ポケットモンスターHEXA - グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 二十節「歯車の兵士」
 轟音が何重にも阻まれた鉄壁の向こうで響き渡る。

 それは水中で聞くような淀みを伴わせて、セルジの耳に届いた。

 外がどうなっているのか、窓も何もない輸送機の格納庫では知る術はない。全ては操縦席にいるパイロットとエイタの手に委ねられているのだ。

 ここで生きるも死ぬも、信用などまるで出来ない二人次第。何も出来ない自分というものを持て余すしかない。

 自嘲しようとしても果たせない現状に、セルジは小さなため息をついた。構成員達は一様に不安な面持ちを伏せている。手の中に試作兵器があってもそれは同様だった。ルナポケモンを見分ける程度の道具でどうにかなるものか。結局、全ては自身の実力次第なのだ。ここが死地になる可能性もないわけではない。セルジは試作兵器のゴーグルを握り締めた。希望なんてつなげない。こんなものに頼ってもディルファンスが壊滅寸前なのは冷静になった頭に否が応でも理解できる事だった。

 劣勢を認めようとしないのはエイタだけだ。ここにいる構成員達だって馬鹿でない。もう、エイタの巧言に踊らされている無知な人々ではないのだ。しかし、それでもエイタの言葉に頼らずして何を信じるというのだろう。胸のバッジへと手をやる。これだけが自分達の力なのだ。ヤマキはこれを奪われた。ディルファンスという冠が最早カイヘン地方では意味を成さないことは承知でも、この力に依存するしか道はない。今更、どこにも戻れない。そういう点では、ロケット団と何ら変わりはしない。

 セルジはふと、向かい側に座っているアヤノへと目をやった。彼女は試作兵器の装備者に選ばれていないのか、ゴーグルは持っていないようだった。セルジはほっとする反面、それで彼女は生き残れるのかという不安が鎌首をもたげる。エイタはアヤノの事を大切に思っているのではないのか。本当に大切ならば試作兵器を持たせるべきか。いや、真に大切ならばまず戦いになど巻き込まない。やはり、利用されているのか。だが、彼女自身がそれを認めようとはしないだろう。本部での会話でそれがよく分かった。ならば、自分が守るか、と問いかけてセルジは目を伏せた。

 ――守れるはずがない。コノハ一人守れなかった自分に。

 彼女に守ると言っても、それは守れない約束だ。セルジは自分にそれほどの力が無い事は自覚している。

 ――ならば、俺はどうあるべきなんだ?

 ヤマキに尋ねたい気分になったが、ヤマキはもうディルファンスではないのだ。答えを出しあぐねていると、ノイズ混じりのアナウンスの声が耳朶を打った。

『……全構成員に告ぐ。本機体はまもなく着地する。着地時の衝撃に備えよ。バックパックは不要だ。着地後に再び指示を出す』

 それだけでエイタのアナウンスの声は途切れた。より不安が増すような言葉に、誰もが陰鬱な面持ちで黙りこくった。

 もう駄目かもしれない。何が、という主語を欠いた感情が不意に湧き立ち、セルジは目を閉じた。

 直後、身体の奥底から揺さぶる衝撃が全身を駆け巡った。慣性に引かれて座っていても前へと身体がふらつく。甲高い摩擦音が鳴り響いた。着地、と言っていたがこれは強行過ぎないか。セルジがそう思っていると摩擦音が途切れ、抗いがたい衝撃が腹に響いた。格納庫にいる構成員達が揉みくちゃの状態になる。制動をかけたのか。それとも着地用のホイールがいかれたのか。後者は考えたくないなと思いつつ、激震が思考を奪っていった。

 振動がやむと、時間間隔すら麻痺するような静寂が降り立ち、セルジは薄く目を開けた。その視界にゆっくりと開いていく明かりが映る。いつか、「あの世の光か」とヤマキが言っていたのを思い出した。だが、それはあの世の光でも何でもなく、ただの外の光だった。今もまた同じだ。背面にあるハッチが開き、暗闇に慣れた瞳には痛い光が射し込む。出口に近い人間から、そっと出て行った。セルジもその後ろについていく。まず目に入ったのは、一筋の溝が刻まれた道路だった。輸送機が着地する時についたものだろう。

 空を仰いだ瞬間、セルジは思わず一歩退いた。顔を拭ってもう一度、よく見やる。フワライドの群れが視界を埋め尽くしていた。どう考えても正常な空ではない。加えて、目の錯覚か、空が近いように感じた。闇に慣れすぎたのか、と目を擦る。だが、異様な光景には違いなかった。振り返って輸送機に目をやった。輸送機はやはり前足のホイールがいかれたのか、傾いでいた。操縦席からエイタが降りてくる。その姿をセルジはじっと見つめていた。拳をぎゅっと握り締める。ヤマキから力を奪った人間。コノハとアヤノを利用するだけ利用して捨てようとしている人間。様々な感情が内奥で入り乱れたが、今決着をつける気にもなれずに、感情は燻るばかりだった。

 エイタが声を張り上げる。

「君達はようやくここまで来たんだ! 世界の敵の喉元へと! ここで我らが臆するわけにはいかない。引き返せるはずがない。ここはタリハシティだが、タリハシティではないからだ」

「エイタさん、それはどういう意味ですか?」

 構成員の一人が尋ねると、エイタは神妙な顔つきで頷いた。

「……タリハシティそのものがヘキサの本拠地だったんだ。信じがたい話だろうが、今、このタリハシティは浮き上がっている」

「浮き上がっているって、どういう……?」

「言葉通りだ。ヘキサはこのために準備を重ねていたのか、タリハシティそのものを浮遊要塞と化し、カントーを目指している」

 その言葉はにわかには信じられないものだった。だが、先程の違和感を説明するにはそれが手っ取り早い理解の方法である事も頭の片隅で分かっていた。

 だが、どうやって? いつから? という疑問が浮かぶ。しかし、セルジが答えを出すのではない。自分は兵だ。考えるのは将の務めである。だが、肝心の将が信頼できない今では、セルジが考える頭を巡らせるのも無理からぬ事だった。

「浮遊要塞の中枢は下層部にある。それは確認済みだ。今から君達には下層部への抜け道を探してもらう。データは随時、並列化して試作兵器へと送る。ヘキサの勢力が邪魔立てするのならば容赦はするな! 正義は我々の手にある!」

 普段ならば、歓声と拍手が巻き起こるこの言葉に誰もが沈黙を返した。信じられないのは皆同じか、とセルジは思いつつ唯一拍手をしている人間へと目を向けた。

 アヤノだった。

「僕からの話は以上だ。装備者は試作兵器を装備し、敵ルナポケモンとの戦闘に備えろ。ここで固まっていても、やられるだけだ。予め伝えておいた編成で下層部を目指してくれ。迅速な事態の収束を願っている。君達だけが頼りだ」

 その言葉を潮に伝えられていた編成を組み、身を翻してチームごとにその場から駆け出した。セルジは走り出す直前、エイタを肩越しに見やった。アヤノがエイタへと歩み寄っていた。アヤノだけ、どのチームにも加わろうとしない。エイタの直属なのか。だが、今は考えている余裕はなかった。この戦いに生き残り、ヤマキの魂を受け継いでコノハとアヤノを救う。それだけを念頭において、セルジはゴーグルをかける。ウィンドウが目まぐるしくスクロールし、正常に稼動している事を告げる。チームの中でゴーグルをつけているのはセルジともう一人だけだった。

 チームの全員が言葉もなく、戦場と成り果てた大地を駆け抜けた。


オンドゥル大使 ( 2013/02/24(日) 20:03 )