ポケットモンスターHEXA











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サキ編
第三章 三節「暗躍する影、ひとつの邂逅」
 カイヘン地方は上空から見れば縦長の土地である。

 急勾配も多く、決して住みやすい土地とはいえなかったがそれでも古来よりここに永住する人間は少なくはなかった。それはひとえに資源の豊富さにあるのだろう。山が多く近代では銅山として栄えた場所もあったという。海に面しているために水産業も盛んで、ここの土地の人々が飢えに苦しんだことは記録の中では一度もない。北のほうには広大な森林地帯も広がっており、そこにはポケモンの種類も多彩であったため、この土地の古くからのポケモンは人間とともに過ごしていた。

 だがそんなのどかな土地にも開発の波は訪れる。カントー地方からのリニアラインによる本土横断計画が挙がったときカイヘン地方のタリハシティもその計画の中に入っていることを知った住人たちは、最初は反抗した。しかしその反対運動は一ヶ月程度で鎮圧されることになる。ホウエン地方のロケット開発技術や、カントーの技術力に後れを取っていることは彼らも分かっていたのだ。その技術に追いつくためにはカントーの技術者を積極的に受け入れるための土台が必要だった。そのためにリニアライン計画を呑む必要があったのだ。

 だがリニアライン計画は思わぬ害悪をもカイヘン地方に招きこむこととなる。リニアライン計画が始動した当時、カントーで幅を利かせていた犯罪組織、ロケット団が頭を失って事実上壊滅した。それによる残党が各地へと散らばり、ジョウト地方での赤いギャラドスの騒動や後のマグマ団、アクア団への分岐を促すこととなった。そしてその火種はカイヘン地方にも飛び火する。リニアライン計画によって急速に進んだ近代化によって都心タリハシティへ参入した企業の中にロケット団の残党が忍び込んでいたことに誰も気づかなかったのだ。そしてそのまま近代化は進み、タリハシティは表の顔は重要な経済拠点となるのと同時に裏では犯罪者の棲みやすい街へと変貌していった。

 そのタリハシティの中でもっとも目を引く高層ビルがある。昼間は太陽光で銀色に輝く地上三十階建てのビルは海底に暗く沈んだように静まり返っている深夜のこの街においてもその存在感を示していた。

 このビルこそもっとも重要な経済的拠点、大企業シルフカンパニーのカイヘン支社である。

 そのビルの最上階に男がいた。眼下に昏睡する街を見下ろしながら、片手にワイングラスを握っている。高級ブランドの黒いスーツを着込み、その口元は勝利者の余裕からか常に笑みを浮かべている。

「――それで、ディルファンスの動きはどうなっている」

 男が窓の外を見ながら静かに口を開いた。それは男の後ろに侍る黒服の男に向けて放たれた言葉だ。

「相変わらず面倒な動きをする奴らです。先ほども二人、捕まったみたいですね」

 黒服は男の後ろで背筋を伸ばしながら口角を吊り上げて笑っている。それはまるで仲間を気にしているようではなく、この状況を面白がっているかのようだ。

 男は窓に映った黒服の顔を見ながらそれにあわせるように薄く笑う。

「だが、万事順調。そうなのだろう?」

 その問いに黒服は笑みを崩さずに答える。

「ええ。スカウトも上手くいっていますし、思ったよりもここは面白い人間が多い。先日もカリヤ殿に実験の報告を聞きに行ったときに面白い方に会いましたよ」

「ほう、それはどんな人間だった?」

 僅かに後ろの黒服へと男は目線を向けながら尋ねる。

「見た目は普通の少女。しかし私が見たところあれは相当な闇を持つ人間です。感情がまるで抑えきれていない。決壊寸前の理性でかろうじて持ちこたえているとでも言いましょうか。カリヤ殿の目を潰すほどの逸材です。ぜひともスカウトしたかったのですが」

「できなかった、か」

 男が黒服の言葉を引き継ぐ。それに黒服は残念そうに返事をする。

「……ええ。しかし手は打っておきました。上手くいけばこちらの手駒として使えるかと」

 その言葉に男は、そうかと答えて黒服のほうへと向きかえった。

「今は少しでも多くの戦力がほしい。ディルファンスに対抗するための力と、そして――」

「あの化け物を捕らえるための力、ですね」

 黒服の言葉に男は頷く。そしてグラスを掲げ、中の赤い液体越しに黒服を見た。

「時は満ちかけている。我々は来るべき時のために力を蓄えねばならない」

「存じております。月の石の実験も全てはそのために」

 黒服が恭しく頭を垂れる。

「だからこそ一日でも早い準備が必要。そのためならこのキシベ、いくらでもお力添えいたします」

 黒服の男――キシベが膝をついて忠誠心を示すかのように深々と頭を下げたまま言った。それを見て男は満足げに頷きながら返す。

「顔を上げろ、キシベ。我らはもとより同志。くだらない上下関係のしがらみなどに縛られる必要はない」

 それを聞き届けてキシベが顔を上げ、そして真っ直ぐに男の顔を見て言った。

「なんと心の広きお言葉。不肖ながらこのキシベ、感服いたしました」

 その忠義に満ちたキシベの言葉に男は強く頷く。

「我らの絆は強い。我らはひとつの大義のために動いているのだ。それはどの組織よりも、高い理想だ」

 そこで男は身を翻し再び窓の外の景色に視線を移した。深海にゆらゆらと揺れる夜光虫の光のような人工の明かりが景色を満たす。

「漫然と時を生きるものたちの目をもう一度覚まさせるのだ。そのためにはあの化け物の確保は絶対に必要」

 男の目が一瞬、暗い光を灯す。その目の奥にはこの世全てを憎むような歪な感情が浮かんでいる。

「そしてその前準備として、ディルファンスのネズミ共の死に様をご覧に入れましょう。既に草を放っております。きっと、彼らの血は我々の道を彩る華となりましょう」

 キシベの身に邪悪な悦びが走る。それに男は、ウムと重々しい威厳を含めた返事をする。

「そう。――すべては、ロケット団再建のために」

 赤い液体が揺れるワイングラスを目の前にかざして男は強い口調で言い放つ。

 その言葉にキシベは再び膝をついて忠義を示す。しかし、その口元には態度とは不釣合いな陰険な笑みが浮かんでいた。






















 タリハシティから南北に伸びる一筋のメインストリートは別名サイクリングロードと呼ばれている。二車線で道幅は十メートルほどあるかなり大型の道路だが、ここを通ることが出来るのはあるひとつの乗り物だけである。

 その乗り物の名は何を隠そう自転車である。これほどの道幅があるのに自転車しか走れないのは非効率に思われるかもしれないがそれにはもちろん理由がある。なぜならこのサイクリングロードという道は、全地区で適応されているポケモントレーナー専用の道であるからだ。これにはポケモントレーナーには少年少女が多いために自動車や自動二輪での移動手段はないという理由が強い。ポケモンで移動する方法を除けば、あとは徒歩か自転車しかないのである。そのトレーナーの移動手段を補助する目的で建造されたのがサイクリングロードだ。タリハシティがこれを採用した理由としては隣町との距離が離れすぎており、さらに一般道路には草むらが多く、いつポケモンが出現してもおかしくはないという状況が上げられる。そのために初心者のトレーナーや、一般人がタリハシティに効率よく到達するためにサイクリングロードが考案されたのだ。

 だがマコたちは今、その道の下を走っていた。視界の上に大きく影を落とし、月光を完璧に遮るサイクリングロードの裏の汚れたコンクリートを見つめながら、マコはディルファンスが用意した中型のジープの後部座席で揺られていた。草むらをタイヤが踏みつけるたびに、小さな鳴き声が響きポケモンが飛び出してくる。しかし無骨な緑色のオフロード仕様のジープは意に介さずにその鳴き声さえ踏みつけながら車体を大きく揺らして前に進む。マコはその揺れの中ぼんやりと前の座席を見つめた。運転しているのは先ほどバリヤードを繰り出した男である。運転するために黒いフードをはずしていて、端正な顔が見えていた。レンズが薄紫色のメガネをかけており、見事なハンドル捌きで悪路をものともしない走りを見せている。その隣の助手席には赤髪の女が窓の外を退屈そうに眺めながら座っている。マコはその女を知っていた。一度見た以外は雑誌でしか見たことがないために現実感がなかったがその顔はディルファンスのリーダー、アスカの顔だった。

 しかしどうしてリーダーが直々に動いたのだろう。疑問に思ってその顔を覗き込もうと首を動かした。だがそれと同時に不覚にもアスカと目があってしまった。芸術品のようなエメラルドブルーの透き通った目がマコを見つめる。それはまるで心の奥底まで見通すような青だった。マコがその目に見入られてどうしたらいいのか分からなくなっていると、アスカはふいにマコに笑いかけた。柔らくて女性的な笑みである。マコはそれにあわせてお世辞にも女性的とは言えない情けない笑みを浮かべ、一礼して俯いた。何だか自分がひどく恥ずかしいことをしたような気がして顔が熱かった。

「――で、いつまで走るんだ? いい加減飽きたぞ、まったく」

 その時隣から声が聞こえマコはそちらに目をやった。そこには先ほど自分を助けてくれた少女がむすっとした表情で前の座席の二人を睨んでいた。その腕の中に今カブトはいない。そのかわり少女の隣の男が膝に乗せていた。今、少女はマコの隣に座っており、その両隣をディルファンスのメンバーが座っていた。

「ごめんな。もうちょっとで着くから我慢してくれよ」

 膝に置いたカブトを撫でながら男が白い歯を見せながら爽やかに答える。長い金髪で、耳には幾つもピアスをしていて少し軽々しい印象だがその目には他人を思うような優しげな眼差しがある男だった。マコはこの男の顔を見たことがある。確か組織の幹部の一人で、名はフランといったか。

「うるさい。お前に聞いているんじゃないんだよ。私は前に座っている二人に聞いている」

 少女は相変わらずの傍若無人な態度でフランのせっかくの言葉を切り捨てた。その言葉にフランはまいったなとでもいうふうに肩をすくめる。するとマコの隣から小さく声が聞こえてきた。

「あ、あの……、そんな言い方はその、よくないかなって……」

 マコと少女が同時にそちらを見ると、声の主が「ひぃ」と口の中で悲鳴をあげて身体を震わせる。声の主は大分小柄な少女だった。おかっぱ頭にも見える髪形で短く刈りそろえており、横に紫色のリボンが黒髪のアクセントのように括り付けられている。その顔の大きくて丸い目が潤みながらマコと少女を映している。マコはこの小柄な少女も知っていた。フランと同じようにディルファンスの幹部の一人で、名はコノハである。

 コノハはその小さな身体に不釣合いなぶかぶかの黒いフードの服をつかみながら少女とマコの視線におびえている。何だか見ているだけでかわいそうに思える存在だ。少女もそれを理解したのかコノハから視線を外し、再び前の二人の後頭部を睨んだ。

「とにかく、行き先の目星もついていないのにこんなおんぼろジープで揺られる身にもなれって言うんだ。せめてあとどの位で着くのか教えろ」

 少女が胸の前で腕を組んで偉そうな口調で抗議する。すると助手席に座っていたアスカが少女に振り返った。

「ごめんなさいね。それは着いてから言う、って事じゃ駄目かしら?」

 お願いするように手を合わせてアスカは言った。だが少女にしてみればその態度が逆に気に食わなかったようでさらに反発する。

「ふざけるな。こちとら連行されている身なんだぞ。そんなふうに無害ぶってお願いしやがって。お前ら私を押さえつけて戦闘の邪魔をしたってことを忘れたわけじゃないだろうな?」

「もちろん忘れてないわ。でも、今はあんまり暴れて欲しくないなぁって」

 アスカがニコニコしながら少女を説得しようとする。だがその無害な笑顔は少女の神経を逆なでするばかりだ。

「あ、そういえばお名前はなんていうのかしら。まだ聞いていなかったわね?」

 アスカが笑顔で尋ねると、少女はそっぽを向いた。

「分からないと呼びにくいじゃない? 教えてもらえる?」

 アスカが笑顔を崩さずに同じ調子で言った。マコも少女が何という名前なのか気になっていたために、名前を聞けることを内心楽しみにしていた。

 少女はアスカのほうを見ずにそっぽを向いたまま、小さな声で言った。

「……サキだ」

「……サキちゃんって言うんだ」とマコが呟くと、少女――サキは急にマコの方に振り返って、鬼のような形相でマコの耳をつまみ上げた。

「痛い! 痛いってば! 急に何するの――」

「何するもあるか! ちゃんとか付けるな、馬鹿マコのくせに!」

 その様子を微笑ましそうにニコニコしながら眺めているアスカを見て、サキはマコの耳をつまんだまま、立ち上がってアスカにつかみかかろうとした。

「ニヤニヤするな! お前、私を嘗めて――」

 その時、不意打ち気味に先ほどまで揺れていたジープの車体が止まった。それでアスカにつかみかかろうとしていたサキの手は慣性の法則にしたがって身体ごと前のめりに倒れた。アスカはそれを見てくすくすと面白そうに笑っている。サキはそれを見て顔を真っ赤にして再びつかみかかろうとした。だがそれを寸前でメガネの男の声が制した。

「着いたよ。ここがディルファンス本部だ」

 その声にマコとサキは同時にメガネの男が示す方向を見つめた。

 そこには暗い洞窟が、闇に落ちた景色の中でぽっかりと口を開けていた。






















 マコは後ろから三番目に並んで洞窟の中を進んでいた。

 先頭はメガネの男がランタンを手に持って慣れた足で着実に前に進んでいく。その後ろは赤髪の女がこちらも慣れた様子でゆったりと進む。だが、マコは前の二人のような余裕は持てなかった。何度も地面のなんでもない突起で転びそうになり、天井からたまに垂れてくる水で小さく悲鳴を上げた。そしてそんな醜態を見せるたびに、後ろからサキの罵声が飛んできた。

「この馬鹿マコが。頭だけじゃなくて身体の動作もトロイのか?」

 そんな言葉が飛んでくるたびに、マコは目じりが着実に熱くなっていくのを感じていた。

 サキの後ろにはフランとコノハが控え、サキの動向を窺っている――はずだったが、コノハが怖がってフランの裾にすがり付いており、フランはそれを「怖くない怖くない」と頭を撫でて慰めながら歩いているので実際はそんなにサキのことは気にしていないのかもしれない。

 そうやって後ろに気をとられていると、マコはまた地面の凹凸に足を取られ前のめりに転んだ。

「またか。いい加減にしろ馬鹿マコ。現実世界でドジキャラを演じるな、この馬鹿が」

 舌打ちとともにサキの罵声がうつ伏せの身に飛んでくる。マコは涙と泥で汚れた顔を手で拭いながら、とぼとぼと歩き出した。

 その時、前でランタンを持っていたメガネの男が唐突に立ち止まった。マコは男が立ち止まった先に視線を動かす。見ると、男の前に洞窟のごつい岩壁とは不釣合いな金属製の扉があった。その横にはカードキーを通す専用の機械が設置されている。

 男はその機械に懐から取り出したカードを通した。すると扉が認識し、ゆっくりと開いていく。開いた先から暗い洞窟を照らす明かりが中からもれ出た。

「ただいま」

 男がその光に挨拶するようにその言葉を発したとき、扉が完全に開き中が見えた。

 マコは一瞬、自分の目を疑った。そこには今までの自然の茶色い壁とは打って変わってまるでホテルのロビーのような大理石の壁があった。男に続いて扉の中に入ってみると、この部屋が本当に洞窟の中なのかと思われる。天井は高く、降り注ぐ光は暖色で明るい。床は光沢が出るほどに磨かれており、洞窟特有の閉塞感が感じられないほどに照明を照り返してまばゆく輝いている。

 メガネの男とアスカはそのまま奥へと行き、そこに待っていた人々となにやら談笑している。そこにいた人々は皆胸に五角形の青いバッジを輝かせている。つまりここにいる人間はすべてディルファンスのメンバーだということだ。

 マコがその人々の様子をぼうと見つめていると、ふいにアスカがこちらを見て手招きした。

「え? 私?」

 自分を指差してマコは女を見つめる。すると後ろから後頭部を叩かれた。

「馬鹿。多分私だ」

 サキがマコの横を通り抜けてアスカのほうへと歩いていく。マコは叩かれた部分を押さえながらその背中を見つめた。

 サキはアスカとなにやら話している。見ているとアスカはニコニコとしているがサキは終始仏頂面だ。何であそこまで温度差があるのだろうと思って見ているとふいにサキの声が聞こえた。

「何だそれは? 脅迫のつもりか?」

 脅迫。そんな物騒な言葉に何人かがそちらを見るがアスカの笑顔を見て大丈夫だと感じたのか視線を元に戻す。その時アスカはふとマコの後ろを見てサキに何か言った。マコはその視線の先を見る。

 そこにはフランとコノハがいる。フランの腕にはカブトが抱えられ、なれない手に緊張しているのか身体を固く強張らせている。

「じゃあ、こっちに来て」

 その言葉にマコは振り返った。見るとサキはアスカとメガネの男の後ろに追随して奥の部屋に入っていくのが見えた。

 マコがそれを見ているとサキが僅かにこちらを見た。赤い眼がこちらの姿を捉える。だがそれも僅かな間だった。すぐにサキは視線を前に戻してアスカに促されるまま部屋の中へと入っていった。

 扉が閉められる。青いバッジをつけた仲間たちはそれを気にする様子でもない。だがマコだけは胸騒ぎのようなものを感じていた。先ほどの赤い眼を思い出す。あの強気なサキが助けを求めるとは思えないが、もしかしたら自分についてきて欲しいと思っていたのではないのだろうか。そう思って扉に向けて駆け出そうとした。だがその時、肩を後ろから掴まれ引き止められた。強い力にマコは振り返る。

 そこにはフランがいた。コノハもこちらを見ている。

「……どうして?」

 マコは知らず呟いていた。その言葉にフランは首を振る。

「君が行ってもどうにもならないよ。それに別に取って食おうってわけじゃない。大丈夫。アスカさんとエイタさんなら上手く取り計らってくれるはずだから。とりあえずは状況確認、ってわけさ」

 そう言ってフランは爽やかに笑って肩から手を離した。フランの言葉には嘘はない、それは何となくマコには感じられた。しかし不安は拭えず、マコはサキの姿の消えた扉の向こうをじっと見つめ続けた。

オンドゥル大使 ( 2012/08/02(木) 21:49 )