第三章 四節「邂逅の裏」
サキが連れてこられた部屋は小さな部屋だった。
地下のために窓はなく全体的に閉鎖的な空気が漂っている部屋だ。照明も薄暗く、中心におかれた灰色の机が鈍い光を反射している。
――取調べ、というわけか。
サキは椅子に座りながら自嘲気味にそう感じた。
「さて。それじゃあまず、君の素性を教えてもらおうか」
サキの目の前に座ったメガネの男――エイタが柔らかく尋ねた。しかしサキはそれに反抗するような視線で睨むばかりで言葉を発しようとしない。それを見てサキの後ろでアスカがくすくす笑いを浮かべながら話し掛ける。
「女の子に名前を聞くときは自分から名乗るものよ、エイタ」
「あ、そうか。ゴメン」
エイタは申し訳ないといわんばかりの仕草でサキに侘びる。それをサキは無表情で見つめている。
「僕の名前はエイタ。ディルファンスの副リーダーだよ。まぁ、堅苦しい肩書きだけど実際はアスカのサポートとかが主な仕事かな。で、そっちが我らディルファンスのリーダー、アスカ」
エイタがサキの後ろのアスカを指して説明する。サキがそれに気づいて僅かに後方に視線を向けるとアスカがにこりと笑った。それを見てサキは渋い顔をして最初から見ていなかったかのようにエイタのほうへと向き直る。
「……さっきも言ったが私の名はサキだ。素性も何も単なるトレーナーだよ」
ぼそりとサキは言った。
「サキちゃんか。やっぱり、いい名前ね」
アスカが頷きながら言うと、サキは「ちゃんとか付けるな!」と激しく抗議した。だがそんなことは意にも介さずにアスカはニコニコとしてサキを見つめている。それでサキはこの女には何を言っても無駄なのだと言うことを悟った。
「そうか。それでサキさん」
「呼び捨てでいい。さんとか言われてもきしょいだけだ」
サキがエイタの言葉を遮って言う。
「そうか。じゃあサキ。君は何者なのか、教えてもらえるかな?」
「答えられない」
サキは即答する。しかしそれでは納得が出来ないのだろう、エイタが柔らかく追求した。
「答えられない、とはどういう意味かな。君は自分が旅する目的が分からない? それとも誰かにその目的を話すことを禁じられている?」
「……お前、その質問の仕方がやけにムカつくんだが。どうにかしてもらえるか」
ぴくりと頬を引きつらせてサキが言うと、これは失敬とエイタが応える。
「じゃあ質問を変えよう。あのカブト、誰にもらったポケモンなのか。それを教えてもらえるかな」
「貰ったという言い方は適切じゃない。少しの間だけ預かっているみたいなものだ」
「そうか。なら誰から預かった?」
「答えられない」
サキがぴしゃりと言い放つ。そこでエイタは質問に困って頭をかいた。その顔には困惑したような笑みが浮かんでいる。しかしエイタは密かに思考を巡らせていた。
誰に貰ったか答えられない。それはすなわち、知れれば自分の立場が危うくなるような人物から貰ったということに繋がる。
メガネの奥の瞳が怜悧な光をたたえる。エイタは目の前の少女の後ろにいるであろう人間を何通りも想像した。古代のポケモンを扱える人間というのは自ずと限られてくる。それはたとえば化石の研究員や、ポケモン専門の学者などである。だが化石研究員はありえない。なぜならばここカイヘン地方には化石研究の施設が存在しないからである。ならば二つ目のポケモン専門の学者なのか。だとすれば、その人物はそう多くはない――、とそこまで考えたとき、アスカが自分に目配せしていることに気づきエイタは思考を止めてサキを見た。サキは突然考え込んだエイタを怪訝そうに見つめている。それに気づき、エイタは慌てて取り繕ったような笑みを浮かべた。
「いや、ゴメン。少し考え事をしていてね」
出来るだけ自分が無害で何のとりえもない人間だと思わせる笑顔を選択して使用する。しかしサキにはそれが意味を成さないことをエイタは自ずと分かっていた。この少女はそう簡単には騙されない。それは身に纏っている空気で分かる。この少女はむしろ欺かれるよりも欺く側にいるのだと。
「そうか。それなら私も少し考えたことがある。言ってもいいか?」
サキがこの部屋に入ってから初めてエイタに対して質問する。それに少し驚きながらも、エイタは紳士的にどうぞと促した。
「どうしてディルファンスっていう組織は入っている人間全てを監視したりするんだ?」
サキがその質問をした瞬間、エイタとアスカの間に緊張が走った。それは明らかな動揺である。アスカはそれを悟られまいとすぐさま笑顔で仮面を作ったがエイタはそれが間に合わなかった。固く表情を強張らせたエイタの顔を見て、まるで付け入る隙を見つけたようにサキがにやりと笑みを浮かべながら尋ねる。
「どうした、急にそんな顔をして。私の質問がそんなに都合が悪かったのか?」
その言葉にエイタは言葉に窮する。中途半端な言葉を発すればすぐに食いつぶされかねない状況に喉が渇きを訴える。生唾をひとつ飲み込み、エイタは出来るだけ平静を装いながら慎重に言葉を選んで喋った。
「いや。何のことだか分からなくてね。監視、だっけ? あまりいい言葉には聞こえないな」
上手く誤魔化せたか、とエイタはサキの顔色を窺う。しかしサキはエイタの言葉に眉をひそめた。
「それはおかしいな。監視していないとしたらどうしてお前らは私の居場所が分かったんだ? まさか仲間同士の絆が距離を飛び越えた、とか馬鹿なことは言うまい。青いバッジの中に発信機か盗聴器か、またはその両方を付けていたんじゃないのか?」
サキの言葉にエイタは次の言葉が出なかった。それを否定するにも言葉を慎重に選ばなければぼろが出る。だが慎重に選んでいるうちにもサキは疑念を強める。エイタは僅かにアスカに目配せをした。アスカはその視線に頷く。
なんとしても隠し通さねばならない。ディルファンスが正義の組織であるためにも。
「そんなことは――」
ない、とエイタが言葉を発しようとした。
その時である。
突然、けたたましいサイレンの音が部屋の中に響き渡った。その音に緊張に包まれていた空気が張り裂け、エイタが立ち上がって何事かと辺りを見回す。サキもその音が何なのか確かめようと部屋を出た。その背中にアスカとエイタの声が届くがサキはそれに構わずに来た道を戻ってマコたちが居るはずのロビーへと走った。
ロビーに近づけば近づくほどにサイレンの音は大きくなる。やがてロビーの入り口に差し掛かったとき、サキはロビーの照明がおかしいことに気づく。確かにロビーの照明は洞窟とは思えないほどに明るかった。だが今、入り口から差し込む色は照明の明るさとはまた別ものの明るさだ。それは電灯の赤さではない。燃え盛る炎が発する赤と同等のものだ。
サキはその赤が射すロビーへと飛び込んだ。瞬間、焦げ臭いにおいが鼻を突く。そのにおいが無機物の焼けるだけのものではないことはサキにはすぐに分かった。炎を使うヘルガーを持っているためによく分かる。それは生物が焼ける臭いだった。
しかしロビーの中は炎で包まれ何が焼けていて何が焼けていないのかの判別が付かない。まるで壁のように炎の帯がサキの道を遮り、厚い赤が視界すら阻害する。サキは火花が漂い、熱が飽和して目を開けていることすら困難な景色の中で目を凝らして何が起こっているのかを見つめた。すると炎が踊る中心地で何かが激しくぶつかりあっているのが分かった。きっとポケモン同士がぶつかっているのだ。ならばあの場所に生きている人間がいるはずである。
「……ふざけるなよ、馬鹿マコ。つけを払わずに死なれてたまるか」
呟いてサキはその場所へと歩を進めた。