ポケットモンスターHEXA











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グッバイ・マイ・リトルデイズ
With youU
 サキとマコは二つのベッドに並んで横になっていた。

 だが、中々寝付けなかった。今宵は静かな夜だ。鳥ポケモンの声も、人の声もほとんど聞こえない。ロケット団の人々は研究室の一階で雑魚寝になっているが、自分達は二階にあるサキの部屋で眠る事になった。サキの部屋は元々研究室だったらしく、大型のベッドが二つに試験管やビーカーを入れるための灰色の棚がそこいらにあった。だが、それらはいずれもほとんど使われていないようで、少し埃を被っていた。マコは窓側だったので、カーテンから漏れてくる月明かりが目に入った。寝返りを打とうとすると、サキの声が耳朶を打った。

「寝たか、マコ」

「ううん」

 マコは首を振って、「サキちゃんも?」と尋ねた。「ちゃんとかつけるな」といういつも通りの返事は返ってこずに、サキはただ肯定の声を出した。

「まだ、どうしても踏ん切りがつかなくてな。眠れない」

 やはり、割り切れないのだろう。マコはつい先程の事を思い出す。何もかもを断ち切るようにカプセルを割るカブトプスの姿。過去と断絶し、自分から踏み出そうとするサキの姿。どちらも見ていて自分のほうが心を締め付けられるようだった。清算の行為、だが、それが果たして正しいのか。今と未来だけを見据え続けるのは苦痛を伴う。過去は時間が解決してくれると言うが、マコはそうではないと思っている。

 結局のところ、過去や生まれというものは一生付き纏うのだ。時間なんてものは気休めにもならない。傷は傷跡として残り、涙の痕だってその道筋を示す泣き黒子が出来てしまう。過去を消す事は自身を消す事だ。だから、サキは自身をも消そうとしたのではないかとマコは考えてしまう。今、ここにいる自分をも否定してしまうために過去を断ち切ろうとしたのではないのか。その疑問にマコは思わず「サキちゃん」と弱々しい声音で呼びかけた。サキは顔を向けずに、無愛想な声で返す。

「何だよ。馬鹿マコ。旅行じゃないんだ。朝まで話すつもりはないからな」

「そういうんじゃないけれど。でも、ちょっとだけお話しよ。……何だか、こうやってゆっくり話せる機会も、もう少ないような気がするし」

「縁起でもない事を言うな」

 サキは強い口調でマコの消え入りそうな声を否定した。だが、心の奥底ではサキも同じように迷いを抱えているはずだ。マコは明日が来なければいいのにと考えていた。だが、明日が無ければサキの傷は癒されぬままに疼くばかりだ。しかし明日が来ても、またサキを傷つける事になるかもしれない。自分の戦いたくないという気持ちを押し付けて、サキが傷つくのはもう見ていられなかった。

「ゴメン。でも、サキちゃん。一つ言わせて」

「何だよ」

「もし、戦う事になったら、私戦うよ。サキちゃんのためなら、いくらでも戦える」

「無理なんてするな」

「無理じゃないよ。友達だから痛みも分け合えるって言ったよね。だったら、一緒に戦う事もきっと出来るよ。私は、ポケモンで戦うのは苦手だけど、でも――」

「これから行われる事はポケモンバトルじゃない」

 遮って放たれた言葉に、マコは思わず声を詰まらせた。サキは冷たく言い放つ。

「もしかしたら、人だって殺すかもしれない。そういう戦いなんだ。ポケモンバトルみたいに安全という保障なんてない。どちらが正しいのかを決める戦争なんだ。ディルファンスにいた時と何も変わるところはない。対立する対象がロケット団からヘキサに移っただけの事だ」

 どこまでも淡々と事実だけを述べるサキの言葉に、マコが声を差し挟んだ。

「でも、サキちゃんは、アスカさんを助けるために」

「あんな事、本気なわけがない。私は正直、アスカなんてどうでもいい。ただヘキサのアジトを知るにはアスカの情報が必要だ。それだから、助けるなんてお題目を掲げているだけさ。私の本当の目的は、そうじゃない」

「サキちゃんの、本当の目的、って」

 それは自分の出自についてだろうか。ロケット団のキシベならばそれを知っているかもしれないという。それともルイに会おうとでもいうのか。ある意味、半身とも言える存在に。だが、それらの答えはどれもサキが本当に求めているものではないような気がしていた。サキが欲しがっているものはもっと漠然としたものではないのか。手にしたら零れ落ちてゆく砂のように、それは儚い答えなのではないか。だからサキ自身も答えを決めあぐねている。ひょっとしたら、もう答えに辿り着いているかもしれないのに。ベッドの上のサキは身じろぎ一つしなかった。眠ってしまったのだろうかと思い、マコが「サキちゃん」と声をかけると、「何だ」という無愛想な声が返ってきた。

「私は戦うよ。サキちゃんが何て言っても。友達のためなら」

「人を殺せるのか?」

 その問いには沈黙せざるを得なかった。マコは手を顔の前で翳して眺めた。血に染まった事のない、純粋な手。それをサキはもう失っているのだ。自ら汚れ役を買って出て。ならば、自分も汚れる覚悟が無くてどうする? マコは強い口調で返した。

「本当にやむをえない時なら、私はやる。サキちゃんだけに背負わせられない」

 その言葉に、サキは言葉を返そうとはしなかった。それを正しいとも間違っているとも言わなかったのはサキなりの優しさだったのだろうか。正義も悪も流動的だ。価値観や育ってきた環境によって簡単に変わってしまう。望まぬうちに剣を向けている事もあれば、知らぬうちに刃で誰かを傷つけている事もある。だから、正義や悪を語る資格なんてきっとこの世の誰にもないのだ。それはあまりにも傲慢だから。誰しもがどちらにもなりうる可能性を持っている。なら、そんな二元論で語るのは人間を分かっていない証拠に過ぎない。

「マコ」とサキが口を開く。「なに?」とマコが返した。サキは何か言おうとしているように感じたが、結局何も言わずに口を噤んだ。

「やっぱ、いい。少し肌寒いなと思っただけだ」

 マコはサキが言おうとした何かについて言及しようとはせずに、何気ない会話のように返した。

「そうだね。ちょっと寒いかな」

 その時、サキが手を伸ばし、人差し指をくいくいと曲げた。何をしているのだろうと思いながらマコが見つめていると、「鈍感だな」とサキが呆れたような声を発した。

「寒いんだって言っているだろう」

「うん。でも、窓はちゃんと閉まっているし、空調も多分、問題ないと思うよ。どうしたの?」

 尋ねるマコに、サキは「むぅ」と呻ってから「あー、もう!」と頭をぐしゃぐしゃに掻き乱して言った。

「傍に来て欲しいんだよ。つうか、一緒に寝て欲しい。言わせんな、馬鹿マコ」

 意想外の言葉にマコは暫時キョトンとした。ようやく頭が理解できた頃には思わず吹き出していた。

「なー! 笑うな、馬鹿!」

 サキがマコに背を向けたまま、ベッドの上で暴れる。マコは微笑んで、「いいよ」と言った。

「サキちゃんのベッドで寝ればいいんだよね」

「お、おお。狭苦しいが仕方がないな」

 紅潮していると思われる声に、また笑いが漏れそうになるがマコは堪えてサキのベッドに潜った。サキの背中に密着して、体温を感じ取る。

「ち、近いぞ、マコ」

 少し上ずったサキの声が可笑しい。だが、嫌と言わないという事は、これでいいのだろう。

「マコ」

「うん?」

「私達はお互いの涙を見せ合ったんだ」

「うん」

「だから、マコとは一生分の友達だ。こういうのを、何て言うんだろう。私にはよく分からない。同類はいても、友達って言うのは初めてだったから」

 それだけ不器用だったのだろうか。ナツキやリョウとも顔見知りだったが、高圧的だったのは接し方が分からなかったからだろう。これからサキは分かっていくのだとマコは思う。自分を通して、サキはきっと人との関係のあり方に気づいてゆける。

 サキの疑問に、マコは微笑むように言った。

「きっと、親友って言うんだよ」

 マコの言葉に、サキは「親友かぁ」と言ってから、一つ頷いた。

「いい言葉だな」

「うん」

 サキとマコはそのまま瞼を閉じた。眠りにつく前に、布団の中で二人は手を握った。お互い、決して離れないように強く。それは友情の誓いだとマコは感じていた。























「何から話そうか」

 フランはユウコの緊張を解そうとするように、柔らかく微笑んだ。しかし、ユウコは眉をひそめた。フランも困惑顔になり、「どうかした?」と尋ねる。

「うち、すぐに笑う人は信用せんようにしているんです。特にそんな感じで、優しく笑ってくれる人なんかは」

 ユウコの言葉にフランは思わず吹き出して大声で笑った。ユウコは椅子の背凭れを前にして、体重を前のめりに預けながら「笑い事ちゃいますよ」と唇を尖らせた。

「そういう人は詐欺師か、女たらしだって、父ちゃんが言ってましたもん」

「なるほど。確かに僕は見た目もそうだけど、それっぽいよね。分かる分かる」

 言いながら、フランは何度も頷いた。背凭れに体重を預けてはいるが、フランは普通に座っていた。

「そのお父さんは人を見る目がいいと思うよ。いい人間はまずは疑えってね。まぁ、そればっかりだと苦しくもなっちゃうけれど」

「うちは信用してますよ」

「それ。僕に対する信用じゃなくって、自分の腕っ節に対する信用だろ」

 指差して軽口を叩くと、ユウコも笑った。「でもまぁ」とフランが窓に視線を向けて口を開く。

「信用っていうのは難しいものさ。特に誰かを信用するのはね。誰しも疑ったり、裏切ったり、嘘をついたりはしたくないはずなんだ。それでも、そうするほうが楽だっていうのが悲しいと僕は思うよ。皆、楽なほうに流れていってしまう。だから、世界から争い事は絶えないんじゃないかって、最近思うようになった」

「何それ、説教ですか?」

「嫌かい?」とフランが尋ねると、ユウコは椅子を傾けさせてバランスを取りながら返した。

「説教は嫌いです。何だか相手が大人になっちゃった気がして。だってフランさんだって、うちと十歳も離れてないでしょう?」

「まぁね。八歳くらいかな」

「って。それ、ほとんど十やないですか」

 すかさず放たれたツッコミに、フランは苦笑した。ジョウト育ちの人間は皆、こうも人を楽しませられるのだろうか。それともユウコが特別なのか。尋ねてみる事にした。

「ユウコちゃん」

「ちゃん付けは、ちょっと。うち、ガラじゃないんで」

 後頭部を掻きながら申し訳なさそうにユウコが言う。

「サキみたいな事言うんだね」

「あー。サキとはちょっと考え方似てるかも。でも、あんな裏表激しくは無いですよ」

「確かにね」とフランは笑いながら、「じゃあ」と顎に手を添えて考えた。

「ユウコ君って言うのは」

「それ、博士の呼び方ですやん」

「じゃあ、呼び捨てでいいの?」

「うちは全然」

 邪気のない笑顔を振りまいて、ユウコは背凭れに顎を乗せた。その顔を見ながら、フランは話を振る。

「ユウコは、さっきも聞いたけれどジョウトの出身なんだよね。ジョウトの人って皆、そんな感じなのかな」

「そんな感じって?」

「人を笑わせるのが大得意」

 フランの言葉に、ユウコは少し頬を膨らませて抗議した。

「フランさん。それうちが天然でギャグ言っているみたいやないですか」

「違うの?」と訊くと、ユウコは猿のような奇声を上げた。顔を暗くして、井戸の底から聞こえてくるようなぼそぼそとした声で喋る。

「屈辱やわ。ほとんど初対面の男の人にそんな風に思われていたなんて」

「僕は、悪くないと思うけどな」

「それって褒めてるんですか。それとも、けなしてるんですか?」

「どっちでもないかも」

 少し首を傾げて言うと、ユウコはまた笑った。表情がコロコロ変わる子だな、とフランは思った。ユウコは背凭れに肩肘をついて、短く切り揃えた髪をいじった。

「うち、七歳の頃にカイヘンに来たんです。でも、両親共にジョウト人やったから、こういう話し方になっただけで、ほとんどジョウトで過ごした時間とカイヘンで過ごした時間は同じなんです」

「そうなんだ。でも、西のほうの方言っていいよね。温かみがあって」

「でも、今だからうち、こういう話し方で誰とでも話せますけれど、昔はそうでも無かったですよ」

「と、言うと?」

 ユウコは少し視線を遠くに投げかけながら、「まぁ、ちょっと」と話を切り出し始めた。

「ジョウトからカイヘンって、その頃やとまだ珍しかったみたいなんです。リニアは通っていたけれど、使う人は結構少なくって。で、やっぱり珍しい子供っていうのは、同じ子供からしてみればなんていうか、からかいの対象になるみたいで」

 そこから先は、フランでも察しがついた。今の様子を見るとまるで信じられないが、子供の頃ならば誰もが感じたことのある疎外感やいじめを受けたのだろう。訛りのある子供ならば、余計に酷かったかもしれない。

「結構、なめられた真似されました。それで、両親に本気で引っ越してもらおうと考えた事も少なからずあって。でも、ナッチやリョウがいてくれたんです」

 ユウコはいつの間にか優しげな笑みを眼に滲ませていた。ぽつぽつとユウコは話す。

「ナッチやリョウは、いつだってうちの味方でした。小さい頃のうちからしたら正義のヒーローみたいなもんで。だからこそなんですかね。今、二人が離れていってしまうのが怖いっていうんは」

 ユウコは窓の外へと目を向けた。ユウコも気づいているのだろう。外にリョウとナツキがいる事に。そして、その二人の会話に自分が入り込める余地の無い事に。幼い頃の正義の味方が、自分を置いていってしまうというのはとても辛い事だろう。変わってしまうという事は余計にかもしれない。恐怖に襲われるのも無理はない。だが、それでもユウコは自分に出来る事を模索しようとしている。邪魔にだけはならないでおこうと思いながらも、どこかで自分の想いを遂げられる時を待っているのだ。積極的に見えて、奥手な少女にフランはコノハを思い出して微笑んだ。

 彼女もまた、同じだった。

 ユウコのようによく笑ったわけではなかったが、それでもフランは妹のように感じていた。コノハは守るべき対象であり、恐らくコノハから見たならばフランはユウコがナツキとリョウに抱いた感情と同じものを感じていただろう。

 ユウコは同じだ。不意にコノハの姿とユウコが重なったように思えて、フランは口を開いていた。

「いいんじゃないかな」

「えっ」とユウコが困惑の声を出す。フランは頬杖をついて、ユウコを真っ直ぐに見つめた。

「怖いのは当たり前だよ。誰だっていつまでも同じ関係ではいられないんだ。でも、変わる事によってもっと踏み出せるかもしれない。今までの足踏みしていた関係から抜け出せるかもしれない。そうは思わない?」

 フランの問いかけにユウコは困ったように視線を右往左往させた。フランは目を閉じて、事も無さげに言った。

「好きなんでしょ、リョウ君の事」

 その言葉にユウコの顔が熱せられた鉄のように見る見る赤くなったのが分かった。耳まで真っ赤にして、やかんのように蒸気でも噴き出しかねないユウコは「な、何を言ってはるんですか!」と声を張り上げた。

「冗談でもいけませんよ! うちがリョウなんかの事を好きなんて。そんな! 冗談でも!」

「ナツキちゃんも」

 付け加えられた言葉に、ユウコは「は?」と思わず聞き返していた。フランは少し悪戯な笑みを浮かべながら、

「ナツキちゃんとリョウ君が好きなんでしょ? 友達として」

 フランの声にユウコの熱せられた頭が急速に冷え上がり、ふやけていくのが分かった。急速に冷まされた頭で、ユウコはまたも猿のような奇声を上げた。

「もう! はめましたね、フランさん!」

 面白い反応をする子だな、とフランは笑って「ゴメンゴメン」と形だけの謝罪をした。ユウコは両腕を組んで、

「謝ったって許しませんよーだ。乙女の純情をもてあそんで、許されると思っとるんですか!」

「え? ユウコって乙女だっけ?」

「うわ。それ失礼にも程がありますよ、フランさん! ありえませんよ、それ!」

 喚くユウコを見ながら、フランは笑う。こうして心の底から笑えたのは久しぶりだった。まだまだ叫び足りないユウコに、フランは少し真面目な声音で「でもさ」と言った。

「言える時に伝えておかないと後悔する事ってあると思うよ。僕はもう死人だから、後悔も何も無いけれど、でもやっておくべきことを放棄してしまった事は悔やんでも悔やみきれない。気持ちなんて自分で伝える以外にないんだ。だから、ユウコの言葉で伝えてごらん」

 フランの真面目ぶった言葉にユウコも声のトーンを落として、しゅんとなった。

「……でも、どう伝えればいいんか、分からないんです。リョウの旅の妨げになるような事は言いたくないし」

「大丈夫だよ。ユウコが自分で考えて編み出した答えなら。きっと受け止めてくれるよ」

 フランは白い歯を見せて笑った。それを見たユウコが眉をひそめた。フランは自身を指差して尋ねた。

「また、僕やっちゃった?」

「はい。詐欺師スマイルでした。でも、たまには詐欺師、信じてみます」

 ユウコが大輪の笑みを咲かせる。フランは静かに頷いた。


オンドゥル大使 ( 2012/12/01(土) 16:13 )