ポケットモンスターHEXA











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エピローグ
エピローグV
 あなたが罪を受け取るのなら、私はそれを共に背負おう。ひとつの罪はあなたのため。ひとつの罪は名も知らぬ誰かのため。もうひとつの罪は、これから出会う全ての人のために。罪の風吹くあの丘で。あなたのために風車を回そう。





















 重苦しい空気が包み込み、外の晴天とは正反対のじめっとした感触が身体に纏いつく。前を歩く職員が扉に手をかけようとして、振り返った。

「面会時間は二十分です。これから話す内容は全て記録されます。金品の受け渡しはもちろん、触れる事も許されません。そのような行為を目にした場合、即座に面会は謝絶されます。よろしいですね?」

 問いかけられた言葉に、フランは頷いた。先程、誓約書に書かされた事をそのまま繰り返されただけだったが、元より何かを受け渡す気は無かった。モンスターボールも全て持ち込む事は禁止されている。扉が開かれ、職員に導かれて部屋の中に入る。狭苦しい部屋の隅にカメラが二台置かれている。ガラスの向こう側で座っている人影へと、フランは目を向けて会釈した。職員が後ろ手に扉を閉めて、フランの動向を見張る。フランは椅子に座り、ガラス越しに向き合った。

「お久しぶりです、アスカさん」

 その声にガラスの向こう側にいるアスカは「ええ」と頷いた。

「お久しぶり、フラン」

 アスカはそう言って髪をかき上げたようとして、その手は空を切った。トレードマークでもあった長かった赤髪は一年の刑務所生活で極端に短くする事を余儀なくされ、エメラルドブルーの瞳を細めてアスカは弱々しく笑う。その姿がかつてのディルファンスのリーダーとは思えず痛ましく、フランは「僕は」と口火を切った。

「僕にも責任がないわけじゃない。あなたが、こんな所にいるなんて」

「仕方がないわ。ヘキサに寝返ったのは自分の意思だもの。それ以降の催眠の痕跡は認められたものの、それ以前の罪が消えるわけじゃない」

 アスカは手錠のかけられた腕を上げてフランに見せた。フランは「刑期は何年ですか?」と尋ねる。

「三十年だって。出てくる頃には、おばあちゃんになっちゃうわね」

 アスカは努めて明るく笑ってみせたが、フランは一笑も出来なかった。ただ一言だけ、言葉を発する。

「待っています」

「待たれても、困るわ。それにこれでもまだマシだと思わなくっちゃ。ヘキサの人達は……」

 アスカは濁して顔を伏せる。ヘキサの団員達は皆、極刑に処せられた。仕方がないのかもしれない。彼らは首都を破壊し、多くの命を奪ったテロリストだ。カントーからもカイヘンからも見放され、彼らはただその運命を受け入れた。弁明もせずに全員が罪を受け止めたのは、彼ら自身その意識があったからかもしれない。重い沈黙が降りたつ中、フランが不意に胸の前に手をやって言葉を発した。

「僕の命は、アスカさんに救われました。もし、そうでなければここでこうして話す事も出来なかった」

「あなたは生きるべき人だったから。私は、あの時は心の赴くままに行動しようとして出来なかった。何をしても空回りだった。でも、今ならば分かる。人は空回りを繰り返して、ようやく自分の人生を歩む事が出来るって」

 ならばアスカは自分の人生を得る事が出来たのか。問いかけようとしても獄中の彼女にとってしてみれば酷とも言える質問に、フランは口を噤んだ。

「ナツキさん達は、元気なの?」

「はい。ああ、そういえば今日の夜に――」

「分かってるって。アヤノさんが言いに来てくれたわ。今はアヤメって名前だっけ」

 その名前が重く響き渡る。彼女もまたディルファンスの、エイタの被害者だ。だが、エイタもまた痛みを負った存在だった事は、以前アスカから聞かされていた。

 エイタは毎晩、姉の相手をさせられていたらしい。それをアスカが知ったのはカントーでの旅を終えた後だったという。そのためにエイタが旅に出ていた事も、女性を憎んでいた事も全て後から聞いた話だった。真実かどうかは判らない。寝物語に聞いただけで、それも酷く酔っていた時の事らしい。それでもエイタのやった事を全て赦せるわけではない。

「アスカさん。結局、何が正しかったんでしょうか? エイタもキシベも、自らの心に従ったから、こうなった。カイヘン地方はカントーに併合され、チャンピオンも空席。首都機能は完全に麻痺して、中堅議員達が利権争いを始めている……。誰もがより良くあろうとしただけなのに、誰も望んでいない結果になってしまった」

「それも時代の流れと言ってしまえばそれまでだけど、でも抗えない波だったのは確か。ナツキさん達はそれに抗った。私のように道を踏み外したりしなかった。したとしても、自分で修正出来る力を持っていた。私は、いつの間にか甘えていたのかもしれないわね。強かった、昔の自分の幻影に……」

 何も言葉を返せなかった。それは違うとも、そんな事ないとも言えずにフランは俯いた。すると、アスカが「顔を上げて、フラン」と声をかける。

「あなたにはまだ守るべき人がいるでしょう?」

 その声にフランは顔を上げて、歯を見せて笑うアスカの顔を見た。見透かされているな、と思う反面、だからこそこの人についていこうと思ったのだ、という原初の思いに立ち返る。フランが強く頷くと、「面会終了時間です」と職員が言った。立ち去る間際、フランは振り返り、「また来ます」と告げた。アスカは息をついて、

「あんまり来ると、怒られちゃうんじゃない?」

「そんな事ないですよ。僕はあなたをずっと待っていますから」

 微笑んだフランをアスカは指差して、「詐欺師スマイルね」と言って笑った。
























 フランはカントーの管理するハリマタウンにある刑務所を出た後に、バスに乗って南へと下った。

 窓の外を見やると、開発が急ピッチで進められている。タリハシティが無くなった事で周辺の地域が急激に開発される事になり、全てカントー政府のお膝元ではあるがカイヘン地方はまたも生まれ変わろうとしている。ロケット団を招いた時に工業化を強いられたように、今度は急激な都市化だ。山間部や森林なども恐らくは開発の対象に入るのだろう。

 一年でも様変わりしたハリマタウンはもうすぐハリマシティになる予定らしい。ジムリーダーも交代し、カントーによる「掃除」が行われようとしていた。

 緩やかな振動と共にバスが止まり、フランはバスを降りて目の前の建物へと入った。そこはハリマ記念病院だった。フランは受付で手続きを済ませると、看護師と共に一室へと向かった。個室にはコノハがベッドで眠っていた。寝息は穏やかで、心拍のグラフも脳波も正常だった。看護師が「さっき眠ったばかりなんです」と言った。

「そうですか。コノハは、よくなるんですか?」

 コノハは過度の薬物摂取により一時はこん睡状態にあった。しかしディルファンスの面々による応急処置や、この病院に移った事で回復の兆しがある。最近では一日に数時間ではあるが、目を覚まして簡単な会話が出来るらしい。

「治療が順調に行けば、一年後には退院出来るでしょう。ただ、記憶のほうに障害が出る可能性があります」

 その事は主治医から聞いていた。脳に少なからずダメージを負っているために、記憶の混濁が発生するだろうと言う事だった。もしかしたらフランの事を思い出せないかもしれない。それ以前に、死んだはずのフランが看病しても、生きている者達の世界に連れ出せないかもしれなかった。フランはコノハの髪をそっと撫でる。思い出さないほうがいい事もたくさんあるだろう。自分の事も、それに含まれるのかもしれない。

「でも、生きていてくれるのなら、僕はそれでいいんだ」

 一度は手離したと思った大切なもの。それがもう一度、自分と向き合ってくれるだけでフランの心は充分に満たされた。生きていてくれている。それだけでいい。何もいらないと思えるほどに。

 その時、コノハの睫がかすかに動いた。紫色の瞳がゆっくりと開かれ、フランは優しげに目を細めた。

「おはよう。コノハ」


オンドゥル大使 ( 2013/07/19(金) 21:40 )