってそれは重要なものだ。ここで壊させるわけにいかない。いや、いかなかったと言ったほうが正しい。つい数時間前まではそれは確かに大事なものだったが、もう必要ないんだよ」

 エイタの言葉にサキが訝しげに返す。

「どういうことだ?」

「ロケット団との関係はいずれ清算しなければならない。今がその時だということさ」

 エイタの眼鏡の奥の瞳が怪しい光を灯す。それに気づいたサキがハッと目を見開いたが、それを否定するように「いや」と声を搾り出した。

「それは不可能なはずだ。お前らはまだ活動できない」

「そう、活動できないさ。だが、自衛ならば許される」

「ロケット団と、また仕掛けの日時でも示し合わせたというわけか」

「それもあるが、その必要はもうない。本当ならばこの二日以内に仕掛けを発動させるはずだったんだが、君達の行動を知って僕は気づいたんだ。貴重な兵士を何も生贄にくれてやることはない。ロケット団による犠牲は最小限でいい、とね」

 エイタの言葉はマコには理解できなかったが、二日以内に事を起こすつもりだというサキの推測が当たっていたことだけは分かった。サキは歯噛みして苦々しく口走った。

「私達を殺すつもりか。ロケット団の仕業に見せかけて」

 サキの言葉にマコはエイタへと驚愕の眼差しを向けた。エイタは指を鳴らし、「ご名答」と答える。

「さすがだよ、サキ。君は優秀な人材だった。失くすには惜しいが、優秀すぎるのもまた問題なんだよ」

「お前のポケモンで私に敵うとでも思っているのか?」

 カブトプスが一歩前に出る。まるで主人を守るかのようにカブトプスが鎌を突き出して構える。エイタは口元に笑みを浮かべてバリヤードを前に出した。

「やってみるかい?」

 その言葉にサキは舌打ちをした。カブトプスが鎌を下段に構えなおす。紫色の波動が鎌の表面を濡らし、光を帯びて輝く。

「後悔するぞ」

 サキの言葉にエイタはいやらしく口角を吊り上げた。

「どっちがかな」

「カブトプス、亜空切断!」

 カブトプスが波動で満たされた鎌を振るい上げる。鎌の軌道が紫色の閃光となり、バリヤードへと空間を裂きながら直進する。バリヤードは両手を開いて突き出し、丸い目を鋭角的に強めた。

「バリヤード、光の壁」

 バリヤードの前面に五角形の金色の皮膜が形成されてゆく。カブトプスの放った「あくうせつだん」はその皮膜へと突き刺さった。本来ならば「ひかりのかべ」など何の抵抗もなく破れ、バリヤードを両断するはずだった紫色の閃光はしかし、金色の皮膜に弾かれて音もなく拡散した。閃光の残滓もなく、金色の壁はバリヤードとエイタを守っている。その現実に、サキは目を見開いた。

「……どう、なっている」

「あくうせつだん」は空間ごと相手を切り裂く技だ。だというのにバリヤードの周囲の空間は捩れた跡もなければ、切り裂かれた跡もない。「あくうせつだん」が完全に無効化されたことをサキが認めるまでは時間がかかった。

「もう終わりかい?」

 その言葉にサキの思考が白熱化する。その思惟を感じ取ったカブトプスが床を蹴り、バリヤードとの距離を詰める。カブトプスは腰を沈め、鎌を僅かに背後に回して振るうための遠心力を得るために足を強く踏み込んだ。その瞬間、サキが叫ぶ。

「カブトプス、居合い斬り!」

 カブトプスの鎌が薙ぐようにバリヤードへと襲い掛かる。これが「いあいぎり」である。秘伝マシンと呼ばれる装置によって脈々と受け継がれてきたノーマルタイプの物理技。鎌や爪によって、細い木ならば輪切りにすることも出来るほどの威力を持った一撃。

 その鎌が迫った瞬間、バリヤードは動かなかった。今まさにバリヤードの肩口から首を落とす、まで鎌が至った瞬間、何かの壁に当たったように鎌は止まった。マコは鎌が止まった空間に水色の五角形の皮膜が形成されているのを見た。肩に装着されたそれは大柄なプロテクターを思わせる。

「リフレクターか」

 サキが苦々しい口調で言った。「リフレクター」は物理技を半減させる効力を持つ特殊な技だ。だがあくまで半減であって無効化ではない。だというのにカブトプスの鎌は「リフレクター」に阻まれて全く動かなかった。

「バリヤード。テレキネシス」

 エイタの言葉でバリヤードの手袋じみた手がすぐ傍のカブトプスへと向けられる。その瞬間、カブトプスの身体は青い光に包まれた。その光と共にカブトプスの足が床から離れ、その身が宙に浮く。カブトプスは鎌を振り回して光を引き剥がそうとするが、光は身体に纏わりついたまま粘性を持っているように離れなかった。これが「テレキネシス」。相手を宙に浮かせて攻撃を当たりやすくする補助技である。バリヤードがカブトプスに向けた手に磁場が走る。肩口から青い電流が蛇のようにのたうち、バリヤードの掌に集束される。青い電流が電磁の球体を構成し風船のように膨らんだそれでカブトプスに狙いをつける。エイタが口元に笑みを作り、サキが「逃げろ!」と叫んだ。その瞬間、エイタは愉悦に浸りながら技の名前を口にした。

「バリヤード、十万ボルト」

 青い電流の塊である球体がバリヤードの手から放たれ、宙に浮いたまま身動きの取れないカブトプスへと直撃する。青い電流の球体は当たった瞬間に弾け、数百の電気の刃となってカブトプスの身体を貫いた。カブトプスは水・岩タイプであり、電気タイプの「じゅうまんボルト」は水タイプであるカブトプスにとっては通常以上のダメージとなった。外骨格の内側にある本体が焼け爛れて積層構造の岩の鎧の隙間から煙が立ちのぼる。宙に浮いていたその身から青い光が消え、ゴミのようにカブトプスはサキの前に落とされた。サキは目の前のカブトプスのダメージを見て呆然とした。確かに電気タイプの技は食らえば致命的だが、カブトプスのダメージは尋常なものではなかった。加えてバリヤードはエスパータイプのポケモンである。ポケモンのタイプと技のタイプが一致していないにも関わらずなぜこんな高い威力が発揮されたのか。その疑問にサキとマコはバリヤードを見つめた。

 そこで二人とも息を呑んだ。バリヤードの眼が、まるで湖畔の月のように蒼かったからである。バリヤードの虹彩は本来蒼くはない筈だ。二人の視線に気づいたエイタがバリヤードの肩に手をやって二人を小ばかにするように言い放つ。

「何でこんなに強いのか、何で眼が蒼いのかって思っているだろ? これは月の石を融かしこんだ薬の力だ」

「……月の石だと」

 マコはその言葉に聞き覚えがあった。月の石とはカントーでよく採集される石であり、特定のポケモンを進化させる力を持つ。だが、バリヤードは月の石で進化するポケモンではない。それにエイタの言う薬とは何なのか。その疑問にエイタが教鞭を振るうように身振り手振りをつけて応じた。

「高純度の月の石にはね、進化に必要な要素の五倍以上の力が宿っている。そいつを液状にしてポケモンに注射すればどうなるか。ポケモンは五倍以上の性能を出してくれるって訳さ」

「……ロケット団の技術か」

 吐き捨てるようにサキが言うと、エイタが口元を緩めた。

「負け惜しみかい? たとえロケット団が開発した技術でも、使う人間によって価値は変わってくる。ディルファンスがこれを使えば、ロケット団壊滅など赤子の手をひねるより容易い。本当なら、サキ、君にも使ってもらう予定だったんだが――」

「お断りだな。そんなものを私の大切なポケモン達に使われてたまるか。貴様の野望にも、私は手を貸すつもりはない」

 サキの言葉に、エイタはさもがっかりという風に肩を落としてみせた。

「だろうね。残念だな、君はその愚かさを後悔することになる。いや、後悔する時間もないか」

 エイタが手にした銀色のケースを開く。そこには黒い拳大の円形の物体があった。それを手に取り、下部にある窪みを押してからバリヤードへと手渡した。バリヤードがそれを掴んだ瞬間、その黒い物体は空間に溶けるように消えていった。エイタがサキ達を指差す。

「君達の後ろだよ」

 その言葉に二人は振り返った。見るとポリゴンの額へと黒い物体はテレポートしている。吸着する素材でも使っているのか、それはポリゴンの額に吸着していた。

「カトウの置き土産だ。それでこの部屋を爆破するつもりだったらしい。ロケット団はあの時点で僕らとの関係を清算するつもりだったんだ。まぁ、カトウはそれを知らされてはいなかったけどね。あのタヌキのキシベには参るね。こちらに譲歩するような言い方をしておきながらこういうことを平気で命令する。奴こそ気がふれているとしか考えられないよ。おっと、先のない君達にこれ以上愚痴を聞かせても益がないね」

 サキがポリゴンへと近づく。黒い物体の表面には時間が表示されていた。エイタの言葉から時限爆弾であることは、誰の目から見ても明らかだった。サキが外そうと手を伸ばしたのをマコが制した。

「駄目だよ、サキちゃん!」

「そうそう、マコ君の言う通り。止めておいた方がいい。そいつは作動した以上、ちょっと触れても爆発するぞ」

 まるで檻の外から見て楽しんでいるような口調だった。マコがエイタへと睨む視線を向ける。その視線にエイタはわざとおどけてみせた。

「おーっ、怖い怖い。女の子は怖いねぇ。普段は大人しいマコ君も、もしもとなればそんな目をする。そういえばコノハもそんな目をしていたな。まぁ、彼女はもう僕にはそんな目は出来ないようにしてあげたけど」

 そこでマコはエイタの部屋のベッドが乱れていたのを思い出した。そしてコノハの異常な様子を思い返す。その二つが繋がり、マコはエイタを睨む眼に憎悪を込めた。

「……最っ低」

「へーっ、マコ君ってそんな口を利くんだ? 意外だったな。もっと早くに知りたかったよ」

 エイタはバリヤードへとテレポートをするように命じた。バリヤードとカクレオンとエイタの姿が景色に溶け込んでゆく。その姿を二人は睨みつけた。睨んでもどうにかなるものではなかったが、屈服したような姿をこの男に見せるのは嫌だった。エイタはその視線を特に意に介することもなく、むしろ快感だと言わんばかりに口角を吊り上げた。

「じゃあね。君達の死を理由にこれでロケット団との関係を清算できる。死が無駄にはならないんだよ、良かったね。あ、多分ビリリダマも誘爆するけど、この程度じゃディルファンス本部は崩れないから心配しなくていいよ。それじゃ、さよなら。来世で会ったら可愛がってあげるよ」

 その姿が消える瞬間、主人の意思を感じ取ったカブトプスが立ち上がり、エイタへと駆けた。その鎌を大きく振りかぶり、エイタの像を斜に切り裂く。しかし、それは遅すぎた。エイタの姿はもうそこにはなく、何もない空間をカブトプスは切り裂き、その場に膝を落とした。

 カブトプスはもう限界だった。それは二人も同じだ。サキがモンスターボールを向け、カブトプスをボールへと戻す。サキは爆弾のタイマーに目をやった。あと二分。この地下から外へと爆弾を放り出すのは不可能だ。かといって爆弾を無闇に破壊することも出来ない。どちらにせよ、エイタの思う壺だ。サキは項垂れた。「……畜生」と呻く声が漏れる。
マコも無力感に襲われていた。どうすることも出来ない。二分ではこの階層から出ることも出来ないし、出たとしてもこの爆発を理由にエイタはロケット団との全面戦争に突入するだろう。

 ――何も出来なかった。

 そんなどこへもやり場のない気持ちだけが二人に圧し掛かっていた。爆発まで一分三〇秒。サキは肩を震わせてマコへと寄り添った。マコはその肩を優しく抱き寄せる。マコの腕の中でサキは泣いた。留めていたものが溢れ出すようにわんわん声を上げて泣いた。力があったのに、成そうとする意思もあったのに結局何も出来ずに掌で踊らされていた。そんな自分に腹が立つが、誰にもその怒りの矛先を向けることは出来ない。サキはマコを責める事は出来ないし、マコも同じだった。二人とも事態を止めるために全力で動いた。その結果がこれだった。

 マコも目頭が熱くなるのを感じていた。頬を温かなものが伝う。ようやく友達として出来ることがあると思っていたのに、結局サキに助けられっぱなしだった。

 爆発まで残り一分。もう何も出来ることはない。たとえビリリダマを全て破壊して誘爆を阻止したとしても、カトウがこの部屋の爆破を目的としていたなら意味がないだろう。逆にエイタを喜ばせるだけだと思い、マコは顔を伏せた。サキへと静かに語りかける。

「サキちゃん。こんな結果になっちゃったけど、私サキちゃんと友達になったこと、後悔してないから」

「……嘘だ」

「嘘じゃない。私、最後の瞬間を友達といられてすごく幸せ。多分、一人だったら空気に呑み込まれて、戦って、自分が嫌いになって、そしてまた戦うの堂々巡りだったと思う。サキちゃんが止めてくれたこと、本当に感謝してる。ありがとう」

「……馬鹿マコ。こんな時でも馬鹿なんだな」

「うん。多分、これは一生直らないと思う。あ、でも一生って言ったってもう終わっちゃうんだ」

 言ってから涙が溢れ出した。怖い。怖くて逃げ出したくて仕方がない。でも、友達を捨てて逃げ出すのはもっと嫌だ。その思いにマコはサキの手を握り締めた。小さくて白い手。不安で冷たくなってしまったその手に自分の手を重ね合わせる。

「……私、泣いてばかりだ、今日」

 サキがぼそりと口にする。マコはサキの頭を撫でながら優しく言った。

「泣いてもいいんだよ。あんまり強がっていても、仕方がない。多分、私達はそうやって友達になっていくんだよ」

「じゃあ、もうマコはすごい友達だな」

 サキがしゃくりあげながら顔を上げる。涙と鼻水で汚れた顔をほころばせる。

「こんなに泣いたところ、お父さんにも見られたことないんだぞ。だから、マコはものすごい友達だ。誰も超えられない友達」

「うん。私達、一生分の涙を見せ合ったよね」

 爆発まで残り三十秒を切る。マコはその表示を見てからサキに呟いた。

「来世っていうのが本当にあったらさ」

 マコの胸に顔を埋めていたサキが反応する。マコはサキの頭の天辺で一本だけ立った毛を眺めながら、そういえば最初に会った時もこれが印象的だったんだっけ、と思い出す。

「また友達になろう。今度は二人とももっと素直にさ。最初から友達でいようよ」

 サキは反応しなかった。爆発まで残り十秒を切る。カウンターが音を立て始めた。九、八、七……。

 そこでサキはいつものように不機嫌そうな声でぼそりと呟いた。

「……当たり前だろ」

 その言葉にマコは笑みをこぼした。

 直後、閃光が二人の意識を掻き消した。


オンドゥル大使 ( 2012/09/20(木) 22:15 )