ポケットモンスターHEXA - グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 十節「受け継ぐ意志」
 放った言葉は無意味という他無かった。

 アヤノに届くことは無く、逆に痛いところをつかれた結果になったセルジは部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。

 自分は結局、利益になる事しかしていない。ディルファンスが今までのように正義として確固たるものを持っているのならば、こんな事は言い出さなかった。それは正しく、セルジの心を突き刺した。エイタを疑い始めたのも、劣勢になったからだ。コノハという人間がいなければ、自分は疑う事も無く、戦いで死ぬ事にも迷いなど無かっただろう。だが、今の心は真っ直ぐに前だけを見つめる事は出来ない。愚直に前を見続けていた時とは状況が違う。振り返ればたくさんの犠牲があった。その犠牲に報いるために戦ってきたつもりだったが、結局はエイタの言葉に踊らされ、自分の生活惜しさに抗弁の口を開くのを躊躇っていただけだ。

「……道化だな」

 口にした言葉は自分で思うよりも重く、セルジは立ち止まった。俯いたまま、その場で硬直する。アヤノに真実を告げたのも道化ならば、コノハやアヤノに同情していたのも道化だ。そして、今まで迷う心を失っていたのも。今までの罪は誰が裁いてくれるのだろう。

 セルジは幸いな事に人を殺した事はない。だが、ヘキサとの攻防戦になれば必ず人は殺さなくてはならないだろう。コノハはそれを一人で背負い込んだのだ。その結果、崩壊してしまった。全ては背負わせてしまった自分の弱さが原因にあった。弱いから、誰かの言葉を鵜呑みにしてしまう。誰かのために戦えない。ならば、強ければそうならずに済むのか。答えの出ない問答には違いなかったが、考えずにはいられなかった。自分の今出来る強さとは何なのか。その思考を遮るように、アナウンスの声が響き渡った。

『ディルファンス全構成員に通達します。本日0900よりヘキサへの制圧作戦を開始。各構成員は三十分後にレクリエーションルームへの集合を命じます。そこで作戦内容の確認、及び試作兵器装備者には別に作戦内容が通達されます。試作兵器装備者をこれから読み上げます。敬称略となっております。キリシマ、サクラ、スズキ、セルジ、ソウマ……』

 アナウンスの声の中に自分の名が混じっている事に、セルジは顔を上げて呆然と呟いた。

「俺が、試作兵器の装備者……」

 そんな事は事前に知らされていない。何かの間違いか、と思ったがこんな局面で名前の間違いなど起こるはずがない。ならば、本当に自分が装備者になるのか。問い質してみたい気分に襲われて、セルジはエイタの部屋に行こうと振り返ったその時、今しがたこの階層に上がってきたばかりのヤマキを見つけた。セルジは呼びかえるが、ヤマキはまるで上の空のように反応が無かった。セルジが歩み寄ってようやくその足音に気づいたのか、顔を向けた。だが、その顔も薄気味悪いほどに血色が悪かった。眼もどこか空ろだ。セルジは心配になって肩を叩いた。ヤマキはゆっくりとセルジへと目を向けて、ようやくその目に捉えたとでも言うように目を見開いた。

「……セルジか」

「どうしたんだよ。らしくないぞ、お前」

「……ああ、ちょっとあってな」

 ヤマキは凍えているように身体を両手で抱いていた。震えてもいる。何か、悪いところでもあるのだろうか。セルジは問いかけた。

「何か、よくない事でもあったのか」

 その言葉にヤマキはセルジを見やった。その眼差しは胸元のバッジに向けられている。視線に気づいたセルジが尋ねる。

「どうかしたのか? おかしいぞ、お前」

「おかしい、か。確かにそうだな。俺はこの組織ではもうおかしいんだ」

 ヤマキが抱いていた手を離した。その胸にいつも輝いているはずのバッジが無い事にセルジは気づいた。

「バッジ、どうしたんだ? 常時つけておくのが義務のはずだろ」

「俺には、もうつける資格がないんだ」

 ヤマキは俯いてバッジがあった箇所を確かめるように指で触った。喪失の痛みに呻くように、顔をしかめる。その様子が只事ではない事はセルジにも分かった。ハッとして顔を上げる。

「……お前、まさか」

「そうだよ。エイタさんに楯突いちまった。バッジを取り上げられちまったんだ。意見するような人間には、もうつけている資格がないってな」

「そんな……」

 セルジは信じられない心地でヤマキを見つめていたが、その眼は嘘や冗談を言っているようではない。いつも楽観的なヤマキの初めて見る真剣な顔だった。

「俺には、コノハさんをもう救えないんだ。これから先の戦いにも参加出来ない」

「そんな。そんなのってないだろ。お前、今まで一緒にやってきたじゃないか」

「もう、その一緒に、が通用しないんだ。お前はディルファンス構成員のままだけど、俺にはもうそれがない」

 ヤマキが胸元に手をやったまま顔を上げる。涙さえも流れない。自分がふがいなくて仕方がない。そんな気持ちが嫌でも伝わってくる。今まで腐れ縁だと思っていたが、顔をつき合わせれば嫌でも気持ちが通じる仲になっていた。この時も、嫌でもヤマキの気持ちはセルジへと流れ込んできた。その痛みにセルジも顔をしかめる。

「だったら、俺もこのバッジを――」

「よせ」

 バッジを外しかけた手をヤマキが押さえた。セルジはヤマキを見つめて呻くように言った。

「でも、お前が戦えないのに、俺が戦うわけにはいかない」

「違う。違うんだ、セルジ」

 ヤマキがゆっくりと首を横に振る。セルジは押さえられた手を振り払うことなく、ヤマキを真っ直ぐに見つめていた。

「お前にはまだ力がある。俺とは違う、まだコノハさんを救えるんだ。その資格があるんだ。だったら、手離すべきじゃない」

「でも、エイタさんのやっている事に納得できないんだろ。俺もその気持ちは同じだ。なのに、俺だけエイタさんのやっている事を納得しろっていうのかよ」

「違う。……いや、違わないか」

 ヤマキは力を抜いて俯いた。そこから先の言葉を、身を削るように喉の奥から発する。

「俺はお前に結局、押し付けているのかもしれない。俺が出来ないからって、お前には納得しろって言うのは勝手だよな。でもさ、俺にはもうそれぐらいしかないんだ。エイタさんの命令を無視する事も出来るさ。でも、俺には力が無いんだ。どうしようもなく、無力で……」

 ヤマキはその場に膝をついて崩れ落ちた。片手だけセルジの手首を握ったまま。泣き崩れているわけではない。男ならば、親友の前で泣く姿など見せられない。ヤマキは泣く事も出来ず、ただその場で蹲るしかなかった。自分には何も出来ないという現実。それを変えるだけの力はない。可能性も見失ってしまった。ディルファンスのバッジだけが可能性だったのだ。それを失えば、セルジとてヤマキの立場にならないとも限らない。結局、自分達は可能性を自分から手にする事が出来ずに、ただ人任せにする事しか出来なかった。ディルファンスという大きな歯車に可能性を任せていれば安泰だと思っていたのだ。だが、それは大きな間違いだった。他人に可能性を任せた時点で、人間としては死んでいるのだ。いつしか歩みを進める足すら失って、歯車を回すためのただの部品に成り下がる。それでいいと思っていた。しかし、今ならば分かる。それでは駄目なのだ。可能性を掴むのは自分の手なのだ。そこまで至るのも自分の足なのだ。それを失って、初めて気づくようでは意味がない。

 セルジは手首を握るヤマキの手を握って、口を開いた。

「立てよ、ヤマキ。らしくないぞ」

「……ああ、悪い」

 ヤマキが立ち上がった。セルジは真っ直ぐにヤマキを見つめて言った。

「俺は戦うよ。お前の分まで」

「ああ、頼むぜ。親友」

 その言葉に微笑んで、セルジは拳を突き出した。その拳にヤマキが拳を当てる。ディルファンスに入る前に、二人でよくやっていた親友の証だった。今になって思い出すとは思わなかった。だが、大切なものは本当に辛い時に思い出すものだ。

「セルジ。お前に頼みがある」

 ヤマキが腰のホルスターからモンスターボールを取り出した。それはドリュウズのボールだった。それを前に出して、ヤマキは言った。

「ドリュウズを使ってやってくれ。俺の代わりに、ドリュウズがお前の力になる。勝手な言い分だって事は百も承知だ。でもよ、託したいんだよ。俺の意志をお前に」

 ヤマキの言葉にセルジは逡巡するようにドリュウズの入ったボールを見つめた。ドリュウズを受け取るという事はヤマキの魂を受け取るという事だ。ヤマキの意志を次へと進める力にするために、自分は道を切り拓く者になるという事だ。それは、もしディルファンスが間違った事をすれば正せという意味でもある。正しいと思った事を成してバッジを剥奪されたヤマキのように、自分もそれ相応の痛みを受けるかもしれない。それでも、共に歩むか。

 セルジはドリュウズのボールを受け取って、頷いた。

「分かったよ、ヤマキ。お前の意志を俺が継ぐ」

 ヤマキが笑いかけた。セルジもそれに笑みを返す。

「それと、これは餞別だ」

 ヤマキが懐から何かを取り出した。それは掌に収まるサイズの部品だった。オレンジ色で、山形をしている。受け取りながら、セルジはそれを見つめて首を傾げた。

「これは?」

「プロテクターだ。ボールに入っているサイドンに持たせてやれ」

「何か変わるのか?」

「分からん。俺も噂ぐらいしか聞いた事がないからな。サイドンが好んでいるらしい。持たせると、何かが起こるって」

「何か、か……」

 セルジはプロテクターを握り締めて、それを自身の懐に仕舞った。

「じゃあな。俺は本部を去らなきゃいけないけど、元気にやってくれ。って、これから戦いに行くのに元気に、もないか」

 ヤマキが笑う。だが、その笑顔の下には隠しきれない痛みがあるはずだった。それを感じ取ったセルジは真顔で頷いた。ヤマキも真顔になって口にする。

「死ぬなよ」

「分かってる。コノハさんを守るためにも死ぬわけにはいかない」

 セルジが歩き出す。ヤマキはその場に留まって、セルジの背中を見つめていた。これから戦いに赴くセルジの心に最早迷いは無かった。ヤマキとコノハのためにも必ず生きて帰る。その意志を胸に、セルジは親友の授けてくれたドリュウズのモンスターボールに手をやった。確かな熱い鼓動がセルジの指先に伝わった。























 轟、と空気が鳴動する。

 この身を吹き飛ばしかねないほどの轟音が周囲の草木を薙ぎ払ってエイタの耳まで届いた。特別に使用許可を下されたサイクリングロード上に大型輸送機が二機、動力から周辺を震わせる音が響いている。操縦席が高い位置にあり、巨大な主翼の下には大型の円柱型エンジンがついている。機体の腹は大きく膨らんでおり、立方体にほぼ近い。その全形は腹の出っ張ったペリカンというところか。エイタはもう三十人と残っていない構成員達を引き連れて、輸送機に乗ろうとしていた。一機しか頼んでいないはずだが、二機届いた。ハコベラにこの戦いが終われば感謝しなければいけないと思いつつ、エイタは構成員達に指示を飛ばした。

「十五人ずつ乗ってもらう。タリハシティ上空で一人ずつ、バックパックを使って降りるんだ。ちゃんとバックパックの動作確認はしたな。試作兵器装備者はそれぞれ分かれてくれ」

 構成員達は頷き、各々輸送機へと向かってゆく。その中に、アヤノの姿をエイタは見つけた。アヤノは一瞬、エイタを見やったがすぐに視線を逸らした。エイタは先程、ブリーフィングの前にアヤノに詰め寄られた事を思い出す。























「どうして! どうして、あたしが装備者じゃないの!」

 アヤノは平時の言葉遣いすら忘れて、エイタを問い詰めていた。エイタは周囲を見渡す。医務室とはいえ誰かが通りかからないとも限らない。落ち着くようにエイタは静かに口にした。

「怒らないでくれ、アヤノ。君の安全を思っての事なんだ。確かに君の素養は素晴らしい。だけど、今度は実戦だ。そんな時にイレギュラーが起こっては困る」

「あたしはイレギュラーなんて起こしません! あの時は少し戸惑ってしまっただけで」

「その戸惑いが命取りになるんだ、アヤノ。君はまだディルファンスに入って日が浅い。それまでは普通のトレーナーだったはずだ。急に実戦と言っても分からないだろう。君には後衛をお願いする」

 アヤノはエイタの腕にしがみついて「そんな……」と呻いた。

「あたしは戦いたいんです。エイタさんのためなら、あたし」

「気持ちは嬉しいさ。でも、前線で君が生き残れる保証はない。君にはこの戦いの後、僕を支えて欲しいんだ。大切なものは誰にも触れさせない。僕は、今はリーダーだ。前に行かなくちゃならない」

「でも、それじゃ、エイタさんのほうが危険に――」

「アヤノ。僕も男だ。守りたいんだよ、君の事を」

 アヤノはその言葉に二の句を継げないようだった。エイタの腕を掴んでいた手を離し、だらんと下げると、「分かりました」と俯きがちに言った。

「でも、エイタさん。本当に危なくなったら言ってください。あたし、いつでも行きますから」

「その気持ちだけで十分だよ。君は本当に凛々しく、愛しい人だ」

 エイタはアヤノの腕を引き寄せ、そのまま抱き締めた。アヤノの髪から立ち上るにおいが女の香りになろうとする。だが、今は作戦前だ。自分の感情のままに動けば、何もかも台無しになる。

 エイタはアヤノとの口づけも簡素に済ませて、医務室を出ようと身を翻した。肩越しにちらりとアヤノを見やる。アヤノは不安そうな面持ちでエイタを見つめていた。恐らく、納得できていないのだろう。エイタとて納得させられるだけの説明をいつも出来るわけがない。何も言わず、医務室を後にした。























 エイタはエンジン音に掻き消されないように声を張り上げた。

「もう一度確認する! バックパックを全員持ったな! 試作兵器装備者、及び戦闘員はバックパックの着用を義務付ける! 輸送機内に残る人間は通信を常にオンにしておく事だ! 戦局状況はこれより、ローカル通信で行う!」

 エイタは輸送機の操縦席に備え付けられている通信機器に手を伸ばした。これで双方向の通信が出来るはずだ。あとは、構成員一人ひとりが持っている小型の通信端末へと周波数を合わせればいい。エイタはヘッドセットを頭につけて、マイクに声を吹き込んだ。

「各員、聞こえているか。これからタリハシティ上空へと向かう。そう時間はかからないだろうが、ヘキサが何を仕掛けているか分からない。心して向かってくれ。全員の健闘を祈る」

 通信を切り、操縦席に収まるパイロットに言った。

「出してください。タリハシティ上空まで。あちらの輸送機のパイロットにも伝えてもらえますか」

 パイロットは頷き、通信機に離陸の復誦を当てた。エイタは窓から外の様子を見ていた。主翼が90度回転し、エンジンが高熱を発して空気を歪ませる。振動が一瞬腹の底まで響き、次の瞬間にはもう機体は浮いていた。一定の高度まで上がったところで、主翼が元の位置に戻り、後方へと引っ張られる感覚が襲う。動き出したのだという実感と共に、エイタは空を見た。生憎の曇天が広がっており、今にも駆け足の雨が降り出しそうな重苦しい天気だった。


オンドゥル大使 ( 2013/01/20(日) 18:16 )