ポケットモンスターHEXA - リョウ編
ReverseX
 私は森の中を必死に走っていた。

 今にも私自身を飲み込みそうなほどに暗い森の闇を掻き分けて、逃げるように走る。どこにも行くあてなど無い。ただ、今はリョウから逃げたかっただけだ。

 私は単純にリョウに怒鳴られたことだけがショックだったわけではなかった。最後のリョウの言葉がどうしても嫌だったのだ。

 その言葉が私の頭の中で残響する。

 ――邪魔なんだよ、お前は! 

 沈殿した憎しみのようなその言葉に再度私の目から熱い涙が零れた。リョウにだけはその言葉を言われたくなかった。必要とされたかった。私を一人の人間の少女として見てくれたリョウにだけは、否定されたくなかった。

 目を閉じたせいで足元に張り出した音に気づかず、それに引っかかって転んだ。しかし、暗い森の中では転んでも誰も心配してくれる人などいなかった。たった一人では自分がどこにいるのかも分からなかった。また、暗くて冷たいカプセルの闇に取り残されたような気分にすらなってくる。

 私は土で汚れた手で涙を拭った。もうリョウには会えない。いらないと言われてしまった。人間である「ルイ」を否定されてしまった私には、もうどうすればいいのか分からなかった。

 その時、ふと足音が後ろから聞こえてきた。

 私がそちらに振り返ると人影が私のほうに向かってゆっくりと歩いてきているのが見えた。

 もしかしたらリョウかも知れない。また私を必要としてくれるのかもしれない。そう思って私は立ち上がり、その人影へと駆けてった。

 しかしいくら近づいても人影は黒いままでリョウの姿には見えなかった。シルエットもリョウらしくない。リョウよりもずっと背の高い人に見えた。私が怖くなって直前で立ち止まると、人影は私のほうに依然ゆっくりとした速度で近寄ってくる。

 私が怖くなって引き返そうと振り返ると、そちらからも同じような黒い人影が近づいてくるのが見えた。

 方向転換をして右側に走り出そうとすると、そちらの草陰から丁度人が出てきた。同じように黒い人影である。後ろを振り返ると同じ姿の人影が腰につけたモンスターボールを取り出して、こちらに近づいてくるのが見えた。

 そこで私はようやく自分が黒い人影に囲まれていることに気づいた。

 四人の人影はいずれも闇に同化するような黒衣を纏っており、その服の中心に「R」という文字が毒々しい赤で刻まれている。

 正面の黒服が私に手を伸ばす。後ろに逃げようにも四方向を塞がれていては逃げることも出来ない。どこに逃げるか迷っていると、その手が私の手首を乱暴に掴んだ。私は思わずその手を振り払うと、後ろから伸びてきた手が私に絡みついてきた。

 逃げようと身体を揺らしてもがくが、黒服のほうが力が強いために全く効果がない。抵抗する私を他所に、黒服の一人が通信機のようなものを取り出し、どこかに連絡を取っている。

「確保しました。……ええ、紫色の髪の。……はい。なに、ただのガキです。大丈夫ですよ。そちらは……、ああ、なるほど。では、目標を本部まで移送します。その後で出来れば我々も、……ええ、任せてください」

 そう言って通信を切ると、黒服全員に聞こえるように言った。

「今シリュウ様に確認を取った。こいつで間違いない。本部に運ぼう」

 そう言ってその黒服は手に持ったモンスターボールを地面に投げようとした。その時、黒服の一人が口を挟んだ。

「おい。シリュウ様を放っていくのか?」

「シリュウ様はまだ用がある。この間の帽子のガキに、少しばかり教育≠してやるらしい。我々もこいつを運び終えたら合流しても構わんのだそうだ」

 その言葉に黒服たちが笑い声を上げた。私はその話の中の帽子のガキというのがリョウを指していることにすぐに気づいた。

「可哀想なガキだな。シリュウ様の教育だと、俺たちが到着する頃には死んじまうかもしれねぇな」

「いいんじゃないか。我々に歯向かった罰としてはぴったりだ」

 下卑た笑い声を上げながら黒服たちは話す。私のせいでリョウが傷ついてしまう。そう考えると、いてもたってもいられなかった。

 先ほどよりも激しく抵抗し、もがいて黒服の手から離れようとする。それに気づいた黒服の一人が舌打ちをした。

「……誰か、大人しくさせろ」

 八つ当たりのように放たれたその言葉の後、黒服の一人が私のほうへと近づいてきた。そして出し抜けに頬に張り手を食らわされた。乾いた音が静寂と闇に沈んだ森の中に残響する。その痛みに私は頭の先が痺れたような感覚に襲われた。しかし、抵抗はやめなかった。その度に張り手を食らわされた。張り手の痛みに私は何度抵抗をやめようと思ったか知れなかった。しかし、私のせいでリョウを傷つけさせるわけにはいかないという思いが、私を諦めさせなかった。

 さすがに黒服たちも張り手では私を止められないことに気づいたのか、全員が見合って「どうするか」という視線をお互いに投げた。

 これでこの黒服たちがリョウを傷つけに行くことは無い。そう思って力を抜いたその時だった。黒服の一人が笑いを浮かべながら言った。

「丁度いい機会だ。徹底的にいたぶるのはどうだ?」

 放たれた言葉に最後まで粘ろうとしていた意思が一瞬に凍りついた。その意見に他の黒服たちも笑いながら口々に言った。

「それはいいな。こいつには何度も手こずらされたし、いいストレス解消になりそうだ」

「しかし、本部に連れていく前にあまり傷つけすぎるのはよくないんじゃないか?」

「大丈夫だろ。外見さえ無事ならな。こいつはどうやら相当我慢強いみたいだ。今まで叫び声の一つも上げないんだから。シリュウ様も帽子のガキで楽しんでいるんだろ。なら、俺たちも少しばかり、こいつで楽しむとしようじゃないか」

 その言葉に黒服全員が賛同し、私のほうへと目を向けた。その目がまるで獲物を前にした爬虫類のように陰湿だったために、私は一瞬身体を震わせた。

 黒服たちがゆっくりと私へと手を伸ばす。私はもがいて押さえつけている手から離れよとするが、暴力への欲求に飢えた黒服は先ほどよりも強く私の身体を掴んで離さない。

 黒服の手が私へと触れる距離まで近づく。ごつごつとした汚い大人の指先が私に触れようとする。

 その瞬間、私は初めて目の前の黒服たちを怖いと感じた。自分より弱い存在をいたぶることに悦楽を感じる大人の眼。平気で小さいものを汚せる巨人のように大きな手。張り付いた卑しい笑み。顔を背けたくなるような酸っぱい汗の臭い。思わず私は目を閉じる。その時、頭の中で声が響いた。

『どう感じる? 君を汚した彼らを。わけも分からぬカプセルの中に幽閉し、君を兵器として扱おうとしている彼らを』

 その言葉は昔、聞いた言葉だった。だというのにもかかわらず、今まさに耳元で言われているような感覚だった。

『どう感じる? ――許せないかい?』

 このままでは私はいたぶられ、弄ばれる。もしかしたら殺されるかもしれない。そしてそれは私だけではない。私に関わっただけの、リョウすらも。

 ――こんな奴らに、汚される。

『許せないかい?』

 再度、頭の中でその問いが響く。私はその問いに以前と同じように、答えた。

「……ゆる、……せ、ない」

 その言葉に記憶の中の声の主は口角を吊り上げ、待っていたかのように言った。

『なら、君のすべきことは決まっている』


オンドゥル大使 ( 2012/08/29(水) 22:21 )