第五章 十節「背負いあう覚悟」
サキとマコは本部地下施設の廊下を歩いていた。天井の照明を白い廊下が反射している。照明を反射し、網膜に焼きつきそうなほどの眩しい白色が延々と続いているその光景に、どこか記憶の中で重なるものを感じたサキはふと、足を止めた。
「どうかしたの? サキちゃん」
背後のマコが問いかける。サキは首を振って重なりかけた何かを振り払った。気のせいだろう、それとも疲れているのか、と思いながら「何でもない」とマコに返す。
「今までどれくらい見てきた?」
その言葉にマコは本部施設の地図を取り出した。蟻の巣のように複雑に構築された施設は地下八階層分あった。それも居住ブロックだけではなく、食料ブロック、通信施設などを会わせれば膨大な部屋の数に上る。マコは指先で今まで歩いてきた道筋をなぞって、
「まだ二階層分ぐらい。個人の部屋に入るわけにはいかないから部屋数だけ数えたら一階層分にも満たないよ」
その言葉にサキは落胆を隠しきれなかった。この二日以内に調べるといっても個人の部屋には入れないために限度がある。加えてディルファンスの構成員達に自分達が調べていることを気取られてはならない。ディルファンスが隠しているものを調べるためには、二日というリミットは短すぎた。
その事実に落胆していると、廊下の端に見知った人物をマコは見つけた。おかっぱ頭にリボンのアクセント。コノハだった。コノハを見つけた途端、「げっ」とサキは目に見えて嫌そうな反応をした。ここまで来てディルファンスの人間に見つかることを恐れたのだろう。マコも緊張したが、コノハは心ここに非ずといったようにサキ達の横を通り抜けて行った。
「何なんだ?」とサキが首を傾げる。マコも分からずに首を傾げた。だが、コノハから漂ってくる匂いがいつもと違う気がした。まるで誰かの匂いを纏っているような、と考えていると、サキがコノハに対する興味は失せたようでもう歩き始めていた。その背中に追いつきながら、
「だけど、本当にディルファンスが隠し事をしているのかな。私はまだ、ちょっと信じられないんだけど」
マコが不安げに口を開く。サキは足を止め、マコへと振り返った。マコは少し気圧されたように二、三歩退く。
「な、なに? サキちゃん」
サキは鋭い視線でマコを見つめた後、拍子抜けしたようにため息をついた。
「マコ。やっぱり、お前には誰かの秘密を暴いてやろうなんてことは向いてないな」
「な、そんなことないけど――」
「そんなことある。お前は完全に欺かれる側だ。欺く側じゃない」
サキはマコに「ちょっと耳を貸せ」と合図を送った。マコが耳を向けようと僅かに屈むと、サキはマコの額へとデコピンをお見舞いした。マコが額を押さえながら涙ぐむ。
「な、何すんの、サキちゃん!」
「そういうところがだよ。騙されやすい善良なやつって事だ」
言ってからサキは何事も無かったかのように歩き始めた。その後に続きながら、ずきずきと痛む額をさすってマコは声を詰まらせた。確かに騙されやすいかもしれないが、それが何の関係があるのだろう。
「……私が騙されやすいのは分かったけど、それがどうかしたの?」
「マコ。どうしてロケット団の電波の発信場所が分かったと思う?」
その質問にマコはニュースで言われていたことを思い返しながら答えた。
「確か、警察の回線から漏れたってニュースでは言っていたけど」
「それも多分、嘘だ」
サキが発した言葉に、マコは驚いて「どういうこと?」と聞き返した。
「警察の秘匿回線からは漏れていない。推測だが、ロケット団がマスコミにリークしたんだろう」
それはおかしな話だった。ロケット団が自分達の拠点をわざわざマスコミにリークすれば、損をするのはロケット団のはずだ。
「何で? 自分達の居場所を知られたら困るのはロケット団じゃないの?」
マコの問いに、サキは呆れたようなため息を発した。
「やっぱり欺く側には向いていないな。いいか。ロケット団が今、一番戦いたくない相手を考えてみろ」
マコは宙に視線をやりながら考えた。警察、政府、腕利きのトレーナーと浮かべてから、ようやく答えが出た。
「もしかして、ディルファンス?」
「もしかしなくてもディルファンスだ。奴らはディルファンスが戦闘に介入してくることを止めたかった。そのために組織の拠点をマスコミという誰もが等しく享受できる情報として流したんだ」
マコが疑問符を置くような沈黙を挟む。頭がきりきりと痛む感触に、マコは耐え切れずに尋ねた。
「……どういう事?」
サキは呆れた様子で振り返らずに応じる。
「いいか、今までディルファンスは世論を味方につけてきた。だから少々派手なことをしても許されたんだ。だが、相手の拠点をマスコミによって大多数の人間が知れば、ディルファンスは動きにくくなる。加えて映像のせいでディルファンスに不信感を抱く人間も少なからずいるはずだ。そんな状態でディルファンスが相手を壊滅させるつもりで動けば、世論はどう思うか。これ以上は言うまでもないだろう」
そこまで言われればマコにも察しがついた。
「世論が敵になるっていう事?」
「そうだ。たとえロケット団を壊滅させたとしても、世論は英雄として迎えてくれるわけではない。逆に、罪も無い一般人を殺した組織がまた徹底抗戦に訴えたとして、世論からの反発を受けるだろう。ディルファンスは軍隊でもなければ警察でもない。民間組織だ。世論という後ろ盾が無ければ、まともに動くことも出来ない。ディルファンスには緩やかな消滅が待っている。それをアスカとエイタが快く思うはずが無いだろう」
「でも、このまま何もしなくても」
「ああ。同じ結果だろうな。だから、事が起こると私は見たんだよ。世論を納得させ、ディルファンスが再び正義として動くために必要な悲劇が、また起こるはずだ。もう、そんなことはさせない」
サキは強く言葉を結んだ。マコもそれに続くように言葉を発する。
「私も同じ気持ちだよ、サキちゃん。もう、誰も殺させない」
その言葉にサキは微笑みを返して、ある部屋の前で立ち止まった。マコが地図に視線を落とし、位置を確認する。
「ここ、エイタさんの部屋だよ」
地図の地下二階にエイタの部屋を示す光点がある。他の構成員の部屋はまちまちにあてがわれていたが、アスカとエイタの部屋だけは元から決まっていたらしく地図にも示されていた。サキは取っ手に指をかけて引っ張った。だが、扉は開く気配が無い。
「さすがに、開いているわけがないか」
扉の横にはカードキーによる認証パネルがある。それにサキは目をやってから、腰のベルトにつけられたモンスターボールに手をやった。ボールをひとつ手に取り、緊急射出ボタンを押す。
「行け、メタモン」
小さな手の中で球体が二つに割れ、中から射出された光の物体が廊下に張り付いた。紫色の水溜りのような液体であり、中心部にゴマのような目と簡素な口がある。どんなものにでも変身できるポケモン、メタモンである。
サキはメタモンを両手ですくい上げると、認証パネルを顎で示した。
「あの認証パネルを開けるためのカードキーに変身してくれ」
その言葉でメタモンの身体がサキの片手に収まるサイズへと収縮してゆく。やがて四角く形状変化したかと思うと、次の瞬間には無機質なカードへと変身していた。
サキがそのカードキーをパネルに通す。認証はされずに赤いランプが灯った。サキは握ったカードキーのメタモンに言葉を発した。
「メタモン、一回の失敗毎に情報を更新しろ」
カードキーの表面が紫色に揺れ、磁気を発生させる黒い帯が書き換えられる。メタモンの目と口が浮かび上がり、更新を完了したことをサキに伝える。
「よし。もう一度」
パネルへとカードキーを通す。またも認証不可の赤いランプが点く。サキは続けざまに何度も試みた。そして六回目の認証でパネルに青いランプが灯った。
『認証しました』という電子音が流れ、ロックが解除される。メタモンをボールへと戻さずにカードキーの姿のままポケットに入れて、サキは扉をゆっくりと引いた。ディルファンス副リーダーの部屋はどんなものなのかとマコは思っていたが、自分達の部屋と何ら変わるところは無かった。デスクとベッドがあり、奥にはテレビが備え付けられている。マコはベッドが乱れているのに気づいた。なぜだか見てはならない気がして、そのベッドから視線を外し、デスクに向ける。デスクの棚をサキは手当たり次第に開けて、中を漁っていた。
「ちょ、ちょっとサキちゃん。さすがにそれはマズイってば」
マコが止めに入ろうとするが、サキは手を休めずに応じた。
「ちゃんと元あった位置は覚えている。大丈夫だ。逆にこのデスクの中以外に探す場所なんて無いだろう」
「探すって、何を?」
その言葉にサキが馬鹿を見るような目つきをマコへと寄越した。
「お前の頭はすっからかんなのか? ロケット団とのコネクションを示す証拠に決まっているだろう。とはいっても」
サキが手に取ったのはアルバムだった。パラパラと一通り捲ってから、興味が失せたようにデスクの上に積む。
「何でもないものばかりだな。当てが外れたか」
サキがデスクに置いたアルバムをマコは手に取った。そこには少年時代のエイタやアスカの写真があった。それと一緒に白髪の少年が写っている。これは誰だろう? と思いながらページを捲ると白髪の少年の姿はいつしかなくなっていた。後はアスカとエイタだけの写真と、ディルファンスのメンバーと共に撮った写真ばかりである。どの写真のエイタやアスカも何かを抱えているようには見えなかった。本当にアスカとエイタは隠し事をしているのだろうか、という考えが鎌首をもたげる。誰かと一緒に笑えるような人間が、誰かが死んでゆくのを黙認できるものか。マコはアルバムを閉じ、デスクに置いてからサキの手を引っ張った。まだ物色を続けていたサキが迷惑そうに声を上げる。
「なんだよ、まだ全然探せてないぞ」
「いいよ、もう。やっぱり私はエイタさんやアスカさんが何かを隠しているとは思えない。またお人よしって言われるかもしれないけど、この写真を見てたら余計にそう思った。やっぱり、全部私達の思い過ごしなんじゃないかな?」
その言葉にサキは眉をひそめ、マコの手を振り払った。
「もう、誰かが傷つくのを見たくないんじゃなかったのか?」
マコは何も言い返せずに口ごもった。サキはマコの目を見据えて続ける。
「たとえ思い過ごしだとしても、私達はその可能性に気づいてしまったんだ。もう知らなかった頃には戻れない。それとも、知らない振りをしたまま、また戦いが起こるのを黙って見過ごせというのか」
マコは黙ったままサキの視線から目を逸らした。サキは立ち上がり、マコの胸倉を掴んだ。そこは本来バッジがあるはずの場所だったが、今はなかった。サキの部屋に捨てたまま、もうつけないと決めたのだ。
「私とお前はバッジを捨てた。これだけでディルファンスの奴らからすれば裏切り者の烙印を押されてもおかしくは無い。私達はもう誰かが傷つくのを見たくないから、こうして立ち上がったんじゃないのか、マコ!」
マコは張り手を受けた少年のようにその場で俯いた。返す言葉も無い。確かに自分で決断したつもりなのに、まだ心の中には迷いがあるのだ。誰かが傷つくのを見たくないという気持ちと、誰かを疑いたくないという気持ちが同居して渦を巻いている。
サキは胸倉から手を放し、再び物色しながら独り言のように告げた。
「嫌なら、いい。お前を引き止める理由が私にはないからな。私だけでも、やってみせる」
その言葉にマコは暫く動けなかったが、サキの背中を見ていると放っておけなくなってマコも物色し始めた。ベッドの下、テレビの後ろ。サキが「無理をしなくていいんだぞ」と声を掛ける。その言葉にマコは返した。
「無理じゃないよ。友達だっていう言葉、私は本気にしているもの。だから無理じゃない。友達のためなら、私は立ち向かえる覚悟がある」
その言葉にサキは鼻を鳴らした。マコもどこかサキを無視するように作業に没頭した。だが、二人の間には穏やかな空気が流れていた。友達、という言葉が二人を繋ぎとめ押し潰されそうな不安を隠していた。
サキとマコは物色したものを全て元の位置に戻した。結局エイタの部屋からは何も得られなかった。ノートパソコンの中まで調べたが、ロケット団とのコネクションを確かにするデータは入っていなかった。扉を閉め、カードキーに変身したメタモンを認証パネルに通す。ロックがかかり、来る前の状態に部屋は立ち返った。マコは再び地図を広げサキへと問いかける。
「次は、どこに行くの?」
サキは地図をマコの後ろから窺ってから、次の目的地を指し示した。
「次はアスカの部屋だ。これで何も無かったら、下の階層へ行こう。あまり時間が無い」
言ってサキは歩き出した。出かけた欠伸をかみ殺し、マコはサキの小さな背中に続いた。
サキとマコはそれに気づかなかった。
気づけるはずがない。それは天井に張り付き、気配を完全に殺していたからだ。エイタの部屋にサキとマコが入ってからずっとぎょろりとした眼球で二人を監視していた。二人が全ての物を元の位置に戻して部屋を後にしようとしたとき、それは二人と一緒に部屋を出た。廊下の天井を伝い、二人の後をつける。それは腕につけられたポケモン専用のポケギアへと声を吹き込んだ。声、といっても二人には聞き取れないほど小さな空気の音としか思えない声だった。
その声を主へと伝え、それはギザギザの腹の模様だけを浮き立たせながら二人の背中を追った。