ポケットモンスターHEXA - アヤノ編
第二章 五節「裏か表か」
 オレンジの火柱が屋敷の壁を破り、地面へと際限なく降りしきる雨を蒸発させた。だがそれも一瞬のこと。静寂を取り戻した雨の夜は先ほどまでと同じ様相を見せる。光線が走った現実を塗りつぶすように、すぐに新たな雨粒が地表へと落ちる。その一粒が瓦礫へとぶつかって弾けた。

 アヤノは傍の地面に落ちた雨粒の音で目を覚ました。見ると世界が九十度回転している。地表から立ち上る雨の香気が地面に面した頬から匂ってくる。どうやら自分は地面に横向けに寝そべっているらしい。

 目をうっすらと開けて、身体の感覚を確かめてみる。感触がぼやけているが手も足もまだついていた。

 アヤノは両腕で抱いているエイパムの無事を確認する。視線を胸へと移動させると、エイパムのくせっぽい紫の毛が立った頭が見えた。体温もしっかりと感じる。

 ――生きている。

 雨に濡れて冷たい自身の身体を抱いてそう感じる。どうやら「はかいこうせん」は寸前のところで反れたらしい。おそらくアブソルの身体に限界寸前までダメージが蓄積していたためであろう。高密度のエネルギーを支えきれなかったアブソルはあの瞬間、瓦解した。視界がオレンジに染まる瞬間にみた光景をアヤノは思い出す。

 光線を発射した時にアブソルは完全に力尽きた。技の反動に耐え切れずに、アブソルの皮膚から血が霧のように噴出したのを見た。

 アヤノはそういえばカリヤはどうしたのだろう、と思い立つ。アブソルがいなければ、彼は戦えないはずだ。

 起き上がろうとすると鈍い痛みが走ったが、それでもアヤノは手で身体を支えながら上半身を起き上がらせる。どうやら破壊の瞬間の破片で切ったらしく、足首から血が出ていた。この足では立ち上がれそうに無い。アヤノはその場から屋敷のほうを見た。

 破壊光線が通ったであろう壁には、巨大な穴が口を開けていた。見ると、屋敷から随分と飛ばされたらしく、今居る場所から屋敷まで十メートルはあった。

 その時、穴の近くで何かを探すように首を回している人影が視界の中に入った。その人影の後ろをふらついた影が追随する。アブソルとカリヤであった。

 カリヤは瓦礫の上に立ち、周囲を見回している。恐らくアヤノとエイパムを探しているのだろう。

 ――逃げなければ。

 見つかればどうなるか分からない。アヤノは立ち上がろうとした。

「……痛っ」

 立ち上がろうと足に力を込めた瞬間、足首から鋭い痛みが駆け上がってきた。見ると、足首から血が先ほどよりも流れ出ていた。その痛みに思わず顔をしかめうずくまってしまう。だが、早く逃げなければカリヤに見つかってしまう。アヤノは足の痛みに耐えながら、地に手をついて立ち上がった。

 片足からは相変わらず流れる血が湿っぽい泥の地面に滴って汚い色になって雨に混ざる。アヤノは足を引きずりつつ、その場から離れようとした。ジムからポケモンセンターまではそんなに遠い距離ではない。

 その時、ふいに後ろが気になってアヤノは振り返った。その瞬間、周りを見渡していたカリヤと目が合った。

 ――まずい。

 そう思ったときにはカリヤが既にこちらに向けて走り出している。アヤノも走ろうとしたが片足が枷でもつけられているかのように重く、動かすたびに痛みが走る。胸にエイパムを抱えているせいでさらに上手く走れない。アヤノはあっという間にカリヤに追いつかれ、後ろから髪をつかまれてそのまま引っ張られた。成す術もなくアヤノは背中から泥の地面に倒れる。相当強い力で引っ張られたせいか、背中に鈍い痛みを感じた。

「手間をかけさせてくれたな」

 カリヤがアブソルとともにアヤノを見下ろしながら言う。見つめる瞳はいつもの優しさのカケラも無く、まるで汚らわしい物でも見るかのような目つきだ。

 その時、胸に抱えていたエイパムが急に飛び出した。エイパムはカリヤの前に立ち、アヤノを守るように両手を広げる。

 それを見てカリヤが苛立たしげに舌打ちをした。

「邪魔だな。アブソル!」

 アブソルに指示を出す。しかしアブソルは動かなかった。見ると、白かった体毛が茶色く汚れている。それはアブソル自身の血による汚れだった。赤い眼は濁り、ブーメランのような角はひび割れて今にも崩壊しそうである。

 一目でアブソルはもう戦えないのだとアヤノには感じられた。しかしカリヤはそのアブソルを忌々しげに睨んで、あろうことか傷だらけのその身体を蹴りつけた。それでアブソルは力なく地面に倒れる。

「相変わらず使えないな。仕方がない」

 そう言ってカリヤは懐から何かを取り出した。アヤノは仰向けのまま視線を動かしてそれを見る。

 それは注射器のようだった。

 カリヤはそれを倒れたアブソルの身体に直接あてがい、そして針を突き立てた。針が身体に入った瞬間、アブソルの身体が小さく痙攣する。カリヤは構わず中の薬品を注入する。するとアブソルの痙攣が一層ひどくなり、赤い虹彩が脱色されて瞳孔が収縮していく。

「何を、しているの……?」

 アヤノがその光景に恐怖しながら震える声で尋ねた。カリヤはアヤノのほうを一瞥すると、口角をつりあげて笑いながら答える。

「そうだな。どうせお前は死ぬんだ。冥土の土産に教えてやるよ」

 カリヤが針をアブソルの身体から抜く。しかしアブソルの痙攣は止まらない。それどころかより酷くなっている。

「この注射器に入っているのは月の石だ」

 カリヤがアブソルを見下ろしながら言った。アブソルは目を見開き、内から生じる痛みに足をばたつかせて苦しんでいる。

「月の……石……」

 アヤノはカリヤが言った言葉を口の中で呟いた。月の石。それはカリヤの昔話にあったものではなかったか。

「最期に昔話の続きをしてやろうか。俺が何でコイツを持っているのか。どうしてジムリーダーになれたのか」

 カリヤが屈んでアヤノに向かって言った。アヤノはカリヤの目を見つめる。今のカリヤの眼には狂気よりもどこか遠い日々を思う哀愁があった。

「俺はあの三人とともに旅をし、そしてカントーのポケモンリーグまでたどり着いた。もちろん三人で挑戦するわけにはいかない。俺は三番目に四天王に挑戦することになった」

 ポケモンリーグでは四人の四天王と戦い、全てに勝ち抜いたトレーナーのみがその上に君臨するチャンピオンと戦うことが出来る。そしてチャンピオンを破れば、そのトレーナーが新たなチャンピオンとしてトレーナー達の頂点に立つことができる。

「俺の前の二人はチャンピオンで敗れた。二人とも屈指のトレーナーだったから俺は驚いたよ。しかし四天王を勝ち抜き、チャンピオンに至ったとき俺にはどうして二人が負けたのか分かった。そこには彼がいたんだ」

 ――彼。

 カリヤは旧友を懐かしむような口調でその言葉を発した。

「俺達の行く先に度々現れた彼はチャンピオンになっていた。そして案の定、彼に俺は負けた。そのときにアイツは俺を負かした後にこう言ったんだ」

 カリヤの眼に再び狂気が宿る。

「『お前は一度もポケモンを育てたことが無い。そんなお前とは二度と戦う価値が無い』と、俺を見下すように言いやがったんだ。……だが、悔しいことに奴の言うことは正論だった。俺は仲間の二人に頼りきって自分で育てたことなんて無かった。だがな、知ったところでどうする?」

 肩をすくめるようなポーズをしながらカリヤは雨の夜闇に叫ぶように続ける。

「俺はもう、自分でポケモンを育てることなんて出来なくなっていたんだ。かといって知ってしまった今、奴らに頼ることも出来ない。分かるか? 正しいことを知ることが全て正解だとは限らないんだよ。俺はそれからポケモンと向き合うことも、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。仲間たちはそんな俺を次第に避けるようになったよ。やがてあいつらとも別れた。あいつらは勝手に自警組織なんてものを立ち上げて、迷走する俺を尻目に勝手なことをやりだした。俺はそんなあいつらから背を向けるようにすさんだ生活を送り続けた。すべてが腐っていた。俺を取り巻く全てが。……だが、そんな俺にある日転機が訪れた」

 カリヤの狂気に満たされた瞳に注射器が映った。それを視界に入れながらカリヤは話を続けた。

「『君を助けてやれる』って奴らは言ったんだ。何の価値も無い俺を、奴らは救ってくれた。奴らは利権に沈んだこのカイヘン地方で着実に勢力を伸ばし、俺をジムリーダーにしてくれた。たとえ奴らが、かつてアスカが嫌っていたロケット団だと知っても俺は奴らにすがり続けた。そして手に入れたんだ、力を」

 アヤノの視界の端でアブソルが立ち上がる。相変わらず痛々しい姿だったが、まるで痛みなど感じていないように、すっと立ち上がっていた。それだけではない。赤かったアブソルの眼の虹彩の色が変わっていた。まるで湖畔の月を映したかのように、その眼は蒼くなっていた。

「不思議か? この注射器の中の液体の力だ」

 アヤノの視線に気づいたカリヤが注射器を掲げながら言った。

「この中には高純度の月の石を融かしたものが入っている。それはポケモンを進化させるために必要な要素の約五倍だ。その高純度のエネルギー体を直接体内に注入すれば、ポケモンの中で進化エネルギーをも凌駕する爆発的反応が観測される。それはポケモンの能力を何十倍にも高めるんだ。分かるか? これは革新なんだ!」

 カリヤが教鞭を振るうように身振り手振りをつけながら叫ぶ。

「これによってポケモンは超越した段階へと変革する。新たなポケモンの時代だ! そして我々ロケット団はその変革の先端に立ち新たな時代を導く! 今までの常識が覆るんだ! つまり、あいつらだって俺のことを馬鹿に出来ない時代が来る。そのために多数のサンプルにこれを打ち込む必要があるんだ。そのためのジムリーダー、そのためのポケモンだ!」

「……そんな、ことのために、エイパムを」

 アヤノがカリヤを睨む。カリヤはそれを見て、下卑た笑みを浮かべながらアヤノの頭を踏みつけた。

「そうだよ。エイパムは優秀なサンプルだった。打ち込まれても問題となる初期症状は無く、これからの連続投与にも耐えられる逸材だった。それなのに、お前が台無しにした」

 靴底からは醜悪な泥の臭いがした。カリヤの足に力が込められるたびに、その吐きそうなほどの臭いがアヤノの鼻腔を刺激した。頭が地面に擦れて痛みが走る。

「ポケモン、は……、そんなことの、ためにいるんじゃない」

 苦しそうにうめきながらアヤノは言った。その瞬間、アヤノの額に激痛が走った。目の奥に星が散るような痛みと同時に、身体が泥の上を滑る。泥に滴る自分の血を見て額を蹴りつけられたのだと知った。

「黙れよ。綺麗ごとばっかり言いやがって」

 カリヤが憤怒の形相を浮かべてアヤノに近づいてくる。その身にエイパムがすがりついて止めようとしたが、小さいエイパムの身体はカリヤに一度蹴りつけられただけで動かなくなった。

「エイ……パム……」

 搾り出すように声を出す。それに気づいたカリヤがアヤノを睨んだ。人間とは思えない眼が雨に煙る景色の中で獲物を追い詰める獣のように光っている。

「挫折を知らない人間が……偉そうに言うな!」

 アヤノの目の前に来るなり、カリヤはそう叫びながら頬を殴りつけた。頭蓋骨が振動し、口の中に鉄の味が染み渡る。どうやら口を切ったらしかった。

 カリヤはアヤノの首筋をつかみ、両手に力を込めた。

「俺だってトレーナーとして立派になりたかった。だがな、周りがそれを実現させてはくれなかったんだ! そうさ、俺は悪くは無い。いつだって周りが腐っていた! なのに、どうして俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだ!」

 容赦なく首が締め付けられる。呼吸が出来ない。息が苦しい。意識が遠のいていく。アヤノはカリヤの手に、自分の手を添えた。それでもしかしたらこの悪夢が醒めるかもしれないと思ったからだ。しかし、無慈悲にもカリヤの手は万力のようにさらに力を込める。

 それでアヤノは悟った。今まで見ていたカリヤは全て幻想だったのだと。所詮は、くだらない妄想に過ぎなかったのだと言うことを。

 指が首の皮膚に食い込む。このままでは殺されるだろう。だが、それでもいいとアヤノは感じていた。

 ただひとつ――目の前の、狂気に染まったカリヤの眼をこれ以上見たくは無い。

 アヤノは唇を動かした。呼吸すらままならないために、それは声にはならない。つたない思いだけの、無言の言葉が発せられる。

 ――大好きでした。カリヤさん。

 それを最後に、アヤノの意識は暗い闇に飲み込まれた。






















 カリヤはその時、首筋に何か妙な感触を覚えた。

 少女の首をしめつけていた手を離し、その部分を触る。すると首から冷たい石が生えているのが分かった。だが人間から石など生えるはずが無い。その感触を手繰るように、石に手を這わせていると、石とは違う冷たい何かに行き当たった。それは冷たかったが、同時にやわらかいものだった。それが手だと認識したとき、カリヤはその手が伸びている先を目で追った。

 それは目の前の少女の肩へと繋がっていた。それでやっと自分は少女に石で刺されたことを知った。

 少女――アヤノの眼がカリヤを捉える。そして小さな唇が白い息を吐き出しながら忌々しげに言った。

「――気安く私に触れないで」

 その瞬間、腹を蹴りつけられカリヤは後ろに飛ばされた。それで背中から泥の地面に突っ込む。背中に痛みを感じる。しかしそんな痛みにカリヤは構ってはいられなかった。急いでカリヤは首筋に触れた。石が外れて血が出ているようだったが、傷は幸いに浅かったらしい。

 カリヤは起き上がり、今しがた自分を蹴ったアヤノを見た。

 アヤノは立ち上がり、石についた血を汚らわしげに払っていた。その瞳がカリヤを見つめている。その眼はカリヤの知るアヤノの眼ではなかった。まるで塵でも見るかのように、カリヤを見下ろしていた。その眼が、カリヤの記憶の暗部を呼び覚ます。

「や……めろ」

 仲間達の蔑みの視線。踏みつけられてきた日々がカリヤの中でどす黒い固まりとなって蠢く。それを吐き出すようにカリヤは叫んだ。

「俺をその眼で見るな!」

 その叫びと同時にアブソルが駆け出した。無表情な蒼い瞳がアヤノとエイパムの姿を捉える。それをアヤノはつまらなそうに一瞥してから、ため息をついた。

「エイパム」

 短く告げて、アブソルを指差す。それでエイパムも走り出した。

 カリヤのアブソルは蒼い瞳の中心にエイパムを捉える。その瞬間にアブソルの角に変化が訪れた。

 アブソルの身体から放たれる黒い瘴気のようなオーラが角にまとわりついているのだ。それは瞬く間に青かった角を覆い、漆黒の刃へと変える。その漆黒の刃が、一瞬残像のように揺らめいた。

「アブソル。辻斬りだ!」

 カリヤが叫ぶ。その叫びを受け、アブソルの角から黒い鎌居達が放たれた。だがそれは先ほどの「かまいたち」のように一本ではない。風を斬りつけ、残像を残して何本もの姿に増殖しながらエイパムへと向かっていく。それはさながら数本の刀が織り成す太刀筋に似ている。

 これが「つじぎり」。悪タイプが覚える相手を切り裂く必殺の技。しかも月の石の効果で攻撃力は倍増している。これを食らえばエイパムでもひとたまりもない。

 だがそれに対し、エイパムは立ち止まるでもなく真っ直ぐに向かっていった。それどころかさらに速度を上げている。

 それを見てカリヤが余裕の笑みを浮かべ、呟く。

「ついに頭がおかしくなったか」

 勝った、とカリヤは確信する。

「つじぎり」はさらに避けるのが困難なほどの姿に分裂し、エイパムの身体へと迫っていく。死角の無い無数の刃が雨粒を裂き、そして小さなエイパムの身体をも裂こうとしたとき、唐突にエイパムの身に変化が起きた。

 カリヤがその変化に気づいた瞬間、「つじぎり」が遠くの木々を押し倒し、太い幹を切り裂いた。

 木々が倒れる音が、カリヤの耳に雨音とともに届く。それが何を意味するのか理解する前に、エイパムの攻撃がアブソルの身を襲った。

「エイパム、メガトンパンチ。叩き込みなさい、完膚なきまでにっ!」

 その言葉でエイパムの手のような尾が硬く握られ光を発する。そしてそれは指示を失った無防備なアブソルの身体へと叩き込まれた。

 アブソルはぬかるんだ泥の地面を激しく滑って倒れ伏す。その時、カリヤはエイパムを見た。

 顔は相変わらず何を考えているか分からないにやけ面だったが、その顔の中でひとつだけ異質な光を発している部分があった。

 眼だ。

 アブソルを見つめるエイパムの虹彩はアブソルと同じように蒼く染まっていた。

「……何で、どうして?」

 わけが分からずにカリヤがうめくような声を上げる。それを聞いたアヤノが不愉快そうに顔をゆがめた。

「いちいち聞かないでよ、みっともない。あんたがやっといて、実験の結果には責任が持てないの?」

 ――実験。

 その言葉でカリヤは思い出した。エイパムにも月の石を投与したことを。だが、それは初期投与だ。連続投与しなければ効果は薄いはず。だと言うのに、エイパムはアブソルの「つじぎり」を避けるほどの反応速度を示した。これは異常である。連続投与しているアブソルですら、まだその域には達していないのだ。

「ば、バカな……。ありえない。ありえないんだ、そんなことは!」

 カリヤが首を激しく横に振りながら否定する。それを見たアヤノは今にも吐きそうな顔をして、舌打ちをした。

「バカなのはあんたでしょ。現実にありえているんだから認めなさいよ」

「し、しかし。ありえたとしても、それをポケモン自身が制御できるなんてことが」

「だから。成功したんでしょ? あんた達の実験が」

 ――成功。

 その言葉がカリヤの心に楔のように突き刺さる。成功、したというのならばそれを成果として本部に提出せねばならない。

 それは責務であり、ロケット団に居続けるならば必要なことだ。

 だが、その唯一の成功作は今、アヤノの手にある。このままアヤノの手に持たせていては、自分が成功したという証拠が出せない。

 ――ならば。

「……渡せ。そのエイパムを」

 カリヤがどす黒い何かを搾り出すような声で告げる。それに対し、アヤノはあくびをしながら返した。

「嫌だと言ったら?」

「――死んでもらう」

 カリヤが口角をつりあげていやらしく笑った。

 その瞬間、倒れていたアブソルが両足をしっかりと地面について起き上がった。そしてすぐにエイパムに身体を向け、口を大きく開く。

「アブソル。潰せ」

 その言葉でアブソルの口腔内にオレンジ色の電子が収束し、球体の高濃度エネルギー体へと変化する。破壊光線だ。

 アヤノはそれを横目で見ている。エイパムも尻尾を振りながら、アヤノと同じぐらいのんびりとそれを見つめて口元を緩ませている。

 その姿にカリヤの理性が限界を迎えた。

「どこまでもコケにしやがって……。消滅させろ、アブソル!」

 その叫びで、限界まで圧縮されたエネルギーが巨大な火柱のように放出され辺りは火の海のように赤く染まり、無力なアヤノとエイパムはあまりの熱量に死すら意識できない一瞬のうちに蒸発する――はずだった。

 だがその発射されるはずの口腔内からは、光線ではなく別のものが伸びていた。紫の尻尾だ。それがアブソルの口の中に押し込まれている。

 カリヤはあっけに取られたようにそれを見つめていた。一体何が起こったのかわからなかったのだ。今、カリヤの脳内ではアヤノたちが泣き叫ぶ間もなく消え去った瞬間の映像が流れており、その妄想と現実との溝が埋められないでいた。

「ばっかじゃないの?」

 アヤノがあくび混じりに言い放つ。

「破壊光線ばっかり。バカの一つ覚えみたいにさ。本当、あんたって二度も戦う価値が無いわ。エイパム」

 その声でエイパムの蒼い眼がアブソルの視線と交錯した。二つの蒼い眼がお互いを見つめる。

 やがてアブソルの眼に映るエイパムの口元が、より一層ほころんだ。

「――爆裂パンチ」

 アヤノが静かに告げる。その瞬間、アブソルは自らの内側に熱を感じた。それはどんどんと膨れ上がり、自らを飲み込みかねないほどの熱となってアブソルの内部に充満する。まるで体内に原子炉でも飼っているかのような錯覚にアブソルは襲われる。抱えきれない熱量が、内側から外側へと張り出していきそれは外へ出ようともがく。そのもがきが、アブソルの筋肉を、血液を、心臓を、そして脳を溶かしていく。

 アブソルは思考が融解する瞬間、エイパムとアヤノを視た。視界の奥のアヤノはアブソルの視線を感じてか、まるで天使のような笑顔を浮かべた。

 それでアブソルはこの二つの存在と戦ったことが、そもそも愚行だったことを感じ取った。そしてこれからみずからの主が辿るであろう自身と同じ道を思いながら、思考を閉じる。

 その瞬間にアブソルの身体は、内部からの熱で風船のように弾け飛んだ。





















 鮮血が雨に混じって辺りに降り注ぐ。

 カリヤは今、自分の身体をぬらしているのがアブソルの血なのか、それとも雨なのか分からなくなっていた。顔に触れるとぬるりとした僅かに熱のある赤いものがこべりついている。これはアブソルの血だ。服がぐっしょりとぬれて肌に張り付いている。これは雨だ。

 その境目を探っている間に、影が自分を真上から見下ろしているのに気づきカリヤは顔を上げた。

 そこに立っているのはアヤノだった。傍らには蒼い眼をしたエイパムが寄り添っている。それは自分が踏み台にしようとしたトレーナーとポケモンの姿だった。だが、カリヤはアヤノにどこかいつもと違う印象を受けていた。いつものアヤノならば恐れるに足らない存在だ。どこにでも居る普通の少女にすぎない。しかし、目の前の存在は違う。

 身なりはアヤノの姿をしていても目が違う。その目はまるで戦いを嗜好する獣の眼だ。野犬のような中途半端な獣ではない。相手を狩ることを宿命付けられた獣の眼差しだ。 

 アヤノの姿をした少女は手に持った石をカリヤの鼻先にかざす。カリヤはそれを見て、情けない声を上げながらしりもちをついて後ずさりした。

「や、やめてくれ。お、俺の負けだ」

 手を突き出して、相手に服従するような弱々しい笑みを浮かべながらカリヤは言う。アヤノの姿をした少女はそれに対して、吐き捨てるように言った。

「何を言っているの? あんたが負けたのは分かっているわよ。これは後始末なんだから」

 カリヤに石を向けながら一歩一歩着実に近づいていく。カリヤがそれを見て目を瞑り身をよじって、懇願した。

「た、頼む、やめてくれ。あ、アヤノ……さん」

「違う」

 カリヤの言葉にアヤノの姿をした少女は、強い口調で言った。

「私の名はアヤノじゃない。あんな弱虫と一緒にしないで」

 それを聞いたカリヤが目の前の少女を見つめる。少女は口角を吊り上げて嗤っていた。

「私の名はアヤメ。その薄汚い脳みそに刻みつけておきなさい」

 そう言ってアヤメと名乗った少女は石の先端をカリヤの額に向けた。アヤメが少しでも手を動かせば刺さりかねない位置に、その先端はあった。

「や、やめてくれ。嘘だろ? なぁ。こんなことするなんて、冗談ですよね。アヤノ――」

「その名で呼ばないで!」

 カリヤの言葉を遮り、アヤメは石を振るった。振りかざした石は、カリヤの額を切った。

 カリヤが額を切られてのた打ち回る。それをアヤメは恍惚の表情で見つめながら、カリヤの血がついた石の先端を舐めた。

「人が一度言ったことを覚えられないなんて駄犬以下ね。まぁ、どうでもいいわ。さぁ、次はどこを切ってあげましょうか、カリヤさん?」

 アヤノと同じ声でアヤメが囁くように言った。カリヤは額から流れる血で赤く染まる視界の中でアヤメを見た。

 アヤメはカリヤが痛がる姿を確実に愉しんでいた。それを知った瞬間、言い知れぬ戦慄がカリヤの身体を駆け巡った。

 ――逃げなくては、殺される。情けなく震える脳裏にその命令だけが発せられる。

 カリヤは手をばたつかせて、泥の中をまるで小動物のように四足で逃げ始めた。腰が抜けて、立つことが出来ないのである。

「ふふ、無様な姿ねカリヤさん。いいわ、もっと逃げて見せてよ」

 アヤメが鼻歌混じりに石をぶんぶん振りながらカリヤに向けてゆっくり歩いていく。カリヤは追ってくるアヤメを気にしながら、どろどろになって逃げた。血が視界をふさいで、目がまともに利かなかった。ぬかるみに何度も足を取られて、そのたびに顔が地面に擦れる。アヤメが石を振るうと、それを見たカリヤが顔を真っ青にして翅を潰された虫のようにもがいた。

 それでも懸命に逃げようとするカリヤを見て、ああと嘆息のようなものを交えながらアヤメは囁くような声音で言った。

「さっきとはまるで別人ねカリヤさん。醜くもがくその姿、私なんかに追い立てられて、そんなに汚れちゃって、存分にそそらせてくれるわ。……でも」

 アヤメは鼻歌をやめてあくびをひとつかみ殺した。

「何だかもう飽きちゃった。エイパム」

 声に反応したエイパムがカリヤの行く手に回りこむ。そして四つん這いのカリヤの腹へと、尻尾から放たれた鉄拳が食い込んだ。

 それでカリヤは地へと背中から倒れ伏した。唐突に雨が降り注ぐ天上へと向けられた視界の端にアヤメの姿が映る。視界の端のアヤメは屈んで、カリヤの眼前に石の先端を向けた。

「もう終わらせましょうか。ゲームオーバー、ということで」

 アヤメが興ざめしたような無表情になって、カリヤを見つめる。

「周りが嫌なんでしょう? 自分の夢を叶えさせてくれなかった周囲の世界が。なら、二度と見なくていいように目を潰してあげる。ほら。優しいでしょ、私って」

 アヤメが天使のような笑顔で言った。カリヤの視線は眼球の数ミリ先にある石の先端に釘付けになっている。その眼が小刻みに震えている。怖いのだ、ということが伝わりアヤメの身体をぞくぞくとした何かが走った。

「そんな顔をしてくれると何だか名残惜しいけど、あんまりひとつのおもちゃに執心したくないの。おもちゃはどんどん新しいものが欲しくなるのよ」

 アヤメが石を僅かに持ち上げた。だがそれはカリヤを生かすという意味ではない。振り下ろすためには勢いがいるのだ。

「さようなら、カリヤさん。反吐が出るほどに馬鹿みたいなラブコメをどうもありがとう」
アヤメが石を振り下ろそうと力を込めた。カリヤは咄嗟に眼を瞑る。その時である。

「……何をするの?」

 アヤメが押し殺したような低い声で呟いた。それでカリヤは目を開ける。見ると、アヤメの振るった手を、もう一方の手が押さえていた。アヤメはまるで他人の手に邪魔されたように、押さえているほうの手を睨む。

「殺すのはひどい? ばっかじゃないの? あんたはコイツに弄ばれたのよ。それなのにコイツを許せるって言うの?」

 アヤメが罵るような激しい口調で言うと、押さえている手の力が僅かに緩んだ。それでもう一度アヤメが石を振るおうとすると、また手がそれを押さえる。

「いい加減にしなさい! あんたはそれだからだめなのよ。どれだけ覚悟したって結局一歩前に踏み出せない。同じ場所で足踏みするだけ。――それなら私がやる」

 アヤメの瞳がカリヤを睨みつける。

「あんたの代わりに私がやるの! あんたに出来ないことを。戦いを!」

 その時、押さえている手に力がこもった。その痛みにアヤメは顔をしかめる。それでアヤメの手から石が落ちた。石はカリヤの耳元に落下し、その場に倒れる。

 アヤメがそれを見て、諦めたようなため息をついた。

「分かったわ」

 そう言って手から力を抜いてだらんと垂らす。それで押さえていた手も力を抜いた。アヤメはそれを見て、微笑を浮かべながら天を見て話した。

「アヤノ。私はあなたのことが好きよ。甘くてどうしようもなく頼りないけど、私たちは二人でひとつなのだもの。お互いを認め合う気持ちは誰よりも強いわ。だから離れて欲しくないの。ずっと側にいてね、アヤノ」

 アヤメはカリヤのほうを見る。そして柔らかい笑顔をカリヤに向けた。それは優しげな、いつもと同じアヤノの笑みだ。それでカリヤは自分のしてきたことを少しだけ後悔した。こんな純粋な少女に、自分はなんて酷い事をしてきたのだろう。生きるためにしてきたこととはいえ、こんな少女を巻き込むことは無かったのではないか。

 カリヤは謝ろうとした。謝ってどうにかなるものではないが、今なら許してくれるかもしれないと思ったのだ。

 だがその前に少女が言葉を発した。

「――でもね、アヤノ」

 その時、唐突にカリヤの視界の半分が崩れた。いや正確には崩れたのではなく、茶色い何かが視界いっぱいに挿入されたのだ。カリヤはもう一方の眼でそれを見た。

 見ると、自分のもう片方の目から木の枝が生えていた。違う。生えているのではない。アヤメの手によって、それが突き立てられていた。

「だからこそ。あなたがこんな男に心奪われることが許せない」

 その言葉のあとに、やっと悟った。眼を潰されたのだということを。

 認識は戦慄を生み出し、カリヤは叫び声を上げた。それをアヤメは口元をゆがませて嗤いながら見ている。

 カリヤが苦痛に身をもだえさせて、泥の地面を転がった。その痛ましい光景にアヤメは腹を抱えて笑った。

 雨が笑い声と叫び声を吸い込んで、余計に勢いを増す。その雨の中、アヤメは壊れたように笑い続けた。

 片方の目からだけ涙が流れ頬を伝う。その涙が悦楽によるものなのか、それとも悲しみによるものなのかは少女自身にも分からなかった。

オンドゥル大使 ( 2012/07/25(水) 22:02 )