第六章 十八節「開幕」
レックウザの素早さはさほど高いわけではない。
だが、この時には「しんそく」を使ってタリハシティまでの距離を着実に詰めていた。
レックウザが顎を引いて頭突きのように空気の壁を割り、七メートルもある緑色の巨躯が残像さえ引いてタリハシティへと肉迫する。レックウザから見れば奇異に見えるだろう。人の叡智によって大地が浮き上がり、自分の領分を侵されている感覚にもなるかもしれない。しかし、伝説のポケモンならではの風格か、感情というものが表情には全く出ていなかった。トレーナーの言葉を遂行する。その意志だけがある。マスターボールで捕まえられたというのも大きかったのかもしれない。あと一度の神速でタリハシティに到達できる場所まで近づいた瞬間、耳元につけられている音声機器から声が響いた。
『レックウザ。逆鱗だ』
命じる声に、レックウザは稲妻のような鳴き声を上げる。すると、レックウザの全身に刻まれた縄目文様が一際輝いた。黄金の輝きが内側から滲み出し、レックウザそのものを染めてゆく。まるで血脈のように文様からレックウザの眼差しへと金色が入り、瞳孔が収縮したと思うと、黄金に輝くレックウザがまさしく閃光のようにタリハシティへと突っ込んだ。狙ったのは浮遊機関の一つである。レックウザの「げきりん」ならば、確実に破壊出来る、はずだった。だが、タリハシティそのものが衝撃で傾いだものの、浮遊機関自体には損傷はなかった。レックウザが身をくねらせながら一度引き、全体像を捉える。
その眼に映ったのは青い四角形が隙間無く無数に張り巡らされた浮遊機関だった。ちょうど、浮遊機関の重要部位を囲うように青い皮膜が張られている。
『人工リフレクターだね。これほどの密度と数を揃えるとは、恐れ入ったよ。だが、一撃で破れないだけだ。もう一撃加えれば容易く消え去るだろう。レックウザ、もう一度突っ込め』
レックウザが一声鳴き、身体の中腹についている両腕を広げる。鋭く尖った鉤爪へと黄金の血脈が流れ込んでいる。今度は鉤爪で攻撃するつもりのようだった。尻尾から中腹にかけてばねのように身体をくねらせて、攻撃態勢に入る。レックウザの金色の瞳孔に意志の光が宿り、旋風を起こしながらレックウザは浮遊機関へと飛び掛った。
その時である。
「ちょっと、甘いんじゃない?」
その言葉が消えるか消えないかの刹那、レックウザは反射的に身を引いていた。身体から黄金の輝きが失せ、その眼に宿った意志の光が鈍くなる。
『どうした? レックウザ。攻撃を中断なんかして』
トレーナーの声など聞こえていない。レックウザは目の前の敵に注意を払っていた。その敵は余裕の表情を湛えてビルの屋上にいた。黒いラインが縦横無尽に走っている白地の服を着ている。フードつきの服だった。フードを目深に被ってはいるが、その奥にある獣の瞳は隠しようが無かった。伝説と呼ばれるポケモンが臆しているのはその女だけではない。
女の隣にポケモンがいた。巨大な貝の鎧を身に纏っている。頭部には角のような鎧と、前足と後ろ足にそれぞれ鎧がついている。鎧兜の人形のような立派な髭が生えており、そのポケモンの凄みを引き立たせていた。全身、これ武器とでも言うような攻撃的なポケモンはイッシュ地方のトレーナーが最初にもらえるポケモン、ミジュマルの最終進化系であり、オールラウンドの技を使いこなす水タイプのポケモンでもある。
「そこから先に踏み込んだら危ないって分かるみたいね。さすがは伝説のポケモン、とでも言っておこうかしら」
女がビルの下を示す。ビルの中腹辺りに、剣が突き刺さっていた。柄の部分を向けているが、レックウザはそれに反応したのだ。
『レックウザ。あれは切っ先がこちらに向いてないじゃないか。だったら、恐れる必要なんて――』
「あるのよ、それが」
引き継いだ声に、通信機越しのハコベラが苦々しく口にした。
『盗聴とは趣味が悪い』
「盗聴? この場に現れずに伝説のポケモンだけ寄越すほうがよっぽどだと思うけど」
『言われたくないな、犯罪者に』
ハコベラの言葉に女はおどけたように頭の上に手をやった。
「あれ、ばれてる?」
『その声は聞いた事があるからね。その顔も、見た事がある。ダイケンキを使うポケモントレーナーで犯罪者といえば答えは一つしかない。コルドか』
「ご明察」
女――コルドがフードを取る。金髪をカチューシャで留めており、蒼い眼が煌々と輝いている。隣に佇むダイケンキも同じだった。蒼い眼が鋭角的な鋭さを伴ってレックウザを睨みつける。レックウザは伝説のポケモンにもかかわらず、どこか気圧されている様子だった。
「臆病なレックウザね。それとも、トレーナーになついていないのかしら?」
『あまり使わないからね。なついていないのも無理はない。それとコルド、一つ聞かせてもらうよ』
「何?」
『その剣の射程内、踏み込んでいたらどうなった?』
その言葉にコルドは口元を歪めて、手を掲げて見せた。
「こうなっていたわよ」
指をパチンと鳴らした瞬間、剣を中心として扇形に空気が凍りついた。空気中に突然現れた流氷は重力に従いすぐに落ちたが、あれを食らえばレックウザとてただではすまなかっただろう。レックウザはドラゴン・飛行のポケモン。氷タイプの攻撃は四倍の弱点となる。加えて、ただの氷タイプの攻撃「ぜったいれいど」ではない。絶対零度は命中すれば、確実に相手を倒す技だが命中率が低くレベルの低い相手にしか当たらない。通常の命中率は30パーセントあるかないかだ。だが、扇状に広がった凍結範囲は確実に絶対零度の攻撃射程を超えている。その答えは蒼い眼にあるとハコベラは直感で感じた。ダイケンキは蒼い眼ではない。トレーナーも蒼い眼であるのが気になった。
『絶対零度なんて食らうわけにはいかないね。でも、同じ手が伝説級のポケモンに二度も通用するとでも?』
「しないわね」
あっさりとコルドは認めた。掲げていた手を下ろし、「だから」と呟く。
「ダイケンキには得意な接近戦をしてもらいましょう」
その言葉にダイケンキが後ろ足で飛び上がった。ビルから身を躍らせると、回転しながらビルに突き刺さっていた剣の柄を掴んだ。落ちる運動エネルギーと共に、剣によってビルが寸断される。コルドは既に隣のビルに乗り移っていた。
ダイケンキは前足でしっかりと剣を掴んでいた。それはダイケンキのみが持つ特殊な剣、「アシガタナ」である。ダイケンキはアシガタナを地面に突き刺し、前足の鎧へと手を伸ばした。鎧の上部にはアシガタナと同じ柄がある。それをダイケンキは引き抜いた。もう一本のアシガタナを構え、突き刺したアシガタナを掴み取る。二刀流を得たダイケンキが再びレックウザを睨む。レックウザも負けじと吼えたが、伝説のポケモンの貫禄ではなかった。どこか押し負けているのだ。その謎を解明するためにも戦うしかなかった。どっち道、浮遊機関を無事に破壊するには避けては通れない。ハコベラは覚悟を固めて、マイクに吹き込んだ。
『行くよ、レックウザ』
「レックウザか。相手にとって不足はないわね。ダイケンキ。楽しみませて」
ダイケンキが二刀を構え、腕を広げる。トレーナーとポケモン。両者の眼は獣そのものだった。