ポケットモンスターHEXA











小説トップ
グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 二十九節「希望の光」
 咄嗟にドリュウズを先行させたのは何故なのか。

 セルジには分からずじまいだった。

 ただ、目前で正体不明の圧力が額を押し付け、それを振り払うかのようにドリュウズを繰り出したのは確かだ。

 額を触れ、先程の感覚を確かめようとするも、ゴーグルに邪魔をされた挙句、既にその感覚は霧散していた。指先でゴーグルの表面をなぞる。様々な情報がリアルタイムで飛び込んでくる。爆発は幾度か感じたが、その爆心地の一つに氷付けのドラゴンタイプが倒れていた事。ディルファンスに該当データはなく、未知のポケモンである事。それがヘキサの切り札の可能性であり、傍らに倒れて事切れているダイケンキが応戦した事。誰のものかは分からない。爆発は二箇所で起こっていた。もう一方から伝わる情報では、そちら側は巨大な穴が開いており、ヘキサの中枢に入り込める可能性がある事を告げていた。数人の部隊とエイタはそちらに向かうらしい。セルジ達は氷付けのドラゴンタイプへと赴き調査する命が下っていたが、セルジは不意の圧迫感に思わずドリュウズに「ドリルライナー」で直進させた。何があるのかは分からない。しかし、この先に何かがある。靄のようにはっきりとしないその感触にセルジは踵を返した構成員とは別に足を止めた。他の構成員達が振り返って口を開く。

「セルジさん。早く向かわなければ。ドリュウズを突然出して、どうしたんですか?」

「……敵がいる」

 確証などないが、口をついて出た言葉に、「そんな」と構成員の一人が返した。

「だったら、そちらへと我々も――」

「いや、君達は指定されたポイントへ向かってくれ。俺だけで行く」

 自分でも思った以上にすらすらと出た言葉に、これは誰の言葉だ? と自問した。自分で考えているのか。それとも継いだヤマキの意志がそう命じるのか。答えは出ず、セルジは一歩踏みだした。

「この敵は普通じゃない。ルナポケモンだ」

 全て憶測だ。もしかしたら見当はずれな事を言っているのかもしれないと思いながらも、セルジはさらにゆっくりと歩み出す。

「だったらなおの事、我々で行動すべきです」

 構成員の至極真っ当な意見に、セルジは頷いたが熱に浮かされたようにぼんやりとしていた。

「ああ。そうかもしれない。だが、君達は試作兵器の装備者が俺一人だから不安なだけだろう」

 どうしてこんな言葉が口から出るのか。思ってもみない皮肉に構成員達はたじろいだ。「だったら」とセルジはゴーグルを頭から外した。常に繋がっていた接続が解除され、孤独の闇に取り残される感覚に一瞬沈みそうになるが、それよりも目の前から感じる圧に注意を取られた。ゴーグルを外したせいか、先程よりも圧迫感が重く、水のように絡みつく。セルジは額を押さえた。熱はない。だとするならば、身体を動かす衝動はどこから湧き上がる?

「君達で持って行け。俺は一人でも行く。何か、ただならぬ気配がするんだ」

 その言葉に構成員達は一瞬、逡巡の間を空けたが、やがて一人が歩み出てゴーグルを受け取った。そのまま逃げるようにセルジの元から去っていく。やはり希薄なのだなと今更な感情が過ぎった。仲間意識などない。憎しみと偽りの使命感に衝き動かされていただけだ。自分かわいさに、彼らは平気で裏切る。いや、自分も同じ場所にいたのだから他人の事は言えない。セルジは歩み出した。歩みはやがて早くなり、早足のステップを越えてセルジは駆け出す。何が自分をこうも動かすのかは分からない。正体不明の熱が自分の中にわだかまっている。その熱を持て余したくない。それが結局、本音だった。風が吹き抜けると同時に、圧迫感が重みを増していく。脳に直接何かを押し付けられているかのようだ。

 まず視界に入ったのは巨大な影だった。岩で出来た柱を片手に握り締め、睨み合っている。見た事のあるポケモンだった。

「……確か、ローブシンとかいう」

 呟いた声に反応したように傍らに突き立てられている柱へとローブシンが手を伸ばした。柱を握り締め、ゆっくりとした動作で地面から抜き取る。しかし、その間中でも視線を外そうとしない。半端ではない集中力だった。その視線の先にはビルの屋上で既に臨戦態勢に入っているドリュウズの姿がある。だが、ドリュウズだけでは駄目だ。一瞬で判じたセルジは、ホルスターからボールを引き抜く。何故かは分からない。確証も無い。それでもドリュウズだけでは敵わない事が理性ではなくもっと根源の、本能の部分で分かった。

「いけっ、サイド――」

 緊急射出ボタンを押しかけて、ようやくローブシンとドリュウズの周囲の様子が分かり、足を止めた。地面には至るところに隕石でも降ってきたような穴が開き、ひどく罅割れている。その穴の一つにポケモンが埋まっていた。カブトプスだ。それを使うポケモントレーナーの姿に、セルジは見覚えがあった。ディルファンス本部襲撃時に率先して戦った人間だ。よく覚えている。その人物は穴から這い出そうとするカブトプスへと呼びかけていた。だが、当の本人も酷く消耗しているようで座り込んでいる。青い髪が揺れ、赤い瞳がようやくセルジの気配に気づいたのか振り返った。視線が交錯し、一瞬の静寂が訪れる。

「……お前は、ディルファンスか」

 どこか疑念を含んだ声に、セルジは唾を飲み下した。間違いない。確か、名前は――。

「確か、君は……」

 言葉を交わしあう前に、ローブシンの雄叫びが静寂を切り裂いた。ドリュウズも負けじと威嚇する。ローブシンは二本の柱を重さなど感じていないかのように振り回した。砂塵が嵐のように吹き荒ぶ。風が刃の鋭さを纏う。セルジと少女は顔の前に腕を庇うように翳して、その景色を見つめた。ローブシンの傍らには岩の柄が落ちている。ドリュウズが破壊したのか。だが、不意打ちならばまだしも真正面から戦ってドリュウズが勝てる道理はない。なぜならば――。

「ドリュウズは鋼・地面タイプだ。格闘タイプに対しては不利な形勢になる」

 思考を代弁するかのように少女が言葉を発した。セルジがそちらに視線を向けていると、少女はカブトプスを呼んだ。カブトプスはよろめきながらも足を地に着けようとする。だが、その足が体重を支えた瞬間、ぴしりと亀裂が走った。無理な動きは出来ない。そう判じたセルジの脳に差し込むように、少女が口を開く。

「カブトプスはダメージを受け過ぎた。一対一は不可能だ。でも、四対一ならば、勝てるかもしれない。私は気に食わないがな」

 少女の赤い瞳がセルジの掴んでいるボールに向けられる。サイドンを期待しているのか。だが、懸念事項があった。

「……でも、俺の手持ちはサイドンだ。岩・地面タイプ。どちらにせよ、苦戦を強いられる事になる」

「いいさ。とっておきがあるだろう。岩や地面タイプならば、組み込むであろう技が」

 少女の言葉にセルジは呆然としていたが、やがて閃くものがあった。

「……そうか。それなら、いけるか?」

「さっさと出せ。ローブシンはマッハパンチを持っている。射程に入れば不利なのはこちら側だ」

 その言葉に頷き、セルジはサイドンの入ったボールの緊急射出ボタンに指をかけた。

「いけっ、サイドン!」

 ボールが手の中で割れ、光に包まれた巨体が地面にしっかりと足をつける。往年の特撮怪獣を思わせる外観に、灰色の重量級の姿は否が応でも「遅さ」を意識させる。今は身体に纏っているオレンジ色のプロテクターが余計にそう思わせた。それを払拭するように、サイドンは鼻先のドリルを勢いよく回転させた。ローブシンが巻き起こす砂の風をドリルに纏いつかせ、砂煙を自分の側に引き込む。サイドンが砂塵を引き寄せている事に気づいたのか、ローブシンが目を向けた。ぎょろりと睥睨する蒼い瞳に、セルジは狂気を見た。

「この、ポケモンは……」

 ローブシンが柱を振り上げる。セルジはぐっと奥歯を噛み、恐れを打ち消そうと奮い立たせた。

「サイドン、集めた砂煙をドリュウズに送れ!」

 渦をなした砂煙をサイドンはドリュウズが佇むビルの屋上に向けて首を振るい、ドリルの回転を強めた。空気が巻き込まれ、螺旋を得た砂煙が竜巻を形成し、ドリュウズに降り注いだ。ドリュウズの姿が砂のベールに阻まれる。サイドンへと、ローブシンは攻撃の目を向けた。振り上げた柱を打ち落とそうとする。その前に、セルジは手を振り翳した。

「ドリュウズ、ドリルライナー!」

 ドリュウズが短い足で跳躍し、宙に躍り上がる。頭頂部の帽子のような鋼の刃と、両手を合わせ、まるで蓑虫のような形状へと変化した。全身から砂のジェット噴射を巻き起こし、ドリュウズの身が回転する。ドリルの砲弾と化したドリュウズは今にも打ち落とされる柱へと突っ込んだ。空気が引き裂かれ、ドリュウズの「ドリルライナー」が柱の軌道をずらした。攻撃の衝撃にローブシンが僅かによろめき、右側の柱を地面についた。サイドンの脇に柱が突き刺さる。肝が冷える思いを味わいながら、セルジは拳をぎゅっと握った。ここで臆してはならない。それこそ、以前の二の舞になる。

「サイドン、お前もドリルライナーだ!」

 サイドンの鼻先のドリルが風を巻き込み、空気を震わせた。ビルに潜ったドリュウズを追おうと視線を巡らせたローブシンは反応が一拍遅れた。サイドンが両拳を握り締め、鼻先で勢いを増す力の脈動に吼えた。その咆哮を力に変えるように、ドリルから放たれた螺旋の嵐をサイドンは傍らの柱に解き放った。柱に亀裂が走り、内部から砂が血飛沫のように舞う。がらがらと柱が下から崩れてゆく。亀裂は遂に握る手に及び、ローブシンの指先をカマイタチのように傷つけた。ローブシンは手を離す。痛みのためか、握る柱がなくなったためか。前者であって欲しいと願いながら、セルジは再び指示の声を飛ばす。

「ドリュウズ、出て来い!」

 その声に、ビルの林からドリュウズが突然、蓑虫のような形態のまま躍り出た。まだ回転し続けている。ドリュウズのドリルの先端は、ローブシンの右側頭部へと、矢のように突き刺さる、かに思われた。だが、ローブシンは咄嗟に手を翳しドリュウズのドリルから身を守った。ドリュウズの身体を掌全体で掴み、回転を殺そうとする。

「そんな程度で、ドリュウズのドリルはやまない!」

 セルジは爪先から身震いするのを感じた。こんな大声で戦った事はない。しかし、今は怪物を前にしている。半端な覚悟や勢いでは勝てない。それこそ、今までの自分を捨て去るほどでなければ。

 ローブシンの手の中でドリュウズはさらに回転の勢いを増した。セルジの声が届いたのか。ヤマキの魂を受け継ぐ、セルジの思いに応えていくれている。ローブシンがドリュウズを掴んだ手を振るい落とそうとする。そのまま地面に叩きつける気だろう。

「そうはさせるか! サイドン、地震で足場を揺さぶれ!」

 サイドンを中心として茶色の波紋が広がる。すると細かい破片や瓦礫が俄かに揺れ始めた。それは瞬く間にバトルフィールドを激震させる巨大な地震へと変貌した。ローブシンが僅かながら体勢を崩す。片方の手の柱だけで身体を支えているためであろう。バランスが悪いのだ。傾いだ頭に、セルジは指を向けた。

「ドリルライナーだ!」

 サイドンの鼻先のドリルが高速回転し、今や視界を覆いつくす砂を引き裂いて龍のような嵐が突き上がる。ドリルの風が砂を纏った牙となり、ローブシンの眉間に突き刺さった。ローブシンがドリュウズを掴んでいた手を緩める。その期を逃すドリュウズではない。すぐさま、ドリル形態を解いて四肢を広げ、地面に着地した。ローブシンの蒼い眼がぎょろと睨み、蝿を潰すように平手を見舞おうとする。ローブシンの平手が地面にめり込み、アスファルトを砕いて破片が飛び散った。その破片の一部が空間を走り、セルジの頬を切る。セルジは手の甲で傷口を拭い、平手の着弾点を見た。ローブシンも吹き荒れる砂の中、その場所に目を凝らす。しかし、そこにはドリュウズの姿など無かった。

 首を巡らせる前に、四肢を仕舞い、ドリル形態と化したドリュウズがローブシンの手の甲へと上空から真っ逆さまに突き刺さった。あまりにも無防備だったためか、思わずローブシンは突き刺さった手を上げた。ドリュウズが身体を開き、ローブシンの腕を上ってゆく。ローブシンが柱を握っているほうの手を離して拳を作った。「マッハパンチ」の構えだ。それと同時に、ドリル形態に瞬時に変形したドリュウズが全身から砂のジェット噴射を得て、マッハパンチを繰り出す前の拳に突き刺さった。音速の拳は放たれる前に痛みで霧散する。その手へと再び上り、ドリュウズはローブシンの頭を目指す。ローブシンは両腕を振り落とした。地面が弾け、空気が震える。筋肉が二倍に膨れ上がり、その衝撃でドリュウズは吹き飛ばされる形となった。だが、ただ吹き飛ばされるのではない。またもビルの森林へと身を潜ませたのだ。ローブシンは周囲に視線を配る。手近なビルへと近づこうとして、その手を彷徨わせた。どこからドリュウズが迫ってくるか分からないのだ。その行動はローブシンがドリュウズを感じていない証といえた。

 勝てる、と確信しかけた胸の灯火をダンと断ち切る声音が響く。

「――砂掻き、の特性か」

 脳を揺るがす低い声はどこから聞こえてくるのか。セルジは周囲を見渡した。すると、ローブシンの足元に僅かながら人影が見える。その人影は一度意識し始めると、濃い違和感として瞼の裏にまで残った。緑色の着物を纏った筋肉質な身体に、今の時代には不釣合いな蓬髪と顎鬚。今まで気づかなかったのが不思議なほどだ。その存在感が爛々と輝く蒼い瞳と共にセルジの意識へと切り込んでくる。

「砂嵐を作り出したのは全て、このため。ドリュウズの速度を二倍にし、なおかつ見つけにくくする。加えて砂嵐は僅かではあるが、ローブシンの身体を蝕む。ドリュウズが捉えられかければ、サイドンで攻撃する二段構え。どちらも地面のタイプを持つだけに、なるほど、補い合ったいい戦法だ。サイドンは遅く重いが馬力はある。ドリュウズは攻撃が重く、さらに特性で素早さを上げる。ビルの内部へ潜行させる事で、柱を作れなくする。即席の戦法にしてはなかなかだ。賞賛を送ろう。だが……」

 ローブシンが地面へと手をついた。何をするつもりなのか、と訝しげに見るセルジへと蒼い眼の男は重く告げた。

「ビルだけが、ローブシンの柱の材料だと思ってもらっては困る」

 その時、ローブシンの手を中心にして砂の波紋が広がったかと思うと、鼓膜を叩くような轟音が響き渡った。鉄同士が擦れる甲高い音も混じる。ローブシンの手が、何かに持ち上げられたかのように上に行っていた。その何かとは、柱だった。地面からローブシンは柱を作り上げたのだ。しかし、それは当然、ビルとは違いヘキサへの痛手となるはずだ。見ると、確かに穴が開いている。このまま逃げ切れば、と考えた頭を男の声が蹴散らした。

「――逃がすものか」

 ローブシンは地層のように金属の部分が混じった柱をビルに叩きつけた。ビルが真っ二つに割れ、砂埃が砂嵐を裂いて上塗りする。そのビルの瓦礫の中に茶色の姿を見つけた。思わず声を上げそうになる。そこにいたのは四肢を開いたドリュウズだった。

「感知野の網を全力にすれば、見えないわけがない。ビルの森林や砂嵐に隠れたところで、無駄な事よ」

 何が起こっているのか分からなかった。ビルの中を潜行する音が聞こえたのか。いや、砂嵐の音に掻き消されて聞こえるはずがない。普通ならば。

 ――普通じゃない。

 今更の思考ではあった。だが、戦いがこちらへと転がりかけていたために錯覚したのだ。このローブシンもトレーナーも大したことはないと。その錯覚が、命取りになるとも思わずに。

「ローブシン、アームハンマー」

 ローブシンが柱を中天に振り上げた。制止の声が喉から出る前に、衝撃波と爆心地の砂嵐の奔流がセルジの身を削った。思わず両腕を庇うように翳し、その場に崩れ落ちそうになる。目を離してしまった、という後悔が突き上げてきた時にはもう遅かった。一部分だけ、「アームハンマー」の衝撃で砂嵐が途切れている。その景色の中、確かに見た。鋼の腕が砕けたドリュウズを。身体からまだら模様ではない赤い血を流し、指一本も動かせないようだった。ドリュウズは格闘タイプに打たれ弱い。戦闘継続は絶望的に見えた。

「俺の、ヤマキの、ドリュウズが……」

 魂を受け継いだはずなのに、砕かれてしまった。茫然自失のその身を震わせる圧力がローブシンから放たれ、セルジは全身が総毛立つのを感じた。サイドンへと指示を飛ばす前に、砂嵐を裂いて巨大な柱がミサイルのように飛んできた。柱が無防備なサイドンへと命中し、巨体がアスファルトを滑り、砕く。破片が飛び、サイドンの身体を八つ裂きにした。腕を振るい上げた姿勢のローブシンを見て、ようやく柱を投げて使ったのだと理解できた。

 そんな戦い方が、と思いかけてこの場にルールなどないのだと改めて思い知った。ここは戦場だ。全て、理解していたつもりなのに。

「……また、間違えたのか、俺」

 コノハを救えなかったように。この戦場でも、甘さがあった。地面に両手をついて項垂れる。サイドンのダメージも深刻だ。プロテクターなど何の意味もなかった。ローブシンが投げつけた柱を拾い、セルジを踏みつけようと近づいてくる。圧迫感が圧し掛かり、セルジは身を固くした。迫られなくとも、重圧に押し潰されそうになる。ローブシンが手を伸ばした。

「……もう、駄目か。無駄だったのかよ」

 その言葉が最後の言葉とは我ながら情けない。力と意志を受け継いだつもりが、結局のところ扱いきれなかった。持て余した意志など、本当の血肉とは言わない。ローブシンが拾った柱を持ち上げ、振り下ろそうと上げた。セルジは目を固く閉じた。

「――無駄じゃない」

 不意に聞こえてきた言葉に、セルジは目を開いて、顔を上げた。ローブシンの背後を覆っていた砂嵐が球状に晴れ、黄金のオーラを纏った鳥ポケモン――ウォーグルが飛び出してきた。その上にはいつの間にかカブトプスが乗っている。カブトプスは脇に構えた鎌を振るい上げた。斬激の軌跡が紫の刃となり、ローブシンへと軌道上の空間と砂嵐を引き裂いて直進する。ローブシンは咄嗟に振り返り様、片手の柱を翳した。波動で出来た刃――亜空切断が柱を切り裂き、ごとりと重い音を立てて柱の下半分が転がる。ローブシンは脇をすり抜ける二体のポケモンへと紫色の断面が見える残りの柱を打ち下ろした。ブレイブバードの鎧がウォーグルから蜃気楼のように外れ、分身となってローブシンの攻撃を受け止めた瞬間、ブレイブバードのオーラが弾け、ローブシンがその衝撃に後ずさった。二体のポケモンは楕円軌道を描きながら、ゆっくりと主人達の下へと戻ってくる。青い髪の少女ともう一人、栗毛の少女がいた。ウォーグルは栗毛の少女のポケモンなのだろう。ウォーグルの鬣を優しく撫でている。見れば、カブトプスほどではないがウォーグルも相当なダメージを負っていた。ぎりぎりの一線で耐えているのだ。

「マコ。砂嵐が消え始めている。もう同じ手は通用しない」

 マコと呼ばれた栗毛の少女は頷いた。マコはウォーグルへと「お願い」と呟くと、人差し指を立てて、天に掲げた。

「ウォーグル、飛んで!」

 ウォーグルが勇猛な声を上げ、ローブシンから距離を取って巨大な翼の羽ばたきでゆっくりと上昇していく。セルジがそれを眺めていると、「何をぼさっとしている」という声が耳に届いた。目を向けると、少女が肩越しに睨みつけていた。

「言ったはずだ。四対一だと。共同戦線を組むと私が言ってやっているんだ。だというのに、先行しすぎなんだよ。ドリュウズもまだかろうじて戦闘継続可能だ。同じ戦法が通用しなくても戦力にはなる」

「分かるのか? ドリュウズのステータスが」

「大体は、だ。まだドリルライナーを二発打てるだけの余力はある。ドリュウズが起き上がらないのはお前の心の弱さが影響している。サイドンもだ。何のためにお前はここに来た? それ思い出せ」

 叱責する声に、セルジは突き放される感覚よりもどこか温もりを感じた。エイタの下で動いていた時には感じられなかった、共闘という感覚。それがこれほどまでに力強く、萎えかけた心を引っ張るとは思わなかった。少女の言葉に引かれるように、セルジも強く頷いた。

「そうだな。俺は失念していた。一人じゃ、何もなしえないんだ」

「強がる分にはいいさ。どうしても、な時は頼ればいいんだ」

 どこか少女らしからぬ言葉だった。ディルファンス本部襲撃時にはこんな温かい言葉をかけられる人間だったか、と思い返す。あの時は冷たく研ぎ澄まされた刃を思わせたが、今は違う。刃には違いないが、心が通っている。少女をこうさせたのはやはり、とマコに視線を注いだ。マコは全く気づく素振りなどなく、ウォーグルに全神経を集中していた。セルジもドリュウズに意識を向ける。圧迫感が目の細かい網のようにドリュウズまで意識を飛ばす邪魔をする。うまく扱えるわけではない。しかし、ドリュウズへと意思が届けば、あるいは――。消えかけた希望が新たに火を灯し、セルジはドリュウズに意識を飛ばし続けた。

 その時、ぴくりと鋼の爪が動いた気がした。

「……ドリュウズ」

 だが、ローブシンもそれに気づいたのか。ビルへと手を伸ばしたかと思うと、その手を突っ込んだ。ブレイブバードを受けて失った柱を補給し、ドリュウズに近いほうの柱を振りかぶった。

 その瞬間、少女が叫んだ。

「マコ。ローブシンの鼻先を狙う!」

「分かった! ウォーグル!」

 ウォーグルが吼え、巨大な翼をはためかせ、ローブシンへと真っ直ぐに向かう。だが、砂嵐の晴れた空間では丸見えだ。真正面からの愚直な攻撃が通用するはずがない。ここは自分に頼られているのだ、と悟ったセルジはドリュウズへと意識を飛ばした。ルナポケモンでもないドリュウズと一流ではないトレーナーの自分が共鳴しあう道理はないが、それでも祈った。

 その時、ドリュウズが小さく爪を動かした。まるで神経が繋がっている事を確かめるかのように。

 ローブシンが柱を振り上げ、歯向かってくる二匹へと打ち下ろそうとする。

「……動いてくれ」

 ウォーグルが黄金の光を纏う。ブレイブバードは諸刃の剣だ。ダメージを与えた分だけ、自分自身もダメージを受ける。ウォーグルは体力が高いほうだが、それでも耐えられるのは四発までだろう。今で何発目なのか分からないが、このまま岩の柱にぶつかればそれこそ犬死にだ。ローブシンに届く前にブレイブバードは霧散する。

 ドリュウズが両腕を持ち上げ、頭でドリルを形作ろうとするがぷるぷると震えて、なかなかドリル形態に変形出来ない。

 ローブシンの射程へと二匹が入る。カブトプスが鎌を後ろに引いて、抜刀の一瞬を見定めようとする。磨き上げられた紫色の光沢を放つ鎌もまた、ぼろぼろに刃こぼれしていた。そう何度も使えるわけではない。

 ローブシンの柱が打ち下ろされる。二匹とも防御の姿勢取ろうとしない。信じている。ほとんど初対面の自分とポケモンを。同じ戦場で善戦したからか。何の因果かは分からない。だが、信じられているのならば応えるべきだ。セルジは全身を声にした。

「動いてくれ! ドリュウズ!」

 柱が打ち下ろされ、カブトプスの頭部へと迫る。墜ちる、と思われた瞬間、その柱の軌道が突然にぶれた。ローブシンは自身に何が起こったのか、視線を巡らせる。その眼に映ったのは、脇腹に突き刺さったドリル形態のドリュウズだった。全身から渾身のジェット噴射を迸らせ、ローブシンの身体を押し出そうとしているのだ。打ち落としかけた柱が、突然の体重移動によって標的を外し、地面を抉る。砂煙が上がり、アスファルトの欠片が雹のように降り注いだ。

 ブレイブバードの光を纏ったウォーグルの姿がローブシンの眼前に大写しになる。ローブシンは柱をもう一度持ち上げようとしたが、逃げる気配などまるでなかったウォーグルとカブトプスの一撃が矢のように、鳩尾に突き刺さった。ブレイブバードと亜空切断。二つの技が捩れあい、絡まって力の奔流となってローブシンの身体を押し退けようとする。ローブシンは地面についた柱に掴まり、必死に押し出されないようにするが、その均衡を破る者の鳴き声が轟いた。ローブシンの眼がそちらに向けられる。

 サイドンだ。ほとんどプロテクターが砕けて灰色の身体と一体化している。サイドンは鼻先のドリルを高速回転させ、風を纏いつかせた。螺旋を描く突風――ドリルライナーが前の二匹の攻撃と重なり、大きなうねりを生み出す。残っていたビルの窓が根こそぎ割れ、ローブシンの背後の空気が震えた。ローブシンが頬の皮膚を震わせ、歯を剥いて咆哮する。暴風のようなその声にセルジは気圧されそうになったが、二人は前を真っ直ぐに向いていた。恐れる事など何とでも言うように。その背中に、セルジは自分の膝を叩き萎えそうな心に鞭打った。自分が信じずして誰が信じるというのか。

 三つの技が混ざり合い、渾然一体となった光の渦が轟いた。その瞬間、舌打ちと叫びが重なり、ローブシンの手が柱から離れ、身体が大きく吹き飛ばされた。ローブシンが背中から倒れる。地面が激しく揺れ、つんのめりそうになりながらもセルジは耐え切った。ドリル形態を解いたドリュウズが三人の前に立つ。サイドンもドリュウズと並んだ。

「……終わった、のか」

 ローブシンは動かない。もう立つ気力も残っていないのか。勝った、と確信した瞬間、「まだだ」という声がかかった。視線を向けた先にいる少女が苦々しい顔をしている。思えば、まだ二匹を降下させていない。倒れているローブシンから充分な距離を取って滞空している。緊張の糸をまだ切るべきではない。そう思いなおしたセルジの耳に「よもや、ここまでとは」と低い声が響き渡った。

「なかなかにやる。だが、それがしはまだ負けぬ。このゲイン。最後の一欠けらと成り果てるまで、キシベ殿のために」

 男の眼は蒼くなかった。それに気づいたのは少女も同じのようで、吐き捨てるように言った。

「今の瞬間、ローブシンとのシンクロを切ったな。お前は今の痛みを感じていないわけか」

「左様。それがしは三人の幹部の中で唯一、シンクロを自由に操れる。痛みを快楽や生きている証などとのたまう残り二人とは違う。それがしを倒したくば、シンクロしている時を狙うしかない。そして――」

 ゲインの眼が再び蒼い光を灯す。その瞬間、地面が鳴動しぴしりと亀裂が走ったかと思うと、地殻変動のように柱が次々と乱立した。あるものはビルから、あるものは地面から。植物の根のように這い進み、ローブシンの掌へと最後に二本の柱が持ち上がった。それをきっかけにしたように、ローブシンが目を開く。その眼も蒼く輝いていた。柱を背中側に展開させてローブシンが身体を持ち上げる。鳩尾が抉れている。大量の血が粘度を持って滴り、ローブシンの足元を濡らした。ローブシンはまるで操り人形のようにふらふらとしている。蒼い眼だけ爛々と光る様は、生気を失った顔面で一種、異様に映った。

「あのローブシンは、もう瀕死状態だ」

 そう呟いたのは少女だ。マコがそちらに顔を振り向ける。セルジも同様に顔を向けた。

「それは、どういう……」

「言葉通りだ。瀕死のポケモンは普通、動かせない。それ以上動かせば死ぬ可能性があるからな。ポケモンにはそういう本能がついているんだ。瀕死になれば、見えない範囲にいない限りボールへと自動的に戻る。だが、あの男はローブシンの脳を乗っ取り、その本能を消してしまっている。あれはもうローブシンと呼ぶべきじゃない。ゲインの操り人形だ」

 操り人形。その言葉が思いのほか強く心の中で突き立ち、セルジはローブシンと男を交互に見やった。男が重々しく口を開く。

「それがしのローブシンは不死身だ。勝てると思うか?」

 男の声にセルジは息を呑んだ。そこまでして、どうしてポケモンを操る。この男をそこまでさせるのは何だ。それと同時に怒りがふつふつと湧いてきた。ポケモンを、この男は何だと思っているのだ。その思いが心の中だけでは留まらず、口から滑り出た。

「……あんたは、ポケモンを何だと思っている」

 セルジの言葉に男は深い笑みを刻んだ。

「知れたこと。我が闘争のための奴隷よ」

 半ば予想出来た言葉だった。それだけに、怒りはさらに燻り制御不能な熱となって、セルジは奥歯を噛み締めた。熱に任せるがまま、ポケモン達に指示を出そうとする。すると、上げかけた指を制するように、少女が声を振り向けた。

「呑まれるな。怒りに身を任せてポケモンを操れば、お前も奴と同じだ」

 その言葉に、ハッと手を開いて目を落とす。この手で今、命じようとしたのだ。敵を殺せ、と。短絡的に人を殺す事に疑問を持ったから、この場に来たのではないか。ヤマキの意志を受け継いだのではないか。殺すだけでは何も得られない。失うもののほうが多い戦いの中で、一筋でも希望が得られるのなら、それを得るために戦う。心に誓った決意が歪んだ瞬間に、セルジは声にならぬ呻きを上げ、手を握り締めた。

「……すまなかった」

「気にするな。それが悪い感情だとは言っていない。怒りは当然に現れる。だが、ポケモンはトレーナーの心を感じ取る生き物だ。この場で必要なのは怒りを吸い上げたポケモンの力じゃない。怒りの向こう側にあるものを得るための戦いなんだ。人はそれを、未来と呼ぶがな」

「未来……」

 呟いてみて、それが得るべきものなのかと自問した。まだ答えが出ない。明瞭に答えが出るものなら、すぐに出ている。答えのない問いかけに身を浸し、問い続ける事が今、求められているのだろう。ヤマキのために、コノハのために、アヤノのために――。様々な感情と人が混ざり合うが、最終的に行き着くところは分かっていた。

「何よりも、自分のために、か」

 胸の内の言葉を発した瞬間、サイドンが纏っていたプロテクターがサイドンの身体に食い込んだ。サイドンが苦痛に呻き声を上げる。名を呼んで近づきかけて、さっと差し出された手に遮られた。

「……何を」

「異常な事ではない。落ち着いて見ていろ」

 全てを知っているかのような赤い瞳に吸い込まれそうになる。セルジはサイドンの身体がミシミシと音を立てて変化しているのをその眼に捉えた。プロテクターが硬質な表皮を押し広げ、バラバラになって全身に散りばめられていく。サイドンの表皮の色が灰色から黒色に近くなった。腕が発達し、肘が刃のように飛び出す。鼻先に斜めに突き出していた角が徐々に真っ直ぐになり、前に生えていた場所からは新たな角が生えてきた。みしりと、足元が陥没する。重量が上がったのだ。サイドンであったそれは両腕を交差させて身体の変化を受け入れているように黙している。全身のプロテクターがカッとオレンジ色の光を放ち、それは腕を開いて雄叫びを上げた。

 サイドンとは違う。さらに戦闘用に作り変えられた身体はまさに重戦車のようだった。轟、と空気が割れる。それの前にあった道路が雄叫びだけでひしゃげ、破片が舞い散った。それは両手を突き出した。直後、雄叫びの衝撃波を上塗りするように、破裂音が響き渡った。前方の道のアスファルトが砕け散り、捲れ上がる。掌の中心に穴が開いており、そこから圧縮空気の砲を撃ち出したのだ。

「この、ポケモンは……」

「――ドサイドン。プロテクターを持たせたサイドンが進化するポケモンだ」

「ドサイ、ドン」

 呆然と呟く声に、ドサイドンが反応したのか鳴き声を上げる。その時、確信した。間違いなく、このポケモンは自分のポケモンだった。サイドンがセルジの意志を吸い込み、それに応えた結果なのだ。ヤマキからの餞別がこんな形で発現するとは思わなかった。ヤマキは知っていたのだろうか。たとえ知っていたとしても、セルジが決意しなければこの姿にはならなかっただろう。

「これを」

 少女が赤い本のような何かを手渡した。それはポケモン図鑑だ。怪訝そうに見つめていると、少女が付け足した。

「ドサイドンになったんだ。使える技が増えたはず。ポケモン図鑑で確認しろ」

 その言葉にようやく納得して、セルジはポケモン図鑑でドサイドンのステータスを確認した。

 ローブシンが右腕の柱を振り上げ、天に向かって掲げる。その瞬間、二の腕が膨れ上がり、柱へと亀裂が走った。内側から砂の血飛沫を上げ、柱が姿を変える。そこにあったのは大剣だった。岩で出来た大剣、「ストーンエッジ」だ。ローブシンは左腕の柱を盾のように翳し、右腕だけで大剣を握った。

「勝負をかけるか」

 少女の言葉にローブシンは身を深く沈ませた。セルジの身に緊張が走り、手を振り翳して叫んだ。

「ドリュウズ、ウォーグルに掴まれ!」

 ドリュウズが鋼の腕を地に突き刺し、コマのように回転して逆立ちのドリル形態になる。ウォーグルが降り立ち、ドリュウズの足を太い鉤爪で握った。ウォーグルに持ち上げられる形で、ドリュウズも浮かび上がる。少女がマコへと小さな声で耳打ちした。その声をセルジも聞く。作戦のようだ。無茶な策だったが、今出来る最良の選択ではあった。

「共闘になる。構わないな」

 確認の声に少女は鼻を鳴らした。

「今更か。最初から共闘だと言っているだろう。気に食わないがな」

 軽口にセルジはフッと笑みを浮かばせた。うまくいくかは分からない。それでもやらねばならない。ドサイドンのステータスは頭に入った。少女にポケモン図鑑を返し、セルジは身構えた。それに対応するようにドサイドンも両腕を構える。軋んだ関節の音が聞こえ、ドサイドンもまた緊張しているのだと知れたセルジは笑みをこぼした。少女の「行くぞ」という声に、浮かんでいた笑みを掻き消し、「ああ」と応じる。

「終幕だ。ローブシン。参る!」

 ローブシンが中世の騎士さながら、盾のように柱を前面に構え、大剣を奥に引いて駆け出した。

「ウォーグル!」

 マコの声に反応したウォーグルの背面で空気の膜が割れた。翼が強い風を得て、三匹は加速の中に身を置く。味方全員の素早さを上げる「おいかぜ」に加え、ウォーグルは翼の前面に風を纏いつかせた。鋭く輝いた風は十字に光を発し、ウォーグルの羽ばたきに呼応して針のような光が発せられた。「エアスラッシュ」の光芒をローブシンは盾にした柱で受け止める。

「今だ! ドリュウズ!」

 セルジの声にウォーグルが掴んでいた鉤爪を離した。ドリル形態のドリュウズが解き放たれ、背面から砂のジェット噴射を焚いてローブシンに向けて直進する。ドリルが風を得て嵐のように暴れ狂う。ローブシンは柱を突き出した。ドリュウズが突き刺さり、着弾点から亀裂を生じさせる。その亀裂が全体に回る前に、ローブシンは柱を投げ捨てた。ビルにぶつかった柱が砕け、ドリュウズの身体がビルの壁に投げ出される。見れば鋼の両腕が根元から折れていた。もうドリルライナーは打てず、攻撃もほとんど出来ない。

「だけど、よくやってくれた、ドリュウズ。これで敵は、盾を捨てた!」

 ローブシンが両手で柄を握り、切っ先を突き出してウォーグルを狙う。ウォーグルは高度を落としてそれを避けようとした。だが、大剣の本来の用途は突く事ではなく斬る事だ。すかさず刀身を返したローブシンが振り下ろす。刃を受け止めたのはカブトプスだ。受けて止めてもなお空間を疾走するせいか、火花が散り、鎌が焼け爛れた。しかし、速度は殺さない。それどころか、カブトプスの背中の積層構造の甲殻から蒸気が噴き出し、ウォーグルの速度をさらに増した。

 受け止めた部分が赤く発熱したかと思うと黒く変色し、皹が入る。亀裂は二の腕まで達していた。カブトプスは眼に力を込め、甲高い声で鳴いた。次の瞬間、ウォーグルの翼を大剣の刃が叩いた。ウォーグルが呻き声を上げ、高度を下げる。翼を切り裂こうと大剣に力が込められるが、その一瞬前に蒸気を迸らせた何者かが刀身へと昇ってきた。ローブシンはそれを見た。カブトプスだ。鎌で刃を滑らせ、押し潰されずに大剣の上へと上ったのである。もちろん、これは事前に承諾されたものだった。全てを囮にして、カブトプスが切り込む。そのためにドリュウズで柱を破壊した。ウォーグルで打ち落とされる寸前まで近づいた。カブトプスは右腕の鎌がなかった。負荷に耐え切れずに折れたのだ。ローブシンが刃を返す前に、カブトプスは動き出す。スケーターのように足の裏へと水の靴を装着し、刀身を滑走した。背面からの水蒸気が噴射剤のような役割を果たし、瞬く間にローブシンの手の甲に至った。ここまでは先程もやったらしい。問題はここから。三人に緊張が走る。手の甲からさらに腕へと上ろうとしたその時、ローブシンは空いている片手を拳に変えた。マッハパンチが放たれる。

「終わりだ!」

「――いや、この時を待っていた!」

 セルジの放った言葉に男は面食らったようだった。男の眼に映ったのはドサイドンだ。ドサイドンが両掌に開いている穴から赤く細い光を中央に向かって放射する。交差した光がワイヤーフレームのように岩石の形を形成していく。ワイヤーを編み、岩石の細やかなディテールが定まり、形成されたのはドサイドン自身とほぼ同じ大きさの岩石だった。両腕を突き出し、構える。岩石は高速回転し、赤い電子がのたうった。

「ドサイドン、岩石砲!」

 叫び、手を振り翳した瞬間、岩石が圧縮空気で弾き出され、砲弾のように発射された。肘から突き出たアンカーのような部分から空気が放射され、反動を最小限に止める。これが「がんせきほう」である。岩タイプの頂点に立つ技であり、限られたポケモンしか覚えない。破壊光線と同じく反動付きの諸刃の剣だ。

 岩石砲がローブシンの頭部へと真っ直ぐに、空気を巻き込みながら撃ち込まれようとする。ローブシンは無論、食らうわけにはいかない。大剣を内側に翳し、盾のように構えようとするが、それを押し止める力があった。ウォーグルだ。カブトプスに気を取られたせいで、完全に落としきれていないウォーグルが鋭い鉤爪を大剣に食い込ませている。そのため突き出した手は全く動かなかった。岩石砲が目前に迫る。ローブシンの鼻先に命中するかと思われた直前、音速の拳が岩の砲弾を砕いた。

 割れた岩がバラバラの欠片になり、空気に紛れて落下する。それとは反対に腕を伝って眼前へと上昇してくるものがあった。カブトプスだ。背中から蒸気を噴き出し、回転しながらローブシンの前に躍り出る。ローブシンはマッハパンチで撃退しようとしたが、既に岩石砲を砕くために腕を出している。今から拳を戻しても間に合わない。しかし、カブトプスは手負いの身。肝心の攻撃のためにある鎌が片方ない。これでは致命傷を与える事は出来ない。

「ここは甘んじて食らおう。だが、殺せまい」

 余裕の笑みを浮かべた男へと少女が言葉を飛ばした。

「いや! カブトプスが射程に入った時点で、私の勝ちだ!」

「何だと?」

 カブトプスが鎌のないほうの腕を振り上げる。すると、先程砕けた岩石砲の欠片がカブトプスの右手に集約されていく。磁石が砂鉄を吸い付けるように、拳に付いた僅かな砂粒さえもカブトプスの右腕の欠けた部分を補充していく。それは三日月形の、巨大な岩の鎌だった。カブトプス本体よりも大きな鎌を振りかぶる。全身から蒸気が噴き出し、カブトプスの姿勢を制御する。閉じていた甲殻が持ち上がり、展開してカブトプスのシルエットをより攻撃的に変えた。拡張した装甲から水蒸気を迸らせてカブトプスが滞空する。カブトプスは小さな左手の鎌と、右腕の巨大な鎌を同時に振り下ろした。攻撃の瞬間、少女の声が響き渡る。

「カブトプス、ストーンエッジ!」

 岩で出来た鎌がローブシンの両目を切り裂いた。角膜が割れ、血と水晶体がどろりと出た。男の呻き声が響く。男は目を押さえていた。シンクロの弊害がここに来て現れた。ダメージフィードバックが男の視界も断ち切ったのだ。

「……それがしの、眼を。よくも……、よくも! このゴミにたかる蝿共が!」

 怨嗟の言葉を吐き出す男はふらつきながらも、まだ屈しようとはしなかった。ローブシンの腕が動き、カブトプスを捕まえようとする。しかし、見えずしてどうやって捕まえるというのだろう。カブトプスは伸びてきた手を足場にして、宙返りする瞬間にまた切りつけた。左手の親指と人差し指の付け根に傷が入る。カブトプスは腕から肩を目指した。首の裏に傷口があるはずだった。それをカブトプスは狙っているのだ。岩で出来た鎌がボロボロと崩れていく。「ストーンエッジ」の効果が切れようとしているのだ。左手の鎌も今の一撃で先端が折れていた。次で終わらせなければチャンスは巡って来ない。展開した甲殻から水蒸気が迸り、カブトプスを加速させ肘の関節から一気に肩まで跳躍した。

 しかし肩に降り立った瞬間、カブトプスは背後から指で組み付かれた。ローブシンは大剣を手離し、右手でカブトプスを捕まえたのだ。背中を摘み上げられている様はまさに昆虫のようだった。しかし、何故感知できたのか。その疑問に答えるように、目元を押さえたまま男が吐き捨てるように口を開いた。

「蝿共が。眼が見えなくとも、感知野の網がカブトプスの姿を捉えている。見える、見えるぞ。鎌が崩れてもう後がないな。見ろ! 見る見るうちに、ローブシンの握力に負けて身体が崩れていくぞ! ローブシンに、それがしに勝つ事など出来んのだ! 身の程を知ったか、蝿共が!」

「――残念」

 セルジが発した言葉に、男はハッとした。あまりにもあっけなさ過ぎると今更感じたのだ。しかし、もう遅い。

「それは水蒸気で作った身代わりだ。本物のカブトプスはもう首の裏にいる」

「な、何だと!」

 男とローブシンが振り向く前に、三日月形の鎌の表面で紫色の光が反射する。鎌の刃の部分に波動が溜まり、カブトプスは水蒸気で身体を浮かし回転させながら振り切った。

「亜空切断!」

 少女の声に呼応するように、亜空切断の刃がローブシンの首の裏に突き刺さる。傷口から赤い血が噴水のように噴き出し、カブトプスを赤く染め上げた。カブトプスは細い足でローブシンの身体を蹴り、水蒸気を展開した装甲から噴き出して衝撃を減殺しつつ着地した。ローブシンがよろり、よろりとふらついている。目も潰れ、首にある神経も切断した。動けるはずがない。しかし、まだローブシンは動いた。一歩、また一歩と着実に進む。どうなっているのか。少女が目を見開いていると、男が喉の奥から掠れた笑い声を搾り出した。

「……それ、がしは、死ぬだろう。間違い、なく。だが、ただでは死なん。感知野で貴様らの位置は分かる。そこまで歩ききり、ローブシンで、押し潰してくれるわ」

 男が口から血の泡を飛ばし、狂気の高笑いを上げる。

 少女がカブトプスに指示を出そうとするが、カブトプスはもう限界だった。岩で出来た鎌は今の亜空切断を最後に完全に消え去り、もう片方の鎌も損傷が酷く、とてもではないがローブシンの足止めは出来ない。展開していた装甲も今は閉じている。ドリュウズも砂嵐状態でもなく、なおかつ鋼の腕が砕かれている状況ではとてもではないが止められない。ウォーグルが鉤爪を突き出して止めようとするが、もはや痛みなど感じていないローブシンに対してそれはほとんど無意味だった。エアスラッシュの光芒が煌き、ローブシンの左肩に命中する。左腕をだらんと下げたローブシンが右手だけを彷徨わせて歩く様は不気味だった。ホラー映画のゾンビのようだ。思わず少女とマコは後ずさった。

 それと入れ替わるようにセルジが前に踏み出した。ここで戦わないでどうする。それは男ではない。ディルファンスでは情けなくも守られた。今度は守る番だ。

「ドサイドン。行けるな」

 主の声にドサイドンは強い鳴き声を返した。両腕を地面につき、爪をしっかりとアスファルトに食い込ませる。ドサイドンはそのまま、あろう事か逆立ちをした。重量に耐えかねて、アスファルトが陥没する。

「飛べ、ドサイドン!」

 瞬間、掌の内側で圧縮空気が炸裂し、ドサイドンの身体を宙に投げ出した。直前に爪を離したおかげで、ドサイドンはロケットのように打ち出された。大きく弧を描き、中空で姿勢を制御しつつ、ドサイドンはローブシンの頭上に迫る。ローブシンが緩慢な動作で右腕を上げた。

「馬鹿、が。見えて、いる!」

 ローブシンの右拳が降下中のドサイドンに突き刺さった。少女とマコが固唾を呑んで見守る。しかし、ドサイドンは砕かれる事も飛ばされる事もなかった。それどころか腹で全ての攻撃を真正面から受け止めた。

「見えるのは、動きだけか? ドサイドンの特性までは見えなかったようだな」

「何を、言って……」

「ドサイドンの特性はハードロック。効果抜群の技の威力は――」

 ドサイドンの身体が軋みを上げ、肘を下に向ける。肘のアンカーがガコンと音を立てて一段階ずれた。ドサイドンの身体を形成する積層構造の岩の肉体が見える。そこからガスが漏れるような音を出した。マッハパンチの威力をそこから逃がしているのだ。

「ドサイドンに当たれば、四分の三になる!」

 アンカーから圧縮された空気が噴出し、ドサイドンの身体を拳の上に引き上げた。腹に受けた傷はほとんど効果が減衰したのか、表皮を薄く削っただけだ。

「拳を放ってくれてありがとう。おかげでドサイドンは、無意味に落下する事無く、お前の射程まで辿り着いた」

 ドサイドンが両拳から赤い光線を放射し、両方の掌に巨大な岩を形成する。それを掌に開いた穴に埋め込み、ドサイドンは腕を伝って直進した。ローブシンが避けようと俄かに動くがどこに逃げようというのか。周囲はビルの森林であり、地下に穴をむやみやたらと開けるわけにはいかない。それはヘキサ中枢へと通じる道になるからだ。しかし、眼前に敵が迫っている状況。ローブシンと男は決意を迫られた。

「くそ、がっ! 地獄へ、堕ちろ!」

 地面に右手を向ける。柱を作るプロセスを利用して、空中要塞に穴を開ける。自分もドサイドンも海に落ちるが、ここで倒されるよりは幾分かマシだと考えたのか。ローブシンの足元が陥没する。だが、ドサイドンは完全に射程内にローブシンの頭を捉えていた。岩石砲を詰まらせた腕をドサイドンが振り上げ、セルジが叫ぶ。

「堕ちるのは――お前だ、下衆野郎! 岩石砲、連打!」

 岩石砲の拳がローブシンの顎に突き刺さる。それと間髪入れずにもう一方の岩石砲が真正面から鼻を打ち据えた。

 さらに次の一撃、次の一撃、次の一撃と際限なく襲ってくる衝撃と痛みが嵐のようにローブシンと男の思考を打ち砕いた。岩石砲のラッシュがローブシンの頭部を滅多打ちにする。顔の骨の砕ける音が幾重にも折り重なり、頭蓋に亀裂が走る音さえも明瞭に聞こえる。ドサイドンは圧縮空気を使いながらゆっくりと降下し、全身を岩石砲の拳で殴りつけた。怒りでも悲しみでもない。ただ勝つ事だけを考えた突風のような一撃達がローブシンを打ち砕き、着地したドサイドンは両手を突き出して最後の岩石砲を撃ち放った。空気が割れ、同心円状に広がった衝撃波がビルを薙ぎ払う。岩石砲は何段階も空気の膜を破って加速し、ローブシンの胸部に撃ち込まれた。ローブシンが衝撃に仰け反り後ろに倒れる。ローブシンの身体からはラッシュ時の拳の痕が煙を引いていた。ローブシンはもう動かなかった。男へとセルジは視線を向ける。男もまた、血まみれになって倒れ伏していた。ドサイドンにゆっくりとローブシンに近づかせ、見開いたまま切り裂かれているその目を優しく閉ざした。

 ドサイドンは踵を返し、セルジの元に戻ってきた。セルジはドサイドンを労い、ボールに戻した。ドリュウズにも労いの言葉をかける。ドリュウズはゆっくりと頷いて眠りに落ちた。赤い粒子としてボールに戻る。少女もマコも同様にポケモン達をボールに戻していた。振り返り、改めて少女達を見やる。すると、立っていた少女が不意に膝を崩した。セルジが慌てて駆け寄り、その身体を受け止める。思っていたよりも華奢な身体に、死線をくぐり抜けてきた人間とは思えなかった。腕の中にいるのはただの少女だ。

「君、大丈夫か?」

「……うっさい。心配するな。少し、緊張の糸が解けただけだ。休めば、よくなる」

 途切れ途切れの声に、このままではまずいとセルジは必死に呼びかけた。コノハのように手遅れにしたくなかった。

「駄目だ。目を開けろ! おい! 生きるんだ! 死んではいけない!」

 頬を激しく叩くと、少女は目を見開いてセルジの頬を殴りつけた。セルジが電撃的な痛みに仰け反り、呻き声を上げた。

「うっさい! 本当に寝れば治る! しつこいんだよ、お前は!」

 本当に怒りを含んだ声に、セルジは痛む頬を抑えながら、笑いかけた。

「そっか。こりゃ、大丈夫だ」

 マコへと視線を向ける。マコも同意するように頷いた。少女がすかさずマコを指差す。

「おい、馬鹿マコ。今、私を馬鹿にしたな? このつけは高くつくと思え!」

 少女の言葉にもマコは動じない。少女が動けない事を知っているからだろう。この二人は、どうやら息のあったコンビのようだ。

「そういえば、君の名は? ディルファンス本部を救ってくれたのに、俺は知らない」

 セルジの言葉に少女は顔を背けながら、ぼそりと言った。

「……サキだ。覚えてろよ、鳥頭」

「サキ、か。覚えておくよ」

 サキはセルジを突き飛ばし、アスファルトの上で寝そべった。セルジはマコと顔を見合わせ、肩を竦めた。わざとらしい寝息を立てて、サキは顔を背け続けた。


オンドゥル大使 ( 2013/03/31(日) 21:03 )