第六章 四十九節「背伸びした子供達」
突風がカントーの大地へと吹き込む。
ヘキサを迎え入れようとでも言うのか、ドラゴンタイプの舞う空の中、吹き荒んだ向かい風に、綿のような翼を広げて飛ぶ、淡い水色の体表のポケモンが僅かに揺らめいた。チルタリスと呼ばれる飛行・ドラゴンのポケモンが傾ぐが、他のドラゴンタイプは体勢をほとんど崩さない。
その中に一際巨大な影があった。カイリューなのだが、大きさが尋常ではない。通常のカイリューの三倍以上はあるであろう巨躯が、その大きさに見合った翼を広げる。
その背中に影が屹立していた。突風にマントが煽られる。身体にぴっちりと張り付いた青い服の襟を立てており、その影はカイリューの上で腕を組んで空中要塞を見つめていた。赤い髪を逆立てているそれは青年だった。今、空域を支配するドラゴンタイプ全てのトレーナーである。鋭い双眸が空中要塞の動向を睨んでいる。ドラゴンに包囲された空で身じろぎ一つしない空中要塞は鈍重な亀に見えた。周囲を獣で囲まれれば、亀は沈黙するしかないか、と益のない思考に身を沈ませていた青年は、耳に当てたヘッドセットから響いた声に注意を向けた。
『ワタル。こちらは完全に動きを封じたわ』
女の声だった。どこか艶かしささえ感じさせるその声音に、ワタルと呼ばれた青年は淡白に返した。
「ありがとうございます、カンナさん。これで空中要塞は逃げられなくなったわけですね」
『ええ。でも皮肉ね。四天王の呼び出しで、一線を退いたあたし達が駆り出されるなんて』
カンナの声にワタルはフッと口元に笑みを浮かべた。しかし、それは風の中に消え行くような虚しさを形にしたような笑みだった。
「仕方がありませんよ。キクコさんはもう歳ですし、シバさんは今の四天王。呼び出してカントー本部の守りが疎かになってはいけない。それに空中要塞を足止めするのなら、俺達が適任だとする上の判断は間違っていません。氷タイプとドラゴンタイプが同時に動くのは、どこか皮肉めいてはいますけどね」
『ワタル、もう五年だっけ。チャンピオンの座を退いたのは』
「ええ。時代は新たな息吹を求めているんです。いつまでも玉座にしがみつくのは、みっともないでしょう」
それに後悔はしていなかった。継ぐべき人間に継がせたつもりだ。重責だろうと、今のチャンピオンにはそれだけの強さと覚悟があった。そうでなければジョウトのロケット団を壊滅できるはずがない。気高き強さを眼差しの中に見たのは本当だ。カンナはあっけらかんと笑ってみせた。
『素直じゃないわね、ワタル。まだ、戦いたかったんでしょう?』
「俺は、やるべき事をやれればそれでいいんですよ。ジョウトのロケット団撲滅に動いたのも、俺個人の意志です。今だって、ヘキサがカントーとジョウトを脅かすのならば、全力で止める。俺にはその覚悟がある」
『相変わらず暑苦しいわね。あたしの氷が融けちゃうわ』
見えなくとも、カンナが服に風を通している真似をしているのが目に浮かんで、ワタルは少し微笑んだ。だが、久しぶりの共闘に喜んでばかりもいられない。退役したトレーナー同士の昔話に花を咲かせるのは後にしなければ。今やるべき事が眼前にある。
「カンナさん。そのまま押さえておいてください。俺は一度、呼びかけます。相手へと光通信でこちらの周波数を伝えます。止めても――」
『無駄なのは分かっているわよ。早くしなさい。禿頭共が青筋立たせているんだから』
ワタルは笑んで、「感謝します」と一言伝えてから、微笑を掻き消した。残ったのは戦闘用に研ぎ澄まされた瞳だけだ。ワタルは指を掲げ、パチンと鳴らした。すると、乗っているカイリューが先行し、頭部にある触覚の間で光を爆ぜさせる。幾度かの光の反射が戦場に瞬き、ワタルは低く呟いた。
「これでどう出るか……」
胸に残るわだかまりをそのままに、ワタルは空中要塞を見つめた。何の表情も浮かべない空中要塞は、ただただ沈黙を是としたように見えた。
「指揮官。中心のカイリューが接近しています。この光は……」
団員の声に指揮官はメインスクリーンに視線を投じた。望遠映像で粗いが、唯一人を乗せているらしいカイリューがスクリーン上で何度か光を瞬かせる。その光の一定の連続性に気づいたのはフクトクだった。
「光信号です。解析します」
「降伏勧告か?」
指揮官は肘掛を握り締めた。出来るのならばとうにしている。敵だと規定したのはそちらのほうだ、と言いたい衝動をぐっと押さえ込んだ。宣戦布告をしたのだ。今まで大した音沙汰がなかった事を逆に不審に思うべきであった。どこから撃たれても文句は言えない。フクトクが「解析結果出ました」と声を飛ばして座席ごと振り返る。
「通信の周波数です。繋げるように言っています」
「繋げ」
他に道はない。フクトクが再びコンソールに向き合い、通信を繋ぐ。どう出るのか。まさか空中要塞を破壊光線で分断する、とは言い出すまいな、と思ったが冗談にもならないその思考に指揮官は頭を振った。
メインスクリーンに通信ウィンドウが開き、一直線だった声の波が動いた。
『聞こえているか。ヘキサの諸君。俺の名はワタル。カントー及びジョウトのポケモンリーグ元チャンピオンだ』
思いもよらぬ声に一同がざわめいた。指揮官だけは冷静さの仮面を取り繕うとした。ドラゴンタイプの使い手で四天王上がりの人間といえば、自ずと限られてくる。予想出来なかった話ではない。だが、通信を繋いでくるのは意外でしかなく、「音声通信のみ」の表示を眺めて指揮官は傍らのマイクを手に取った。
「こちらはヘキサ、空中要塞のブリッジだ。君に倣うのならば、こちらも名乗るべきか?」
『どちらでも構わない。俺はあなた方の戦いに割って入った邪魔者だ』
どうせ死ぬのだから、とは続けられなかった声にひとまず安堵して、指揮官は続けた。
「我々の戦いとはカントー政府、セキエイ高原の破壊、という事でいいのかな」
『おかしな事を言う。君達は最初からそれが目的だろう』
「その目的が一人の人間によって定められ、歪められた計画だとしたらどうだ」
指揮官の声に暫時、沈黙が降り立った。迷いの沈黙か。それとも後ろの仲間と示し合わせてでもいるのか。動かぬ音の波にフクトクが囁き声で指揮官に進言する。
「指揮官。今のうちに人工破壊光線の砲身をカイリューに向けておくべきでは?」
「駄目だ」
断じた声に一切迷いはなく、自分でも意外に思えた。まるで自分の舌ではないかのように、すらすらと言葉が出る。
「彼は、少なくとも我々を信じて交渉している。それを裏切れば、どこから撃たれても文句は言えない。そうでなくとも我々は爪弾き者だ。攻撃勧告などなしに沈めればいい。なのに、なぜそうしない? 答えは、彼もまた我々の在り方に疑問を抱いているからに他ならない。本当にそんな無謀な計画を? と思っているんだ。是ならば墜とすも已む無し。しかし、何か事情があるのならば、と汲んでくれている。まだ話せる相手だ」
フクトクはその言葉に何も返さず、再びコンソールに向かった。切っていたマイクの電源を再び点けて、「元チャンピオンでもこの問答には迷うか」と声を吹き込んだ。すると音の波が動いた。
『迷いもする。チャンピオンとて人の子だ。君達は、あの首領と思しき男に操られていたのか?』
「正確にはそうではない。我々は自分達の意思でここにいる。だが、目的についてはほとんど知らされていなかった」
『知らぬ存ぜぬで済む話でない事は』
「重々承知だ」
覚悟を決め、腹に力を込める。答え方を一つでも誤れば部下の命もろともこの空中要塞は消し飛ぶと考えていいだろう。それどころか今も事態の収拾に向かっているアスカ達をも巻き込んでしまう。彼女達は被害者だ。それも守れぬようならば、ロケット団の矜持が泣く。
『なるほどな。それで君達は、その事態を収拾するために、後退しようとしていた』
後退の事を見透かしている。ということは、ある程度事態に対する理解はあると考えてもよさそうだった。
「そうだ。後ろから組み付かれる必要などなかった」
『しかし、俺達も仕事だ。それなりに動かねば、カントーの民を不安に陥れる事になる。理解してもらえるかな』
「パフォーマンスで墜とされてはかなわない。今も事態は動いているのかもしれないのだから」
『しかし、収拾の方向に動いているとは限らないのだろう? だとするならば、俺が乗り込んでも文句は言えない』
もっともな意見だった。アスカ達の動きを察知出来ていない。目線でカメラを確認させるが、どうしてだか地上の監視カメラがまるで役に立たなかった。
「強い磁場の影響です」とイタクラが小さく告げる。今も何かが起こっているには違いないのに、何も出来ない。大人としての責任も果たせず、こうして交渉を長引かせるしか方法はない。
「それでも、信じてもらう以外には無い。証拠となる物件が今はないのだ」
『それでは俺が納得しても民衆や政府は納得しない。事が起こってからでは遅いんだ。どうして、あの時動かなかったのか。俺が無能と呼ばれる分にはいい。四天王不要論、大いに結構だ。どんな罵声でも甘んじて受け入れよう。ただ、人命がかかっている。その面も考慮して、嘘偽りのない言葉が聞きたい』
疑っているのだろうか、と思ったが無理もなかった。事態が終息に向かっている根拠も何も無く、ただテロリストに信じろと言われて、はいそうですかとはいかないだろう。タリハシティ一つを犠牲にした事実とイージス艦を沈めた事実だけで、殺されても仕方がないだけの事はしている。そこにも命が絡んでいるのだ。忘れたわけではない。ただ思考を放棄していたのだ。そこに至る事を考えれば、心が磨耗してしまうから。
「……嘘、偽りはない。私は現場の指揮を預かる者として、ここに宣言する。証拠を見せよう」
証拠? と色めきたったブリッジに、指揮官はマイクの電源を切り、顔を真正面に向けて静かに告げた。
「人工破壊光線の砲身を全て捨てるんだ」
その言葉にブリッジが戸惑いのざわめきに包まれた。指揮官は深く息を吸い込み、「熟考の結果だ」と続ける。
「武器を持った人間とは落ち着いて話せないだろう。我々の目的はもはやカントーにはない。それを分からせるには、武装解除がもっとも効果的だ」
「しかし、人工破壊光線は空中要塞の要です。それを失えば、もしもの時に――」
「そのもしもの時に、もうなっている」
遮って語気を強めた声に、団員は口を噤んだ。既に転がり始めた事態に誰もが困惑している。カントーの官僚も、ワタルでさえも今の状況を完全に掌握出来ていない。大火事に振り回されているだけだ。その大火事は、カイヘンとカントーの間に大きな隔たりとなって存在しているために、両者が妥協案を出したというところだろう。カイヘンの火事の後始末を、カントーが買ったのだ。後退しかけた自分達を押さえる理由が他には見つからず、頭を押さえられている感覚だけが明瞭に疼き、指揮官はもう一度ブリッジ全員に聞こえるように言った。
「人工破壊光線の砲身を捨て、武装解除するんだ。もう、それしか残されていない」
その言葉に了解の復誦が返る事は無かった。誰もが敗北という鉛を飲み込むには幼すぎたのだ。大人にもなりきれず、子供のままでもいられない男達が渋面をつき合わせて沈黙するしかない。指揮官が再度言葉を上げる前に、フクトクが静かに「了解」と返した。顔は見えなかった。指揮官も見ようとはせずに、ただ淡々と「了解」の声がブリッジ内に広がっていくのを感じた。大人になる事とはこういう事なのか。苦味を噛み締め、どうしようもない虚脱感に見舞われる。全てが終わった、という感慨が脳に染み渡っていく中、指揮官は瞼を閉じかけた。
瞬間、真っ直ぐに放たれた光条が瞼の裏に焼きついた。カッと目を開き、最初に浮かんだのは、どちらだ? という思考だった。ブリッジのメインスクリーンを焼ききらんばかりに広がった光に、指揮官は言葉も忘れて暫時見守っていた。
やがて、光が拡散した。短くなっていく光は、こちら側のものだった。ブリッジ内で視界を巡らせる。誰だ? と言うまでも無く、一人の団員が震えていた。指揮官が怒声を張り上げる前に、立ち上がったフクトクがその団員へと掴みかかった。座席ごとフクトクとその団員が揉みくちゃになる。「貴様ァ!」と今まで聞いた事のないフクトクの怒声がブリッジ内に残響した。フクトクが馬乗りになって殴りかかり、団員の襟首を掴み上げる。
「何をしたのか、分かっているのか!」
フクトクの剣幕に押されて誰も止めようとする者はいなかった。誰もが座席から僅かに腰を浮かせて固まっていた。その時、すすり泣きのような声が聞こえてきた。団員のものだった。顔を歪め、涙と鼻水にまみれた顔をフクトクに向けた団員は口から泡を飛ばして叫んだ。
「だって、負けたくないだろうがよぉ!」
その言葉にブリッジ内に滞留していた空気が弾けた。誰もが暗黙の内に思っていた事だ。負けたくない。自分達は一度負けたのだ。ロケット団にしろ、ディルファンスにしろ。これ以上、敗北を背負い、世界の敵である事に耐え切れなくなったのだろうか。団員は子供のように泣きじゃくり始めた。フクトクは掴んだ手を離し、団員は頭を振って何度もしゃくり上げながら蹲った。
最後の一線で、大人になれなかった。
苦い感傷が胸を埋め尽くしていく中、指揮官はメインスクリーンに視線を投じた。ドラゴンタイプ二体ほどが、翼を焼け焦がして高度を下げていく。致命傷ではない。しかし、攻撃したという事実は消せない。
『……了承した』
音の波が動き、ワタルの声を伝える。重々しく胸に響くのは贖罪の痛みのせいだろうか。切り傷のようにねっとりとした痛みが胸元から首を圧迫する。次に放たれる言葉は、誰もが判っていた。
『現時刻を持って、交渉の決裂と判断した。空中要塞は陥落する』
通信が途切れ、メインスクリーン上の通信ウィンドウが消えて、ドラゴンタイプが一斉に動き出す。こうなれば仕方がない。どれだけ時間を稼げるか判らないが、やるしかなかった。指揮官は腕を振るい、声を張り上げた。
「空対空迎撃戦用意! 一秒でも持たせろ。もう、どんな手を使っても構わん!」
攻撃した団員は蹲ったまま、動こうとしなかった。それも一つの答えなのかもしれない。大人にならず、いつまでも子供のままでいる事も、選択肢ではある。しかし、それでは周囲は勝手に大人になってしまう。その一人が子供であればあるほどに、大人にならざるを得ない。
今のブリッジがその状態だった。一人の子供のために、大人になる事を余儀なくされた背伸びした子供達が「了解」の復誦を響かせた。
『カンナさん。交渉は決裂した。ヘキサは完全に敵だ。潰しにかかる。ドラゴンタイプ全てに、ヘキサに与する者達の殲滅を命じる』
ヘッドセット越しに響いた声は陰鬱な響きを伴わせていた。冷気が紫煙のように漂っている。カンナは三体のポケモンを引き連れていた。カンナの乗っている一体は水棲生物の姿かたちをしている。花嫁のドレスを思わせる、薄水色の滑らかなベールのような姿。まるでおとぎ話の人魚だ。ひれがあり、丸っこい目と二本の犬歯を持ち、頭頂部には角のような出っ張りがある。このポケモンの名はジュゴンと言った。愛らしい姿だが、能力は高く、氷の腕はほとんどこのポケモンの技だった。
もう二体、同じポケモンが氷の腕を形成している。紫色の刺々しい針を備えた貝に挟まれているポケモンだった。貝の内側から黒々とした本体が覗いている。その眼が鋭く細められた。シェルダーという同じく貝のポケモンから進化するポケモン、パルシェンだった。二体のパルシェンが棘をアンテナのように動かし、氷の手の精密な動きを制御している。ジュゴンに乗ったまま、カンナは顔を上げた。頭上を覆うように空中要塞の浮遊機関が赤い稲妻を発している。カンナ自身は冷気をものともしないようなノースリーブの黒い服を着込み、襟を立てている。水色のフレアスカートから伸びたしなやかな足を組んで、眼鏡の奥の怜悧な眼差しを浮遊機関に向けて、マイクに声を吹き込んだ。
「ワタル。あなた、裏切られたとか思ってる?」
先程の声の印象から感じ取った事をそのまま口にした。ワタルは沈黙を返した。それこそが肯定の証だった。
「悪人を信じちゃ駄目よ。いつも言っているでしょう」
『……俺は、彼らに少しばかり情が移っていた。たった一人の悪に振り回された彼らを。しかし、悪は一人ではなかった』
「正義と悪の話じゃないわ。ワタル。あたしが言いたいのはね。悪人と善人の話よ」
『よしてください、カンナさん。今は問答をしている場合じゃない』
「いいえ」
断固とした口調でカンナは言い放つ。その言葉に気圧されたようにワタルは押し黙った。
「大切な事なの。人の根本が悪だとするのならば、あなたが裁くのを止めはしないわ。裁いたあなたからしてみれば、彼らは悪だから。でも、彼らからしてみればあなたが悪。こういう終わりのない問答じゃない。あたしの言いたいのは、あなたが今から撃とうとしているのは善人か悪人か、という話」
『カントーにあだなす悪ですよ。悪人に決まっている。ヘキサ自体も、ロケット団との混合というじゃないか。やっぱり腐っていたんですよ、性根はね』
「かもしれないわね。でも、だからといって彼らが生きるのには善人も悪人も関係ない。生きる上で悪人なら、様々な悪徳を重ねるでしょうけど、あなたは情が移った、と言った。感情移入できるのなら、あなたが悪人でない限り、相手は善人よ。正義が悪を思う事や、その逆はある。でも善人と悪人は平行線。ポケモンと人間と同じね。交わる事がない。そこで交われたという事は、相手は善人なのよ」
『だから、殺すな、と?』
「まさか」
カンナは首を横に振ってから、嘆息のようなものを吐いた。
「だからといって戦わずに穏便に済ませられないのが、辛いところね。善人同士で殺し合う。ともすれば、世界はそうなっているのかもしれない。善意が人を狂わせ、惑わせ、救いもする。物事が全て善意から発しているのならば――」
『騙まし討ちを仕掛ける人間が、善人であるものか!』
怒りの言葉をスピーカーに叩きつけ、それっきり通信は切れた。カンナはそっと微笑み、「まだワタルも甘ちゃんか」と呟いて、上空の空中要塞を見据えた。眼鏡のブリッジを上げ、「ジュゴン! パルシェン!」と呼びかける。三体のポケモンはカンナの指示に従い、氷の皮膜を広げて巨大な腕へと力を注いだ。海から生えた巨人の腕は、空中要塞という盤面を端から握り潰そうとしていた。
ドラゴンタイプの内部骨格が光り輝き、ワタルを乗せたカイリュー以外の多数が「げきりん」の光を帯びて、燐光を撒き散らした。その中の一体、フライゴンが緑の菱形の翼から刃のような黄緑色のの光を棚引かせ、真っ直ぐに空中要塞へと向かっていく。
気圧されたかのように今更に緩慢な照準の首を巡らせようとした人工破壊光線の射線をくぐり抜け、フライゴンの矮躯がビルの壁面を蹴り、空中要塞の地上部分へと至る。それと同時にフライゴンは両手から何かを手離した。フライゴンの手に握られていたのはモンスターボールだった。ふわりと浮いたボールをフライゴンが置き去りにして、上空を埋め尽くすフワライドの群れへと目を向ける。
その瞬間、フライゴンの放ったボールがバウンドし、二つに割れて開いた。そこから光が迸り、二体のポケモンを顕現させる。一体は紺の体表を持っていた。シュモクザメを思わせる頭部に、ひれのような両腕は海洋生物のようだがれっきとしたドラゴンタイプである。ひれの先についた爪を振り払い、それは乱杭歯の並んだ口腔を開いて咆哮した。その一声だけで、ビルのガラスが音を立てて割れ、破壊の重奏を響かせる。このポケモンはガブリアスと言った。
もう一体のポケモンは積層構造の鎧のような身体の龍だった。一見してそう判るのは、恐竜を思わせるしっかりとした体躯に薄緑色の装甲のような体表である。攻撃的なその性格を現したかのように、口の両側には斧のような牙が生えていた。このポケモンはオノノクスと呼ばれるドラゴンタイプだ。オノノクスが首を振るい上げると、そのままビルに向かって斧の牙を一閃させた。瞬間、空間に亀裂が走り、ビィンと空気が震える。ビルへと血飛沫のような砂煙が走ったかと思うと、大気を震わせる轟音が響き渡った。斜めに断ち割られたビルが地上に沈んでいく。
オノノクスとガブリアスはどちらも飛べないドラゴンタイプだ。だからこそ、フライゴンに運ばれてここまで来たのだ。また両手にボールを持ったフライゴンが人工破壊光線の射線上を翻弄しながら、地上へとボールを落とす。雷のように光が落ち、ドラゴンタイプが野に放たれる。
ガブリアスは身体を折り畳んだかと思うと、足の爪の力だけでジェット機のように空気の膜を破ってビルへと突っ込んだ。ビルの一つが灰塵に包まれ、空を覆っていたフワライド達が惑う挙動を浮かべる。それを察知したかのように、空中要塞の懐に入ったフライゴン達は、その口元から一斉に、オレンジ色の光条を弾き出した。幾重にも重なった破壊光線の暴力的な光が何も知らぬフワライドを縫うように放たれる。一瞬後には、牡丹のような爆光が空を引き剥がすような音を立てて弾けた。
ワタルの命令は「ヘキサに与する者全てを殲滅せよ」である。ドラゴンタイプ達は与えられた事をこなしているだけだった。彼らに市民が人間爆弾になっている事など知る由もない。ただ主人の命令を忠実に守り、主人の敵を排除しているだけだった。
オノノクスが青白い光を帯びた斧の牙を打ち下ろす。ガブリアスが身体を折り畳み、音速をも超える速度でビル群へと突っ込んだ。一面が灰色に染まっていく。砂煙がもうもうと上がり、ドラゴンタイプはそれを引き裂きながら行進する。空中要塞の盤面が割れ、獣達が力を振るう様は全ての崩壊を容易に連想させた。