ポケットモンスターHEXA











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サキ編
第三章 二節「赤い眼の少女U」
「――なるほど。つまりお前はくだらないお使い程度のことでディルファンスを名乗り、そのギネス級の軽はずみ発言のせいでマヌケにも敵対勢力に襲われていたというわけか。やはり顔に違わぬ馬鹿さ加減だ。ある意味賞賛に値するな」

 そこまで言って少女はなみなみとグラスに注がれたオレンジジュースをストローで力強く吸い上げた。あまりにも容赦のないその言葉にマコは少女の向かいの椅子でうなだれる。

「そんなにはっきりと言わなくてもいいのに……。私だって悪気があったわけじゃないもん」

「当たり前だ。悪気があってそんなことをやったんだとしたらお前は本当に救いようがない。島流しにでもしてもらえ」

 そう言ってオレンジジュースの隣のパフェの頂点にある特大アイスクリームをスプーンでつついてそれを頬張った。そのアイスの冷たさが脳天に響いたのか目を強く閉じて、鋭い刺激に耐えるように目じりに涙を溜めている。それだけ見ていれば歳相応の少女なのに勿体ないとマコは思った。

「ん? なんだニヤニヤとして人の顔を見て。訴えるぞ」

 マコの視線に気づいた少女がアイスの冷たさに目を潤ませたまま睨みつけた。それにマコは視線を逸らす。

「いや、別に。……でもちょっと食べすぎじゃない?」

 マコが少女の前にずらりと並んだスイーツの皿を指差して言うと、少女は何を言っているのだという目でマコを見た。

「私はお前の命の恩人だぞ。この程度で文句を言うとは、みみっちい性分だな。言っておくがこれでもまだ足りないくらいだ。お前の愚かしさをお前自身に分からせるには――。おっと。店員さーん、ピザ追加してくださーい」

 少女が店員を見つけて先ほどまでの口調が嘘のような無邪気な笑顔を浮かべながら歳相応の少女の声で言った。それを見てマコが吐きそうな顔をする。

「何? 今の声。って、いうかまだ食べる気?」

「当然だ。お前は恩人に出し惜しみをするのか。まったく礼儀のない奴だな。どこをどう間違えればこういう馬鹿になるのだか」

 そう言ってパフェのコーンを手で取って半分頬張った。すると腕の中のカブトがもぞもぞと動き、小さい足を伸ばす。

「ん? 何だカブト、これがほしいのか」

 コーンを手元で揺らしながら少女が言う。するとカブトが頷くように、頭を沈ませた。少女はそんなカブトにコーンを手渡す。すると甲殻の裏面から、小さな足が伸びコーンをつかんだ。そのまま甲殻の裏側でむしゃむしゃと咀嚼する音がする。マコはそれを感心したような顔で見ながら、カブトを指差した。

「この子って古代のポケモンのカブトよね。どうしてそんな珍しいポケモンを持っているの? あなた何者?」

 マコの質問に少女はオレンジジュースをストローで吸いながら気だるそうに答える。

「ちょっとしたお使いだ。それ以上は言いたくない。というか馬鹿に言っても多分理解できないだろう」

 そう言ってパフェのスポンジ部分をつつき始めた。パフェとの戦いは早くも佳境に入っているようだ。すでに最下層のスポンジ部は半分ほど平らげられている。

 そして瞬きしている間にもそれはどんどん減っていく。マコはそれを驚愕の眼差しで見ながら、

「バカバカって……。それよりもお使いってどういう事なの? というか古代のポケモンを持つお使いって何?」

「ひちょのこちょをきちゅまえに、じぶんのこちょをいえ」

 ストローをくわえたまま少女は言った。

「え、何?」

「人のことを聞く前に自分のことを言え、と言ったんだ」

 ストローから口を離して少女が言った。それでやっと納得したようにマコが返事をした。

「え、ああ。そういえば名乗ってなかったっけ。えっと、私の名前はマコっていうの。助けてくれてありがとう。よろしくね」

 最大級の愛想を示して手を差し出す。しかし少女は差し出された手を不審そうに見ながら、マコに再度問い直した。

「で?」

「へ? で、って何が?」

 意味が分からず首をかしげると、少女が苛立たしげにスプーンでパフェのスポンジ部分を突き刺した。。

「馬鹿≠ナはなくマコ≠セということは分かった。でもそれだけじゃないだろ。えっと、なんだっけ。でぃ……、る、何たらこうたら」

 少女が髪を掻きながらなにやらうなる。思い出せないのか、苛立たしげにオレンジジュースをストローでかき混ぜる。

「ディルファンスのこと?」

 マコが言うと、少女は「そう、それ」とマコを指差して言った。

「そのディルファンスとやらに何でお前は属しているんだ? 何が面白い?」

 その質問にマコは言葉につまった。何が面白いか、と改めて問われると少し答えづらい。マコはできるだけ波風の立たない平凡な答えを自分の中に探そうとする。

「えっと……困っている人を助けられるから?」

 その言葉に少女が馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「――ハッ! 馬鹿か。ディルファンスっていうのは社会の悪に立ち向かうって言うお題目を掲げた自警団なんだろ。困っている人を助けるって……、お前そんな意識で動いているのか?」

 少女のその言い方にマコは少しむっとした。確かに言い方が浅かったかもしれないが、困っている人を助けるのも立派な理由ではないのか。そう反論すると少女が冷静に返した。

「お前なぁ。社会の悪に立ち向かうって言うのはつまり相手の陣地に殴りこみをかける事だって辞さない、っていうことなんだぞ。少しでも怪しい行動を取ればこちらからの武力の行使もあるとわざわざ大衆の前で言っているんだ。なんともまぁ、オープンに喧嘩を吹っかける組織じゃないか。それをお前……ゴミだしを手伝うっていうレベルにまで貶めて。そんなのだからあんな雑魚どもになめられるんだ」

 少女の言い方はどこか醒めきっているようなものの言い方だった。まるで外側から冷静に眺めている傍観者の視点だ。マコはその視点からの物言いがどうにも癇に障ったが、それでも言い返せるような理念を持っているわけでもなかった。

 しゅんとしたマコの姿を見て、少女がため息混じりに言い放つ。

「どうしてお前なんかがディルファンスなんかに入ったんだ。別にディルファンスでなくてもよかったんじゃないか?」

「そ、それは……」

 言葉を濁す。確かにどうして入ったのかと問われれば明確な理由はない。大多数の人間と同じように、単純な憧れからディルファンスに入ったというのが真実だが、そこには何の信念もない。憧れだけが暴走して、後先をまったく考えていなかった。そのつけが、今回のようなことに繋がるのかもしれない。それを自分より小さい少女に問われているのがなんとも情けなかった。

「ほら、答えられない。どうせくだらない憧れで入ったんだろ。本当に馬鹿だな。あ、店員さーん。あんみつお代わりくださーい」

 少女が手を上げて店員を呼び止める。その時、ドンと机が振動し空になったパフェのグラスが揺れた。少女がそちらを見ると、マコが俯き加減で立ち上がっていた。肩がわなわなと震えている。

「どうした? 急に立ち上がって」

 少女が問いかけると、マコは突然駆け出した。そして一目散に出口へと向かっていく。それを目で追いながら少女は舌打ちした。

「言い過ぎちまったかな。……まぁ、いいか」

 その時、ちょうど店員がやってきて、特大のピザをテーブルに置いた。熱々のピザ生地の上でチーズの香りが湯気とともに立ち上ってくる。ごゆっくりどうぞ、と店員が言って去っていく。少女はピザを見つめながらため息をついた。

「一人で食べてもおいしくないのに。なぁカブト」

 腕の中で撫でながらそう言うと、カブトは頷くように頭のほうを下げた。























 マコは繁華街を歩いていた。

 足に力を込めてずんずんと歩くが、次第にそれも気だるくなって最後には普通の歩き方になっていた。そして今になってくだらない意地を張ったことを後悔していた。

 少女の言い方にとげがあったとはいえ年上ならば耐えるべきではなかったのか。いや、それでも耐えられない理由があったのだ。それはディルファンスに所属する理由をえぐられたことだ。

 ただの憧れでディルファンスにいるということをどうしても少女には言えなかった。それがどれほど愚かしい理由か自分自身がよく知っているからだ。そして今、自分のいる場所がどれほど脆いのかも分かっているつもりだった。信念のないものはディルファンスにいても仕方がない。そう分かっていても自分のいる場所を捨てられないのは弱さから来るものなのだろうかと、マコは思いその場に立ち止まった。

 そこは小さな河にかかった橋だった。紅い橋の上で立ち止まり、川面を見つめながらマコは思案していた。自分がディルファンスにいる確固たる理由が欲しくて水面に映る自分の姿を見る。そして自分の胸元に輝く青い光を見つめた。

 それはディルファンスの構成員であることを示すバッジだった。五角形の形をした青いバッジはディルファンスの構成員全員に配られるものだ。そしてその後ろにはマコの名前が彫り込んである。マコはこのバッジが誇りだった。このバッジが自分の手元にある間自分はディルファンスの構成員なのだと自慢できた。このバッジをいつまで見ていても飽きなかった。これが自分というものを支えるたった一つのものなのだと思えたからだ。

 だがそんな誇りさえ少女の言葉の前では弱過ぎた。少女の言葉は痛いほどの正論だった。ただの憧れに生きていたマコにとって、少女の出し抜けに放たれた言葉は漫然と時を過ごしていただけの日常に穴をうがつものだった。そして考えさせられた。自分が今、この場所にいるわけを。少女はヒーローのように自分を助けてくれたわけでもなく、自分を蔑んだだけだ。それでも少女は決して間違っていたわけではなく、間違っているのはむしろ自分なのだと少女の言葉を思い出せば思い出すほどによく分かった。

 マコはため息をついた。すると、水面に映るマコも同じ動作をする。

「……少し、大人げなかったかな」

 呟いて、そういえばお金も払わずに店を出たことを思い出す。せっかくの恩人だったのに、これでは恩をあだで返したのと同じだ。

 戻ろう、とマコは思った。あの少女が許してくれるとは思っていないが、それでも戻らなければという気持ちがあった。

 川面から視線を外し、もと来た道を戻ろうとすると目の前に誰かが立ちふさがった。それを避けて通り抜けようとするが、その人物はマコの道を執拗に塞いだ。マコは少しいらだってその人物の顔を見る。

 見た瞬間にここに来たことを後悔した。

 それは先ほどのロケット団の男二人組みだった。気づいたマコは逃げようとするが遅過ぎた。すぐにロケット団の男たちの手がマコの服を引っ張って捕まえる。マコは手を振るってそれに抵抗した。

 そんなマコの口元に男の一人がハンカチのようなものをかぶせる。すると急に意識が朦朧とした。きっと睡眠薬のようなものをかがされたのだろう。身体に力が入らない。昏倒するように目線が焦点を失っていき、思考の方向性が定まらなくなっていく。閉じようとする意識の中で何かがカランと橋の上に落ちた。

 それはディルファンスの青いバッジだった。五角形の青い光だけが視界の中におぼろげに映る。だがそれも輪郭を失って消えていく。マコはそれに手を伸ばそうとした。しかし指に力を入らず、視界も色をなくしバッジの姿も消えた。

 ――あのバッジだけは。

 そう思ったのを最後にマコの意識は闇に飲まれた。





















 カタカタと等間隔に鳴る換気扇の音が耳に届く。

 換気扇のプロペラが回るたびに、影と陽が入れ替わりにマコの瞼の上に落ちる。それを感じてマコは僅かに目を開けた。

 ぼやけた視界の中に巨大なプロペラが映し出される。それが一周、二周と大きく回転するとやっと視界がはっきりとしてくる。景色が明瞭になると同時に思考も靄が晴れたように明確になってくる。

 そこでマコはここが自分の知る場所ではないことに気づいた。ハッとして身体を動かそうとする。しかし手足が鉄柱に縛り付けられているようで身動きが取れなかった。何度も解こうと身をよじるが、縄が皮膚に食い込むばかりで一向に解ける気配がない。マコはひとまず解くことは諦めて、周囲の景色を見つめた。

 周りには鉄製の巨大な器具が所狭しと置かれていた。ベルトコンベアが敷いてあり、幾つものボタンとランプが点在していたがどれも埃を被っており、今も稼動しているようには見えなかった。鉄製の器具は全て表面に錆が浮いており、巨大な換気扇から時折覗く陽射しがその錆を生々しく映し出した。それはまるで遥か昔に死したまま放置された屍を思わせる。

 それらを見つめながらここは廃棄された工場の中だとマコは悟った。カイヘン地方にはこういった廃棄工場は珍しくない。どの町にも急な重工業化に浸透できずに形だけで始めた工場があり、そういったものたちが結局生き残れずにこういった末路を辿るのだ。それは憧れだけで組織に入った自分の末路をも思わせる。

 その時、突然人の気配を感じてマコは振り向いた。見ていると鉄の器具の陰から二人組みの男たちが出てきた。その顔には下卑た笑みが張り付いている。マコがその二人を睨むと男の一人が可笑しそうに笑う。

「何だ? その顔は。そんな顔したって誰も助けに来るわけねぇだろ」

 その言葉にもう一人の小太りの男が含み笑いのようなものを漏らす。

「なんたってここは誰にも知られてない場所だからな。まぁ、運が悪かったと思うことだ」

 そう言って男たちはマコへと近づいてくる。マコは身をよじって、何とか縄から抜け出そうとするがきつく縛られた縄はまったく動かない。

「ひひひ、無駄だよ。絶対に取れはしない。それよりも、よくもあそこまでコケにしてくれたな」

 細身の男の一人が近づきながら、腰のモンスターボールに手を伸ばす。そしてそのボールの中央にある緊急射出ボタンを押した。

 するとボールが男の手の中で二つに割れ、中から光に包まれた巨体が前方に出現する。それは光を振り払いながら男たちとともにマコのほうへと向かっていく。

「お礼をしてやるよ。――なぁ、ストライク」

 細身の男がそう言うと同時に巨体にまとわりついていた光が晴れた。そしてその姿があらわになる。

 それは緑色の身体をしていた。両の手が鋭い鎌のようになっており、背中には翅がある。それはまるで蟷螂のような姿だったが、蟷螂と違うのは二足歩行をしているという点だ。そして顔も蟷螂のような昆虫的な顔ではない。まるで獣のような牙がある鋭角的な顔をしていた。その顔にある鋭い眼がマコを睨む。それは虫の属性を持つポケモン、ストライクだった。

 ストライクは両手の鎌を研ぐような仕草を見せながらマコへと近づいていく。その様子にマコは恐怖した。あの鎌が皮膚に触れれば瞬く間に切り裂かれる。そう思った瞬間、今すぐ逃げなければと今まで以上に激しく身をよじって縄から抜け出そうとする。しかし縄は硬く縛り付けられ、ちょっとやそっとでは抜け出せそうにない。

 その様子を見て小太りの男が陰湿な笑みを浮かべる。

「だから無駄だって言っているだろ。それよりも素直に俺達の礼を受けろよ。そうすりゃ殺しはしねぇよ」

 下卑た笑い声を響かせながら男たちは近づいていく。その距離はもう目前だった。マコは何とか自分のモンスターボールを取ろうと縄から片手だけでも出そうとする。しかしそれさえかなわず、ついにストライクと男たちはマコの目の前まで到達していた。

 ストライクの凶暴な眼がマコを見下ろす。その眼を見ていられずにマコは思わず目をつぶって俯いた。その瞬間、男の舌打ちが耳に届く。

「ストライク」

 男がその名を呼ぶとストライクはその大きな鎌を勢いよく振りかぶり、それをマコへと向かって横薙ぎに振るった。

 頭のすぐ上を掻っ切っていく鎌の音にマコは小さく悲鳴を上げる。ストライクの鎌が通ったあとの鉄柱には生々しい傷跡が残された。その傷は鉄柱の三分の一ほどに深く達している。

 その時細身の男が俯いて震えているマコの髪の毛を乱暴に鷲摑みにして持ち上げた。鋭い痛みにマコはうめく。

「目を開けろ! てめぇが怖がらなきゃ意味ねぇんだよ!」

 汚い唾を飛ばしながら男が叫ぶ。マコはそれで目の奥が熱くなっていくのを感じた。どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。恐怖がマコの胸を締め付け、涙が頬を伝う。それを見て男が乱暴にマコの頭を離した。まるで投げるように離されたせいで後頭部を強く後ろの柱にぶつける。鈍い痛みが頭を揺さぶる。

「そうだよ。そうやって泣けばいいんだ。ストライク! もっとお礼をしてやれ」

 その言葉でストライクの鎌がマコの鼻先をとんでもない速さで通る。それにマコは身体を小さくして耐える。すると今度はマコの頬のすぐ隣を鋭い刃が通過する。それは直接マコに当たりはしなかったが、あまりに凄まじい勢いのために衝撃波がマコの頬を薄く切りつけた。頬から流れる熱にマコは嗚咽しながら目を閉じた。だが目を閉じれば、男の一人が髪の毛を荒々しくつかんで目を開けろと要求する。そしてまたストライクの鎌が自分のすぐ傍を何度も切り裂く。

 やがてそれが何度続いたかと思われた頃、小太りの男が唐突に言った。

「飽きたな」

 それでマコはこれでこの悪夢のような出来事が終わるのだと思った。僅かな希望に涙と鼻水で汚れた顔を上げる。

 しかしその希望は次の男の一言で打ち砕かれた。

「もう用済みだ。楽しむにも足がつくし、バラバラにして後の処理は俺らより下に任せちまおう」

 その言葉に細身の男が頷く。それで細身の男がストライクに指示を出した。ストライクは凶暴な光を一層眼にたたえながらマコを見据える。そして鎌を高く掲げた。

 それでマコはもう自分は助からないのだと悟った。鎌が振り下ろされ視界が断絶される、目前に迫ったその瞬間にマコは目を閉じる。すると脳裏に今までの出来事が走馬灯のように駆け巡る。ディルファンスに入ったときのこと、アスカに会ったときのこと。一瞬のうちに駆け抜ける記憶の中には先ほどの少女の姿もあった。

 少女のこと思うとマコは申し訳ない気持ちになった。口が悪かったがそれでも自分を助けてくれたことは事実なのだ。それなのに自分は恩もろくに返さず勝手に怒って飛び出してしまった。

 目じりから涙が流れる。思えばこの涙の味を感じるのもこれで最後になるのだろう。間もなく鎌が思考を切り裂き、何も感じられなくなるだろうから。

「やれ。ストライク」

 細身の男があっさりと終わりの一言を告げる。それでストライクの鎌がマコに向けて真っ直ぐに振り下ろされた。俯いて唇を強く結び痛みに耐えようと身体を固くする。空気を切り裂いて頭上から落下してくる鎌が脳天を叩き割る寸前まで迫る。

 マコは閉じた口の中で少女への謝罪の言葉を発した。

 ――ゴメンね。

「――謝ってすむ問題じゃないだろ」

 その時、突然廃工場内に声が響き渡った。その声にストライクがマコの頭まで数ミリと迫った鎌を止め、辺りを見回す。男たちも声の聞こえてきた方向を探すように首を回している。マコは俯いたまま片目を僅かに開け、声が聞こえてきたほうを見つめた。

 見つめた先には廃工場の入り口だ。そこに影が立っていた。小柄な影で顔が逆光でよく見えないがそれは紛れも無くマコを先ほど助けた少女の姿だった。少女は仁王立ちして男たちのほうを真っ直ぐに見ている。

「ったく、こんなところまで来させやがって。あとあそこの代金はお前のつけにしておいてやったからな。後で払えよ」

 こちらに有無を言わせない相変わらずな口調が聞こえてくる。だが今のマコにはそれが何よりも頼もしかった。顔が陰になって表情は読み取れなかったが、その小憎たらしい声が響くたびにあの少女であることをマコは確信した。

 男たちも先ほどの少女であることを分かったのだろう。下卑た笑みを一層引きつらせて、叫んだ。

「あのガキか。さっきはよくも邪魔してくれたな! 今度こそただじゃすまねぇぞ!」

「ほぅ……、どんなふうにただじゃすまないというんだ? どうせお前らのポケモンじゃ私のヘルガーには敵わないだろう?」

 余裕のある口調で少女が言う。それを聞いて小太りの男が口元を吊り上げた。

「ああ、確かにお前のヘルガーには敵わないだろうさ。だからこそ――」

 小太りの男が手を高く掲げる。そして指先をパチンと鳴らした。

「狙うのはポケモンじゃあない。ストライク!」

 男が上方に向けて叫ぶ。その瞬間、少女の真後ろに何かが落下した。少女がそれに気づいて振り返る。しかし遅過ぎた。少女が振り返ってそれの姿を視認する前に、斜に振るわれた鎌が少女の身体を切り裂いた。

 音も無く無慈悲に振るわれた鎌は少女の細い身体を完璧に通過していた。少女が斬られた衝撃に反り返るような仕草をするとその上半身が無造作に落ちた。暗い工場内に重い音が響き渡る。それを見た瞬間、マコは叫んでいた。意味を持たない叫び声が錆付いた鉄器に反響する。それを打ち消すように男たちの下品な笑い声が響く。

「さっき邪魔をされたばかりだからな。しっかり手は打っておいたんだよ。来い、ストライク」

 小太りの男がそう言うと少女を切り裂いた影がこちらに向けて歩き出した。マコはそれを見る。その姿は先ほどまで自分を痛めつけていた姿と同じ、ストライクだったが体表の色が僅かに異なった。新たに現れたストライクの色は闇に近いような紺色だった。その鎌の表面が赤く汚れている。それが少女の血だと気づいた瞬間、マコの背筋を毛虫のような悪寒が走った。

「さて。邪魔者は排除したし、後はコイツだな」

 細身の男がそう言ってマコへと視線を向ける。濁った薄汚い眼差しがマコを見て悦楽に歪んだ。

 二体のストライクがマコへ向けてゆっくりと歩き出す。マコはもうどうしようもないと諦めて力なく俯いた。少女も死んだ、誰も助けに来ない。絶望へと沈むように、視界がぼやけていく。

 ストライクが凶暴な衝動に雄叫びを上げる。そしてマコへと向けて獲物に群がるかのように勢いよく走り出した。  

「――馬鹿が」

 その時突然に声が響いた。男たちはその声にきょとんとし、お互いを見合う。

 刹那、真横から放たれた業火に二体のストライクは飲み込まれた。

 その炎は錆付いた鉄器を焼き、表面を溶かしながら工場の端まで焼き尽くす。男たちはそれに驚いて炎が放たれた方向へと目をやった。

 すると最初に目に入ったのは黒く細長い肢体だ。狗のような姿の頭部に鹿の頭蓋をつけている。睨む眼光は炎を映し、赤く煮えたぎっている。罪人を食いちぎる鋭い歯がのぞき、赤い口腔内を震えさせそれは鋭く咆哮する。

 男たちはその姿におびえたように後ずさりした。それは紛れも無く少女のポケモンであるヘルガーだったからだ。

「どうして? 何で?」

 細身の男が声を裏返して情けなく呟く。その時、工場の二階のほうから音が聞こえた。その音に男たちが視線を向ける。それは錆ですっかり茶色くなった階段から聞こえてきていた。音は階段を降りる音だ。その音のリズムに合わせながら歌が聞こえてくる。

 その歌にマコは顔を上げた。そして階段を降りてくる人物を見つめる。

「なるほど。ポケモンが倒せないならばトレーナーを、か。……どこまでも下衆な奴らだ」
その人物は腕の中のカブトを撫でながら階段を降り切り、男たちを睨む。それを見て男たちが否定するように首を横に振った。細身の男が声を震わせながら叫ぶ。

「お、お前は死んだはずだ!」

「安い台詞だな。さすが屑どもだ。低級な台詞がすこぶる似合う」

 その人物――先ほどストライクが切り裂いた少女が口元に笑みを浮かべながら手を叩いた。それを見つめながら小太りの男がストライクと少女の死体を示しながら叫んだ。

「だ、だがお前は確かにこのストライクが……。あそこに、あの場所にある死体は……!」

「ああ、あれか」

 少女がパチンと指を鳴らす。すると上半身と下半身に分かれていた死体が、どろりと融けだした。ストライクの鎌の表面についていた血も同じように融けて、ゲル状になって地面へと垂れる。そして細かい紫色のゼリーのようになったその物体は這うように先ほどまで死体だった大きな塊へと向かっていく。それらは混ざり合い、紫色の巨大なゲル状の物体を作り出す。粘土のように何度も何度も歪曲し、変形しながらそれは形を作っていく。やがて水たまりのように薄く伸びて広がったそれの中心にゴマのような目が浮き出たかと思うと、小さな口がその下に出現した。そしてそれは生物のように這いながら少女のほうへと向かっていく。

「こいつはメタモンという。何にでも変身できるポケモンだ。まぁ、変身したところでこの適当な顔は変えられんから近づけば正体はすぐに分かるんだが、あの距離と逆光ではこいつの顔は見えなかっただろう」

 それを聞いて男たちはそう言えば少女の顔は一度もはっきりと見えなかったことを思い出す。

「上手く罠に嵌めたつもりだったんだろうが自分たちが嵌められていたなんて気づかなかったんだろう。まったく、とんだ馬鹿共だな」

 近づいてきたメタモンをボールに戻して少女はマコへと視線を向けた。少女の目がマコの頬の傷や切り裂かれた服を捉えたとき、少女の目が僅かに細くなり冷たい色をたたえた。

「……下衆な真似をしてくれたらしいな」

 低い声で少女は言って男たちを睨みつける。赤い眼に射竦められて男たちはたじろいだ。それを取り繕うように細身の男が首を激しく振り叫ぶ。

「だ、黙れ! 我々を散々コケにした罰だ。お前も同じ目に遭わせてやろう、ストライク!」

 男がストライクを呼ぶ。だがその声に反応した二体のストライクが動く前に少女が冷徹に呟く。

「――無駄だ。ヘルガー」

 ヘルガーの口が開き、口腔内にマグマのような熱が凝縮されていく。有り余った熱量が唾液となって地面を黒く焦がす。それに気づいた男がストライクに戻るように指示をしようとしたが既に走り出していたストライクにはそんなことは出来るはずもない。

「焼き尽くせ」

 少女が短く簡潔に告げる。その瞬間、赤黒い地獄の業火がストライクの姿を消し潰した。ヘルガーの身体以上の大きさの炎が口から放射され、ストライク達はその炎に持っていかれるように身体を焼かれていく。鎌が熱で融け、翅が端から焦げて消えていく。薄い殻のようになっている皮膜が蒸発し、内部があらわになっても炎は止まらない。身体の底から焼き尽くさんほどの炎には容赦が無い。絶え間ない熱が喉を焦がし、筋組織を根こそぎ消滅させていく。

 やがて炎がやんだ頃、ストライクの姿は半分も残っていなかった。地面のコンクリートがとけ、溶岩のようになった床にすすにまみれた泥人形のような物体が浮かんでいる。それがストライクだと分かったとき、男たちは腰を抜かして尻から地面に落ちた。その姿に少女とヘルガーの視線が注がれる。

 赤い眼と獣の瞳が同時に男たちの姿を貫く。そのあまりの鋭さに男たちは小鹿のようなうめき声をもらし、目をわなわなと振るわせる。その瞳の中で少女とヘルガーが動き出した。

 ゆったりと歩きながら近づいてくるその姿に男たちは尻を地面についたまま後ずさりをする。その情けない姿へと少女の言葉が投げられる。

「どうした? 怖いのか、私が。だがあそこにいるマコは、これ以上の恐怖を味わったんだ」

 強い口調で少女が言う。それを受けて男たちが頭を振りながらかすれた声で助けを懇願する。

「た、助けてくれ。見逃してくれ、お願いだ」

「マコがそう言っても、お前らは許さなかったのだろう?」

 冷たい足音が響き、男たちへと向かってくる。それはさながら来る死の足音に似ている。

 歩きながら少女はストライク達のほうを見た。ストライクは泥のようになりながらもまだ生きていた。鎌がなくなった腕を溶解した地面につけて、肩との境目が分からなくなった首を上げて叫ぼうとしている。だが既に声帯が焼ききれているために声を出すことが出来ないのか、口のような場所がパクパクと動くだけで何も発声することが出来ない。

 それを見て少女がいい事を思いついたとでもいうふうに声を弾ませて言った。

「そうだ。お前らもあんなふうにしてやろうか。主人が自分と同じ姿ならあいつらだって苦しまないだろう?」

 少女が男たちへと指を向ける。するとヘルガーの口が開き、喉の奥から赤い灼熱がせりあがってくるのが見えた。男たちはまるでいやいやをするかのように何度も首を振った。

「これは報いだ」

 男たちに向けて少女の言葉が放たれる。男たちはそれで少女の姿を改めて見つめた。瞳が男たちの姿を断罪するかのように赤い光を発している。それを見て男たちが叫びを上げようと口を大きく開いたが隙間風のような音が漏れるだけで声にならない。その目から涙がこぼれ、鼻からは粘っこい鼻水が垂れている。

「くそみたいな姿だな。その姿のまま蒸発して消えろ」

 蔑みの目で少女は男たちを見、そして最後の言葉を告げた。

「ヘルガー。火炎放射だ」

 主の言葉を受けたヘルガーが口腔内にためた熱線を放射する。それが男たちの視界を真っ赤に塗りつぶしたとき、少女は嗤っていた。


























「バリヤード、光の壁!」

 その時、突然に声が響き攻撃の瞬間の享楽に浸っていた少女は驚いて周りを見渡した。その瞬間、何かが飛び出し男たちを守るようにして火炎放射の前に立ちふさがった。少女はその姿を視認する。

 それは人間のような肌色の四肢を持つ細身の二足歩行のポケモンだった。饅頭のような顔で頭両端には髪の毛のような鶏冠がついている。白い玉の胴体に赤い玉が多数ついておりまるでピエロのようだ。そのポケモンは白い手袋のような両手を火炎放射が目前に迫る中で、五本の指をしっかりと開きそこに壁があるかのように真正面に突き出して固定した。

 その瞬間、そのポケモンの前に五角形の皮膜が形成される。中空に半ば浮くようにして形成されたそれは薄い金色に光りながら輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。そのポケモンは皮膜を盾のように構え、真正面から火炎放射を受け止めた。

 衝突の瞬間にそのポケモンは僅かに後退する。火炎放射の勢いが予想より強かったのだろう。丸い目に力を込めて火炎放射を必死で押し戻そうとする。

 それを見て少女がヘルガーに指示を出そうと声を張り上げようとする。だがその時、唐突に後ろに気配を感じた。その気配に振り向こうとするがその前に首筋に手が添えられる。それとともに声も耳に届いた。

「動かないで」

 それは澄んだ女性の声だった。少女はそれに従わずに、ヘルガーに指示を出そうとする。それを感じた声の主が少女の口元に手をやって押しとどめる。

「声も駄目よ。これ以上力を強められては彼のバリヤードだって持たないもの」

 少女はその声の主の姿を見ようと首を僅かに動かし視線を向ける。声の主は黒いフードを目深に被っていて顔は見えなかった。ただそこから僅かにのぞく見事な赤髪のみが見えた。

「そろそろね」

 その赤髪の声の主は告げる。すると火炎放射を受け止めていたポケモン――バリヤードの形成した光の壁が一際強く輝いた。その瞬間、火炎放射は光の壁の向こう側に消えていく。光の壁が火炎放射を吸収しているのだ。光の壁は五角形の姿を輝かせながら紅蓮の炎を貪欲に吸い込んでいく。やがて最後の火の粉までも吸い込まれ、火炎放射は完全に消失した。それと同時に光の壁も折りたたまれ、景色の中に溶けていく。

「はじき返してもよかったんだけど、君のヘルガーに敬意を表してそれはやめておくよ」

 今度は男の声が響く。そちらに目をやると黒いフードを被った人間が二人いた。片方は大分背が低い。だが今声を出したのはその隣の中くらいの背のほうだろう。

「それにしても強いヘルガーだなぁ。こんなに育てられているものは初めて見るね。でも、殺す気はなかった。だからバリヤードでも防げた。違う?」

 感心したような声がその二人とは逆方向から響く。見ると背の高い黒フードの人間がヘルガーに興味深そうな視線を注いでいた。

 それでいつの間にか黒フードたちに囲まれていることに気づいた。少女は視線を動かして逃げ出せそうな場所を捜すがそうしているうちにも黒フードたちは次第に少女のもとへ集まってくる。

「腰のポケットに入っているもの、見せてもらえるかしら?」

 口元を押さえつけている赤髪の女が窺うように言ってきた。少女は睨むような視線を女に向けて放ってから頷く。ここで抵抗しても特にならないことは一目瞭然だったが、それでも戦いを邪魔されて少女は不機嫌だった。そんな少女の感情を知って知らずか女は含み笑いのようなものを浮かべながら少女の腰ポケットを探り始めた。

 女はポケットに入っているものをより分けながら内部を探る。その手つきは適当ではなく目的があるような手つきだ。どうやらお目当てのものがあるらしい。少女はくすぐったさに耐えながら何を取り出すのか見つめた。

 すると女の手がポケットの中で止まり、つかんだものをそのまま取り出す。それは青いバッジだった。五角形で後ろにはマコの名前が彫りこまれている。

「これをどこで手に入れたの? どうしてあなたが持っているの?」

 女がバッジを少女の目の前にわざわざ持ってきて質問する。少女は不敵な笑みを浮かべながらそれに答える。

「さぁ? どうして、と聞かれても私は誰かの落し物を偶然拾っただけだ。――それよりも、どうして私がこれを持っていると分かっているんだ。最初からこれを狙って私の戦いの邪魔をしたのか?」 

 少女の質問に女は答えない。そのかわり青いバッジを懐に仕舞って、まだうずくまっている男たちをあごで示しながら他の黒フード達に向けて言った。

「その男たちは拘束して警察に突き出しましょうか。ストライク達は……」

 女が泥人形のようになっても蠢いているストライク達を横目に見る。そのまましばらく見つめていたが、やがて残念そうに首を振った。

「もう駄目ね。でも一応ポケモンセンターに連れて行ってあげて。ヘルガーは拘束用のボールで捕獲。あとマコちゃんの縄を解いてあげて。さて。あとはあなただけど――」

 女が少女に視線を向ける。少女はその視線をそのまま睨み返している。

「一応関係者だから、私たちと一緒についてきてもらうわ。異論はないわね?」

 その質問に少女は頷くでもなく否定するでもなくただ女の視線から目をそらした。それを見て女は頷く。

「では、来てもらいます。私たちの組織、ディルファンス本部へと」


オンドゥル大使 ( 2012/07/29(日) 22:34 )