第一章 五節「次の町、次の出会いへ」
ナツキがジムから出ると見覚えのある人影がその行く手を遮った。
ナツキはその人影の姿を見る。
少年だった。赤と白のいかにもトレーナーらしいモンスターボール色の帽子を被っている。活動的な上着を着用し、緑色のズボンをはいている。顔を見ると少年は不敵な笑みをその口元に浮かべた。
「よう、久しぶりだな」
少年はそう言って片手を上げた。ナツキはそれに返事をする。
「お久しぶりね、リョウ」
リョウと呼ばれた少年は、白い歯を見せて笑った。
ナツキにとってリョウは幼馴染であり、同時にヒグチ博士に送り出されたポケモントレーナー仲間の一人だ。
「今、バッジを取ってきたのか?」
ナツキの様子を見ながらリョウが言う。ナツキは、うんと言ってポケットからバッジを取り出した。
「レンゲバッジ。これで三つ目。リョウは幾つ取ったの?」
その質問にリョウはわざとらしくフッフッと笑い、そしてポケットから白いペンケースのような入れ物を取り出した。それを開けると、そこにはバッジがすでに五つ並んでいた。
「すごい! こんなに?」
「俺はお前らとは逆方向から回っているからな。向こうのやつらは強いぜ、戦いがいがある」
楽しそうにリョウは言った。
リョウは旅に出る前からポケモンを育てていたために手持ちのレベルがナツキたちとは比べ物にならないほどに強かった。だから彼はあえてジムを本来の順番とは逆に回っているのだ。もちろん、その方法だと次々に強いジムトレーナーと当たることになる。だが、それでもバッジを見る限り、順調に進んでいるのだろう。ナツキはバッジを見ながら少し安心した気持ちになっていた。
その時である。
「あ、いたいた。おーい、ナッチ、リョウー!」
突然聞こえてきたその声にナツキもリョウも振り向いた。そこには手を振りながらローラスケートでこちらに向けて走ってくる見覚えのある姿があった。
「お、ユウコだ」
リョウが言った。それでナツキもユウコに向けて手を振った。すぐさまユウコはナツキの目の前まで来て、その手をいきなり握ってきた。
「ナッチ久しぶりー。ナッチとこうして会うんはもう何日ぶりかなぁ。元気してた? 風邪引かんかった? あ、そうそうナッチのポケモン元気? ちょっと見せて」
「相変わらず騒がしい奴だな」
ナツキに質問をぶつけるユウコを見つつリョウが言った。するとナツキのモンスターボールに手を伸ばしかけていたユウコがリョウを敵意の眼差しで見つめ、そしてわざとらしい口調で言った。
「あ、リョウ。いたんかいな」
「お前、さっき手振ってただろうが!」
「えー、知らんよ、そんなん。うちはナッチに向けて手ぇ振ってただけやもん」
そう言ってユウコはナツキに抱きついた。それにナツキは困ったような笑いを浮かべる。
「おい、ナツキ困ってんぞ」とリョウが言うと、ユウコはリョウを睨みながら言う。
「何よ、妬いてるの?」
「――なっ、てめぇ、何言ってんだ!」
ユウコとリョウのいつものケンカが始まる。これは旅に出る前、ミサワタウンで毎日のように繰り広げられていた光景だった。
ナツキはそれを見ながら何だか懐かしさに駆られていた。皆が皆別々の道に行っているはずなのにこうしてふと出会えば昔と同じやり取りをしている。それが何だかとても平和で、そして奇跡のようなことなのだと、ナツキは思った。そう思うと自然と顔が綻んでいくのを感じる。
そんなナツキの様子をいつの間にかケンカをやめてリョウとユウコが見ていた。
「どうしたんだ? 急にヘンな顔して」
リョウが不思議そうに言う。それにナツキはあせりながら首を振って顔を戻した。
「ううん、なんでもない。あ、そういえばユウコはどうして急にここまで来たの? ミサワタウンで博士の手伝いをしていたんじゃ」
ナツキが話題を変えようとユウコのほうを見た。するとユウコは何かを思い出したように「あ」と一言発してポケットから何かを取り出した。それは黒いデータチップだった。リョウはそれを見て、ああそれか、と何故か呆れたような口調で言った。
「これは?」
「これ何か図鑑をパワーアップできるでーたちっぷ≠轤オいんよ。博士に頼まれて、ナッチに渡すようにって」
ユウコがデータチップをナツキに手渡す。受け取ったナツキは、ポケットから赤色の四角い機器を取り出した。これがポケモン図鑑だ。
ナツキはデータチップをポケモン図鑑の下にあるスロットに差し込んだ。そして図鑑を起動させる。すると図鑑の起動画面に新たな項目が追加されていた。ナツキがそれを見て「え?」と訝しげな声をもらす。
ナツキはその項目を選択し、そして図鑑を耳元に当てた。すると何度かコール音が流れ、そして通信が繋がる。
『おー、繋がった繋がった』
図鑑の中から声が聞こえる。それはヒグチ博士の声だった。
「……博士。これは一体何ですか?」
ナツキが理解できないというふうな口調で言った。
『おー、これな。何だか私が一人でいるのが寂しくて作ったんだよ。これでいつでも君たちと通信できるというわけさ』
博士の口調が弾んでいる。相当楽しそうだ。だがナツキは浮かない顔でそれを聞いていた。
『しかもそれだけじゃないんだぞ。なんと! 私が作ったポケモン図鑑同士も通信できるのだ! これで君達も一人の夜が寂しくないだろう? どうだい、若者のニーズに合わせたこの技術! 素晴らしいだろう! 図鑑開発者には堅物も多いが、私は違う。常に若者が求めることを――』
「あのー、博士?」
ナツキが博士の言葉を遮る。
『ああ、何だ? ナツキ君』
「いりません」
『え?』
ナツキはポケモン図鑑の電源を切った。
しばらく無言の時間が三人の間に流れる。そんな中、ユウコが気まずそうに言った。
「まぁ、ナゾノクサばかりじゃ、ね」
その言葉にリョウとナツキは無言で頷いた。
ナツキはその後、リョウとユウコに別れを告げた。
リョウはこれからキリハジムに戦いを挑むらしい。その時、リョウが言った。
「ここのジムトレーナー、強かったか?」
ナツキはそれに答える。
「うん、強かったよ。それに――」
「それに?」
ナツキは少しの間考えて、そして言った。
「それに、凄く真剣にポケモンと向き合っていた。すごく、いい人だった」
その言葉にリョウは、そうか、と言って頷いた。
そしてセンターで回復したポケモンたちとともに、ナツキはキリハシティを後にした。町を出る寸前、ナツキはもう一度キリハジムを見つめた。
見つめるナツキの瞳の裏に、先ほどの戦いの光景が思い出される。そして戦いを終えた後の、チアキの姿も。
ナツキは目を瞑り、その思い出をしっかりと胸にしまった。また、新たな道を歩き出すために。新たな一歩を踏み出す原動力になるように。
ナツキは目を開ける。そしてキリハシティに向けて言った。
「――行ってきます」
ナツキは踵を返して、キリハシティを背に歩き出した。
次第に離れていくキリハシティに手を振りながら、ナツキはいつかまたチアキと会える日を想った。
――きっとその時はもっと強くなる。
そう心に刻み、ナツキは歩く。歩みは止めない。まだまだ終着には程遠いのだ。止まっている暇なんてない。
行き先は次の町、次の出会いへ――。
ナツキ編/第一章 了
◆
カントー経由のリニアラインはここカイヘン地方、タリハシティにも停車する。
現時刻はPM8:23、この時刻にカントーから来る人間はなかなかに多くタリハの駅は人ごみでごった返していた。
その人ごみの中、リニアラインから降りる人間がいた。
その姿は人ごみの中から遊離している。それほどにその姿はよく目立った。
その姿は少女だった。
まず目を引くのは長い薄紫色の髪だ。腰まであるその髪が僅かな風にもなびく。小さな顔にある、小さな唇から吐息が漏れる。冬でもないのにその息は白く染まっている。
赤い眼が周囲を見つめる。駅の明かりがその白い肌を照らし、地には長い影が伸びる。その影が少し動いて周りの人間に絡み付こうとする。
「だめだよ、ゲンガー」
その動きを少女の声が制した。それで影は何の変哲も無い少女の影に戻る。少女はそれを見て頷く。
「カイヘン地方。ここにボクたちの求めるものがあるんだ」
少女が熱に浮かされたような口調で言った。そして静かに歩き出す。
「行こう、ゲンガー。ボク達は、ヘキサツール≠手に入れるまで立ち止まるわけにはいかないのだから」
そう言って少女は歩いた。その後に続く影の中心の辺りが割れて、その亀裂が歯をむいて笑う。
星ひとつない夜がカイヘン地方を覆っている。
影と少女は、失うための戦いへと更けていく夜とともに歩みだした。