第二章 二節「オールドデイズ」
柔らかな陽光が白いベッドの上に落ちていた。格子状の窓から十字の影がその陽光を少しだけ遮っているとはいえ、それでも少しばかり体温が上がる暖かい朝だ。
いつもなら背中にでこぼこの地面の感触を感じたり、けたたましく鳴り響くクラクションの音を聞いたりして目覚めるアヤノは、その日の朝は鳥のさえずりのような優しいノックの音で目が覚めた。コンコン、と同じリズムでこちらを気遣うような音のノックはこの部屋のドアから聞こえている。アヤノは上体を起こしてドアのほうを見た。そして同時に自分が寝ている部屋も見渡した。視界に入ってくる木の天井や、部屋の端にある棚を見ながら、そういえば昨日は道端での野宿ではなくここに一晩泊まらせてもらったのだということを思い出した。
ノックの音が絶えず聞こえる。それをぼんやりと聞きながら、誰が泊めてくれたのだっけ、と視線を斜め上に固定して半分しか起きていない頭で考える。
思い出せない。
コンコン、とノックの音は苛立つような様子も見せずに同じ調子でなり続けている。優しい目覚まし時計のように、コンコンと。
「コンコン……コンコン……」
アヤノはその音にあわせてキツネの声真似のようにリズムを口ずさむ。それで頭の中が何だか段々と晴れてくるような気がした。コンコン、コンコンと同じ調子で刻む。
その時、ふと閃くものを頭に感じた。その瞬間、ここがどこで誰に泊めてもらったのかも、そして今ノックをしているのが誰なのかも、全てがわかった。それを悟った瞬間、アヤノは突然の雷鳴が真後ろで聞こえてきたときのように身体をびくりとひとつ震わせた。
そして自分の格好を見た。荷物から出した就寝用の薄いパジャマ一枚しか着ていなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! いま準備しますから」
ドアの向こうにいる人間に向けてそう言ってからアヤノはいつもの服装に着替え始めた。着替え終わって髪の毛を整える。寝るときは括っていないので長い髪の毛は手入れが大変だった。そしてベッドに半身だけ潜り上体をドアのほうへと真っ直ぐに向け、ひとつ深呼吸をしてから、どうぞ、と言った。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
その言葉とともに今日一番の笑顔がアヤノに向けられる。アヤノは顔を少し赤くさせながら挨拶を返す。
「お、おはようございます。カリヤさんは?」
「僕もよく眠れました。ありがとうございます」
カリヤはそう爽やかに返事をして、朝食の乗った台車を引いてアヤノの隣にやってくる。今日の朝食はベーコンエッグと、トーストが二枚とポタージュだ。それが二人分、台車の上に乗っている。
「すいません。僕あまり朝が得意ではないので。二人分だとこれくらいしか作れなかったのですよ」
カリヤがすまなそうに頭を下げた。アヤノはそれを見て慌てて首を振った。
「そんなことないです。とってもおいしそうですよ」
「本当ですか? そう言ってもらえると助かります」
笑顔で顔を上げて、カリヤは席に着いた。そしていただきます、と二人同時に言って食事に手を伸ばす。最初にアヤノが口にしたのはポタージュだった。スプーンで一口、口に含む。
「あ、……おいしい」
アヤノが呟くように言うと、カリヤが安心したような顔をして笑った。
「そうですか。お口にあって何よりです」
そう言ってカリヤもポタージュを口に含む。そして味わうように目を閉じて、うんと頷いた。
「まぁまぁですね。材料がもっとあればもっとおいしいポタージュが作れるんですけど」
悔しそうにカリヤは言った。アヤノは続いてトーストをかじった。香ばしい匂いが口の中に広がり、頬張るとそれが何倍にも増幅されるようだ。
「このパンもおいしいですよ」
「ああ、そのパンはこのジムの近くにあるパン屋で買っているのですよ。子供のころからそのパン屋を利用しているんですけど、僕は朝食というとそこのパンじゃなきゃ駄目なんです。これは数少ないこだわりですね」
そう言ってカリヤは笑った。アヤノもそれにあわせて笑う。何だかこうしていると戦いのことも忘れられそうで、アヤノはいつまでもこうして平和な朝が続けばいいのにと思った。
朝食を終えるとカリヤはジムリーダーとしての仕事があるために夜までこの部屋には戻ってこられないことを告げた。だからなのか台車にはすでに作ってある昼食が置かれていた。これも朝に作ったのだろう。アヤノは何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになり、いっそのこと自分がさっさと荷造りをして出て行けばこんな苦労はかけなくてすんだのではないか、ということを言うと、
「何を言っているのですか。僕はあなたのことを少しも迷惑だなんて考えていませんよ。それにバッジもまだ渡していませんし、いてもらわなければ逆に困ります」
と言って引き止めるのだった。アヤノは仕方なくそれに頷いた。確かに、まだジム戦を勝利した証のバッジをもらっていない。このままむざむざとここを出て行くわけにも行かないのだ。
すぐに帰ってきます、という台詞を笑顔で残してカリヤは出かけていった。後に残されたアヤノはカリヤの背に向けて振っていた手を下ろして、ため息をついた。
「……暇だなぁ。休んでいてくださいって言われても、別に疲れてないし……」
アヤノは退屈そうに髪をいじりながら呟いた。視線を落とすと、ふかふかの白い掛け布団が視界を埋め尽くす。それを見て、そういえば先ほどまでベッドに半分寝ながら男の人といたのだなぁ、とぼんやりと思い返した。最初は本当にうすぼんやりとした感覚だったが、考えれば考えるほどそれが自分にとって恥ずかしいことだと気づきまた顔が熱くなった。
「……カリヤさんがいなくてよかったよ。こんなにもすぐ赤くなっちゃうってばれたら引かれちゃうもん」
言って、ここにはいないカリヤのことを思った。
最初の印象は厳しい表情の人だなということだった。しかしそれはとんだ思い違いで、実際は四六時中笑顔でとても優しい人だった。なんだかんだで仕事とプライベートをきっちりと分けている人で、アヤノにはそれがとても大人に見えた。しかしそうかと思えば、子供のように突発的に無邪気な笑顔を見せたりもする。そのアンバランスさがとても可愛くて、カリヤのことを思うと胸の中心がほんのりと暖かくなっていくような感じがした。
その暖かさに顔が綻び、頭がぼんやりとする。何もせずにぼうとして時間を過ごすのはいつものことだが、カリヤを想うとそのいつもの時間にぬくもりが宿ったような気がして、とても有意義になったようにアヤノには思えた。
「なんだろ、……この感じ」
ぼんやりと宙に視点を固定してアヤノは呟く。自分でも制御が利かないこの気持ちを解明したいと思う反面、どこかそれを知るのが怖い。それを知ると、自分のポケモントレーナーとしての価値に疑問が生じそうで怖いのだ。
ジムトレーナーは倒してバッジを奪うだけ。そういう存在のはずなのに、それだけでは片付かないこの気持ちが不可思議なほどに強く胸をしめつける。
「バッジを貰ったら……、あたしはカリヤさんを忘れちゃうのかな」
言って、それは嫌だと首を振る。
「いや……。あんなに優しい人をそんな、踏み台みたいにしか思えないなんて」
だがそれがトレーナーというものなのだろう。自分以外はきっとそんなふうに考えて、上手くやっているに違いないのだ。だからこそ、苦しい。
「あたしにとって、カリヤさんは……」
その言葉から先をはっきりと言えない。はっきりと言ってしまえば今の立ち位置が消えてなくなってしまいそうな恐怖があった。
その痛みにも似た恐怖にアヤノは言葉を紡ぐことが出来ずにうつむいた。
夜になるとドアを開ける気配から、カリヤが帰ってきたらしいことが判った。
アヤノのいるこの部屋は、ジムの裏手のカリヤの自宅内にある二階の一番奥の部屋であり、この部屋の窓からはジムとこの家との間の庭が見えた。そして今アヤノが感じたドアの気配は、この家の正面玄関を開ける気配である。その気配がしてしばらくすると、アヤノの部屋のドアから控えめなノックが聞こえた。どうぞ、とアヤノは言う。
すると台車を押したカリヤが、朝と同じような笑顔をアヤノに向けて部屋に入ってきた。そして開口一番、
「具合は良くなりましたか?」
と聞いてきた。アヤノは別に具合なんてもともとどこも悪くはなかったが一応、はいと答えた。
「そうですか。それは良かった」
そう言ってカリヤはアヤノのベッドの隣に座って台車に乗った料理を準備する。そのときに今日の夕食の名をカリヤは言ったが、アヤノにはその舌をかみそうな料理の名前が覚えられなかった。それでも目の前に出された料理が高級レストランで出されそうな印象のある豪華なものだという事が判る。しかも前菜だけではなく、その後も三つほどある。だが、カリヤは今帰ってきたばかりのはずである。
いつのまにこんなに料理を作ったのか。
「あ、もしかして僕がいつのまにこんなに料理を作ったのか、気になっています?」
表情を読んだのか、カリヤがアヤノの心の内をずばりと当ててきた。アヤノはそれにこくりと頷く。
「実は朝の間に下ごしらえを済ましておいたんです。そして僕がジムに行っている間にお手伝いさんに細かいところはやってもらいました。気づきませんでしたか?」
そういえば、とアヤノは思い返す。昼間に何度か人の気配をかんじたような気がする。なるほど、あれはお手伝いさんの気配だったのか、と納得した。
「とはいえさすがお手伝いさん。味は確かです。どうぞ」
カリヤが手を差し出して、アヤノに勧めた。アヤノは前菜に手をつける。こういうものを食べるときのマナーというものがあまり分からないアヤノはカリヤの視線が少し気になったが、それでもゆっくりとそれを口に運んだ。
口に含んだ瞬間まず浮かんだ感情は、さすが、ということだ。なるほどカリヤのお手伝いというだけはあるとアヤノは思った。洗練された口当たりは高級料理店で食べる同じ料理以上のものだ。もっとも、アヤノは高級料理店など行ったこともないが。
「おいしいです」
簡単だがありったけの感情を込めて返事をする。その返事にカリヤは満足したのか、笑みをつくり自身も料理を口にした。
「うん。やっぱりさすがだ」
納得するように何度もカリヤは頷いた。アヤノもそれにあわせて頷く。
「まだメインディッシュがあるから、これだけでお腹いっぱいにならないようにしなくちゃいけませんね。僕は小食だから、少し不安ですけど」
情けなさそうにカリヤは言った。
「もっと食べなきゃだめですよ、カリヤさん。あたしなんてまだ足りないと思っているくらいです」
それを聞いたカリヤが目を丸くする。アヤノはカリヤの様子を見て肩を小さくすくめて少しだけいじわるな笑みを浮かべた。
「――さて。今日はどんな昔話をしましょうか」
夕食も終わり、夜も更けてきたころ。カリヤがアヤノのベッドの傍らで芝居じみた口調で呟く。
それにアヤノは笑いかけると、カリヤは困ったような視線を向けながら、
「いざ、話そうと思うと何だか言葉がつまっちゃって」と言い訳っぽい口調で言って子供のような笑い方をする。
時折見せるその笑顔にアヤノはまた顔が赤くなるのを感じた。だがそれを抑えながらカリヤに話の続きを促す。
「緊張しないでくださいよ。あたしみたいな子供に話しているだけなんですから」
「いえいえ、やっぱり人に話すとなるとしっかり話さなきゃって思うんですよ。たとえ自分の昔話でも。――あ、そうだ」
何か思いついたのか、カリヤが椅子に座りなおしてアヤノのほうを真っ直ぐに向く。どうやら話のネタが決まったようだ。アヤノもしっかりと聞く体勢になろうとする。それに気づいたカリヤがなだめるように、
「リラックスしてください。なんでもない話ですから」と言った。
そして、ふぅとひとつ息を長めに吐いてカリヤは話し始めた。
「――さて、昔話と聞いて思い出したんですけれど、僕はニビシティの出身で……。あ、ニビシティって知っていますか?」
その質問にアヤノは頷いた。
「確か、カントーにある町ですよね。近くに山があったような……」
「そう、そのニビシティです。その近くにある山っていうのがオツキミ山ですね。で、僕が話したいのはそのオツキミ山であった話なんですけれど。ニビシティ出身だった僕は近場だったのでよく話を聞いたんです。そのオツキミ山ってところにはある珍しい鉱石があったんです。その鉱石がある学者によってポケモンに特殊な影響を及ぼすらしいことが判ったんですね。その石って言うのは……、みなまで言わなくてももう判るかもしれませんが月の石≠ニ呼ばれる物質です」
それならばアヤノも聞いたことがあった。ポケモンに影響を及ぼすとされる石≠フ存在。それはトレーナー達の間では常識だ。その石がポケモンを一段階上へと進化させる鍵と言われており、中でも月の石≠ヘカントー地方で多く産出される物質であり、ここカイヘン地方にも出回っている。カリヤが言う珍しい鉱石≠ニいわれていた時代はもうすぎ去った過去だ。いまや月の石はあまり希少価値があるとはいえないものとなっている。
「その月の石はいまやどこでも見ることができます。ショップなんかでも売られていることもしばしばありますが、当時は希少で、こぞって色んな人間が採集しようとしたらしくて。それを戒めるために近隣で民間伝承というか、とにかくそういった昔話が語られるようになったんです。で、その話というのがですね」
カリヤが目を閉じた。おそらく遠い過去に聞いた話を思い出すために自身の内に目を凝らしているのだろう。そして低い声で、カリヤは語り始めた。
「昔、オツキミ山には光が落ちて、それが砕けてまずカケラとなり小さな光の玉となった。その玉はやがて形を変え、生き物の姿をとり始めた。やがてオツキミ山で育ったその命は山を離れ、野を駆け回り海を埋め尽くすようになった。それでもオツキミ山から産まれた彼らは、死ぬとオツキミ山に戻ってくるという。その戻ってきた命の塊が、月の石という形となり、山をつくる一部となるのだ。――という話なんですよ。まぁ、何の根拠もない話なんですけれどもね。でも、その話を小さい頃から聞いていた僕としてはオツキミ山のことが何だかすごく身近に感じられたんです」
目を開けたカリヤはそう言って笑った。それで話は終わりかと思われたが、まだ続きがあるらしく、カリヤはまた語り始めた。
「そんな思い出深い山だったんですけど、僕がトレーナーとして旅に出た当時そのオツキミ山はある組織に占拠されていたんです。その組織って言うのは昨日の話でも言いましたけど」
「ロケット団……ですか?」
窺うようにアヤノがそう言うと、それにカリヤは頷いた。
「そうなんです。なにせロケット団の活動が一番活発な時期でしたから。オツキミ山も例にもれず彼らの縄張りでした。ある目的のために、彼らはオツキミ山に展開していた」
「その、ロケット団の目的って言うのは何だったんですか? だってオツキミ山には月の石以外は何も無かったのでは?」
「ええ、無かったはずなんですけれどね。それでも彼らは何の目的かオツキミ山を占領し、大量の月の石を持ち去った。経済のシステムを麻痺させるためだとか、今は言われているようですけど、月の石を奪った程度で経済は麻痺しませんし、もともと月の石程度ならショップでも大量に買えるんです。だから本当のところ何でそんなことをしたのか分からなかった。でも、分からないじゃ終われないのが僕らだったんですよね」
カリヤは苦笑のような笑いを見せながら、当時のことを思い出した。
「分からないなら調べてやろうって、そこの写真に写っている女の子が言いましてね。それでロケット団に殴りこみですよ。僕らは正直ついていけないって思いでしたけど、女の子ひとりで行かせるわけにも行かないので、僕らも殴りこみました」
棚の上の写真を指差しながら、カリヤは話した。アヤノはそれを聞きながら圧倒されるような思いだった。写真の少女を横目に見ながら、なんてエネルギーに満ち溢れた人なのだろうと思えた。自分とはまるで正反対のその姿にアヤノは淡い憧れを抱いた。
「しかしッ! ――ここでまたあのトレーナーが出てくるんです」
その時、突然カリヤが歌舞伎の見得のようなポーズをとって大声を出したのでアヤノはびくりと身体を震わせた。それを見たカリヤは、「あっ、スイマセン」と控えめに言って席に元通りに座る。それから気恥ずかしそうにしてカリヤは話を続けた。
「少し話の幅を広げようと思いまして……。それで、えっと……。あ。そうだ、そうだ。またあのトレーナーがここで出てくるんです、ってとこまでしたね」
カリヤが顔を真っ赤にして自分の話を確認する。アヤノはそれを見ていて可笑しかったが、何とか笑わないようにして頷く。
「はい。それで僕らが行ったときにはもう事が終わった後だったんですね。それで女の子は怒っちゃいましたけど、僕らとしてはホッとしました」
言って、カリヤは笑った。それから遠い出来事を展望するように、宙を見つめて続ける。
「それからも行く先々で、彼はロケット団の事件のあるところに現れて颯爽と事件を解決していきました。後に残るのは噂だけ。姿だってはっきりとしない。聞けばどこにでも居るような普通の少年だったと皆が言う。まさに、彼はヒーローでした。僕らはそんな彼がつけた足跡の上を歩いているようで、何だか誇らしくもあり逆に悔しくもありで複雑だったですけれどもね」
そこまで喋ってカリヤはふぅと息をついた。どうやらここが今日の昔話の区切りらしい。しかし、それでもまだアヤノには納得行かないことがあった。
「それで月の石は、結局どうなったんですか?」
その質問にカリヤは思い出したように、ああと言ってから答える。
「ロケット団が採掘していたであろう月の石は、結局何に使うつもりだったのか明らかになりませんでした。一説では月の石には他の石とはまた別の力が備わっていて、ロケット団はその力の研究のために採掘していたのではないかと言われています。これは彼らが採掘していたのが高純度の月の石ばかりだったことから見た見解ですね」
「高純度だと、何かいい事があるんですか?」
「いいえ、そこがはっきりしないんです。ただポケモンを進化させるためだったら高純度である必要性はまったくない。それでも彼らが純度にこだわったのには理由がある、そう考えるのが自然でしょう」
あくまで憶測ですけどね、とカリヤはそれに付け加えて話を結んだ。
話が終わった疲れからか、カリヤは両手を高く上げて背筋を伸ばした。アヤノはそれを見て何だか申し訳なくなって思わず謝った。
「あっ、違う違う。昔話を迷惑じゃなかったらさせてくれって言ったのは僕だから。アヤノさんは何も気にしなくていいんですよ」
慌ててカリヤが弁明する。だが、そのあまりの人の良さに逆にアヤノは落ち込んだ。それでも昔話が好きだといって頼み込んだのは自分なのだ。
アヤノの様子が急におかしくなったのでカリヤは落ち着かないのか立ち上がって、
「げ、元気出してください! 僕は別にアヤノさんを責めているわけじゃ……。あ、でもこんな言い方したら逆に責めてるみたいにも聞こえるか……。あれ?」
カリヤは段々と小声になって自問自答し始める。どうやら逆にカリヤを追い詰めてしまったらしい。それに気づいたアヤノは慌てて事態の収拾を図ろうと、
「あ、何やってるんですかカリヤさん! 全然カリヤさんは悪くないですよ。悪いのはあたしのほうで、勝手に落ち込んじゃったから」
「いえいえ、悪いのは僕です。知らぬ間にとはいえ、女性に気を遣わせてしまうなんて……」
「いえ、悪いのはあたしで――」
「いえ、悪いのは僕で――」
その後も謝りあいが続く。何度も何度も自分の悪かった部分を反省し、相手への無限の気遣いの末に、ついに彼らは二人とも沈黙した。
その沈黙の末に、謝り合戦で息を荒らげた双方は見つめあい、そして最初にアヤノが突然吹き出して笑った。
「あれ? なんで笑ってるんですか」
カリヤが聞く。そんなカリヤの顔にも笑みがあった。
アヤノは内からこみ上げる笑いを話すために必要な分だけ抑えながら、カリヤに言った。
「だって、あたしたち可笑しいですよ」
その言葉が引き金だった。カリヤがそこでたがが外れたように笑い始めた。腹を抱えながらカリヤは言う。
「そうだね。うん。僕ら可笑しい」
「謝りあって……。なんか馬鹿みたい」
そう言って二人とも顔を見合わせて笑った。どうにも笑いが止まらなかった。
どちらの口からも特別な言葉もでない。愛も、友情も無い。
ただただ笑いだけで夜は更けていった。