ポケットモンスターHEXA











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サキ編
第三章 八節「正義の裏面」
 カトウは走っていた。

 マグカルゴを自爆させることによって稼げた時間で、彼は自身に課せられたもうひとつの目的を果たそうとしていた。

 ひとつはディルファンスに壊滅的な打撃を与えること。これはほぼ完遂できたといえる。戦闘員を何人か削れたこともそうだが、本拠地を襲撃されたことによるディルファンスへの精神的なダメージも大きいだろう。ロケット団に歯向かえば命は無い。それをディルファンスに自覚させることもまたカトウの使命だった。

 ――しかし、とカトウは走りながら一考する。

 組織は何を恐れているというのか。小賢しいとはいえディルファンスは所詮、民間団体である。企業を手中に収めているこちらが圧倒的に有利なはずなのに、組織はディルファンスにこだわる。一体ディルファンスに何の価値があるというのか。警察組織ほどの連携を持たない自警団など放っておいても平気ではないのか。それとも、潰しておかなければ後々何かが響いてくるというのか。

 カトウにその答えは出せなかった。気を取り直して、ここを襲撃したもうひとつの目的に集中することにした。

 階段を駆け降り、ロビーでの惨状などまったく分からないほどの静まり返った地下通路を抜け、廊下を走ると一枚の突き当りの扉に行き当たった。銀色の扉であり、横の壁には暗証番号を入力するための数字のキーと、カードキーを入れるための部分がある。明らかに本部の入り口よりも頑丈な警備だ。

 カトウは、懐から黒い拳大の円形の物体を取り出した。それを銀色の扉に近づけると、磁石でも付いているのか扉に吸着した。その黒い物体の下部にある小さな窪みを押す。すると、黒い円形の表面に赤い数字のカウンターが表示された。それを確認してからカトウはもう一度、下部の窪みを押そうとした。

 その時である。

「何をしてらっしゃるのですか?」

 その声にカトウは振り返った。すると、そこにはいつからいたのかディルファンスのリーダーと副リーダーであるアスカとエイタが立っていた。アスカはなぜか銀色のケースを右手に提げている。

 カトウはその二人と向かい合いながら、後ろ手に扉に取り付けた円形の物体の下部をいつでも押せるように手を添えた。

「これはこれは。ディルファンスの幹部が直々に来るとはな。上に行かなくてもいいのか? お前らのお仲間の死体が転がっているが」

 カトウが笑みを浮かべながら挑発する。そして挑発に乗って襲い掛かってきた瞬間に、後ろの円形の物体を起動させるつもりだった。しかし、アスカとエイタは挑発に乗るどころかお互い顔を見合わせて急に笑い始めた。

 その様子にカトウが面食らっていると、エイタが口を開いた。

「いや、分かりやすい挑発だと思ったものでつい。それに仲間の死体が転がっている程度で、あなたをここから逃がすと思いますか?」

 その言葉にアスカが続ける。

「それにカトウさん。その扉の向こうがどうなっているのかご存知無いのでしょう?」

 アスカのその言葉にカトウは辟易した。確かに自分は組織から何も聞かされていない。ただ場所とやるべきことだけを指示されただけだった。

「大方こちらの戦力を潰せとしか指示されていないのでしょう。あなたは組織にとって邪魔だったでしょうから。我々に殺されるか、その爆弾で木っ端微塵にでもなってくれればめでたしめでたし。ついでにその扉の向こうのものも破壊できて効率がいい、というところでしょう」

 エイタの言葉にカトウはいきり立って反発した。

「何を言っている! 私はロケット団の幹部だ。切り捨てる側であっても、切り捨てられる側であるはずがない!」

「それが慢心なのですよ。あなたは弱い。負けた人間を組織がそのまま受け入れると思いますか?」

「だ、黙れっ! 私にはこの爆弾のスイッチを起動させ――」

「無理ですね。――カクレオン」

 エイタのその言葉で俄かに天井で何かが動いた。それに気づいてカトウが見上げると、天井の一部に不可思議な赤いギザギザ模様が張り付いていた。そのギザギザ模様から波紋が広がるように緑色が浮き出ていく。やがてその姿が露になっていく。

 それはまるでカメレオンのような姿をしていた。頭が大きく唇が太い。その頭に黄色い鶏冠を一対もち、手が長く足は短い。尻尾がぜんまいのように巻いており、同じように巻いた舌がカトウの様子を窺うように伸び縮みする。そのカメレオンのような姿のポケモンはカトウを一瞥すると、身体の端から天井と同じ灰色に変わっていった。それは先ほどの緑の体表が浮き出してきた様子の逆回しを見ているようだった。それにカトウが目を奪われていると、天井に張り付いていたギザギザ模様が唐突に動き出し、目にも留まらぬ速度で地面に降り立ったかと思うと、突然カトウは左腕に激痛を覚えた。

 見ると左手首の辺りに締め付けられているかのような跡があった。しかし先ほどまでそんなものは無かったはずである。不思議に思っていると、その締め付け跡のようなものがさらに深く肉に抉り込んできた。その痛みに思わずカトウは呻いた。

「痛いでしょうが、我慢してください。僕の質問に正しく答えてくれるのならば、これ以上の危害は加えませんから」

 エイタは子供をあやすような声でそう言って、指を一本立てた。

「まずひとつ。現ロケット団を構成する人員の数を答えて下さい」

 その質問にカトウは無言のままエイタを睨んだ。誰が言うものか、とその血走った眼が叫んでいた。それを見たエイタの表情が曇っていく。温和だった目が冷たい闇を湛え、指先をパチンと鳴らした。

 その瞬間、枝を折るような音がその場に響き渡った。それと同時にカトウの獣のような喚き声が廊下に木霊する。折れたカトウの腕に巻きついていたピンク色の舌が実体化していき、それと同時にギザギザ模様を中心として徐々にカクレオンの身体の体色も元に戻っていった。

 絡まっていたカクレオンの舌が解かれると、その下にあった腕はひしゃげて紙のようにくしゃくしゃになって捩れており、そこからポツポツと血が滴っていた。

 カトウは僅かな繊維と皮だけでぶら下がったその腕を押さえてうめき声を上げた。それを見下ろしながら、エイタは抑揚の無い声で言った。

「正しく答えないからそうなるんですよ。さて、次はどこを潰せば答えてくれますか?」

 エイタの言葉にカトウは嫌々をするように、蹲ったまま首を横に振った。その目からは涙が流れ、その鼻からは粘っこい鼻水が垂れて廊下を濡らしていた。

 その姿をエイタは顔をしかめながら見つめて、吐き捨てるように言った。

「滑稽ですね、カトウさん。人を傷つけるのが好きなあなたがそんな風に地に這いつくばって、情けなく涙を流す。まるで今までの立場が逆転したようですね。どうです? これ以上そんな醜態を晒したくなかったら答えるのがベストだと思いますが……」

 窺うような視線をエイタはカトウに向ける。だが、カトウは依然として答えようとはしなかった。エイタは指を二本立てて空気を変えるような明るい声で言った。

「なら質問を変えましょう。現ロケット団を指揮する人物について、あなたの知っていることを教えてください」

 その質問にカトウは首を振った。

「し、知らない。私は、現在の総帥については、何も……」

 その時、もう一本の腕へとカクレオンの舌が伸び、絡みついた。それにカトウが気づくと同時に、腕は何の抵抗も無くへし折られた。

 カトウがその痛みに唾を飛ばしながら叫び声を上げる。それを見たアスカはカトウの姿から目を逸らした。エイタは暗い光を湛えた目で、カトウを見下ろして言った。

「嘘はいけませんね、カトウさん。あなたは先ほど自分のことをロケット団の幹部だとハッキリ言ったではありませんか。なのに総帥のことを全く知らないってことは無いでしょう?」

 そう言ってエイタはカトウの反応を待った。だが、カトウはしきりに「助けてくれ」とうめくだけで、質問には答えようとしなかった。

 エイタはその態度に苛立たしげな舌打ちをして、三本目の指を立てた。

「ならば、三つ目。これが最後の質問です。ロケット団本部があるのはどこですか?」

 その質問が放たれると同時に、カクレオンの舌がカトウの首に絡みついた。

「答えていただかないと、その首が腕と同じ末路を辿ることになりますが。……いいんですか?」

 カクレオンの舌で首が徐々に絞まっていく。絡みついた舌が同じ力で全方向から圧力をかけるために、手で絞められるよりも早くに息が苦しくなっていく。気道の入り口が狭められ、入らない空気は喘ぎとなってカトウの肺まで到達することなく出て行く。

 カトウはこのままでは命が危ういことを悟り、焦って助けを求めるかのように叫んだ。

「し、シルフカンパニーのビルだ! タリハシティの、か、カイヘン支社のビル。そこが我々の本部だ。た、助けてくれ!」

 その言葉に満足したのか、エイタの表情が温和になっていく。それと同時に、カクレオンの舌の力も段々と弱まっていった。カトウは咳き込みながら俯くと、エイタの言葉が上からかけられた。

「よく話してくださいました、カトウさん。そんなに咳き込んで、大丈夫ですか? さぞ苦しかったでしょう。痛かったでしょう」

 言ってエイタはカトウの横を通り過ぎ、後ろの扉につけられた爆弾に手を伸ばすと、それをゆっくりと外した。エイタは爆弾を右手に握りながら、それをアスカが持ってきていた銀色のケースの中に慎重に入れた。

 そしてもう一度、カトウのほうに振り返ってエイタは言った。

「本当は仲間にしたいくらいなのですが――」

 その言葉と同時に緩まっていたカクレオンの舌が再度カトウの首に強く絡み付いてきた。カトウは驚いて、その舌を掴んで剥がそうとするが先ほどよりも強く絡み付いていて全く剥がれない。

「生憎、今メンバーはいっぱいでして。残念ですが新規の方はあまり受け入れられないのです。すいません」

 エイタは本当にすまなさそうに頭を下げる。その眼前でカトウは口を開け放し、酸素を求めて喘ぎながら手を伸ばした。

「ああ、でも、あなたは大変僕らの役に立ってくれました。これで、我々はロケット団本部への襲撃に足る理由と、襲撃場所を正確に知ることが出来たのです」

 ありがとうございます、と重ねてエイタが頭を下げた。それと同時にカクレオンの舌の力がより一層強くなる。

 エイタが頭を上げる。カトウはその顔を見た。そこには温和な笑みなど浮かんではいなかった。自分と同じ、冷酷に殺戮を嗜好する人間が見せる愉悦のような笑みがそこには浮かんでいた。

 それが思考の中に焼きついた瞬間、首の折れる音が鼓膜の中に響き渡り、カトウの視界は闇に閉ざされた。

オンドゥル大使 ( 2012/08/08(水) 21:51 )