ポケットモンスターHEXA











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交錯、思い滲んで
第五章 三節「再会」
 コウエツシティからは定時で運行する遊覧船がある。それはポケモンを持たない人間や、ポケモンを持っていたとしても海を渡る技、「なみのり」を持たない人間に重宝されていた。

 その日、コウエツシティから出た最後の便で海を渡り、カイヘン地方本土へとナツキは辿り着いた。オニドリルの「そらをとぶ」を使い、目的のヤマトタウンへと降り立つ。コウエツシティから直接、「そらをとぶ」で来なかったのは、コウエツシティと本土の間が遠く隔たっているからだ。オニドリルの体力であろうとも渡りきれる保障も無く、日も暮れかけていたため、ナツキは本土に渡ってから「そらをとぶ」でヤマトタウンに来る事にした。「そらをとぶ」は一度でも来たことのある町ならば、ポケモンに掴まって飛んでいける技だ。移動手段としてトレーナーの間では重宝されている。

 ヤマトタウンはこのカイヘン地方でもっとも高い山、リツ山に近いせいか重化学工業からは離れた穏やかな営みがあった。その代わり、リツ山の登山者を目当てにしたツアーガイドや、ロープウェイ、土産物屋など観光客からあざとく金を巻き上げる町だった。

 この町は小さいため、トレーナーの必需品を揃えるための店であるフレンドリィショップも無く、土産物を漁りにきたのでもないために手持ち無沙汰になったナツキは早々に宿へとチェックインした。

 宿には予めヒグチ博士が口添えしておいてくれたらしく、無料で泊めてもらえた。一階にはサロンと巨大な液晶テレビがあり、宿泊客たちがくつろいでいる。テレビに映っているのはカントー地方でのポケモン研究の権威者であるオーキド博士が駄洒落の川柳を発し、テレビの中の観客がどっと笑っている。宿泊客たちも和んだ空気でそれを観ていた。ナツキは特に興味も無く、自分のあてがわれた三階の部屋へと向かった。部屋はバスルームのついた簡素なつくりで、端に小さなテレビがあった。ふたつのベッドに挟まれてロビーへと繋がる電話とテレビのリモコンが置いてある。テレビの対角線上に冷蔵庫があり、低い駆動音を上げていた。

 ナツキはベルトを緩め、腰に巻いたモンスターボールのホルスターをベッドに放り投げた。自身もベッドに倒れるように横になり、リモコンを手にとってテレビをつける。

 テレビは一階で流れていたのと同じ、オーキド博士がレギュラーの番組が流れていた。ナツキは髪を縛っている紐をとき、カバンを置いてバスルームへと向かった。服と下着を脱いで、熱いシャワーを浴びる。何日も浴びていなかった身体が新鮮な潤いで満たされる。ナツキは脱衣所に置いてあったタオルで身体を拭いながら、リビングへと向かった。裸にタオルを巻いているだけの姿は、親に見られたら咎められるだろうな、と思った。だが、この旅の疲れを癒すには開放的になるのが一番だ。ベッドに座り、カバンの中を探る。中には銀色の輝く筆箱型のバッジケースがあった。それを開き、八つのバッジが揃った様を今一度見つめる。すると、覚えずにやけた。ようやく八つのバッジを揃えた。夢に向かう挑戦権がこの手にあるのだと実感でき、ナツキは顔を綻ばせながらベッドの上で喜びに打ち震えた。

 その時、笑い声が聞こえてくるテレビから奇妙な音がした。見ると、ノイズが走っている。電波状況でも悪いのだろうか、と思っていると歪んでいたオーキド博士の顔が砂嵐の中に消えた。ナツキは訝しげな目を向けながら、リモコンでチャンネルを切り替えようとする。だが、どのチャンネルも同じありさまだった。叩いたら直るかもしれない、と思いテレビへと近づくと突如画面が暗転した。

「ん? もしかして壊れちゃった?」

 ナツキの呟きを否定するように、ライトが画面の中心に当てられる。どうやら暗闇の中で撮影しているだけで、壊れてはいないようだと思い、ナツキはベッドに座りなおした。
前髪を撫でつけ、高級そうなスーツを着込んだ男が安楽椅子に座っている。何かの番組が始まるのか、とナツキはテレビに釘付けになった。

 男は椅子から立ち上がり、司会者のように片手を挙げて喋り始めた。

『初めまして。今宵をお過ごしの紳士淑女の皆さん。突然ですが、電波をジャックさせていただいた。混乱されるのも尤もです。わけの分からぬものを人は恐れるものです。しかし我らの名を告げれば皆さんの混乱も一時的には収まるでしょう』

 ナツキは変わった趣向の放送だな、と画面を見ていた。男が指を鳴らす。すると、男の背後の壁に描かれた「R」の文字が照らし出された。

 その文字にナツキは息を呑んだ。男は舞台俳優さながらの調子で続ける。

『皆さんもご存知の通り。我らの名はロケット団。そしてその現在の総帥が私だ』

 男が胸に手を当てて自らを示し、恭しく頭を下げる。

 何の冗談だろう、と思いながらもナツキはテレビから視線が外せなくなっていた。自らをロケット団と名乗る男がテレビの中で喋っている。だが、ロケット団はディルファンスによって駆逐されたはずだ。先日、そのようなニュースを旅先で耳にした。本当に電波をジャックされたというよりも、何かのバラエティだと思ったほうが正しいような展開だった。

『驚かれるのも無理からぬ事。我々は排斥された。そう、他ならぬ皆さんの手によって。そしてそれを利用したディルファンスの手によって』

 男は拳を握り締め、まるで指導者のように語り始めた。

『しかし、我々はここに存在している。それはなぜか? その答えはただ一つ。時代が望むからに他ならない』

 男が拳を開き、両手を広げて続ける。

『もちろん、この言葉に異を唱える方はいるだろう。それは大いに結構だ。我々とて万人に受け入れられると思っているわけではない。異を唱えることは立ち止まり、考えることに繋がる。大いに結構。だが、諸君らは我々を襲撃した際、それを考えていたか』

 ごくりとナツキは生唾を飲み下した。男の言葉には力があった。それこそ、本当にロケット団の総帥だとしてもおかしくない力だ。

『君たちは我らのことを悪だと、この世には必要ないものだと罵る。だが、それを言う君たち民衆は本当に正義なのか? ただ誰かの言った事に流され、そして凶暴化した意識の下に、そんな言葉を発しているだけなのではないか? 民衆を護る盾とやらに隠れて相手を罵ることの、何が正義か! それは偽善だ! 君たちは何一つまともに考えてなどいない。世間が悪と定めれば迷わず矛先を向ける。君たちはいわば世間という魔物の奴隷だ!』

 そこまで捲くし立ててから、男は急に静かに語り始めた。

『こう言えば君たちは怒りに震えるだろう。だが、それと同時に考えるはずだ。何が悪で、何が正義かということに。それに気づかせるのが我々の役目であり、最初に言った時代が望んでいるという言葉の意味だ。現代、君たちは本当に平和の中に生きているのか? 本当に民衆は正義たりえているのか? その問題に目を向けさせるためには混沌とした存在が必要だ。混沌とした場所を覗き込み、そして己が内に潜む悪と正義を自覚することによって、民衆は次なる段階へと進むことが出来る。今、民衆は進化の途上にいる。その進化を促すのが我らロケット団の使命。そのためならば我々は喜んで混沌の象徴となろう。そして我らを知れば知るほど君たちは当然な疑問に帰結することになるだろう。果たして、ディルファンスは本当に正義なのか、と』

 その言葉が放たれた瞬間、映像が切り替わった。

 そこはどこかの会社の廊下のように見えた。どうやら定点カメラによって撮影されたものらしい。画面の右上にカウンターと日時が表示されている。その日付はシルフカンパニーが襲撃されたその日のものだった。

 ナツキはなぜだか額に汗が滲み始めるのを感じていた。鼓動が激しくなり、まるで心臓が耳元へと移動したかのようにはっきりと聞こえるようになる。

 その映像は男性社員が女性社員と雑談しているところから始まった。どこにでもあるような日常。だが、それを引き裂くように激しい物音が響いたかと思うと、男性社員の首へと何かが巻きついた。それが巻きついたと脳が認識した瞬間、ぼきりと男性社員の首が折れ、力なく項垂れた。その口は情けなく開かれ、唾液が糸を引いている。炎が映像全体を覆いこみ、レンズに皹が入って画面が暗転する。

「……これ、嘘じゃない。シルフカンパニー襲撃事件の映像」

 ナツキは脱衣所へと向かい、先ほど脱ぎ捨てた衣服を素早く着なおした。何が起こっているのか分からない。だが、何かが起こっている。その予感に、ナツキはモンスターボールのホルスターを腰に巻きつけ、カバンを背負って大急ぎで部屋を出た。

 一階のサロンでも同じ映像が映っていた。今度はドラゴンポケモンであるカイリューが同社へと破壊光線を放つところだった。映像が乱れ、炎の中に人々が悲鳴をあげながら突き落とされる。

 ナツキは外に出てみた。同じく状況を把握し切れていない人々が外に出て口々に喚いていた。その声の中に「ロケット団が復活した!」という怒声にも似た言葉が混じる。

「……ロケット団が、復活したなんて」

 ナツキは観光客たちのざわめきの中に呑まれそうになった。他の家屋からもロケット団総帥の演説が流れる。

『いかがだったかな。これはシルフカンパニーに残っていたデータを我々がサルベージして得たものだ。あの場所は確かに我々の勢力の一部がいた。それは認めよう。しかし、それと同時に何も知らない人々もあの場所にいたのだ。しかし彼らは、ディルファンスによって虐殺された。見ての通り、何の抵抗も出来ぬままに。宣戦布告もなく、彼らは罪もない一般の人々を傷つけ殺したのだ。これは許されざる罪である。そうは思わないか。我らを悪と定義するのは結構だが、ディルファンスのこのやり方を正義と定義してもいいのか。果たして、このやり方で最後には平和が手に入るというのか? 君たちは、何百人もの同じ民衆の犠牲の上に成り立っている平和を自覚すべきだ。そして今一度問おう! 果たして、ディルファンスは正義か?』

「ディルファンスが正義か、って。もしかしてさっきのはディルファンスの仕業だって言うの?」

 ナツキはもう一度宿のエントランスへと戻った。巨大なテレビの画面の中にロケット団の総帥を先頭にして、複数のロケット団員が後ろに控えているのが見えた。その前方には幹部と思しき団員が総帥と肩を並べている。

『我らロケット団は偽りの平和を駆逐する。そして平和のあるべき姿へと邁進するために今、生まれ変わるのだ。そう! 我らロケット団は民衆の味方だ!』

「ロケット団が民衆の味方? そんな馬鹿な」という声がサロンの客の中から上がる。その言葉に対応するように立ち上がった客が反発した。

「だが、今の映像じゃ、ディルファンスは信用できない。本当に、ロケット団は味方なのか?」

 テレビの中の総帥が天を指で指し示す。

『さぁ、今こそ我らが求めていた平和を勝ち取るときが来たのだ! そうだ! 民衆とともに歩む我々こそが』

「――正義、か」

 ナツキは自嘲するような声を背後で聞いた。思わず振り返る。黒い着物を着込み、長い髪を白い布で束ねている人物がいた。片手に一振りの太刀を握っている。凛としたその佇まいに、ナツキは目を奪われた。

 そこにいたのは、かつてキリハシティでトレーナーとしての意地をかけて戦い、再戦を約束した相手――キリハシティジムリーダーチアキだった。

「……チアキ、さん」

 その声が聞こえているのかいないのか、チアキは僅かに微笑み、カラン、と雅な音をひとつ残して雑踏の中へと消えていった。

 ナツキはぼんやりとそれを見ていた。全てが幻のようだった。ロケット団が新生したことも、チアキが目の前に現れたことも。

 再び画面へと視線を戻すと、オーキド博士の顔が映っていた。何事も無かったかのように。しかし、群集に沸いたどよめきは収まらない。やはり現実に起こったことなのだ。ようやく頭がそれを認識し、ナツキは弾かれたように走り出した。

 宿から出てチアキの姿を捜す。黒い着物が闇の中へと遠ざかってゆくのが目に入った。チアキはゆっくりとした足取りでヤマトタウンの端に向かっているようだった。

 ナツキはそれを追った。だが走ってではない。どこか導かれるように、夢見るようなゆったりとした足取りでチアキの後をつけた。

 どうか幻で、夢でありますようにと願ったのはこの時が初めてだった。

オンドゥル大使 ( 2012/09/07(金) 22:23 )