第六章 二十二節「傍観者」
「あーあ。やられちゃった」
興醒めだといわんばかりに、ハコベラは液晶を放り投げた。
怒りも何もない。
ただ飽きたとでも言うような口調に、秘書官はハコベラの投げ捨てた液晶を拾い上げた。
砂嵐が液晶画面を埋め尽くしている。ヘッドセットも首から下げて、ハコベラは額を拭った。今までの激戦に冷や汗を掻いたとでもいうように。だが、現場で戦っていたのはレックウザだ。ハコベラはただ口を挟んでいたに過ぎない。コルドに対しても、秘書官はどこか感情移入している部分もあった。やるべき事は全うしたはずなのに、非難を受ける。女だからか。それとも、発言する口を奪われたからか。どちらにせよ、自身の境遇と何が違おう。正義や理想などにうつつを抜かせば、簡単にコルドと同じ道を辿ってしまう。だからこそ、無感情と無関心を装うのだ。ハコベラの言葉を全うする使命だけ与えられた人形なのだから。しかし、戦い抜いたレックウザの雄姿に対して、ハコベラの発言はあまりにも軽薄だった。
「レックウザは充分戦いました」
思わず漏れた言葉に、一番驚いたのは秘書官だ。余計な事を言ってしまったと後悔したのも一瞬、いつも通りの鉄面皮に戻って「失礼」と言った。
「過ぎた言葉を」
「いいよ、別に」
肩越しに秘書官を見やって、ハコベラはタリハシティを視線で追う。既にタリハシティは海上に出ていた。今から攻撃を仕掛けようにも間に合わない。阻止できる範囲を超えたのだ。
「レックウザ以外に、ヘキサの侵攻を阻止できるポケモンは……」
「いないね」
濁した語尾を断ち切るように、ハコベラははっきりと口にした。秘書官はタリハシティを見つめる。今も市民がいるであろう街が戦場と化した。ハコベラが見ていた映像は見ていないが、壮絶な戦いが繰り広げられたのは想像に難くない。伝説のポケモンがやられたのだ。
「カメラの故障という可能性は」
「ないね。ちゃんと計算して設計されたものだよ。まだ民間に渡るには少しばかり不備があるけど、ほぼ完成品。もしそれの故障だけなら、問題ないんだけど」
ハコベラは振り返って、ホルスターからマスターボールを引き抜いた。その緊急射出ボタンを押すが、光が広がる事は無く、中身は空っぽだった。
「このボールはブランクだ。つまりレックウザが殺されたって事」
重い響きも、陰鬱さも何も感じさせないハコベラの言葉に秘書官は戸惑いを隠せなかった。
「レックウザは、まだいるのですか?」
「いるわけないじゃない。伝説のポケモンは世界に一体だよ。いても普通のトレーナーがやすやすと見つけられるわけがない」
「では、その余裕は」
どこから、と続けかけて秘書官はハッとして口を噤んだ。伏し目がちに、「申し訳ありません」と謝罪する。
「私の気にかける事はありませんでしたね」
「いいんじゃない? ただまぁ、君は優しいと思うよ。少なくとも僕に接する時よりは、レックウザのほうに好感を持っているようだ」
「申し訳ありません」と重ねて頭を下げる。ハコベラは「顔上げなって」と言った。
「謝ったってレックウザは蘇らないし。もうどうしようもないよ。僕には、その力が無い。あまりに遠すぎる。長距離を飛べるポケモンもいない。ヘキサは逃げ切ったわけだ」
ハコベラはタリハシティを視界におさめ、肩を竦めた。秘書官も顔を上げてタリハシティを見つめていた。かつて首都であった場所が浮き上がり、カントーへと向かう兵器と化している。そんな事など、昨夜には誰も想像しなかっただろう。
「望みの綱は――」
秘書官の声にハコベラが「うん?」と反応する。秘書官はハコベラへと向き直った。
「ディルファンスでしょうか?」
その言葉にハコベラは口をへの字にして、顎に手を添えてうなった。どうやら考えているらしい。ハコベラが考えているところを秘書官は初めて目にした。
「違うね」
熟考の末、搾り出した結論のようだった。「では」と秘書官はさらに質問する。ハコベラに問うたところでどうなるとも思っていない。だが、自分の身近にいる人間でこの事態に最も近いのはハコベラなのだ。
「どうお考えですか?」
「そうだねぇ」とハコベラは宙に視線を投げた。何度か瞬きした後に、一つ頷いた。
「内部分裂が最も現実的かな」
「内部分裂、ですか」
「ロケット団とディルファンスはつい昨日まで敵同士だった組織だ。継ぎ接ぎでどうにか出来る関係性じゃないよ。きっと、綻びが生まれる」
「では、その綻びこそが好機だと」
「分からないね。ヘキサは綻びを生じさせない策でも取っているのかもしれない。どちらにせよ」
ハコベラは海を滑るように移動する空中要塞に目を向けた。一つ、嘆息のようなものを漏らしてから、ハコベラは言った。
「僕らはもう、傍観者だよ」
悔しさも何も滲んでいない。だが、その眼にあるいつか見たような気がする光が失われている事に、秘書官は気づいた。どこで失ったのだろうかと記憶を手繰るが、どうにも思い出せない。きっと、自分と同じようにハコベラも失いながら前に進んでいるのだ。人形としてしか生きる事の出来ない自分と、チャンピオンとしての行動を常に徹底される偶像のような存在。今更にハコベラへと親近感が湧いてきて、秘書官はその横顔を見つめていた。