ポケットモンスターHEXA - グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 五十四節「王の器」
 似ている、と感じたのはここにいる六人全てに共通する認識だっただろう。

 ミサワタウンの地下研究所へと続く階段を思い出さずにはいられなかった。まるで生き物の内部へと入っていくような嫌な感じの空気が纏わりつく。

 リョウは壁に手をつきながら、暗闇の階段をゆっくり下っていた。足元を照らす間接照明がなければ、踏み外しかねない暗闇が覆っている。時折、衝撃が壁から伝わって振動が階段を揺さぶったが、その程度では崩れはしないのか、すぐに収まってはまた揺れるが繰り返された。揺れと足音が重なり、階段というだけの狭い空間に不協和音を生み出す。それは不安の足音とも取れた。

 この先に何が待っているのか。あのペラップは、何を伝えたかったのか。リョウは、脳裏にペラップの図鑑説明を呼び出して推測する。ペラップは聞いた音を伝えるだけのポケモンだ。リアルタイムの声など伝える事は出来ない。何より、ペラップからキシベの声がしたのはどういう事なのか。キシベに担がれている可能性も視野に入れながら、階段を下りる中、背後のナツキが質問の声を出す。

「リョウ。ルイさんは……」

 大丈夫か、と問いかけたいのだろう。「ああ」と返し、リョウは自分にすがり付いて一歩一歩階段を下りているルイへと視線を落とした。服を掴む力も、伝わる体温も人のものだ。もうゲンガーはいない。ヘキサツールも破壊されたはずだ。生身のルイだけが傍にいる。近くにいてくれれば、これほどまでも安心できるのか。右腕の喪失がルイの存在で埋められていくのを感じる。

「大丈夫か? ルイ」

 ルイは顔を上げて、赤い瞳でリョウを見やった。眉根を寄せてふるふると首を振る。

「何だか、怖いよ、リョウ」

「それだけか?」

 その声にルイは小首を傾げた。ゲンガーの存在を感じないのか、と問いかけたつもりだった。自分でもようやく取れた重石を蒸し返すような言い方だとは思っている。それでも、ルイはポケモンと人間との融合体と呼ばれた存在なのだ。内部に一点でもゲンガーの存在があれば、この近さと狭さでは全滅の危険性すらある。その声を聞いていたのか前を歩くサキが肩越しに視線を送った。

 ルイはようやく意味するところを理解したのか、頭を振って小さく呟いた。

「……もう、ゲンガーはいない。ボクでも、それだけははっきりと分かる」

 辛い事を聞いてしまった。その悔恨にルイを抱き締めたくなるが、今はそんな状況ではなかった。「そうか」と素っ気ない返事と共に、ナツキへと視線を向ける。ナツキも承服したように頷いた。懸念事項だったのか、サキもどこか安心したように肩の力を抜いてまた前を向いた。

「……どうしたって、心の底では疑うんだな」

 呟いた声は本心だったのか、自分でも確かめようも無く消えていった。それを聞いたはずのナツキとサキは何も返さなかった。

 その時、前方から光が垣間見えた。「出口か」とディルファンス構成員達の叫ぶ声が聞こえ、リョウは身を固くした。

 何が待っているか予想出来ない。ホルスターにかけたモンスターボールに自然と指が行った。ナツキもそれは同じようだった。爪先で光を踏みつけた瞬間、弾かれたようにナツキとリョウはボールをホルスターから引き抜いた。ここに来て、新たな敵の到来を予感したのである。だが、視界に飛び込んできたのはそれを大きく裏切るものであった。

 広がっていたのは異様な空間だった。人間二人分程度しかない高さの天井は一面が灰色に塗られており、部屋そのものは円形だった。どうやら行き止まりのようで、階段以外にここへと来る手立てはなかった。反対側の扉は複雑に捻じ曲がり、ほとんど隙間もないために開きそうにない。人の力では、まず無理だろう。ポケモンを使って捻ったのかもしれなかった。リョウとナツキは同時にホルスターへとボールを戻し、全員が視線を向けている部屋の中央へと視線を据えた。

 そこにあったのは円筒状のカプセルだった。

 内部に液体は入っておらず、透明なカプセルの内側で虹色の光が揺らめいている。

 波のようにも、オーロラのようにも見えた。実体がまるで感じられないカプセルへとリョウを始めとした六人と、アヤノとルイが歩み寄った。ディルファンス構成員達はそれを遠巻きに眺めていた。何が起こるか判らないという点では、そちらのほうが正解だろう。しかし、彼らは磁石に引き寄せられるように円筒状のカプセルの間近まで近づいた。瞬間、内部の虹が揺らいだかと思うと声が響き渡った。

「よく、ここまで来たものだ。君達の戦いには敬意を表しよう」

 その声の主はペラップだった。キシベの声で喋っている。リョウは周囲を見渡した。キシベがどこからか見ているのか。「見ていないさ」とそれを見透かしたような声が耳朶を打つ。

「私は君達の目の前にいる。目を凝らすまでもないだろう?」

 その言葉に慄然としたものが走った。博士も表情を凍りつかせている。狼狽するかに思われたナツキは、しかし冷静な面持ちを崩さなかった。既に感知野の網で知っていたのか。リョウは驚きを隠せず、目を向けた。視線の先には円筒状のカプセルの中で揺らぐ虹があった。

「意識パターンを取り出したのか」

 博士の声に、キシベはペラップの嘴から「そうだ」と返した。

「言っただろう、ヒグチ。永遠を手に入れるには肉体という鎖に繋がれているのは邪魔だと。私は肉体を捨て、ここに意識パターンを投影した。『プロジェクト・ミュウツー』の技術だよ。ペラップの眼を通してずっと見させてもらっていた。君達の奮闘を。ヘキサツールを使いこなしたゲンガーを倒したのもね。実に、面白い戦いだった」

 存在しなくとも愉悦の笑みを浮かばせたように思えたキシベの言葉に、博士は眉をひそめた。

「神にでもなったつもりか」

「違うな、ヒグチ。言っただろう。神なのだよ、私は既に。ポケモンの視点を手に入れて分かった。人間の肉体の意味の無さにね。肉体の隔たりと精神の隔たりがポケモンと人間を分けるならば、その隔たりを無くせば見えるはずだと感じたのだ」

「見える? 何がだ」

「世界がだよ。私はペラップの視点から世界を見、そして目にした。王の誕生をね」

 その言葉に全員の視線が覚えずナツキへと向けられた。リョウも迷いなくそうしていた。誰もが、同じように分かっていたのかもしれない。ゲンガーの弾けた光の中に見た何かへと手を伸ばしたナツキがそうなのだと。当のナツキはしかし、妙に醒めた視線をペラップに向け、カプセルへと移した。冷たい口調でその言葉を断じる。

「キシベ。あなたはたくさんの人を犠牲にしてきた。それほどまでにさせたのは、何なの?」

 暫時の沈黙が舞い降りる。ナツキの眼にはその「何か」を問いたいのではない。

「何故か」を問いたい光が浮かんでいた。

 もしかしたら、ナツキは既に感知野の網で全てを知っているのかもしれない。それでもキシベの口から語らせたいのだろう。これだけの人間の運命を狂わせたその大元を。そうでなければ収まらないのだ。ディルファンスも、ロケット団も、そして自分達も。前にも進めず後退も出来ない。

 キシベはペラップの嘴から「いいだろう」と重々しく声を吐き出した。

「私には娘がいた。名をルナという。彼女はロケット団の実験台にされ、ぼろ雑巾のように捨てられた。ルナのクローンがそこにいるR01とR01Bだ。おっと、君達にはサキとルイ、と言ったほうが馴染み深いかな」

 初めて聞く真実にディルファンスの面々が驚きを隠せずにサキとルイを見やった。赤い瞳が射抜くような光を湛えて睨み返すと、彼らはめいめいに視線を逸らした。物珍しいのか。その因果を面白がっているのか。しかしセルジと名乗った構成員だけは、サキをじっと見つめていた。ついにはサキのほうから視線を背けた。

「私達の傷を抉るような真似はやめて。私は、あなたが何故ここまでしたのかを聞いているのよ」

「まどろっこしい真似をする。その気になれば私の思考など感知野で拾えるだろう。ポケモンを出して感知野を拡大し、私の思考を探ればどうだ? 肉体という壁のない私の意識パターンは丸裸同然だ」

「私は、そこまで下衆じゃない」

 放った言葉には確かな怒りが宿っていた。リョウは自身の中での前言を撤回した。ナツキが全て知ってまで聞こうとしているわけがない。ナツキはただ全員を納得させる理由が欲しいのだ。大切な人の死を目の当たりにしてきたナツキからしてみれば至極当然な問いではないか。怒りを感じ取ったのか、ペラップが「ふむ」と一呼吸置く声を発した。

「見込んだ通りだな。ヘキサツールは破壊され、ポケモンと人間の融合体は失敗した。全ては潰えたかに見えたが、まだ君がいたか。ポケモンと人間の境界を冒す者。それは即ち、王の器だ。どの時代、どの地方にも存在すると言われている最強のトレーナー。それは完成を見たわけだ」

「話を逸らさないで」

 ナツキは肉体から意識を遊離させる事なく、真っ直ぐな眼差しを宿して意識パターンの虹を睨んだ。キシベの口車には乗らない。その程度でナツキの心を乱す事は出来ない。ナツキは散っていった魂に報いたい、それだけを願っている。

「おい、キシベ」

 思わず、リョウは呼びかけていた。キシベの意識の眼がこちらに向けられたような気がした。リョウはなくなった右腕の袖口を掴み、ゆらりと持ち上げた。

「何だ? 右腕をなくした対価でも払えというのか?」

「俺の右腕くらいならくれてやるよ。ただな、右腕どころじゃない。人生も、命も、てめぇ一人の怨念返しで消えていったんだ。一人二人じゃねぇし、昨日今日に始まった話でもねぇ。数は問題じゃないんだ。てめぇの態度は、そいつらを侮辱しているのが分からないのか?」

「侮辱、とは人聞きの悪い。では、黙祷を捧げろとでも言うのか? 消えていった肉体達に。だがな、少年。肉体など、なくなったほうがいいのだよ。そのほうが多次元的に物事を見通せる。君の今の言葉とて、自分の右腕を引き合いに出したあたり、独善的な部分が見え隠れするがね」

「ふざけんな。てめぇがやった事を償う気があんのか、ないのかを訊いてんだよ」

 怒声になりそうなのを必死に堪えてリョウは言葉を発する。キシベはその静かな怒りを「瑣末なものだ」という言葉で切り捨てた。

「何、言った、てめぇ……」

「瑣末だと、言ったんだよ。君の理論は合っているようで間違っている。誰かの命を引き合いに出す議論こそ、彼らの命を侮辱している事に何故気づかない。己で語る自信がないからだろう? 右腕一本で恨み言を言うのは女々しい。だから、大きな理論にすりかえる。幼児と同じだ。物事の尺度を大きく持てば、自分は大きな人間になったと思い込む。少年、君はそんなつまらない人間なのか?」

「ふざけんな!」

 叫んで踏み出しかけた足を制するように「リョウ!」と声が響いた。ナツキの声だった。振り返り、「だけどよ、馬鹿にされて……!」と声を張り上げるも、ナツキは静かに首を振った。

「リョウの言っている事は正しいよ。でも、この人の前では意味がない。鏡の前で問答しても、答えが出ないのと同じ事」

 どこか達観した眼差しに、リョウは一瞬、幼馴染の姿を見失いそうになった。

 自分の知っていたナツキはどこへ行ったのか。

 そもそも、自分の知っていたナツキが全てだったのか。

 ディルファンスへの憧れと、ポケモンを持ちポケモンリーグを制する事だけを日々夢見ていた少女はもう目の前にはいないのかもしれなかった。ならば、自分は誰と話しているのか。急に空恐ろしくなり、リョウはナツキから視線を外した。ナツキは歩み出て、淡々と言葉を発する。

「キシベ。何故、ヘキサを作ったの? 何故、大勢の人を巻き込んだの? それだけ教えて」

 断固とした口調に、それ以外の言葉は認めない凄みがあった。ペラップもそれを感じ取ったのか、キシベの飄々とした口調を流そうとはせず、ポケモンの声で弱々しく鳴いた。

 部屋が鳴動し、全員がよろける。その中でもナツキだけが真っ直ぐに立っていた。キシベと対峙するかのように。一時も目を逸らさず、意識パターンの波を見つめ続ける。やがて、沈黙を破ったのはキシベのほうだった。

「やれやれ、だな。王とは、こうも強く気高いのか」

 ペラップがナツキへと視線を向ける。それを合図にしたように、キシベは喋り出した。

「ヘキサは私なりの皮肉だ。ヘキサツール。最強のポケモンとトレーナーのために歪められた人生を取り戻したかった。ルナとの日々を、もう一度と欲したのだ。完全な存在を超える不完全な存在。二つの組織の継ぎ接ぎへと我々研究者の間では完全≠意味するヘキサと言う名をつける。そして、無関心を装い、今もまた全てを闇に葬り去らんとしているカントーへ報復する。目覚めねばならぬのだよ、カントーの人民はね」

「大勢巻き込んだのは、自分達も巻き込まれた側だと思っていたから」

「その通りだ。巻き込まれた側が巻き込んで何が悪い。正当なる報復だ。痛みを知るからこそ、痛みを教える事が出来る」

「それは、怨念に怨念をぶつけるだけの、虚しい行為だと、判っていたの?」

 ナツキの問いかけにキシベは沈黙を挟んだ。痛みを知って背負うと決めた者達と、痛みを知って誰かに押し付けたいと願う者との対話は平行線だった。どこかで妥協点を見つけるしかないのか。ポケモンと人間のように。しかし、ナツキならばもしかしたらその垣根を壊してくれるのではないかと半ばリョウは期待していた。だが、期待などナツキは望んでいないだろう。

 ナツキはただやるべき事を知っているだけだ。出来るとも、確実だとも言わない。心に従い、心の赴くままに行動する。それがゲンガー消失の時、光の先へと手を伸ばした者とそれを止めようとした者との違いなのだろう。

「それでも、痛みは与えねばならなかった。痛みを知らぬ者達は無知蒙昧にも今の世界が磐石だと信じて疑わない。その陰にどれだけの犠牲があるのか、気づきもしないだろう。だからこそ、教えるのだ。私が、自らの身体をもってして」

「キシベさん」

 博士が一歩踏み出す。ナツキは博士へと一瞬目をやったが、いつものような頼りなさはなかった。博士は断固とした口調で意識パターンの虹をじっと見つめて言った。

「この空中要塞を今操っているのは、あなたなんですね。目的はこれそのものを質量兵器としてカントーにぶつける事」

 放たれた言葉にディルファンス構成員達がざわめいた。だが、リョウは半ば予測していた。これだけの大質量をどう扱うのか。最も効果的なのは兵装で支配をするよりも、街一つの質量を落下させ、全てを消し去る事であろう。先程からのキシベの言葉から察するに、キシベは支配を望んでいるのではない。破壊を望んでいるのだ。無関心な全ての人々を揺り起こす、世界を変える一撃を。

「そうだ。全てのシステムを私は掌握している。どう足掻こうが無駄な事だ。この空中要塞は、カントーに落ちる」

「セキエイ高原ですか」

「これだけの質量が落下すれば、それだけで済むかな」

 試すような物言いにリョウは最悪のシナリオを想像した。空中要塞が落下し、カントーの半分が焼け野原になる。ポケモンも人間も住めない世界が広がり、人々はカイヘン地方に責任を求める。カイヘンはカントーに支配され、それが新たな火種を生む。

 世界は火種を抱えたまま、回り続けるのかもしれない。ともすれば、今までよりも酷な世界が待っているのかもしれない。

 そんな世界に未来はあるのか? 

 生きる価値はあるのか? 

 キシベはまさしく肉体を捨てた混沌の象徴として君臨しようとしているのだ。人類の業を呼び覚ますために。

「キシベ」

 ナツキが再び口を開く。リョウはナツキが何を言い出すのか、まるで予測出来なかった。許さないとも、止めるとも、どちらも言わないような気がして、ナツキの求めるところが全く読めない。

「今も状況に翻弄されている人達がいる。あなたの言葉に、踊らされて人生を狂わされた人達は今のあなたを見るべきだと思う。彼らが、未来を自分の手で決められるように」

「そうだな。君の言う事はもっともだ」

 意識の波が揺らぎ、フッと笑んだような気がした。
























 意識の波を感知したのか、それともそう仕組まれていたのか。機関部にある金庫の中で、モンスターボールのロックがカチリと音を立てて外れた。上から伸びた部品が緊急射出ボタンを押し込むと、球体が割れ中から光に包まれた姿が躍り出た。狐のような頭部に長い髭が生え、金色の表皮が照り輝いている。両手に握ったスプーンを振り翳し、フーディンは青い光を全身から放った。隔壁をすり抜け、幾重にも重なった扉を透過した青い光がブリッジを包み込む。その青い光が包んだ事を知らずに、指揮官は声を張り上げていた。直後、フーディンの青い光がオーロラのように揺らめき、ブリッジから人の姿が掻き消えていた。






















 青い光が揺らめき、先程までメインスクリーンにやっていた視界が一転し、灰色に包まれた。それを確認した瞬間には、もう目の前の光景は変わっていた。ディルファンス構成員達が制服を纏って並び立っている。見た事のない少年や少女達に混じってフランとアスカもいた。その時になってようやく、異物は自分達なのだと感じた指揮官は思わず後ずさった。

「……な、どうなっているんだ」

 見渡すと、ブリッジ一個半ほどの空間にブリッジクルー達が集められているようだった。フクトクやイタクラも周囲を見回し、ここがブリッジではない事を理解したのか不安げな表情を指揮官に寄越す。指揮官とてそれは同じだった。部屋の中央には円筒状のカプセルがあり、そこで虹が揺らめいている。

「王がね」

 そう発せられた声には聞き覚えがあった。キシベの声だ。どこから、と視線を右往左往させてようやく見つけたのは翼をはためかせるペラップだった。その嘴から声が漏れる。

「君達にも見てもらいたいのだそうだ。私に責任を感じさせようというのか。もう肉体も持たぬこの私に」

 ペラップの声と連動するように、カプセルの中の虹が波打つ。事態に脳が追いつかず、指揮官は顔を拭った。すると、フランとアスカが歩み寄って、カプセルを示した。

「落ち着いて聞いてください。あのカプセルにある意識パターンが、あなた方を操っていたキシベなんです」

 何の事を言われたのか判らなかった。だが、理解しようとする心はあったのか、「どういう事なんだ?」と聞き返す事は出来た。その質問にフランが返す。

「キシベそのものは、もう死んだんです。ですが、キシベは意識パターンを残していた。それが今、この空中要塞を動かしているんです」

 俄かには信じられない話ではあった。しかし、怨念がこの空中要塞を動かしているという風に考えれば制御を失ったのも何故だか納得できる気がした。

 激震が部屋を揺さぶる。思わずつんのめりながらも、指揮官は直立し声を出した。

「キシベ様。あなたは、もうこの世には」

「ああ、いない。私はペラップを通してでしか喋る事もかなわない。だが、私はこの空中要塞全てのシステムを支配下においている」

「それは、何のためですか」

 ここまで来たキシベが「義のため」などと答えるはずもない。それでも聞かずにはいられなかったのは、ようやく手の届く範囲に現れたからか。今まで命じられるがままに戦ってきた人間の意地か。キシベは静かに言葉を発した。

「復讐のためだ」

 その言葉は予測出来たものだった。今までの行動は全て私怨のうちにあったのだ。一人の復讐心が組織を動かし、解体し、運命を捻じ曲げた。

「恨んでも構わない」

 そう告げたキシベに、指揮官は長く息をついて頭を振った。

「あなたを単純に恨む気にはなれない。我々も、自身の理念と信条に従ったまでだからです。だから、己の復讐心のままに戦ったあなたを一方的に責める事など出来ない。ですが、あなたに挙手敬礼は送れません。それだけは分かってください」

 現場の命を預かった身で言える事はせいぜいそれだけだった。たとえ上官といえども、挙手敬礼を送らない。ささやかなる抵抗だ。それはキシベに対する指揮官なりの答えでもあった。散っていった者達がその程度で許してくれるとは思えなかったが、その答えにキシベは何も返さなかった。自分がしてきた事を理解しているのか。それとももはや関心などないのか。後者であろうと判じた指揮官はキシベに背中を向けた。

「ブリッジに戻ります。やるべき仕事が残っているので」

「その必要はない。言っただろう。この空中要塞の制御機構は私の手の中だと」

「だからと言って、何もせずここにいろと言うのですか」

 ぐっと拳を握り締める。命じられるだけが戦いではない。自身で道は選び取るものだ。指揮官もここにいる部下達も既にそれは分かっていた。

「今、空中要塞はカントーに上陸した。間もなくセキエイ高原に向かうだろう。誰にも止められない。外ではドラゴンタイプが性懲りも無く攻撃を続けているようだが、これだけの大質量を破壊するのは不可能だろう」

 だったらどうすれば。胸に浮かんだ熱が言葉となって迸りかける。それを制するかのように、少女の声が響いた。

「何ともならないかもしれない。それでも、私達は言い続ける。あなたは間違っていると」

 その言葉に自らの言葉を代弁されたような心地になって、指揮官は振り返った。ポニーテールの少女の眼には気高く眼前に立てばひれ伏しかねない雄々しさが宿っていた。


オンドゥル大使 ( 2013/07/09(火) 22:55 )