第三章 六節「強襲、ディルファンス本部U」
戦禍の中心は今も熱が渦巻いていた。
換気システムの故障により、逃げ切らない熱が空間を満たしている。それは今、かすかな呼吸でも肺を焼き尽くしてしまいそうなほどの高温だ。
その中に男は立っていた。黒い衣服を身にまとい、彫りの深い顔立ちにある灰色の眼が揺らめく炎を映して赤を宿している。
その口元には笑みがあった。先ほどの命令で自分の場に出ている全てのポケモンを失ったことになるがそれでも男の中には愉悦があった。もともと進化前のポケモンを幾つ失ったとしても男は痛くも痒くもない。マグマッグは量産できるポケモンであるし、数が足りなくなってもすぐに補充が出来る。つまりは捨て駒にはもってこいと言うわけである。
だがその捨て駒を使っても、獲物は狩りきれなかったらしい。それを男が悟ったのは炎の中に立つ黒いマントが視界に入ったときだ。
その黒いマントの人物はすぐにそれを引き剥がし、近くの炎の中に投げ込む。しかしうなりを上げる炎の中にあってもそのマントは決して焼けなかった。
「耐火性のあるマントか。なるほど。ポケモンを倒すついでにトレーナーも、という私の目論見は見事に打破されたわけだ」
感心したような口調で男は語る。それをフランは息を荒らげながら睨みつけた。
身に纏っていたマントがいくら耐火性を持つと言っても全ての熱量を無効化できるわけではない。先ほどの熱風のうち、数割はフランの身体を実際に焼いていた。だが今、手負いだと言うことを少しでも顔に出せば食い尽くされる。それが分かっていたフランはわざと余裕のあるような口調で言った。
「あなたの攻撃なんて、マントがなくても僕は防げていたさ。それにあまり僕をなめないほうがいい。僕のポケモンだって、まだやられちゃいないんでね」
言った瞬間、天井から黒い影がフランの目の前に降りてきた。ヤミラミである。身体が焼け焦げ、先ほどシャドークローを使っていた左腕が吹き飛んでいたが、それ以外は健在であった。ヤミラミは砕けた左腕をものともせずに、右手の爪を男に向け先ほどよりも確かな闘志を抱いて挑発する。
「なるほど。見切られた、ということか。しかしその腕では先ほどのような動きは出来まい」
「どうかな。あなたは手持ちを失った。たった一人のトレーナーを追い詰めるのなら、右手だけでも充分」
その言葉にヤミラミが反応したように強気な鳴き声を上げ、宝石のような眼が強い光を放つ。
だが、フランのその言葉に男は口元を歪ませた。それを見てフランが怪訝そうに言う。
「何がおかしい?」
その質問に男はより一層、狂気じみた笑いを浮かべる。
「……いや、少しばかり楽しみがいがあると分かって嬉しくてね。ついつい口元が緩んでしまった」
言いつつ男は懐から何かを取り出した。それを見たフランが身構える。赤と白を基調とした球体、それはモンスターボールだった。つまり男はまだポケモンを持っているということだ。
「……マグマッグを十体以上持っていて、まだ隠し玉があるとは。あなたはポケモンの公式ルールを知っているのか?」
「ああ、知っているさ。だが覚えておくといい。悪党が自分と同じ土俵で戦ってくれるとは限らないことをな」
男はモンスターボールをまるでゴミでも捨てるように無造作に地面へと投げる。そしてそれが着地する瞬間、男は呟くように言った。
「行け、マグカルゴ」
ボールが地面で僅かに跳ねる。そして次の瞬間、二つに割れたボールの中から光が飛び出した。それは男の肩ほどまでの大きさだった。ヤミラミは身構え、その光の物体を睨む。
やがてすぐに光が剥げていく。最初に見えたのは岩のような巨大な物体だ。そして次に赤く流動する身体が見えた。
それはまるで先ほどのマグマッグをスケールアップさせたような形をしていた。マグマッグと異なるのは大きさと、何より背中に背負った巨大な岩の殻だった。それはマグマそのもののような赤色を纏い、ごつごつとした渦巻状の岩石の甲殻と併せて見ると巨大な蝸牛を思わせた。口のような箇所を開くと、粘っこい唾液のようなマグマがだらりと口の端から落ちる。マグマッグよりも大きくなったてかてかとした黄色い眼が、ヤミラミを中心に捉える。
「……驚いたな、マグカルゴとは。まさかさっき自分が出した進化形を手持ちの中に組み込んでいる酔狂な奴がいるなんて思わなかった」
フランが冷静に言った。だがそれは内心の震えをごまかすための演技でもある。これほどまでに炎による熱気が充満した空間でさらに強力な炎タイプのポケモン、マグカルゴを繰り出されたのである。これはつまり相手はマグマッグによって自分に有利なフィールドを作り出し、その後マグカルゴで一方的に相手を蹂躙することを計算していたことを示している。
フランは自分がまんまと相手の陣地に誘いこまれてしまったことを今になって悟った。
「そういえば名乗ってなかったな」
男が今しがた思い出したように、フランを見て言った。
「私の名はカトウという。かつてロケット団内において戦闘部隊長を務めていた者だ。自警団の人間ならば聞いたことぐらいはあるだろう?」
「さぁ。僕は人の名前を覚えるのが苦手でね」
フランはそう言ったが、実のところは聞いた事があった。ロケット団の中でも異質な戦闘部隊のことを。その部隊は標的の殲滅のみを目的とし、その他の犯罪行為には一切かかわらない、純粋な戦闘狂ばかりが集まる場所であるという噂があった。カントーでのロケット団崩壊の時期においてそのほとんどが検挙されたが皆、捕まるまでに自害し果てたという。そしてその戦闘部隊の隊長の名が、カトウという名だといわれていた。
もし目の前に立つこの男がそのカトウだとしたら、フランは勝てる気がしなかった。噂にあるカトウは獲物をじりじりと追い詰め、そして最後の一滴の絶望まで味あわせた後に始末することで有名である。そしてそのカトウに会って生き残ったものは誰もいない。そんな相手と一騎打ちで、しかも自分の手持ちは手負いの身では勝てる自信などあるはずがなかった。
だがそんな気持ちを少しでも表に出せば、獣のようにカトウは自分を食い潰す。そうさせないためにも、フランは余裕を見せるように白い歯を見せて笑った。
「あなたが誰だろうと関係ない。それに――」
フランが俯いて、すっと右手を挙げカトウを指す。カトウは表情を変えずにそれを見つめている。するとフランが顔を上げ、押し殺したような低い声で言った。
「僕は仲間を傷つけるお前を許せないだけだ」
瞬間、ヤミラミは駆け出していた。その速度は先ほどマグマッグを駆逐していたときより速い。まるで主人の感情に呼応するように、ヤミラミは鋭い速度で右手の爪を前に突き出しながらマグカルゴへと迫る。
しかしマグカルゴもそれを黙って見ているわけではなかった。カトウは頭痛を感じたように額に指を当てて、目を閉じて言った。
「やれやれ、困った子だ。そんな言葉遣いを年長の者にするとは。しつけの悪い餓鬼には仕置きが必要、だな」
カトウが目を開け、指を接近するヤミラミに向ける。それに反応したマグカルゴの口が開き、熱気を溜め込んだ口腔内が露となった。
「マグカルゴ、熱風だ」
その言葉とともに、背中の岩石の甲殻が熱気を噴射した。瞬間、マグカルゴの口の中から巨大な熱の塊が吐き出される。それは火球のように赤かったがその実は火球ではない。マグカルゴが体内で圧縮した高密度の熱気が空気の砲弾となって放射されたのである。それはあまりにも高温であり、ただの息というには熱すぎた。
大気を焼きながらその熱の砲弾は真っ直ぐに迫る敵を迎撃せんとヤミラミへと向かう。だが、ヤミラミも正面からの攻撃はさすがに読めた。
すぐにその砲弾の軌道を見切り、僅かに身体をずらしてそれを避ける。凄まじい熱量が真横を通り抜け壁に激突する。
だがそれで終わりではなかった。
「マグカルゴ、連射しろ」
その言葉でまたも甲殻が余剰した熱量を噴射し、口から熱気の砲弾が再度発射される。しかも今度は二秒おきに、ほぼ同じ熱量の砲弾が連射された。
それをヤミラミは避ける。当たったときのことは考える暇はない。掠るだけでもあの熱量のものでは致命傷になる。唯一の救いはマグカルゴガ動かないことだ。同じ位置からの砲撃ならば、ヤミラミはいつまでも避けることができた。
そして避けられるということは反撃に転じることも出来る。ヤミラミは確実に「ねっぷう」を回避しながらも、マグカルゴに攻撃できる間合いまでの最短ルートを模索しそのルートに沿って走っていた。
そして今、ヤミラミは十五度目の砲撃を避け、ついにマグカルゴを切り裂ける間合いへと辿りついた。
それをフランは見逃さない。
「ヤミラミ、今だ!」
その声にヤミラミの腕が透明になる。相手に触れずして、相手を切り裂く必殺の技が放たれる。ヤミラミは次の砲弾が自分のほうへ向く前にマグカルゴの真横へと滑り込んだ。
同時に、腕を赤い身体に入り込ませる。
「切り裂け!」
シャドークローがマグカルゴの身体を通過していく。その透明の腕は何の抵抗もなく、硬質そうな岩石の甲殻さえも貫通した。
マグカルゴの背後に立ったヤミラミの腕が実体化する。
「終わりだ」
フランが確信した口調で言った。それを聞いたカトウは含み笑いを漏らす。
「何だ、自分が負けたのが分かって狂ったのか?」
カトウはその問いに額に手を置いて、ふふふと不気味に笑う。
「おかしいと思わないのか?」
「な、何がだ」
カトウの余裕にフランは狼狽する。それを見透かしたように、カトウは嗤いながら言った。
「こんな簡単に勝負が付くわけない、ということだよ」
その瞬間、ガラスが割れるような音がフランの耳に届いた。思わずその方向を見る。
そこにはヤミラミがいた。だがそれは本来そこにあるはずのヤミラミの姿とは微妙に異なっている。
本来ならば左腕がなく右手のみがあるはずである。しかしそこにいるヤミラミには右手はなかった。まるで最初からなかったかのように、根元から蒸発していた。
「君のヤミラミが放つシャドークローは見事だ。けちのつけようがないほどに鮮やかな技なのは誰の目にも明らかだよ。だが、それゆえに慢心したな」
蒸発した腕の根元から、黒い何かが滴り落ちる。それはヤミラミの血であった。ヤミラミはそれを左手で押さえようとするが、すでに左手はないために押さえられない。そんなヤミラミの背後にマグカルゴが緩慢な動作で迫ってくる。
「透明になっても存在するものは存在する。マグマッグ程度の熱量ならば無効化できたかもしれないが、体温一万度を誇るマグカルゴの熱は無効化できまい。この地上では間違いなくもっとも高温のポケモンだ。それに素手で触れれば、そうなるのは明白だろう?」
カトウがヤミラミを示す。その背後にいる地面を熱で溶かしながら近づくマグカルゴがゆっくりと口を開けた。口腔内には赤く光る灼熱がある。その熱がマグカルゴの眼前にある空気を歪ませる。
「マグカルゴ、火炎放射だ」
カトウの言葉でマグカルゴの口が下側に裂ける。まるで顎でも外れたように開放された口の中で大量の熱が無数の虫のように蠢き、そして一秒後それらが一挙に放射された。
それはヘルガーの「かえんほうしゃ」とは根本的に異なっていた。ヘルガーの「かえんほうしゃ」が一体の敵を排除する一門の砲だとするのなら、マグカルゴのものは多数の敵を一気に殲滅するミサイルをたった一点に集中させたようなものだった。それは一個の口から放たれたにも拘らず、マグカルゴの体長を遥かに超える巨大な熱の塊となった。
この攻撃を避けるすべはない。炎の塊はヤミラミ一体に集中し、その射程距離は長い。見切るには炎の幅が大きく、逃げるには強大すぎる。
フランは自分でも覚えず目を閉じていた。自分のポケモンが焼き尽くされるさまを見たいトレーナーなどいない。
その姿を見てカトウがほくそ笑む。トレーナーが自分の目の前で絶望する瞬間を見られた悦びに、自然と口角が吊り上った。そして一瞬先に圧倒的な熱量の前で溶けて果てるポケモンの醜い亡骸を思って、さらに口元を歪ませる。
だがその時、悦びを突き崩すような声が突如響き渡った。
「ラプラス、ハイドロポンプ!」
突然聞こえたその声にカトウが反応する。反応した瞬間、ヤミラミまで目前に迫っていた炎の先端に巨大な水流が直撃した。それは獣のように凶暴な勢いを持つ炎と混ざり合いながら蒸発させ消し飛ばしていく。まるで猛り狂う龍のようなその鉄砲水は炎の勢いを食い殺すような更なる勢いで飲み込んでいく。やがてその炎はヤミラミまで届くことなく、鎮火させられた。後には白い蒸気が残った。
その様子を呆然と見つめていたカトウは、はっと我に帰り今しがた自分の愉しみを邪魔した者のほうをにらみつけた。
そこにいたのは固い甲殻を背中に纏ったポケモンだった。だがマグカルゴのような形ではない。見た目は太古の魚竜のようだ。長い首をもち、水色の身体をしている。四枚のひれのようなものを胴体に持ち、おおよそ地上にいるポケモンには見えなかった。どこからどう見ても海のポケモンにしか見えない。その魚竜は顔も異質であった。他の部分は精巧であるのに、顔だけはゴマのような目しかない。まるで作り物のような印象を与える目だ。その目にカトウは見覚えがあった。確か何にでも変身するポケモンがおり、そのポケモンはほぼオリジナルと同等に変身するが顔だけは変えられないという。
「危機一髪、とでも言ったところか」
先ほどハイドロポンプの命令をしたのと同じ声が聞こえ、カトウはその声のほうを見た。そこにいたのは少女であった。肩までかかる青い髪とそれに対比するような赤い眼がカトウを睨んでいた。
その赤い眼と視線が合った瞬間、カトウは記憶の奥底にある何かに似ていると感じた。だが思い出せない。何か重要なことであるはずだが、どうしても記憶に靄がかかったような曖昧な感覚に襲われる。
「何者だ?」とカトウは知らず呟いていた。
その声を聞き届けた少女がぶっきらぼうに告げる。
「サキ、という名だ。覚えなくていいぞ。元ロケット団殲滅部隊長、カトウともあろうお方に覚えてもらうなんて畏れ多いからな」
それを聞いてカトウは、ほうと感心したような声をもらす。
「私を知っているのか? 君のような少女が」
「あまり見た目で判断しないほうがいい。こいつのように、視覚的に騙すやつもいる」
サキは自分の傍らの魚竜――ラプラスを指して言った。その言葉を聞いた途端、ラプラスの水色の身体が紫色へと瞬時に変わる。そして何が起こっているのか理解する前に、そのラプラスの形をしたものは溶け出し、地面に紫色の水溜りを作った。カトウが驚いてその水溜りを見ていると、水溜りの中心にゴマのような目が浮いてきた。その下には簡素な口もある。それを見て、カトウはその紫の水溜りの正体を悟った。
「なるほど、メタモンか」
「ああ。流石はカトウ、と言ったところだな」
「そのメタモンで私のマグカルゴを相手する気なのか?」
カトウのその問いにサキは笑った。
「まさか。こいつは所詮、似た形に変身できるだけに過ぎない。こいつがいくら有利な属性に変化できたとしても、本気で育てられているポケモンに対しては無力だよ」
そう言ってボールをメタモンに向け、その中に戻す。それからサキはフランのほうへと近づいて唐突に手を差し出した。フランがその手を怪訝そうに見ているとサキが不機嫌に言う。
「私のヘルガーを返せ。お前が持っているのだろう」
その言葉にフランは目を丸くした。
「なっ、確かに持っているが。だがヘルガーは炎タイプだぞ。同じ炎タイプと相対して勝てる可能性は薄い。貰い火の特性なのか?」
「もらいび」とは炎タイプの技を無効化する特性である。その特性ならばあるいは、とフランは感じていたが、サキは首を振った。
「いや、特性は早起きだ。この状況においては、あまり有利な特性とは言えないな」
ポケモンは一種類につき、一つから三つの特性のうちどれかを持つ。ヘルガーは、「はやおき」、「もらいび」、「きんちょうかん」のいずれかの特性を持つのだが、対炎タイプ戦で重宝するのは貰い火であった。「はやおき」は眠り状態からの回復が早いだけだ。貰い火特性でない以上、ヘルガーとマグカルゴを戦わせるのは得策ではない。
「ならメタモンを水タイプのポケモンに変化させて――」
「聞こえなかったのか。ヘルガーを返せといっているんだ。返すのか、返さないのか。私はそれ以上の回答は望んでいない。弱いんだからさっさと渡せ。時間がない」
サキがフランの言葉を遮って真っ直ぐにフランを睨む。その威圧するような視線にフランはたじろいだ。サキという少女の眼に宿る刃のような光が、思ったよりも真っ直ぐに切り込んできて、フランは胸元に手をやった。服と掌越しでも、ヘルガーの鼓動が伝わってくる。今すぐに主人の下で戦いたいという忠義。それが拘束用のボールを今にも食い破りかねなかった。
どうなってもしらないぞ、と吐き捨てるようにいってから一個のボールをサキの小さな手に手渡した。
それをサキはひったくるようにして掌にしっかりと掴み、カトウのほうに向き直った。
「さぁ、第二ラウンドと行こうか、カトウ。少しは楽しませてやれそうなポケモンを出してやるよ」
その言葉にカトウは額に手を置きながら、小さく笑った。
「中々に言ってくれるな。なら、それなりに闘ってもらうとしよう」
サキがボールを振りかぶり、中空に向かって投擲する。
「行け、ヘルガー!」
その声とともに舞い上がったボールは二つに割れ、中から光に包まれた狂犬が飛び出す。それは自分の皮膚に纏わり付いた光を不機嫌そうに払うと、凶暴なうなり声を上げマグカルゴを睨みつける。戦いを求めて血走った凄まじい眼が、地獄の番犬のような容姿と相まって凄みを与えている。
「いいヘルガーだな。……なるほど、潰しがいがありそうだ」
カトウが嬉しそうな笑みを浮かべながら言うと、サキも口の端に笑みを浮かべて言い返した。
「減らず口を叩いてくれる。潰すのはこちら側だ。それを忘れないで貰いたい」
「その意気やよし。だが、こちらからもひとつ言っておこうか」
カトウがヘルガーを真っ直ぐに指差し、そして低い声で言った。
「若者を試すのは年長者の特権だ。君は所詮、私に測られる側に過ぎないのだよ」
そう言い終わった瞬間、マグカルゴの口がマグマの粘液を引きながら開いた。
「熱風だ」
短くカトウが技を告げる。背中に背負った岩石の殻が高熱の蒸気を噴射し、開かれた口からは圧縮された熱気の砲弾が発射された。マグカルゴは既に技のモーションに入っていたために発動が早い。
対するヘルガーは技のモーションどころか、発動の指示すら受けていなかった。マグカルゴの放った「ねっぷう」が進行方向の空気を突き破りながら真っ直ぐにヘルガーへと向かっていく。空気抵抗を受けているとはいえ、「ねっぷう」の威力は寸分も衰えない。それを真正面から何の策もなく食らえば致命的な打撃になる。
――この状況で、どう出る?
カトウはサキの一挙一動に注目する。と、その時サキはつまらなそうに口を開いた。
「なんだ、こんなものか」
サキは接近する熱風を指差し、ヘルガーに指示を出す。
「噛み砕け、ヘルガー」
その言葉にヘルガーは裂けた口を開いて、禍々しいほどに赤い口腔内を露出させた。そこには鋭い乱杭歯が並んでいる。そしてヘルガーはその口で、まるで獲物に襲い掛かるように超高熱を誇る熱風へと噛み付いた。
カトウはその動作に驚愕した。体温一万度から放たれる熱風を何の策もなく噛み付くなど常識で考えれば愚の骨頂である。歯などすぐさま融け、顎の肉が焼け落ちるに違いない。
だがヘルガーはそんなそぶりなど一切見せず、巨大な熱の弾丸たる「ねっぷう」を見事にくわえ込み、それに牙を突きたて、砕こうとしている。
凶悪なうなり声を上げ、口から何かが焼けたような煙と臭いが発せられる。それを見たフランが恐怖したように一歩退いた。
やはり焼けているのだ。あの「ねっぷう」を無傷で受けられるはずがない。勿論生身の部分は焼ける。しかも口の中といえば粘膜である。その部分が焼けている。にも拘らず、ヘルガーはそれを噛み砕こうとしているのだ。
「し、正気か……」
フランが呟く。それに対してサキは口角を吊り上げながら答えた。
「――無論」
それと同時に、破裂音が響き渡る。見ると、ヘルガーの口が閉じられ、牙と牙の間から煙が出ていた。だがそれでもヘルガーは闘志を絶やすことなく、血走った獣の眼でマグカルゴを睨む。
その眼にたじろいだようにマグカルゴがその液状の身体を揺らした。
「この程度で退く私たちではない。そうだろ、ヘルガー」
それを肯定するようにヘルガーは咆哮する。それを見たカトウが片手で顔を覆いながら肩を揺らした。嗤っているのだ。
「……素晴らしい」
カトウは呟く。覆っていた手を退け、その手でヘルガーを指差した。
「是非とも、壊してしまいたい」
歪んだ欲望に任せるように、カトウはそう口走った。その眼には悦楽のようなものが浮かんでいる。
その眼を真正面からサキは見返して言った。
「何を言っている? 先ほども言っただろう。潰すのはこちら側だと」
ヘルガーが灼熱の唾液をたらしながら狂犬じみた声を出す。それに対抗するようにマグカルゴがずるずると身体を引きずりながら頭を上げ、緩慢な雄たけびを上げる。
フランはサキの顔とカトウの顔を見比べた。どちらもお互いのポケモンと同じように、戦いを愉しむ眼をしていた。それに恐怖したのか、彼は数歩下がり地面に落ちた瓦礫に足を取られ尻餅をついた。だがそんなフランには目もくれず、二人のトレーナーはお互いに相手の次の手を読み、そしてどちらかが動けばすぐにでも自分のポケモンに指示が出せるように準備をしていた。
マグカルゴの僅かな繊維で繋がっている黄色の目玉がぎょろぎょろと動いて、ヘルガーを観察しているかのようにその瞳孔が収縮する。
その姿を、獲物を睨むかのようにカッと目を見開いて見据えているヘルガーの口からは抑えの利かないマグマの唾液がこぼれる。
それを見たカトウがにやりと笑みを浮かべてヘルガーを指差した。それでマグカルゴのぎょろぎょろとせわしなく動いていた眼が一点を見つめた。
それを確認したサキがまるで独り言のように短く告げる。
「行け」
瞬間、ヘルガーは駆け出した。細い体躯でありながら力強く地面を蹴りつけ、マグカルゴへと猛進する。だがマグカルゴもそれをただ見ているわけではなかった。
マグカルゴの身体が激しく流動し始める。体表を形作っている細胞のひとつひとつが、まるで意思でも持っているかのように動き回りマグカルゴの形をより戦闘向けに作り変えているのだ。たちまち身体は渦巻状の甲殻へと仕舞われていき、甲殻からは入りきらないマグマが噴出した。
「守りを固める気か? しかし、遅い!」
サキの声に反応したヘルガーが走りながら咆哮し、そして次の瞬間、地面を強く蹴って宙に踊り上がった。
裂けた口を大きく開き、鋭い牙をむき出しにして飛び掛った。「ねっぷう」を噛み砕いた牙である。いくら岩石の甲殻が強固であろうとも、無傷ではすまない。しかし、カトウはそれを見てもなお余裕の笑みを崩さなかった。
「なるほど。甲殻ごと私のマグカルゴを食いつぶそうというわけか。……だが、少し詰めが甘いな」
その言葉の意味をサキが汲み取る前に、マグカルゴの甲殻が回転を始めた。地面が擦れ、火花が散るたびにその速度は目で追えるものではなくなっていく。それにヘルガーは牙を突き立てようとした。しかしその瞬間、マグカルゴの甲殻の隙間からおびただしい量の白煙が噴出したかと思うと、その甲殻はヘルガーめがけて回転しながら飛び上がった。
それに一番驚愕したのはヘルガーである。牙を突き立てようとした相手が自分のほうへと向かってきているのだ。ヘルガーは思わず守りの姿勢に入ろうとしたが、相手のほうが僅かに早い。守りに入ろうとした途端、鉄球を撃ち込まれたような凄まじい衝撃が腹に食い込んできた。それに押し出されるように、ヘルガーは弾き飛ばされた。地面への衝突の瞬間、爪を突き立て何とか姿勢を制御し、ダメージを軽減する。それを見てサキは、大したダメージを受けてはいないのかと思った。だが、ヘルガーの身体よく見ると、一撃を喰らった腹に焼け爛れたような傷を負っていた。
「……摩擦熱を生み出すほどの回転。高速スピンか」
サキがヘルガーの生々しい傷を見ながら呟くと、カトウはほくそ笑みながら指を一本立てた。
「ほぼ正解だが、ひとつ補足しておこう。その程度ではない。私のマグカルゴはもっと凄まじい技を使った」
その言葉とともに高速回転するマグカルゴから赤い何かが迸った。それはマグマであった。そのマグマがまるで噴火するかのように、甲殻の中から迸り高速回転するその身に纏わり付いていく。
そして見る見る間に、その身は火炎をまとった車輪のように変化していく。そこでカトウは技の名前を呟いた。
「マグカルゴ。――火炎車だ」
その言葉が響くとともに、炎を纏い高速回転するマグカルゴはヘルガーへと一直線に、疾走した。その身が通った跡には、黒く焼け焦げた線が残る。これが「かえんぐるま」といわれる技である。その身を火車のように変化させ、相手に突撃する。炎タイプの中でもかなりの攻撃力を持つ技だ。
火炎車は一直線に向かってくる。それに対してサキはマグカルゴを指差し、ヘルガーに指示を出した。
「ヘルガー、奴を止めろ!」
その声でヘルガーは炎の唾液を垂らしながら裂けた口を開く。すると喉の奥から火炎がせり上がってきて、ヘルガーの眼前の景色があまりの高温に歪んでいく。
その瞬間、サキは叫んだ。
「焼き尽くせ、火炎放射だ!」
ヘルガーの口から赤黒い火炎が吐き出される。そしてそれは火炎車を展開するマグカルゴへ向けて、酸素を食らい尽くしながら向かっていく。
だが、その攻撃は当たらなかった。
マグカルゴが急に側面からマグマを噴射したかと思うと、角度とスピードを変化させ、ぎりぎりのところで「かえんほうしゃ」から身をかわしたのである。
その動作にサキは驚愕した。今、マグカルゴはほとんどトレーナーの指示で真っ直ぐ突進しているだけの状態のはずである。甲殻の中に眼も顔も隠しているというのに、どうして「かえんほうしゃ」を正確に避けることができたのか。
思わず「どうして」と呟くとカトウが不敵に嗤いながら、応えた。
「マグカルゴはマグマで構成されたポケモンだ。すなわち今、甲殻が纏っている炎それ自体がマグカルゴの感覚器なのだよ。顔や眼を隠していようが関係ない。常にマグカルゴは炎を通して周囲の状況を把握している」
それを聞いてサキは理解した。つまりマグカルゴは「かえんぐるま」使用時は通常時となんら変わらないのだ。いや、車輪のようにすばやく動く分、通常時よりも手強いかもしれない。
火炎車が目前へと迫る。しかしいくら距離を詰めても「かえんほうしゃ」では避けられる可能性のほうが高い。
――ならば、とサキは火炎車を指差して言った。
「ヘルガー、炎の牙だ」
瞬間、ヘルガーの口腔内から炎があふれ、口の周囲に纏わり付いていく。そして瞬く間にそれは実際の牙の上に加工され巨大な炎の牙となった。
「そいつで噛み砕け、ヘルガー!」
その言葉ともに黒い四肢が躍り上がる。そして高速回転する火炎車に、鋭い爪を引っ掛けて速度を殺し噛み付こうとした。だが、火炎車の勢いはそんなことで弱まるほどやわではなかった。
引っ掛けたはずの爪はすぐさま高速回転の前に削れ、回転を止めることなど出来ない。ならばと、ヘルガーは炎の牙でそのまま噛み付いた。それで進行は止められたが、炎の甲殻自体にはそう簡単に牙は通らない。さらに高速回転によって牙の炎は徐々に弾き飛ばされていく。ヘルガーはさらに力を込めて牙を突き立てるが、火炎車をとめることは出来ず、さらに時間がたてば立つほどに、相手のパワーに耐え切れずに押されていく。
「お、おい。このままじゃまずいんじゃないか? 物理攻撃力に自信があるんじゃなかったら――」
端にいるフランがサキのほうを見て言うと、サキはフランを睨んで強い口調で言い返した。
「うるさいぞ! 貴様は黙って見ていろ!」
その言葉にフランは、「しかし」と言いながら目を背けた。
もちろんサキはこのままの展開で終わらせるつもりはなかった。牙で火炎車を一時的にでも止められれば、次の展開に移れる。そしてそのためのお膳立ては整った。
サキは火炎車を指差しヘルガーに指示を出す。
「そのまま、火炎放射だ」
瞬間、噛み付いたままのヘルガーの口腔内へ熱量が凝縮されていく。相手も炎タイプのため、一撃で高威力の攻撃を放たなければ大したダメージは与えられない。そのためにいつもよりも一層、熱を口の中に溜め込んだ。ゼロ距離による攻撃である。これで倒せなくとも火炎車は止められる、そう確信してサキは笑みをつくった。
しかしヘルガーが十分な熱量を溜め込んだ瞬間、火炎車の表面に纏わり付いていたマグマが急に寄り集まってひとつの形を構成していく。それは見る見るうちに黄色い一対の眼と、マグマで出来たナメクジのような顔を形作っていく。それはマグカルゴの顔であった。その顔がヘルガーの真正面に現われて、マグマを垂らしながら口を大きく開いた。
それにヘルガーが気づいた時、カトウが薄く嗤いながら呟いた。
「マグカルゴ、火炎放射だ」
その刹那、マグカルゴの口から放たれた超高密度の火炎がヘルガーを包み込んだ。あまりにも近くから放たれたその攻撃を避ける術はヘルガーにはなかった。ゼロ距離なら相手を止められると確信していたサキと同じように、同じ炎タイプであるヘルガーを仕留めるにはゼロ距離しかないとカトウも読んでいたのだ。
嵌められた、とサキは感じると同時にヘルガーの名を叫んだ。
しかし、炎の中からヘルガーの咆哮は返ってこなかった。代わりに炎の中から現われたのは、奇妙な物体だった。
それはまるで前輪しかないバイクのような姿をしていた。炎を纏った車輪となった甲殻に、赤いマグマがまるで骨格のように繋がりその上にマグカルゴの顔が付いている。腕はないが、背びれのようなマグマの突起物が背中に四本ほど生えており、余計に怪物じみて見える。それは全体のシルエットとしては上半身だけの骸骨をタイヤにそのまま括りつけたようにも見えた。
サキはその姿に少なからず戦慄した。
それはまるでポケモンの姿とは思えなかったからだ。しかし、その禍々しい姿こそがカトウの持つマグカルゴの真の姿であるような気もしていた。
マグカルゴがだらりとマグマのよだれを垂らしながら、喉のあたりを激しく震わせて咆哮する。それは人間と動物の声を混ぜたような奇妙な声であった。
その声にサキが思わず後ずさると、マグカルゴの後ろからカトウの声が聞こえてきた。
「どうした? 怖いのか? このマグカルゴが」
マグカルゴがサキへと徐々に距離を詰めてくる。サキはモンスターボールに手を伸ばそうとするが、もう手持ちはメタモンしかないことに気づき、ためらった。もしここでメタモンを出したとしても勝てる自信がなかったからだ。
それに気づいたカトウが煽るような声音で言った。
「何も出さないのか? 早く次を出さないとこいつが君を焼き尽くすことになるぞ。――さっきのヘルガーのように」
言ってカトウはにやりと下卑た笑みを浮かべた。
その瞬間、サキの理性が弾けた。メタモンのモンスターボールへと手を伸ばし、投擲しようとボールを高く振り上げ叫んだ。
「黙れ! いけっ、メタモ――」
しかしその瞬間、マグカルゴの前に黒い影が立ちはだかった。それに気づいて、サキはその手を止める。見ると、その黒い影は先ほどの戦闘で両手を失ったフランのヤミラミだった。
「悪いな。まだ僕のヤミラミは戦闘不能になったわけじゃない」
フランがサキの前に立って言った。サキはそんなフランの行動に一瞬面食らっていたが、すぐにフランの肩に掴みかかった。
「おい! どういうつもりだ。これは私の戦いだと――」
「ポケモンなしで、どう戦うつもりだい?」
フランがそう言うとサキは言葉につまった。
「メタモンじゃ勝てないと言ったのは君だろう。それとも、何か勝算があるのかい?」
フランがそう尋ねると、サキは逡巡したように視線を地面に落としながら言った。
「……ないことはない。だが、それにはカブトがいなければ」
言ってサキは唇を噛んだ。
その様子を見てフランが前に向き直って言った。
「そうか。なら、君はカブトを取りに行くといい。それまでは僕が抑えておこう」
そのフランの言葉にサキは慌てて言った。
「だが、お前のポケモンでは」
「……確かに僕じゃ頼りないかもしれない。今だって震えているからね」
その言葉にサキはフランを見た。フランの手は震えていた。しかしフランはその手を握り締めて震えを殺し、強い口調で言った。
「でも、僕はディルファンスの一員なんだ。後から来た君にばかり任せてはおけないんだよ。僕にだっていい格好をさせてくれ」
そう言ってフランは笑った。倒れそうな精神をかろうじて持ちこたえさせたかのような、危うい笑顔だったが、サキはこの限界の状況で言ったその言葉を信じることにした。サキが肩から手を離すと、フランは強く頷いた。
「ありがとう。後ろにコノハたちがいるはずだ。そこに君のカブトがいる。皆を安全なところに逃がしてくれ。今のうちに。早く行くんだ」
そう言ってフランは鋭い眼差しでマグカルゴを睨んで、それきり、サキを見ようとはしなかった。
サキはそんなフランの背中に言葉を投げかけた。
「……すまなかったな。お前のことを弱いなんて言って」
呟くように放たれた言葉にフランは何も言わなかった。それを確認してサキは走り去った。
後に残されたフランはサキが充分離れたと分かってから、フッと笑った。
「そのくらい、素直ならかわいいのに。勿体無いな」
そしてマグカルゴを睨みつけ、挑発的に言い放った。
「さぁ、第二ラウンドと行こうか。僕のヤミラミも今度は楽しませてやれるよ」
そのフランの言葉にカトウは蔑むような眼で言った。
「戯言を。貴様のポケモンは既に用済みだ。私はあの少女を焼かねば気持ちがおさまらん。さっさとそこを退いてもらおうか」
「それは出来ない相談だね。それにまだ、僕のポケモンは戦える」
その言葉に応えるようにヤミラミが強い鳴き声を上げる。
「馬鹿が。そんな状態で何が出来る。潰せ、マグカルゴ」
カトウの言葉でマグカルゴの岩の車輪が呻りを上げ動き出そうとする。だが、その時唐突にその動きが止まった。
「何だ? どうした、マグカルゴ」
マグカルゴは甲高い鳴き声を上げながら、さらに車輪の回転の勢いを強める。しかし、マグカルゴの身体はまるで押さえつけられているかのように動かない。車輪の回転も何かが引っかかっているように止まっている。
フランは何が起こっているのかとマグカルゴの姿をよく見た。すると、車輪に後ろから噛み付いている影に気が付いた。
それはサキのヘルガーだった。顔の皮膚が焼け爛れ、首から下が炎に包まれた痛々しい姿だった。だが、それでもその目に宿した闘志だけは消えていなかった。ヘルガーはさらに牙を突きたて、回転する岩の車輪を噛み砕かんばかりの勢いで喰らいつく。その姿にカトウが舌打ちをしながら叫んだ。
「死に損ないが! 回転率を上げろ、マグカルゴ」
その言葉でマグカルゴがけたたましい叫び声を上げながら、さらに回転を強めた。それによってヘルガーの牙が削られ、摩擦による火花がヘルガーの口の中から弾け出す。だが、それでもヘルガーは喰らいついたまま離そうとしなかった。
そのヘルガーの目をフランは見据えた。凄まじい闘志を宿した瞳、それが自分に語りかけているようだった。
――倒せ、と。
その目に応えるように、フランは頷きヤミラミの名を叫んだ。
そして次の瞬間、ヤミラミの喪失したはずの両手から影のようなものが出てきて揺らめき始めた。
それはまるで紐のような細い影だった。それがヤミラミの正面まで伸びたかと思うとヤミラミはそれを掌のように突き出した。すると、その紐のような影が絡まりあい、絡まった場所の中心から黒い球体が出現する。そしてそれは瞬く間に巨大な球体となっていく。
その球体は回転しながら、周囲の炎によって作られた影や瓦礫によって出来た影までも吸収し、さらに巨大化していく。
そのあまりの成長の早さにカトウは思わずうろたえたような声を出した。
「何だ、一体何をしている?」
フランは笑みを浮かべながらそれに答えた。
「これが僕のヤミラミが持つもっとも強い攻撃だ。しかしこいつをただぶつけてもそのマグカルゴは倒せないだろう。だからこそ、こうして影を集めて攻撃力を上げている。お前を、確実に仕留めるために」
黒い球体はさらに大きくなり、その大きさはヤミラミの背丈と同程度になった。そしてその球体が黒い電子を纏い始めた瞬間、フランは叫んだ。
「――撃て、ヤミラミ! シャドーボール!」
その叫びとともに漆黒の球体は放たれる。その衝撃で、ヤミラミが大きく後ずさり、腕から生えた紐のような影の大部分が弾けとんだ。それは周囲の光度を吸い取りながら、軌跡に光を一切残さずにマグカルゴへと直進していく。これが「シャドーボール」。ゴーストタイプが繰り出す射撃型の特殊攻撃である。
このシャドーボールは通常時の攻撃力に、周囲の影によって上乗せされた質量を加重しているために、本来の二倍以上の大きさであった。そのため直撃すれば、多大な傷を負うことは一目瞭然である。しかしカトウは「避けろ」という指示をマグカルゴに与えることはなかった。それどころかカトウがマグカルゴに出した指示は奇妙にも「動くな」という言葉だった。
そのためマグカルゴはその巨大なシャドーボールを真正面から、それも頭部に受けることになった。命中した瞬間、着弾部は四散し、飛び散った高熱の表皮は地面を焼いた。シャドーボールはマグカルゴの上で収縮を始め、ついには景色と同化するように消滅した。それと同時にヘルガーが力尽きたように倒れた。摩擦熱によって口の中が焼け、牙がほとんど消失していた。
シャドーボールが回転しながら抉り込むように命中したため、マグカルゴは頭部どころか上半身の半分は弾け飛んでおり、半円状の傷跡が胴体に残っていた。
それを見てフランは笑みを浮かべながら呟いた。
「……やった」
それは勝利を確信した笑みだった。頭を飛ばされて生きているはずがない、そう思ったからだ。ヤミラミも安心したように腕の付け根からぶら下がった、もはや僅かとなった影の紐を下ろした。
だがカトウの表情は依然として変わらなかった。俯きながらずっと余裕のある笑みを崩さなかった。それは見方を変えれば、自分のポケモンが傷ついて嬉しいような顔だった。フランはカトウのその表情を見て、何か薄ら寒いものを感じ青ざめながら早口で言った。
「な、なんだ。もうお前のポケモンは死んでいるんだぞ。……こ、今度こそ狂ったのか?」
その言葉を聞いて、カトウが顔を上げ、にやつく口元を押さえながらくぐもったような声で言った。
「いや、とてもおかしいのだよ」
「な、何がだ」
カトウは口元から手を放しながら、にぃと口角を吊り上げていやらしい笑みをつくった。
「この程度が全力だと、君が言ったことが」
その瞬間、周囲の炎がマグカルゴの欠損した上半身へとまるで生きているかのように飛び掛った。それは蠕動するような動きを見せながら、マグカルゴの身体を這い回り、そして欠損した部分に吸い付くと瞬く間にマグカルゴの肉体の一部となった。燻る炎全てが、渦巻きながらマグカルゴに纏わり付き、欠損した部分を粘土細工のようにくねくねと動き回りながら修復していく。フランはその様子を言葉すら忘れて唖然として見つめていた。それほどまでに信じがたい光景だった。一度破壊したはずのマグマで作られた筋肉組織が繋ぎなおされ、その上に薄い炎が被さって表皮を形作っていく。さらに、その表皮を作った炎が細く引き伸ばされて視神経組織を作り出し、その頂点に拳ほどの大きさの黄色いてかてかとした眼球を再生していく。
それはシャドーボールをぶつける前までビデオテープを逆回しにしたようだった。数秒もしないうちに、マグカルゴは元通りの姿となり、その身体から命が吹き返したような赤い炎が噴出した。
「……自己、再生能力」
フランがマグカルゴを見つめたまま絶望的に呟くと、カトウは嗤いながら頷いた。
「そう。これぞ我がマグカルゴの真骨頂だ。周囲に炎さえあればいくらでも自分の身体を再生できる。たとえ頭が吹き飛ぼうが、身体の八割を消失しようがマグカルゴは不死身だ。こいつは炎の身体それ自体が脳であり、心臓なのだからな」
その言葉でフランは膝を落とした。――勝てない、そう確信したからだ。
今の話が真実ならば、マグカルゴを倒すには欠片も残さぬくらいに破壊するか、再生の元である炎を全て消すしかない。しかし、マグカルゴは攻撃時に炎を発するポケモンであり、炎はほぼ無尽蔵に出せる。さらに先ほどの全力のシャドーボールでも半分程度しか破壊できなかったというのに、一片も残さず破壊など出来るはずもない。ヤミラミの腕が両方あっても無理な話だ。
マグカルゴは向きかえり、その黄色い眼の中心にヘルガーを見据える。
「死に損ないにしてはよく頑張ったが、所詮はここまでだ」
カトウはそう言って指を鳴らした。それを合図にして、マグカルゴの口が開く。それを見たフランはカトウが何をするつもりなのか察し、思わず叫んだ。
「やめろ!」
その瞬間、マグカルゴの口から放たれた火炎がヘルガーの姿を覆い尽くした。塗りつぶされたように、紅蓮の中にヘルガーの姿は消えた。
絶望的に赤く染まる視界の中心にマグカルゴの姿が立ち現れる。マグカルゴの体表面で炎が渦を巻き、周囲の空気を焼き尽くさんばかりに荒れ狂う。
フランは呆然とそれを眺めていた。もう勝てない。それが分かった今、何もすることが出来なかった。
マグカルゴの口が大きく開かれる。顎が外れたような縦長の大口の奥で炎が虫のように蠢く。
そして次の瞬間、その炎が轟音とともに一斉に口の中から解き放たれた。火炎が雪崩のように押し寄せてくる。その中に両腕を失ったヤミラミが飲み込まれていく。腕を失っているために逃れることすら叶わず、咀嚼されるように徐々に焼き尽くされ炎の中をのた打ち回る。その黒い姿が炎の赤に完全に飲み込まれたのを見た瞬間、フランは祈るように目を閉じた。
せめて、他のみんなが無事逃げ切ってくれることを。
その願いを瓦礫と灼熱が覆い、フランの意識は闇に呑まれた。