第六章 十三節「崩落都市」
テレポートから抜け出た身体が軋みを上げる。
テレポート中は、上下感覚はない。だから、妙に力を入れてしまう。重力と、冷たい風が心地よくそよぎナツキは顔を上げた。視界の隅に、シルフカンパニーカイヘン支社のビル跡地が見える。現物を見たのは初めてだった。ディルファンスが壊したのは知っていたし、ロケット団復活宣言で見た景色も瞼の裏には残っているが、現実の物体として現れた縦に裂かれたビルの跡地は、嫌でもそこに介在した生死を連想させる。ナツキは周囲を見渡した。ビル群に囲まれたオフィス街に出たようだった。
「ここは?」
すぐ近くにいたリョウが口を開く。
「多分、タリハシティ中心街だろうね。すぐ近くにシルフカンパニービルが見えるという事は、そうおかしな場所に飛ばされたわけじゃないようだ。とりあえず、戻ってくれ。キルリア」
フランがキルリアにボールを向ける。キルリアが赤い粒子になって回転しながらボールへと吸い込まれた。
カントーのヤマブキシティを模した構造をしているタリハシティは、ヤマブキシティの地図が頭に入っていれば容易に位置情報が頭に入る。だが、ナツキは未だカントーに行った事がないために、いまいちピンと来なかった。それにヤマブキシティとは基本構造が似ているだけだ。建造物はまるで違う。
「本当にここがヘキサの本拠地なのか?」
サキの声に、マコが「でも」と言葉を続けた。
「おかしいよ、何か。静か過ぎない?」
「そう言われてみれば、確かに」
博士が周囲を見渡す。ナツキは空を仰いだ。ミサワタウンを出た時とは対照的な暗雲が立ち込めていた。雨が降り出すかもしれない。折角の服を濡らす事になるのかと思うと、ヨシノに悪いような気がした。
「そうか」と博士が声を上げる。周囲に気を張っていたフランが振り向いた。
「どうかしたんですか?」
「どのビルも電気が点いていないんだ」
博士がビルの一つを指差す。すっと指を横に動かすが、示したビルはどれも照明が点いていなかった。
「停電、ですか? そんなニュースはなかったはずじゃ」
「分からんよ。カイヘンで情報を発信するのはタリハシティだ。そこが押さえられているとなっちゃ、情報封鎖は完璧だと思うよ」
「でもマスコミ全てがタリハシティに集中しているわけじゃないでしょう。どこかのメディアが取り上げるはずじゃないんですか」
「いや、分からねぇぜ」
返したのはリョウだった。リョウはタウンマップを鞄から取り出して、広げて見せた。
「マスコミがあるのはタリハシティとヤマトタウン、ハリマタウンか。ここ周辺全てが停電状態にあるんなら、どうかな」
「首都と周辺地域全てだって? 馬鹿な。そんな事、すぐに伝わるはず」
「俺がどうかなって言ったのは、この状況にいつなったかって話だ。三日前ぐらいから、ってわけはないだろ。さすがに伝わる」
「じゃあ、昨夜だって言いたいのかい? でもミサワタウンでは何の影響も無かった」
「ミサワタウンは風力発電だよ。カイヘン地方の電力はツインボルトタワーという発電所がまかなっている。ただ特殊なんだ」
博士の言葉にフランが「特殊、というと?」と尋ねる。
「まず電力はタリハシティに行く。タリハシティにも小型の中継地点があるから、そこから周辺の町に電力が行き通る。ミサワタウンに行き着くのは最後だよ。だからミサワタウンは風力発電をしているんだ」
「つまり、ツインボルトタワーが異常を来たしたと考えるべきですか?」
「この状況から察するにそうだろうね。何らかのシステムエラーか。まぁ、私は電気関係には詳しくないから分からないけど」
博士が後頭部を掻きながら周囲を見渡す。
ナツキは先程から妙だと感じていた。人がいれば分かるものだ。気配、というものが人には例外なくある。加えてナツキはカメックスとの同調経験からそういうものに敏感になっていた。だが、ナツキの感知野を騒がせているのは地上の人の気配ではない。ナツキはふと綺麗に舗装された道路に片手をついた。すると、電流のようにプレッシャーの波が感じられた。
「地下に、いるの?」
「何だって?」
ナツキの言葉に反応したリョウは、ナツキへと近づいた。
「どういう事なんだ、ナツキ。地上の人達が地下に皆避難したって事か?」
リョウの言葉にナツキは手をついたまま頭を振った。
「違う。地上にはほとんど人間の気配を感じない。少なくとも私達を狙う存在は。でも、地下には……。何、これ」
ナツキは思わず膝を折った。急に蹲ったナツキへと全員が寄り集まる。
「どうしたんだ?」
フランの声にナツキは息も絶え絶えに言った。
「地下に、感じた事のないプレッシャーが渦巻いている。分からない。一人のようにも思えるし、何十人にも思える」
「どういう事だ?」
ナツキは手を強くついて意識を集中させた。こめかみの辺りがズキズキと疼く。まるで無理やり脳を開いているような感覚だった。
「この感覚、知っている。でも、混ざり合っていて誰だか分からない。この感じは……」
頭の中で必死に符合する人物を探す。最近感じたものだが、どうにも地下のせいか鈍く感じる。一人、また一人と候補を削りながらナツキは意識を一点に集中させた。弾ける寸前まで思考を引き絞る。
その時、出し抜けにサキが叫んだ。
「おい! 何かおかしくないか。これ、もしかして」
直後、ナツキの脳内で閃くものがあった。
「そうか。この感覚、キシベ……。私達を見ている?」
顔を上げようとしたその時、激震がナツキの身体を襲った。空間それそのものが震えているかと思えるような衝撃にマコが転びそうになる。それを危機一髪でフランが支えた。だが、フランも躓いて、前のめりに倒れる。マコはその背中に乗った。ナツキとリョウとサキと博士はこの事態に周囲を見渡した。敵の襲撃かもしれない、そう思い身構える。だがもしこれが敵ポケモンの「じしん」などの技ならばすぐに収まるはずだ。だが断続的に続く揺れが、これはポケモンの技ではないと証明した。
「じゃあ、これは……」
ナツキの発したその言葉を遮るように、耳を劈く破砕音が響き渡った。遠くのようだが、それでも腹に響くという事は相当なものが壊れている音のようだ。
「おい! あれ!」
サキが指差した方向に皆が視線を向ける。ビルの隙間からリニアトレインの駅が見えていた。その駅が今まさに、砂煙が横一直線に上がり視界を遮った。
「あそこもだ!」
次に指差したのはタリハシティと他の町を繋ぐサイクリングロードの関門だ。そのサイクリングロードへの関門の前から横一直線に波飛沫のような砂煙が景色を引き裂いた。
「……どう、なっているの?」
呟いた声が轟音と吹き荒ぶ砂の混じった風に掻き消される。またも巨大な破砕音が響き渡り、砂煙の津波が景色を切り裂いていった。
「ナツキ!」
リョウが呼ぶ声と浮かべた表情に、ナツキはすぐさま察してホルスターのボールを引っ掴んだ。緊急射出ボタンに指をかけると同時に、上に向ける。リョウも同様の行動をしていた。ボタンを押し込む瞬間、二人の声が重なった。
「いけ、オニドリル!」
「いけ、オオスバメ!」
ナツキのボールが手の中で割れ、身体を回転させながら槍のような身体の鳥ポケモンが躍り出る。槍の穂先のように尖った嘴に、鋭角的は瞳が射る光を宿している。茶色を基調とした身体に大きな翼を有していた。赤い鶏冠が一点のコントラストとして映えている。その名はオニドリルである。ノーマル・飛行タイプのポケモンであり、カントーで多く群生するポケモン、オニスズメの進化系だった。
オオスバメを繰り出したリョウはその足へと手をかけた。ナツキもオニドリルの足に手を絡ませる。鉤爪ががっちりとくわえ込み、ナツキとリョウの身体を宙に浮かせた。
二体の鳥ポケモンから望んだその瞳に映ったのは、荒れ狂う砂煙だった。先程、血飛沫のように砂煙が迸った箇所で空気が渦を巻いているのだ。ナツキには、それがいつかテレビで見た宇宙空間において空気が漏れた時に起こる気圧の変化の現象に似ていると感じた。空気の渦が砂という刃を伴って鳴き声を上げている。その音にリョウが眉をひそめた。
「……嫌な音だな。それにしても」
オオスバメに回転を促したリョウが180度を見渡す。
「タリハシティを囲むように砂煙が上がっている。間違いなく異常事態だ。恐らく、自然現象の類じゃない」
「じゃあ、これは……」
ナツキが濁した言葉の先をはっきりとリョウは言い放った。
「ヘキサの先制攻撃か。俺達がここに来たのが、もうばれたのかもしれないな」
「人がいなかったのも、そのせいだって言うの?」
「あるいは、もうヘキサが始末しているか」
「そんな事」
リョウの言葉に思わず戸惑いの声が漏れる。そんな事、あってはならないのだ。いくらヘキサが犯罪組織とはいえ、リスクが高すぎる。それに人道的に許すわけにはいかない。ナツキが胸の前で片手を握り締めていると、リョウが振り向かずに口を開いた。
「確かに。それにしちゃ、何のパニックの跡もなかったのが不思議だ。抵抗しない民衆ばかりじゃないだろう。何かされたか?」
「何か……」
呟いてみて、先程の地下から感じたプレッシャーを思い出す。あれはキシベの視線だ。絡みつくように自分達を見ている。神の視点だとでも言うように。傲慢だが読めない視線。それが何らかの策を講じたのであれば。たとえば、チアキを味方につけたように。
「おい、あれ」
リョウが顎でしゃくって前を示す。ナツキは思案に耽っていた顔を上げた。暗雲に追随するように二つの黒点が見えた。徐々に近づいてくる。それは大型の輸送機だった。見た事のない型だ。カイヘンの空を飛んでいるものではないと一瞬で分かった。
「俺達以外にもヘキサの手がかりを突き止めた奴がいるって事かよ」
ナツキは近づいてくる輸送機がディルファンスのものではないかと予想していた。リョウも同じように考えている事だろう。この状況でヘキサに介入してくるのは、公安かディルファンスしかいない。ポケモン犯罪を丸投げしていた公安や警察機構が今更動くとは考えづらい。動いたとしても上空からの奇襲作戦などという策を一夜にして練って実行に移すだけの財力も決断力もないだろう。サキの話を信じるならば、チャンピオンとコネクションのあるディルファンスの可能性のほうが大きい。
「やばいな。鉢合わせになる。まずければ情報封鎖で俺らが殺されるか。今、この街は停止状態だ。何が起こってもすぐには分からない。一旦降りるぞ、ナツキ」
リョウはオオスバメごと振り返った。だが、その瞬間、リョウの表情が凍りついた。どうしたのだろうとナツキが思っていると、リョウが驚愕に目を見開いたまま、喘ぐように口にした。
「……あれは、どうなってるんだよ」
その言葉にナツキもオニドリルに振り返るように命じる。その視線の先には信じがたいものがあった。ナツキも目の前の事実を認識できずに一瞬、何も考えられなくなったほどだ。だが、それは確実な事だった。
「大地が、割れてる……」
見たままをナツキは口にした。先程、砂煙の迸った箇所の地面が割れ、明らかに内側と外側で高度が違った。浮き上がっているのだ。タリハシティそのものが。目を擦っても景色は変わらない。現実だと認めるしかない。
「オオスバメ!」
その言葉でリョウのオオスバメが急に羽ばたいて揚力を得た。風に乗って一気に高度を上げる。ナツキの視点は断絶された大地に釘付けにされていた。空気の流動は収まっている。だが、その代わりに大地が浮いている。これが何を意味するのか。考えを巡らせる頭に、差し込むように声が響いた。
「分かったぞ」
リョウが高度を下げてナツキの前へと降りてくる。リョウは「信じられないが」と前置きしてから、汗の滲んだ額を拭って言った。
「このタリハシティの浮き上がった部分は、六角形の形をしている。この意味するのは」
そこまで言われればナツキにも察しが付いた。キルリアがこの場所を示したわけ、それはただ一つ。
「……このタリハシティそのものが、ヘキサの本拠地」
言葉を引き継いだナツキは背中に嫌な汗が伝うのを感じた。