第五章 四節「宿敵」
チアキが立ち止まったのは、ヤマトタウンの西端にある自然公園だった。リツ山から流れ落ちてきた天然の源流がゆるやかに流れている。噴水が公園の中央にあり、定時で水を噴き出すのだろうが、今は沈黙していた。
ナツキは何かチアキの背中に声を掛けようとして果たせなかった。チアキは確かにナツキを待っているようであったが、それ以上に近づきがたい空気があった。なぜここにいるのか、ナツキはそれだけでも聞こうと喉から声を出しかけて、それはチアキの声によって阻まれた。
「久しいな。ミサワタウンのナツキ」
それは忘れもしないチアキの声だった。ナツキはただ「はい」とだけ答えた。
「一ヶ月ぶりか。この一ヶ月様々なことが起こった。だが、貴公のこと、忘れたことなどなかった。貴公とは」
チアキが振り返る。その手にはモンスターボールが握られていた。そのボールを前に突き出し、チアキが言い放つ。
「――もう一度、戦ってみたかった」
そのモンスターボールは奇妙な形をしていた。中心の緊急射出ボタンから交差するように鎖が巻かれている。それは一ヶ月前の、手首や足首に枷を嵌められていたチアキのポケモンを思い出させた。チアキが口元に笑みを浮かべ、緊急射出ボタンに指をかける。その瞬間、鎖が外れ、地面に金属音を立てて転がった。今まで拘束されていたように、ボールから光が溢れ出し、闇を赤く染める。その光は全てを焼き尽くす紅蓮の炎に似ていた。
「行け、バシャーモ」
チアキがその名を呼ぶ。瞬間、ボールがチアキの手の中で二つに割れ、光が放出される。その光は人の形を取ってゆく。だが、その実それが人ではないことをナツキは一番よく分かっていた。頬を焼くような熱と殺気、間違いなかった。
光を薙ぎ払うように射出されたそれは腕を振るった。光が晴れ、その姿が露になる。それは人と鳥が融合したような姿だった。目の醒めるような赤い身体。猛禽の特徴を持つ手先と嘴、V字型の鶏冠。まさしく鳥人と呼ぶに相応しいその姿は、かつてナツキとカメックスが戦った因縁のポケモン。
「……バシャーモ」
ナツキがその名を呼ぶと、バシャーモは嘴を広げて咆哮した。手首から炎が迸り、空気をちりちりと焼く。あのジム戦で感じたのと同じ感覚だった。圧倒的な存在として立ちはだかり、炎と持ち前の格闘戦術で全てを奪い取ってゆくような巨人。ただ違うのはその眼が狂気に沈んではいないことだ。バシャーモの眼は正気だった。正気で戦いを望んでいる。そしてそれは主であるチアキも同じだった。
「チアキ、さん。何で、バシャーモを」
ナツキの言葉にチアキが首を傾げた。
「何で? どうして? 簡単だろう。戦いたいからさ。もう一度、貴公のカメックスと」
ナツキはカメックスの入ったボールを庇うように手を添えた。今のカメックスは戦える状態なのか分からない。それ以前に、再会していきなり戦うことが理解できなかった。
「どうした? 待ち望んでいたポケモンバトルだ、ナツキ」
「……や、です」
ナツキが俯きながら小さく呟いた。チアキが眉を寄せ「何だって?」と聞き返す。ナツキは顔を上げ、はっきりと言い放った。
「嫌です! 今のチアキさんとは戦いたくない! これは私の望んでいたポケモンバトルじゃないんです!」
その言葉にチアキの額に皺を作り、呻くように言った。
「望んでいたものじゃない、だと?」
「私は、私は戦いたくない。カメックスを戦わせたく、ない」
それは逃げと同じだった。トレーナーは勝負を望まれたら相手に背中は見せないのが基本中の基本である。だが、この時ナツキはチアキに背中を見せた。戦いたくない、それが本心だった。カメックスは制御できるか分からない。そんな状態でチアキと戦えば、カメックスへと自身が呑み込まれそうで怖かった。
チアキは鼻を鳴らし、「ならば」と声を発した。
「戦う理由があればいいんだろう? ほら、見てみろ」
チアキが振袖を払う。闇と同化してよく見えなかったが、その振袖には赤い「R」の文字が刻まれていた。
ロケット団を示すシンボルマーク。世界の敵を指し示すもの。
「……どうしてですか、チアキさん」
ナツキはバシャーモから発せられるプレッシャーに耐えながら口を開いた。喉の奥が渇いてひりひりと痛む。ナツキはその痛みに任せるように叫んだ。
「もう、過ちは犯さないって思っていたのに!」
「だったら、私と戦って、その過ちとやらを是正して見せろ!」
チアキの叫びに、ナツキはボールに添えていた手に力を込めた。ボールを掴み、前方へと放り投げる。
「行け、カメックス!」
ボールが地面にワンバウンドし、ナツキの心に感応したかのように光が弾け出てバシャーモへと一直線に突撃した。バシャーモは両手で光を纏ったそれを押し止める。光が剥げ、黒い巨体が闇の中で露になる。積層構造の甲羅、筋肉の塊のような太い腕、甲羅から生えた戦車のような一対の砲門、怒りを湛えた瞳がバシャーモを真っ直ぐに睨みつけている。カメックスが両手を突き出し、バシャーモへと襲い掛かろうとしていた。バシャーモの手が強く握られ、ミシミシと音がする。ジム戦の再現にチアキが声を上げた。
「二度も同じ手は食わん! バシャーモ、火炎放射!」
バシャーモの嘴が開き、赤い筋が幾重にも集束してゆく。大気中の酸素を取り込んでいるのだ。喉笛の辺りが赤く輝き、一秒後には「かえんほうしゃ」が発射されるといった瞬間、ナツキは叫んだ。
「カメックス! 腕を甲羅に収めてハイドロポンプ!」
カメックスがバシャーモの手を離し、腕が甲羅へと収納される。腕のあった部分の穴から鉄砲水が発射され、その反動でカメックスは大きく後退した。刹那、バシャーモから火炎放射が放たれ、先ほどまでカメックスがいた空間を焼き尽くす。カメックスは足と甲羅の付け根部分から水蒸気を放射し、衝撃を殺しつつ着地、いや着水した。そこはリツ山から流れる源流の中だった。水タイプのカメックスからしてみれば有利な地形である。相手は格闘に特化したポケモンであり、近づかなければ攻撃できない。それに対し、カメックスの肩にある砲門は距離が開いていても確実に相手を仕留められるほどの射程があった。カメックスが肩の砲をバシャーモへと向ける。その瞬間、バシャーモの身体から炎が上がった。付け根から弾き出された火が、たちまち巨大な炎の鎧となり、バシャーモの身体を覆ってゆく。
「……オーバーヒート。ここで使うっていうの」
ナツキがその技の名前を口走る。それはジム戦においてカメックスが苦しめられた技である。炎の鎧が装着したポケモンの特殊攻撃力と引き換えに、超人的な膂力を発揮する技だ。バシャーモが赤い軌道をかろうじて空間に残しながらカメックスの前へと現れる。ナツキは反応してカメックスへと指示を出した。
「カメックス! 防御の姿勢を!」
カメックスが腕を交差させて腹を守る。その腕へと下から突き上げるようなアッパーが襲い掛かった。「スカイアッパー」だった。カメックスが衝撃で大きく後退する。その身へと再度迫ったバシャーモが蹴りを放った。それを腕で受け止めさせて、ナツキはチアキへと言葉を放つ。
「チアキさん! どうしてこんなことを! なんでロケット団なんかに入ったんですか!」
「戦う意味を知るためだ!」
バシャーモの振り下ろした拳がチアキの言葉となってナツキの心に突き刺さる。
「……戦う、意味」
「戦いは怨恨から発するものだ! どんなに崇高な理念で着飾ろうと、それは変わらん! ならば、ポケモンバトルとは何だ!」
バシャーモのすくい上げるようなスカイアッパーをカメックスがその手にある三本の爪で受け止める。
「ポケモンバトルとは、怨恨ではない。だが、確かに闘志が宿るものだ。そこにあるのは力への探求! 我々の遺伝子の奥深くに刻まれた戦闘本能への呼びかけだ!」
カメックスがもう一方の手でバシャーモを平手打ちにする。それと同一したかのように、ナツキの言葉が響き渡る。
「そんなこと、ない!」
バシャーモが返すように拳を腹へと打ち込む。カメックスが大きく後退させられたと同時に、両肩の砲門からハイドロポンプをバシャーモへと撃ち込んだ。バシャーモは跳躍し、足元を砕いた水の砲弾を跳び越える。
「正しいのは力だ。ならば、力をより強く振るうものが正義となる。それこそ私がロケット団に入った理由だ!」
「力が正しいと言うのならっ!」
カメックスが迫り来るバシャーモへとハイドロポンプで応戦する。バシャーモはジグザグに走行して、それを避けながら着実にカメックスへと距離を詰めた。カメックスも懐に入られることを読んでいたかのように拳を大きく振り上げる。
「あなたの理論を砕くこの力も、また正義!」
カメックスの右手が緑色の光を帯びる。その光の軌跡を残しながら、カメックスはバシャーモへと緑に輝く拳を放った。
「カメックス! ギガインパクト!」
拳がバシャーモの一秒後にいるであろう空間へと抉りこむ。空間が歪み、大気が震えた。緑色の光を帯びた鉄拳が放たれ、カメックスの足が衝撃で水底へと食い込む。これが「ギガインパクト」。ノーマルタイプの物理技の頂点に立つ技だ。
「そんな遅い拳で!」
バシャーモは足の爪を立てて制動し、「ギガインパクト」を辛うじて避けて天高く跳び上がった。背面に今宵の月が隠れ、まるで月が青い炎を背に負う怪人を映しているように見える。バシャーモは空中で跳び蹴りの姿勢を取った。チアキが得意とする戦法だ。格闘タイプの脚力で宙へと躍り上がり、重力の力を得て技の威力を倍増させるつもりであることは明白だった。
「させない。カメックス、渦潮!」
カメックスの身体が甲羅の中へと仕舞われ、四肢のあった穴から水を放出しながら回転を始める。その回転によって足元の水が舞い上がり、渦をなす。飛沫が上がり、水流が歪められカメックスへと水が集まってくる。その水がさらに厚い水による竜巻のカーテンを作り出した。竜巻の目に当たる部分でカメックスは回転を続ける。これが「うずしお」である。海面で発生している巨大な渦を相殺させるほどの威力の渦が構成され、カメックスの力により、それは巨大な竜巻と化した。
「ブレイズキックで突き破れ! バシャーモ!」
チアキが叫ぶと同時にバシャーモの突き出された足首からさらに炎が上がり、巨大な槍の穂先へと転ずる。「ブレイズキック」とは格闘タイプでさえも覚えるポケモンが数少ない技であり、急所に当たりやすい物理技である。赤い火の槍が竜巻へと突き刺さる。激突した箇所の竜巻が晴れ、そこからバシャーモが渦の中心へと侵入する。
「渦潮を展開している限り避けられまい。渦の中心に向けてもう一度ブレイズキックだ!」
「――いえ、まだ」
チアキの声に、ナツキは自分でも驚くほどに冷たい声音で返していた。思惟は既にナツキの身体にはなくカメックスへと飛んでいる。カメックスの視界とナツキの視界が同一化し、ナツキが宙を見上げるとカメックスも「うずしお」を中断して四肢を出し、宙を仰いだ。隕石のように足を紅蓮に染めて、落ちてくるバシャーモの姿がその瞳に映る。
「逃げられないのはバシャーモも同じ。カメックス、落ちてくるバシャーモに向けてハイドロポンプ!」
カメックスの肩の砲門がバシャーモに狙いを定める。その二つの砲の砲身が俄かに膨らみ、次の瞬間鉄砲水を弾き出した。「うずしお」によってカメックスは大量の水を放出すると同時に吸収もしていたのだ。思わぬ威力にバシャーモが腕を交差させて防御の姿勢に入る。だが、それは遅すぎる反応だった。バシャーモの身体を渦潮以上の水流が襲い、身体に展開した炎の鎧が一気に剥がされてゆく。それはバシャーモ本体の身体にもダメージを与えた。バシャーモは、もはや水が吸い上げられて枯れ果てた川面へと墜落する。しかし、それでも格闘タイプであるバシャーモは着地の瞬間、制動を殺すために足の爪を立てた。すぐさま反撃に移れるようにとの考えだったが、それすらも一手遅れている。バシャーモが着地する直前、カメックスは四肢を甲羅へと仕舞い、そこから大量の蒸気を噴き出して中空へ舞い上がった。その甲羅が徐々に回転し、勢いを増してゆく。それが最高威力に達したのと、バシャーモが着地するのは同時だった。カメックスの「こうそくスピン」が着地するのに必死だったバシャーモへと襲い掛かる。バシャーモは大きく後退させられ、川岸に背中を打ちつけた。咄嗟に腕で防御したのか、腕には刃で切ったような切り傷があり、そこから血が滴った。
カメックスはバシャーモを吹き飛ばした勢いをそのままに宙へと躍り上がり、空中で四肢を展開させて上から真下にいるバシャーモへと砲門を向けた。それに気づいたチアキが叫ぶ。
「駄目だ! そこから離れろ、バシャーモ!」
その声に反応したバシャーモがしゃにむに前進する。直後、先ほどまでバシャーモがいた川岸が抉られ、水の砲弾が突き刺さり土煙を上げた。着弾点へとカメックスは足の付け根と甲羅から蒸気を発生させながら着地し、瞬間に左半身を甲羅の中に仕舞い込み、そこから水流を放射させ高速で向き直った。そこには蒸気を切り裂いたバシャーモがいた。その左手首から炎が上がり、赤く煮えたぎったように拳が燃えている。「ほのおのパンチ」だった。対照的にカメックスの右手が空気中の水分を吸収して凍結してゆく。冷気を得た拳、「れいとうパンチ」と炎の拳が真正面からぶつかり合い、炸裂音と衝撃波が円形に広がった。
その衝撃波が巻き起こした風に髪を煽られながら、ナツキは真っ直ぐ前を見据えていた。その眼には本来の戦闘は映っていない。トレーナーからの視点ではなく、ナツキの視点はいつしかカメックスの視界そのものになっていた。脳細胞がぎりぎりまで引き絞られて、カメックスの戦闘をリアルタイムで本能が処理する。その思惟を受け、カメックスは動いていた。左半身を出して踏ん張り、ぶつかった拳同士から白い煙が立ちのぼる。それを確認する前にバシャーモの右手が動いた。手首が赤く発光する。
――次の炎のパンチが来る、と直感的に判断した思考が空間を走り、カメックスへと伝わる。カメックスは左拳を凍結させ、冷凍パンチを放った。またしても拳に伝わった氷と炎の属性が反発しあい、白い煙と衝撃波が巻き起こる。カメックスが片方の砲門をバシャーモへと向けた。それに気づいたチアキが指示を出す。
「バシャーモ! 後退しろ!」
バシャーモが拳を放し、後ろへとさがろうとする。それはポケモンの素早さでいえば音速にも匹敵する速さだったが、今のナツキにはスローモーションのように見えた。
「……遅い!」
口の中で燻ったような叫びが発せられると同時に、カメックスの三つの爪が逃げようとするバシャーモの拳を掴んでいた。バシャーモの驚愕に見開かれた目が視界に広がる。カメックスの砲門から弾き出された水の砲弾がバシャーモの頭部を捉えた。バシャーモの身体が仰け反り、頭部から白い煙が上がる。
――勝った、と確信した刹那、下部から赤い光が飛び上がった。それが何か視認する前に、ナツキとカメックスの視界が上に仰け反る。
バシャーモの「ブレイズキック」が下段から蹴り上げていた。急に上に向いた視界に、バシャーモの踵が映りこむ。どうにかしなければ、と思う間にその踵が脳天へと叩き落された。
カメックスと直結していた視界がぶれ、片方の目がカメックスの視界、もう片方が本来のナツキの視界を映し出す。ノイズが走り、ずれた世界でナツキは混乱したように両目を手で覆って叫んだ。
「カメックス! そいつをハイドロポンプで狙い撃って!」
思惟を受け取り、砲門が緩慢な動作で狙いをつける。だが、その前にバシャーモは離脱していた。カメックスが当てずっぽうの方向へと水の砲弾を弾き出す。それをバシャーモは眺めながら、両拳を胸の前で合わせた。チアキがそれを確認して静かに言い放つ。
「バシャーモ。フレアドライブ」
バシャーモの身体から炎が上がった。それをナツキは自分の視界の中で確認する。それは「オーバーヒート」と似ていながら異なっていた。バシャーモの身体から湧き上がったのは白い炎だった。それが鎧のようにバシャーモへと纏わりつく。バシャーモの身体が白い炎で染まり、まるで灰から蘇った不死鳥を思わせる姿となった。
「……白い、バシャーモ」
ナツキが呆然と呟く。黒い巨体と白い痩躯が僅かな距離を挟んで、闇の中で対峙した。
「走れ、バシャーモ!」
その声に弾かれたように、バシャーモの姿が白い残像を空間に残して掻き消えた。ナツキの視界はもちろん、実際に戦闘しているカメックスの視界すらも追いつかない。一瞬にして目前へと立ち現れたバシャーモから目にも留まらない拳が振るわれる。カメックスの巨体が右に弾かれ、次の瞬間には左へとよろめいた。カメックスの懐へとバシャーモは潜り込み、その腹部へと白い光の尾を引いた鉄拳を叩き込んだ。カメックスが腹に感じた痛みがナツキへと逆流し、ナツキはその痛みに思わず膝を折ってその場で胃のものを全て吐き出した。内臓が根こそぎ背骨を突き抜けていったような痛みに、ナツキはカメックスに指示も出せずに蹲る。
チアキはそんなナツキの様子を一瞥し、バシャーモへと視線を戻した。
バシャーモは光速の両拳でカメックスの身体にいくつもの打撃を与えていた。甲殻が割れ、カメックスの血潮がその合間から噴き出した。バシャーモがふらつくカメックスの拳を両手で握り締める。ミシミシと筋肉が弾ける嫌な音が鳴り、雷鳴のような破裂音が響き渡った。その瞬間、ナツキは自分の両手の甲が血で滲んでいるのに気づいた。内出血は治まらず、手が赤くぶくぶくに腫れてゆく。
バシャーモの輝く銀色の手刀が、カメックスの顔へと斜に入る。ナツキの右目の視界が斜めに立ち消える。暗黒に包まれ、ナツキは腫れた手で片目を押さえながら、バシャーモを睨み据えた。
憎しみと痛みの感情がカメックスから逆流する。バシャーモの突きが、右砲門へと刺さった。肩口に焼けた棒を差し込まれたような痛みが走る。ナツキの皮膚のカメックスと同じ部分が蚯蚓腫れを起こす。ナツキは震える指先をバシャーモへと向けた。自分を攻撃する敵へと、最後の攻撃を放つ。ナツキの左眼は憎しみで濁っていた。その眼が片方の砲門と連動してバシャーモへと照準を合わせる。
「……クス。……ッ、クス。……カメックス!」
ナツキが口を裂けるほどに広げてカメックスに指示を出す。左目のピントがカメックスの左眼と合い、白い姿のバシャーモを捉える。
「ハイドロ、カノン!」
怒りをぶちまけるようにナツキは言い放った。
その時、バシャーモが何かを感じ取って光の軌道を描きながら後ずさった。カメックスから流れる血が、上空へと集まってゆく。その血が左砲門の前で凝縮し、黒ずんだ球体を作り出す。それは闇色に染まった砲弾だった。カメックスの黒い肌の中で異質な白い左眼がバシャーモをその中心に捕捉した。
瞬間、闇色の砲弾は放たれた。空間を消し去るような赤黒い血の水流がバシャーモへと真っ直ぐに放たれる。チアキはバシャーモへと、「避けるな」と指示を出した。
「その憎しみに染まった砲弾を砕け! バシャーモ!」
バシャーモがその声を受け、迫り来る赤黒い砲弾へと白い軌跡を残しながら、銃弾のように駆ける。その身が砲弾とぶつかる瞬間、バシャーモは右手を素早く突き出した。その拳が赤黒い砲弾へとすり鉢状の傷口を入れ、砲弾はシャボン玉のように弾け飛んだ。辺りに血の臭いが充満する。バシャーモはその中を走りきり、カメックスの前に立った。
カメックスはもうほとんど動いてなかった。ふらふらとその身が左右に揺れている。バシャーモは拳を握り締め、最後の一撃を放とうとした。
「待て! バシャーモ!」
それを制したのはチアキの声だった。チアキは痛みの中で気絶したナツキを抱えて、首を振った。
「もういい。止めはさすな」
バシャーモの身に纏っていた白い炎が闇の中へと溶けてゆく。バシャーモは元の姿に戻り、チアキへと目をやった。
その視線に応じるようにチアキは頷き、ナツキの握っているモンスターボールを手に取り、そのボタンをカメックスへと向けた。カメックスへと赤い光が放たれ、赤い粒子となってその巨体がボールへと吸い込まれた。チアキはバシャーモへと自身のボールを向ける。バシャーモの身体が赤い光に包まれ、ボールの中へと消えた。
チアキはナツキを抱えて、歩き出した。
長い夜の始まりだった。