ポケットモンスターHEXA











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グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 三十八節「勇者」
 カントーとジョウトは地続きのため、自治権はお互いにありながらも一つの国家として纏っている節がある。

 ジョウトの危機はカントーの危機でもあるのだ。

 当然、その逆も然り。

 カントーの港町、クチバシティから出港したのは最新鋭のイージス艦が二隻。全身これ武器とでも言うように、ハリネズミのような武装をしている灰色のイージス艦が、どっぷりとしたポケモンでいえばホエルオーに近い容姿で海上を進む様は、水ポケモンを威圧するのに充分だった。実のところ、ポケモンとはもっとも相容れない人間の叡智の結晶であるイージス艦は、二隻でも急務である事を告げたが、それでもスクランブルにしては遅く鈍い対応と言えた。

 カイヘン地方から発信された犯行声明を受け、上が重い腰を上げたのが今朝方過ぎ。それまでは冗談の類と受け取っていたというのが建前でも何でもなく本音なのだろう。それもたった二隻なのが平和ボケしたカントーの実情であった。ブリッジに収まる面々も特務とはいえ、正直なところ寝ぼけた頭をたたき起こされたような感覚を拭い去れない者達も多く、第一種戦闘配置においてもそれは同じ事だった。目標が何なのか示されておらず、ただ「領空に現れた未確認飛行物体を撃ち落とせ」という乱暴な命令である。

 もし、民間の航空機を撃ち落とせばどうなるのだ、と胸中に呟いたリムは、レーダーを担当していた。対空砲火に優れた最新鋭イージス艦「クチバ六号」と「クチバ七号」は相変わらずおしどりのように並んで海上を緩やかな速度で走っている。「クチバ六号」側にいるリムからしてみれば、こうも欠伸の出そうな緊急発進など聞いた事が無かった。彼の母国、イッシュ地方では軍備増強の政策が敷かれており、このようなのんびりとした何世紀も前の航海に近いような動きなど信じられなかった。だが、リムはまだ曹長だ。上に意見出来る立場ではない。それに加え、カントー出身者がほとんどを占めるブリッジ内では孤立に近い状態であり「ガイジン」の陰口を叩かれる始末であった。リムはカントーの言葉も熱心に勉強はしたし、文化も学んだ。今年でカントーの軍に入ってから三年目になる。だというのに、今も馴染めていないのはこうも緊張感のない空気だった。ふと、リムの耳に鼻歌が届く。操舵手が流行歌を口ずさむ。鼻声で聞けたものではなかった。リムが睨みを飛ばすと、その視線に気づいたのか操舵手は振り返り、リムの視線に気づいて決まり悪そうな顔をして静かに操舵に戻った。こうも危機感がないのはどうしてなのか。警戒態勢中にトイレにでも行けそうな腑抜け加減に、リムは苛立ちを覚えた。

 クチバシティを出て、地形をぐるりと回り、北側の領海に出たのが二時間前。いっこうに本部からの通信は無く、カイヘン地方で何が起こったのかもおぼろげだった。昨夜、見たネットニュースの中に犯行声明の動画が上がっていた。ロケット団の残党がカイヘン地方の自警団、ディルファンスと手を組み新たな組織、ヘキサとして新生。ヘキサの首領と目される男がカントー地方セキエイ高原への侵攻を宣言した動画に様々なコメントが寄せられていたが、どれも事態を楽しんでいるとしか思えないものばかりだった。カントーの国防の危機などまるで感じていない国民性に嘆きを通り越して呆れた。

 彼らは元来、内側の危機にさえ鈍感なのだ。ロケット団の支配を甘んじて受け、カジノで散財した人間は少なくはなかったと聞く。彼らの中で、ロケット団と関わりがあった有名企業を知っているかと問われれば九割は軽く超える。それでも知らぬ存ぜぬを通せるというのは驚嘆に値した。彼らは刃が喉元深くまで入り込まなければ痛みすら感じないのか。しかも、喉元過ぎれば熱さ忘れる。もう、ロケット団という組織を覚えていない者達ばかりだった。今でもロケット団について語るのは一部の過激論者だけだ。大抵の国民は、もう忘却の彼方に置いてきたのだろうか。首都が乗っ取られたというのに。暢気なものだと呆れつつ、思わず出た欠伸を噛み殺し、リムはレーダーに視線を走らせた。対空センサーにかかる影はなし。ヘキサ設立など、やはりデマだったのではという気持ちがもくもくと湧き出し、息をついて汗を拭おうとした、その時だった。

 突然、耳を劈く警報がブリッジ内に鳴り響いた。捕捉した事を示すアラートだという事をすっかり忘れている様子の、ブリッジを見やってから、リムは声を張り上げた。

「北東に数1。航空データベースに問い合わせます」

「すぐやれよ」と命じた艦長を、リムは肩越しに見やった。肥え太り、脂ぎった顔を拭っている。思わず出そうになったため息を押し留め、航空データベースから送られてきたデータと照合する。

「照合データなし。この、大きさは……」

 リムは息を呑んだ。レーダーに映った影があまりにも巨大だったからだ。見間違いか、と両目を擦る。だが、影は確かにイージス艦の十倍以上の面積を持っていた。あり得ない、と断じようとしたが報告しないわけにはいかない。リムは艦長へと報告した。

「目標のデータを正面のウィンドウに出します」

 正面ウィンドウに目標の簡易モデルが映し出された瞬間、誰もが言葉を失った。「レーダーの誤認では?」とすぐに確認の声が飛ぶ。

「イッシュから仕入れた最新鋭のレーダーですよ。誤認なんて」

「じゃあ、この影が目標そのものだというのかね」

 知った事か、とぶっきらぼうに言い放ちたい気持ちはやまやまだったが、この影が敵影だとするのならば明らかに二隻の戦力では足りなかった。

「本部に増援要請を」

「聞き入れられるものか。何かしらの技術を使って、大きく見せているだけかも知れん」

「何のためにですか? 当たりやすくなるだけでしょう」

「そんなものは知るか!」

 艦長が肘掛を殴りつける。怒りたいのは皆同じだ。自分だけ憤懣をぶつけて、それで何が変わる。リムはレーダーに向き直り、背中に「第一種戦闘配置」の声を聞いた。とっくに戦闘配置だろう、と言いたくなったがぐっと堪える。

「目標、目視可能距離まで接近。正面ウィンドウに出します」

 映し出された光景に、全員、息を詰まらせた。それは島が丸ごと浮いているかのようだった。蜃気楼にも見えるが、海面温度の低いカントーでそんな事が起こるとは思えない。島の下腹部で赤い稲光が発する。その時になってようやく理解した。あれは島ではない。

「……街が、浮いてるのか?」

 そう考えれば大きさにも納得がいくがどうやって浮かせているというのか。そもそも何をするつもりなのか。

「まさか、質量兵器……」

 呟いた声に、「まさか!」と艦長が頭を振る。

「そんな事をすれば相手とて無事では済むまい。ヘキサが設立したのは昨夜の事だぞ。それなのに」

 集団自決など、と言いかけた口が止まった。その最悪のシナリオが突きつけられているのだ。積乱雲のように覆い被さってくる巨大な街の上には、菌類のような紫色の球体が浮かんでいる。リムは天が落ちるという神話を思い出した。

「……これは、地獄か」

 街の端から砲塔が飛び出す。ロックオンされた警報が鳴り響くが、誰も何もしようとしない。ただ圧倒されるだけだった。リムは短かった自身の人生を反芻するより前に、砲身から緑色の光が十字に瞬いたかと思うと、弾き出された光線がイージス艦を貫き、一瞬でブリッジにいる全員を蒸発させた。

























 人工破壊光線の光芒が空中要塞のブリッジに反射する。減光フィルターがかけられているブリッジのメインスクリーンには、ケーキのように切り分けられるイージス艦が映っていた。人工破壊光線がイージス艦を切り裂き、中身を露出させたかと思うと火器にでも引火したのか、爆発の光と風圧がイージス艦を吹き飛ばした。四散したイージス艦の遺骸を見、もう後戻り出来ないと胸に覚悟を決めた指揮官は、ぐっと詰めた腹の底から声を張り上げた。

「このままカントー政府、セキエイ高原へと侵攻する! 人工破壊光線の砲身はどれだけ残っている?」

「右側に二本、左側は残り一本です」

 イタクラがコンソールに向き合いながら言葉を返す。張り詰めたその表情に、全く迷いの無いわけではないのか、と指揮官は感じた。顔を伏せ、額に滲んだ汗を拭う。このまま進めば、いや、進まずとも稀代のテロリストである事には違いない。しかし、ここにいる全員の命を預かる身となれば、臆病風に吹かれている場合ではないのだ。肘掛を強く握り、指揮官は顔を上げた。

「残り弾は温存しておけ。幹部からの定時連絡は?」

「依然、ありません。キシベ様からも……」

 不安を滲ませた表情でフクトクがキーを叩き、耳に当てたヘッドセットに声を吹き込む。キシベやアスカ、チアキに呼びかけるがメインスクリーンに示された通信ウィンドウは開かない。全員やられたのか? という最悪の想定を頭から消し去って、指揮官は手を振り翳した。

「まだカントーの防衛網は生きている可能性がある。海上に敵影は?」

「ありません。目視出来る範囲では先のイージス艦二隻のみです」

「嵌められた、というわけではあるまいな」

 言ってから、この場で口にする言葉ではなかったと後悔するも誰も気にも留めていないようだった。これから全ての中心地であるカントー総本山に攻撃を仕掛けようというのだ。失言の一つや二つにかまけているほど余裕がないのだろう。しかし、あまりのあっけなさに、拍子抜けすらしていた。カントーの防衛網がたった二隻のイージス艦などあり得るのか。それよりも、カントーは宣戦布告を本気にしていないのか。今まで、カントーは他地方からの侵攻をほとんど受けていない。全部、内々の話ばかりだっただけに現実感というものが希薄なのか。巡らせた思考も堂々巡りを繰り返すばかりで、指揮官は頭を振った。我々はヘキサだ。そう断じて、指揮官としての声を張る。

「これより、カントー本土へと上陸する。空対地戦闘用意。セキエイ高原へと先制攻撃を仕掛け――」

「そんな事はさせないわ」

 不意に耳朶を打った声に、指揮官は思わず振り返った。エメラルドブルーの瞳が射抜くような光を湛えている女だった。燃えるような赤い髪に、整った顔立ちが映える。何かが転がる音が耳に届く。そちらに顔を振り向けると、イタクラやディルファンスにいた団員達が立ち上がっていた。

「……アスカ、さん」

 女の名を呼ぶ。次いで彼らの眼はアスカの傍らにいる男へと向けられた。金色の長髪に、優男風の顔立ちをしている。指揮官はその男の顔に見覚えがあった。ロケット団時代に、幾度と無く煮え湯を飲まされ続けた顔に指揮官が声を出す前に、イタクラが口を開いた。

「フランさん。あなたは、死んだはずでは……」

「確かに。僕は死人だ。死人に未来を切り拓く口はない。だから、アスカさんの口から言ってもらう」

 道を譲るかのように、フランが一歩退いた。アスカが代わりのように一歩踏み出し、ブリッジを見渡す。突然の闖入者に指揮官は声も出せなかった。何故、アスカが死んだはずのディルファンス幹部と共にいるのか。その答えはアスカ自身の口から発せられた。

「皆、振り回してごめんなさい。赦してくれと乞うつもりはないわ。でも、今はカントー進軍なんてさせるつもりはない。私は、ようやく本当の事を言える。ヘキサなんて、――いいえ、もっと言えばディルファンスやロケット団なんてあるべきじゃなかった。カントーへの侵攻を今すぐにやめてください。これはお願いです」

 全員が呆然とその言葉を聞いていた。どういうつもりなのか。自らディルファンスを裏切ったリーダーが今更何を言うのだ。怒りよりも戸惑いが勝り、指揮官は開きかけた口をまた閉ざした。代わりのようにフクトクが立ち上がり、「そんな事」と反発の声を上げる。

「信用できるわけないでしょう! アスカさん。あなたの言葉はあなただけのものじゃないんだ。そうコロコロと意見を変えられちゃ、下々の人間は堪ったもんじゃないんですよ。彼らは!」

 フクトクがイタクラ達を示すように手を広げる。全員の視線がフクトクへと集まった。

「皆、あなたを信じてディルファンスという古巣を裏切ったんだ! あなたは適当な言葉を弄しているだけで、何も解決しようとはしていない。彼らの生きる道を、考えた事があるのか!」

 それは戻れない者の叫びだった。退路を奪われた者達は、覚悟して未来に臨まなければならない。その一存がたった一人に委ねられているというのならば、その一人は百人の運命を背負い込まなければならない。それが組織の上に立つ者の務めだ。指揮官もアスカへと探る目を寄越した。覚悟を問いかけるほどの地位ではない。ただ上に立つ者としての解答が一つ、欲しかっただけなのかもしれない。

 アスカは暫しの逡巡の沈黙を挟む。そう簡単な言葉では済まされない。今までのように表面を取り繕った言葉では意味がないと理解しているのか、ようやくリーダーらしい精悍な顔つきになったアスカは全員に視線を配り、唇を開いた。

「……私は、ない。自分と、自分の周りで精一杯だった。これからは違う、と言いきれる自信もない。誰かの事を考えて生きるなんて、今までの私は困難で、多分これからもそう。でも、怨念返しだけは違うと言い切れる。お互いを憎しみ合って、その末に新たな敵を見つけて何になるの? その答えは明瞭かもしれない。でも、明瞭ゆえに、その時、物事を見るまなこは曇っている。全員が同じ方向を向く事なんて出来ない。人はそれぞれ違う生き物だし、ポケモンと生きているのなら分かるはずよ。違う生き物達と、それでも心を通じ合わせるだけの、濁りない心を持ち合わせるのならば、私達はきっと、もっと分かり合えるはずなの。……でも、ごめんなさい。私の言葉じゃ、響かないのは分かってる。痛みを知らない言葉と心だったから。ようやく痛みを知れた。誰かに操られる事の恐怖を知れた。それが、何になるのかは答えは出ないけど」

 いつものアスカとは明らかに違う、弱々しい発言だった。求心力もまるで無く、人心を変えるだけの言葉ではない。凡庸そのもので、超越したものは何一つ感じられない。
だが、

「――用意されていない言葉。それこそが」

 指揮官は席から立ち上がった。ブリッジ全員の視線がアスカから指揮官へと注がれる。指揮官はアスカへと歩み寄った。アスカは僅かに肩を震わせる。怯えている。ディルファンスとして幾度となく立ちはだかった、あのアスカが。それでも、エメラルドブルーの瞳が逸らされる事はなかった。それどころか、強い光はそのままだ。きっと、それこそが彼女の本質なのだろう。指揮官は手を差し出した。

「感動したわけでも、心打たれたわけでもない。ただ、今の言葉。初めて熱があった」

 アスカが呆然とその手を見つめている。指揮官はその背中を押す言葉を発した。

「カントー進軍を取りやめる事は、私の一存ではない。転がりだした石だ。だが、ブリッジから推進システムへと働きかけ、遅らせる事は出来る」

 その言葉にアスカがハッと顔を上げた。深く頷いた指揮官は手をずいと差し出した。多少、乱暴な動作かもしれないが、器用に生まれ育った身ではない。ゆえに、このような形でしか歩み寄る事が出来なかった。アスカが指揮官の顔色を窺う。自分はきっと仏頂面だろう、と思っていると、アスカの手が指揮官の手を握った。戦闘に赴くとは思えない、たおやかな手だった。

「……よろしく、お願いします」

 控えめに放たれた言葉に、指揮官は「約束は出来かねる」と言い被せた。

「確実にカントーに至らずに、というのは無理だ。もうカントーのイージス艦を二隻沈めた。推進剤の力もある。上陸まで残り多く見積もっても二十分弱といったところか。我々は確実に敵だ。どうなるかは分からない。あなたに、背負えるのか?」

 ブリッジの命を、と付け加えた瞳にアスカは迷うように顔を伏せた後、首を横に振った。

「分かりません。今までは安全圏から物事を見ていました。だから、私に覚悟なんて……」

「それでいい」

 濁した語尾を断ち切る言葉に、アスカは目をしばたたいた。指揮官はアスカの眼をしっかりと見据えて言った。

「百パーセント確実など、この世にはないものだ。絶対、背負うなどと口にすれば、即座に交渉を破綻にするつもりだった」

 アスカはその言葉に放心しているようにぼうっとしていた。手を離し、指揮官席に座り様に、手を振り翳した。

「ブリッジ各員に通達。推進剤噴射を中断。戻る事は出来ないが、引き返すための道しるべを作ることならば出来る」

 その声に「了解」の復誦が返ると同時に全員がコンソールに向き合った。キーを叩く無機質な音の響く中、アスカがほっと胸をなでおろしたのが、肩越しに見えた。

「まだ、作戦中です。気を緩めることの無いよう」

 口に出して意外な事に気づいた。自分はいつから歴戦の英雄のような口を叩けるようになったのだろう。二日連続の指揮官という責務が自然とそうさせたのか。身にかかる重圧をアスカの言葉を借りて振りほどく事が出来たからか。

 アスカが緊張のはらんだ面持ちをメインスクリーンに向ける。通信ウィンドウは依然開かず、幹部達の無事を確かめる術はない。

「反転用推進剤、噴射!」

 ブリッジの団員が声を張り上げる。行くべき道が垣間見えたおかげか、先程よりも幾分か平静さを取り戻したブリッジに状況確認の声が飛ぶ。

「空中要塞はうまくいけば海上に出ます。ですが、カントー上陸は避けられそうにありません」

「指揮官!」と振り向けられた声に、「どうした?」と返す。

「空中要塞機関部のシステムに何者かのハッキングの形跡を確認。このままでは航行に支障が出ます」

「どうにかならないのか?」

「メインとなるのは機関部中枢にある端末です。こちらからもアクセスを続けますが、向こうのほうが早く、対処が間に合いません」

「だったら――」

 ちょうど同じ台詞を上げかけた指揮官の言葉を遮った声の主へと、全員が視線を向けた。フランが全員分の視線を真っ直ぐに受け止め、口を開く。

「僕らが止めます。あなた方はブリッジで出来る限りの事をお願いします」

 フランが身を翻す。その背にアスカが続こうとするのを、指揮官は「待ちなさい」と静かに制した。二人が動きを止める。指揮官は席から立ち上がり、踵を合わせると身に染み付いた挙手敬礼をした。フランが面食らったように目を見開いてそれを見ている。指揮官は口元に笑みを浮かべた。

「ロケット団であった時からの矜持だ。受け取るか否かは自由だが、私はあなた方を送り出す身。どうか、武運を願わせていただきたい」

 その言葉に団員達もコンソールから顔を上げ、立ち上がって指揮官に倣った。相手は幹部を殺した人間達だ。それでも、同じ志を持つのならば同じように送り出すのがロケット団の矜持である。今は胸に「R」の文字がなくとも、心の奥底に誇りが抱けるのならばそれに頼るものでもない。

 フランはフッと口元を緩め、指を二本立てて軽く返した。

「了解した」

 皮肉にもそれはシリュウと同じ台詞だった。既視感に目頭への熱を感じつつも指揮官は顔を伏せる事はしなかった。

「あなた達の思いを無駄にはしません」

 アスカはそう言い置き、ブリッジを去った。扉が閉まり、二人の背中を掻き消す。指揮官は席に座り、息をついた。自分もとんだお人好しだ。目元を隠すために帽子に触れようとするのを、イタクラが制するように言った。

「指揮官。帽子はありませんよ」

 その言葉にブリッジの人々が笑みを浮かべた。ここはもうロケット団でもディルファンスでもない。キシベの私怨で動くヘキサでもない。志の同じ者達が集う、別の場所だ。ここを名づけるほどのセンスを持たぬ身に、指揮官は人知れず苦笑を漏らした。

「給与は出んぞ。褒められる仕事でもない。それでも、やるか」

 最終確認の声に、フクトクが顔を上げて返した。

「指揮官。我々はもう運命共同体です。今更、散り散りにはなれませんよ。指揮官の頭じゃあるまいし」

 思わぬ軽口に笑い声さえ上がった。指揮官は参ったなとでも言うように後頭部を掻いた。無い髪をさすりながら、確認の声をかけるまでもなかったと実感する。彼らも自分も既に道は決まっているのだ。その確信に、腹の奥底から声を張り上げる。

「ブリッジ各員に告ぐ! これより、ブリッジはヘキサの思想を離れ独自に行動する! 是も非もない。ここにいる全員が、同じ覚悟の下にいる事に、経緯を表し、感謝する! だが、組織としては裏切りだ。どこから弾が飛んできても文句は言えん。総員、警戒を怠るな!」

「了解!」の復誦がうねりのように響き渡り、指揮官は改めて現場を指揮するという感覚を得た。思わず潤みかけた視界に、まだだ、と言い聞かせる。泣くのは後からでもいい。涙は先に流すものではないからだ。

「……全てが終われば」

 恐れはない。ここにいる全員と繋がっている感覚に、指揮官は磨きぬかれた刃のように輝きを湛えた双眸を正面に向け直した。それは歴戦の勇者の眼だった。


オンドゥル大使 ( 2013/04/30(火) 22:46 )