第六章 三十四節「やわらかなもの」
縦一文字に走った閃光が煌き、次の瞬間血飛沫が彩った。
リョウは目を見開いていた。リーフィアのリーフブレードが血に染まる。その眼前には身体を開いたルイの姿があった。ルイの身体へと一直線に傷が走り、白いワンピースを血で濡らした。ルイが膝を折る。追撃しかけるリーフィアを、リョウは声で制した。
「やめろ! リーフィア!」
リーフィアの額の葉っぱが刃の鋭さが消え、柔らかい巻き毛気味の葉っぱに戻る。リーフィアはルイをじっと見つめていた。ルイは切り裂かれた肩口から胸元までの傷に手を当てながら荒い息をついている。ルイを傷つけてしまった。その事と同時に、どうして、という言葉が浮かび上がった。
「……どうしてなんだ、ルイ。俺はお前をゲンガーの呪縛から救いたかった。押し付けられた運命から解放したかっただけなのに」
「……解放、なんて、望んじゃいない」
息も絶え絶えに、ルイは顔を伏せて呟く。その言葉はリョウの内側に鮮烈に響き渡った。ルイは今まで苦しんできたはずだ。ロケット団の生体兵器として造られ、今度はヘキサで戦わせられる。そのあり方にリョウは自分の事のように胸が締め付けられた。だから、救うと決めたのだ。だというのに、目の前のルイは自分に敵を見る目を向けた。その眼差しから逃れるように一歩退く。
「ルイ。俺は、お前を……」
「勝手な事言わないでよ。今更、ボクの前に現れて。ボクの事、いらないんじゃなかったの? 化け物だって言ったでしょ」
「俺は、そんな事言ってない! ただ――」
「ただ、何? 化け物と一緒にはいられないだけだって? 結局、同じだよ。ボクを分かってくれるのは、ゲンガーだけ。この世界でゲンガーだけが信じられる。だから、引き裂こうとするなんて許せない」
リョウは拳を握り締めた。こうも会話が平行線なのは、やはり自分勝手な理想の押し付けだったのか。否、と首を振る。ここまで来たのに、黙って見過ごす事など出来ない。リョウはダークライに目を向ける。ダークライの周囲の脈動が段々と小さくなっていく。「ダークホール」の効果が切れようとしているのだ。その前に決着をつけ、ルイを自分の側に呼び戻さなくてはならない。時間は無かった。リョウは握った拳で胸元を叩いた。
「ルイ。信じられる人間ならここにもいる。お前を決して一人にはさせない。お前と同じ痛みを持っている人間だっているんだ。そいつを紹介してやるから、お前も俺達と一緒にミサワタウンに住もう。皆、いい奴らばっかりだ。空気も綺麗だし、そこでなら全てを忘れて――」
「全てを忘れる事なんて出来っこない」
遮って断ずるように放たれた声に、リョウは二の句を継げなくなった。ルイは震えるように肩を抱いて、言葉を搾り出す。
「ボクはたくさん殺した。ヒトも、ポケモンも。ボクだって分かる。自分がどんな事をしたのか。それを償う方法がないのも。全部分かっているんだ。なのに……」
ルイは顔を上げた。赤い瞳がリョウを見つめる。その時初めて、ルイの瞳に人間の光が宿り、リョウの姿をようやく認めたように訴えかけた。
「リョウの下に行きたい。傍にいたいよ。でも、ボクにはその資格はない」
「ルイ!」と叫んで駆け寄ろうとした瞬間、ルイの背後から影が津波のように上がり、覆い被さった。ルイの姿が呑み込まれる。リョウはハッとしてダークライに視線を走らせた。紫色の脈動が消えている。「ダークホール」の効果が切れ、ゲンガーが再び動き出したのだ。
ルイの姿がシルエットとなって押し潰され、影の水溜りの一部となり、ナメクジのように這い進む。それはビルの壁面に至った。リョウはじっと見つめていた。わなわなと視界がぶれる感覚に奥歯を噛み締め、ポケモン図鑑を開く。だが、どんなポケモンを出せばいいというのだろう。ルイの心は迷いの中にある。もう少しなのだ。しかし、その一歩が何よりも遠い。ポケモンで無理やり従わせるのでは、キシベと同じだ。リョウはポケモン図鑑を閉じた。ダークライが気づいて鋭角的な眼差しを送る。リョウは微かに笑い、「やっぱ、違うか」と呟いた。
「ルイには、戦いじゃないんだ。そういうんじゃない。もっと、やわらかいものが必要なんだ。ダークライ、いやメタモン。戻ってくれ」
リョウがボールを向けると、ダークライは形を崩して虹色のメタモンとなり、赤い粒子となってボールに吸い込まれた。リーフィアが主の指示を待ってビルの谷間を進む影を見据えている。リョウはホルスターにメタモンのボールを戻し、入れ替わりに隣のボールを引き抜いた。
「行け、オオスバメ!」
手の中でボールが割れ、光を舞った姿が翼をはためかせた。オオスバメが一声鳴いて、リョウの頭上で滞空する。リョウはオオスバメの足を掴んだ。オオスバメもリョウの腕をがっちりと掴む。
「ルイを追う。リーフィアは地上から。俺とオオスバメは空から行く。もう少しなんだ。ルイは、確かに俺を見た。名前を呼んでくれた。心を完全になくしたわけじゃない。まだ、間に合う」
オオスバメがリョウと共に飛び上がった。リーフィアが地を駆け、瓦礫の隙間を縫うように影を目指す。オオスバメとリョウは空から影の進むであろう方向を見つめた。
「四ブロック先か。なるほど」
空からタリハシティを俯瞰したリョウが呟く。ちょうどタリハシティ中心部だ。もしかすると、ヘキサの中枢へと向かっているのかもしれなかった。最終決戦にはおあつらえ向きだ。その視界の端に見える水平線には、僅かながら盛り上がった陸地を捉える事が出来た。
「やべぇな。もう時間がねぇ。オオスバメ!」
声に反応したオオスバメが翼に風を得て、速度を増す。頬に当たる風を感じながら、リョウは今更のように痛み出した右腕に、顔をしかめた。