ポケットモンスターHEXA











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グッバイ・マイ・リトルデイズ
第六章 二十一節「対伝説」
 縄目文様が眩い黄金の光を放ち、血脈のようにレックウザの表皮から透けさせる。

 レックウザの身体がビル群を縫うように奔り、金色の瞳孔に目標を捉えた。レックウザに比すれば、矮躯にすら見える対象――ダイケンキは後ろ足でビルの壁面を蹴り、一度も地面に足を着く事無く駆け抜けている。

 レックウザが裂けた口を開き、口腔内へとオレンジ色の粒子が渦を巻いて収束する。ダイケンキは肩越しに見やり、右手のアシガタナをビルに突き刺した。アシガタナを引っかかりにして、壁面にぶら下がる。レックウザがエネルギーを溜め込んだ口を大きく開いた。

 次の瞬間、レックウザの口から眩い閃光が尾を引いて放たれた。掠めただけでビルが焼け爛れ、蜜のように鉄が滴る。

「はかいこうせん」だった。それが視界を埋め尽くした瞬間、ダイケンキはアシガタナを持つ手に力を込めた。突き刺さったアシガタナが青く輝きを放ち、直後、アシガタナが鉄砲水を噴き出した。「ハイドロポンプ」である。アシガタナから噴出したハイドロポンプによって、ダイケンキの身体が宙に浮き上がった。まるで推進剤を使ったロケットのように、勢いよく空中へと発射されたのである。

 破壊光線が先程までダイケンキがいたビルを穿ち、余波がビルをなぎ倒す。ダイケンキは空中に身を躍らせて、アシガタナを振りつつ姿勢を制御する。

 ダイケンキの身体は、レックウザの真上にあった。ハイドロポンプを発射したのとは別の、左手のアシガタナを突き出す。アシガタナの刀身が水色の光を放ち、柄から切っ先へと光が収束する。切っ先で光が回転し、次の瞬間には剣の形をした光線が放たれていた。「れいとうビーム」であった。しかし、直下の頭部を狙ったその一撃に気づかぬ伝説のポケモンではない。すかさず身体を翻して蛇のようにのたうったかと思うと、直上へと空気の壁を破って一気に昇った。「しんそく」だ。移動の延長線上にあったフワライドが弾け、誘爆の光を曇天に広げる。誘爆程度が通じるポケモンではない。レックウザはほとんど無傷と言ってもよかった。

 冷凍ビームが破壊光線を食らったビルを凍結させる。バラバラに崩れかけていた鉄くず達が空間に固定された。レックウザは身をくねらせて、空中に舞い上がったかと思うと、自身の尻尾を追うように回転し始めた。それはまるで世界を覆う蛇の縮図のようだった。尻尾に噛み付く寸前で、尻尾が逃げる。どこか滑稽にすら映るその動きもまた技の一つだった。「りゅうのまい」だ。攻撃力と素早さを上げる技である。

 レックウザの身体に再び点火するように黄金の光が縄目文様から浮かび上がる。それと共に、回転するレックウザの速度も速くなってきていた。まるで収束するレンズのように、回転するレックウザの内側へと光が集まってゆく。ダイケンキは重力に身を任せるがままに落下しようとしていたが、それを見た瞬間、アシガタナで身体を回転させてから、両方のアシガタナを並列させて構えた。アシガタナが青く輝きを放ち、二つの刀身の間で光が幾度も行き来する。

 レックウザの光が真ん中に集中し、その部分から黄金の物体が搾り出されるように出現した。隕石である。黄金に光り輝く隕石が円の内側で構築され、今にも発射されようとしている。徐々に引き出されてゆく隕石は確実にダイケンキを射線上に捉えていた。

 ダイケンキのアシガタナの刀身同士の間に青く輝く渦が発生する。渦が小型の竜巻を刀身の間に形成し、光の蜃気楼が空間を歪ませた。アシガタナに纏わりついていた光が一際輝き、二本の刀身を走った。

 刹那、レックウザの黄金の隕石が発射された。周囲の空気をねじ込みながらそれ自体が質量兵器のような大きさの隕石が光の尾を引きながらダイケンキへと迫る。ドラゴンタイプ究極の技、「りゅうせいぐん」である。彗星の光を灯す隕石が轟音を上げながら真っ逆さまに落下する光景は世界の終わりのようだった。

 だが、それと同時にダイケンキもまた攻撃を放っていた。小型の光の竜巻が刀身の間で眩い光を放った直後、刀身同士の間から光を纏った鉄砲水が発射された。それは水というにはあまりにも鋭く、近いものを挙げるならばダイヤモンドカッターのようだった。まるでアシガタナの鋭さをそのまま引き移したような水の大剣こそが、水タイプ究極の技「ハイドロカノン」であった。流星群へとハイドロカノンの切っ先が突き刺さる。輻射熱が発したのか、激突した地点で黄金の輝きと青い輝きが交互に瞬いた。放射した光がアスファルトを切り裂き、撫でるようにビルに一閃したかと思うと音を立ててビルが縦に割れた。

 ダイケンキが身の裂けるような雄叫びを上げて、両手で掴んだアシガタナを振るい落とした。瞬間、均衡が崩れた。ハイドロカノンが流星群を断ち割り、隕石は真っ二つになって黄金の光を辺りに撒き散らした。二三度瞬いたかと思われた直後、大気を割る轟音が物理的な衝撃となってタリハシティを叩きつける。ハイドロカノンが光を裂いて、レックウザへと直進する。

 まだハイドロカノンは減衰していなかった。ダイケンキはアシガタナ二本を薙ぎ払う。

 ハイドロカノンの一閃が偏向し、レックウザへと襲いかかった。だが、レックウザは流星群の発射姿勢を既に解いていた。先程の龍の舞は全て、このためだったのだ。発射後の硬直を軽減し、すぐさま攻撃態勢に移るための布石であった。ハイドロカノンが緩慢にレックウザへと狙いをつけるより早く、レックウザは黄金の燐光を迸らせながら、ダイケンキへと真っ直ぐに向かった。鳴動し、まだ光を放ち続ける流星群の残骸を抜け、逆鱗の光を放つレックウザが猛進する。黄金の光が更なる光によって上書きされ、レックウザの身体そのものが流星の如くダイケンキへと突き刺さった。ダイケンキは光を貫いて現れたレックウザに対しての反応が一拍遅れた。抗う事も出来ずにレックウザと共に落ちてゆく。それもそのはず、ダイケンキはハイドロカノンを放った反動で動けないのだ。それに対してレックウザは攻撃力を底上げしている。動けない身でどうにかなるものではなく、ダイケンキはレックウザの黄金の光に呑み込まれ、鉄骨を剥き出しにしたビルの渓谷へと墜落した。
真っ黒い砂煙が上がり、辺りを霧のように包み込んだ。爆心地で黄金の輝きが球状に形成したかと思うと、一挙に弾けた。砂煙に黄金の粒子が舞う。火柱のように黄金の光が屹立したが、すぐに空気に溶けていった。

 砂煙が全てを呑み込んだまま静寂が暫く訪れた。水を打ったような静謐がこの数秒で骸と化したビル群に染み渡る。黒々とした砂埃が徐々に晴れてゆく。黄金の燐光が空へと舞い上がり、消えてゆく。

 ポケモンのうなり声が静寂の中、水に浮かんだ一点の墨のように広がった。

 声の主が爆心地にその身をくねらせている。レックウザだった。大口を開けて、裂けた口を開いている。その眼前にもう一匹、確かに立っていた。ダイケンキだ。アシガタナで今にも食らいかかろうとするレックウザの口をつっかえ棒のようにして間際で防いでいる。ダイケンキの身体は傷だらけだった。レックウザの逆鱗を真正面から食らったせいか、腹の辺りが焼け焦げている。対してレックウザはまるで傷を負っていない。

 ダイケンキがその眼に浮かぶ蒼い光を煌かせる。ダイケンキの眼は本来、蒼くはない。全ては月の石の効果だった。ダイケンキが一声吼え、レックウザを押し返す。制動に使ったもう一方のアシガタナを引き抜き、レックウザの鼻先に向けた。水色の光が柄から刀身へと至り、切っ先で収束する。その瞬間、レックウザは呼気だけで後退した。僅かにぶれた冷凍ビームがレックウザの脇を掠め、ビルを凍結させる。掠めた部分が赤く凍傷を起こしていた。レックウザは飛行・ドラゴンタイプのポケモンだ。たった一発の氷タイプの技が命取りになる。

 ダイケンキは構えていたアシガタナを少し下げた。レックウザは臨戦態勢のまま、動かない。今、少しでも踏み込めばやられる事を知っているからだ。たとえアシガタナを下げたとしても、その手にアシガタナが無くとも目の前のダイケンキはレックウザに匹敵する力を持っている。それがお互いの間での無言の了承となり、うかつには動けなかった。そんな中、レックウザの耳元から声が発せられた。

『ここまでやるとは思わなかったよ』

























『君の実力は賞賛に値する。薬で底上げしているとはいえ、これほどの粘り強さを発揮出来るとはね』

 痛みで傍受している声が歪んで聞こえた。胸元から腹にかけて、引き裂くような痛みが広がっている。コルドは痛む部分を押さえながら、これがダメージフィードバックかとキシベの言葉を思い出した。説明は受けた。だが、これほどまでとは。引きつった唇の端を、笑みの形に吊り上げた。

「……実に、いいじゃない。この痛みも、あんたもね! ハコベラ!」

 こちらからは向こうの言葉が傍受できるが、こちらの言葉は届かない。今、コルドはフワライドに乗って浮いていた。フレアから譲り受けたものだ。特性が「ゆうばく」ではなく、「かるわざ」のフワライドなので、衝撃を受けても爆発しづらい。それでも不安定には違いないが、街を戦闘に使うため、これが最も安全である。他のフワライドに紛れて向こうからは探知できないはずであるし、何より空からならばレックウザの動きも分かり、ダイケンキの位置も分かるために思考をリンクさせやすい。わざわざ感知野の網を使う必要がない分、精密な動きに気を割けるからだ。

『だが、粘り強いだけだ。伝説のポケモンに相対するにはそれでも脆い。ダイケンキ程度では、レックウザは倒せない。遠く離れていても君が苦戦しているのが分かるよ』

「うっさいわね、ハコベラ。さっきからネチネチネチネチと。口数しか能がないの?」

 コルドがインカムを掴みながら忌々しく口にする。だが、それもハコベラには聞こえていない。

『そうだ。ポケモン同士がお見合いを決め込んでいる間に、昔話をしようか。コルド。正義を追い求めたある女の物語だよ』

 その言葉にコルドは目を見開いた。「何を、言って……」と呻くが、ハコベラは構わず続けた。

『女は正義を信じていた。だから、彼女がポケモントレーナーから警察官になるのは至極当然だった。だが、彼女は知る。カイヘン地方の警察は腐りきっている事を。ポケモン犯罪に対してまるで知識がないばかりか、民間団体に頼り始めるなど愚の骨頂。彼女は当然、上に訴えた。しかし、聞き入れられない。民間団体は着実に成果を伸ばす一方で、警察の権威は地に落ちた。街に行けばロケット団と何ら変わりない扱いを受ける。汚職をやる警官、役立たずのごくつぶし、とね。汚職などやった事はないし、市民のために精一杯やっているつもりの彼女としてはどういう心境だったのだろう。それはあまりに酷だった。税金は民間団体が吸い上げていく。警察の捜査はおざなりになる一方だ。ここにいる必要など無いのではないか、そう思い始めた。そんな時だ。いつものようにパトロールをしていると少女が黒づくめの服を着た男達に暴行を受けているのを目撃した』

「――やめろ」

 コルドの言葉などまるで聞き入れるつもりがないかのように、ハコベラは言葉を継ぐ。

『ロケット団だと一目で判断した彼女は、警察官としての職務を全うしようとした。現行犯逮捕。当たり前だ。応援も呼んだ。これで少しは面子も立つ。彼女は男達へと近づいた。男達は抵抗し、ポケモンを出した。彼女のポケモン、フタチマルはこれを撃退。あまりにも反抗し続ける彼らに、怒りが湧いたのだろうね。ディルファンスならば大人しく捕まるくせに、と。おっと、民間団体の名前が出てしまった。まぁ、いいとしようか。フタチマルは彼女の怒りを引き移したかのように、彼らを足から切り刻んだ。抵抗できないように手も。達磨状態になった彼らは、彼女に捕まった。だが、裁きを受けたのは彼女のほうだった。ポケモンを使った傷害罪。しかも現役の警察官が。それはマスコミを騒がせ、民衆を激怒させた。自分は正しい事をしただけだ。そう彼女は主張したが誰の耳にも届かなかった。ポケモン犯罪はディルファンスに任せていればいいのだ。警察官は余計な手出しをするな。そういう風潮だった。加えて、彼らがロケット団ではなかったのも彼女の罪を重くした一因だった。彼らは全てロケット団に擦り付けるために、ロケット団の服を着ていただけだった。つまり民間人だった。民間人にポケモンで一生の傷を負わせた警察官。マスコミは連日彼女を叩いた。彼女の所属していた部署も、彼女の行動が常軌を逸していると認めた』

「――やめろ! これ以上は!」

 手を振り払い、頭を抱えるも向こうには全く聞こえない。だが、本当に聞こえないのか? と疑問が浮かんだ。ハコベラの声がインカムを投げ捨てても毛穴から染み込んでくる。肥大した感知野が声を拾っているのだ。

『彼女に対する判決は重かった。無自覚ではなく一種の使命感すら覚えていたというのが余計に裁判官の心象を悪くした。無期懲役。それが彼女の罪に対する罰だった。彼女の名は――』

「やめろ! 私は! 正しい事を……!」

 コルドの叫びを断ち切るように、ハコベラが重く告げた。

『コルド。つまり、君だ』

 その言葉が響き渡った瞬間、コルドの理性が弾けた。白熱化した怒りが、熱く思い思惟となって、ダイケンキへと飛んだ。

 コルドは片目から血の涙を流しながら、顔の片側を手で覆い隠し、怒りに任せて叫んだ。

「ハコベラ! お前は、殺す! 私が、この手で!」



























 ダイケンキがコルドの叫びを引き移したように雄叫びを上げる。

 思わず怯んだレックウザは、伝説の誇りを汚された気がしたのか、ハコベラの指示を無視して口腔内にエネルギーを溜め始めた。粒子が線となり、幾重にも重なってレックウザが放つ渾身の一撃を補強する。レックウザは全身を震わせ始めた。空気が鳴動し、空間に固定された雨粒が数度の振動の後、弾けた。地面から砂埃が巻き上がり、瓦礫が宙を舞う。レックウザの身体に再び黄金の血脈が宿り、首筋に至って口元へと凝縮される。

 ダイケンキは後ろ足で跳び上がった。その瞬間、レックウザから固形化した空気を割るような破壊光線の光条が放たれた。光の一片すら食い尽くすかのような一条の光をダイケンキはアシガタナを広げ、ハイドロポンプを切っ先からそれぞれ放出する。ハイドロポンプ噴射力がダイケンキの跳躍力を底上げし、水柱の足が破壊光線を跨ぐ。ダイケンキはハイドロポンプを解き、右手のアシガタナを振り上げる。レックウザは硬直し破壊光線の位相も変えられない。今ならば、と思ったのは両者同時だった。

 振り上げたアシガタナの刀身が水色の輝きを帯び、周囲の空気を凍結させる。一条の光が切っ先から放たれたかと思うと、途中で弾け枝分かれした。樹木のように氷柱がアシガタナの刀身に纏いつく。それは氷の大剣だった。アシガタナを拡張するように、氷の刀身がついているのだ。ダイケンキは渾身の力で大剣を振り下ろした。

 その時、レックウザの破壊光線で蒸発したビルから舞い上がった塵がダイケンキの視界を一瞬、遮った。その一瞬が命運を分けたのか。レックウザはすぐさま破壊光線を中断し、浮き上がらせていた身体をそのまま地面に落とした。硬直など関係はない。ただ力を抜くだけだった。蛇のようにのたうち、伝説の龍とは思えない醜態を晒す。しかし、勝つためには手段を選ばないという点では上策だった。氷の大剣はレックウザの表皮を掠めたが、それだけだった。氷の大剣がレックウザのすぐ脇の地面へと突き刺さる。硬直が解けたレックウザは氷の大剣に纏いつくように身体をくねらせ、ダイケンキへと絡みついた。レックウザが黄金の光を放射しながら、大口を開く。その奥で破壊光線の輝きが瞬いた。

『終わりだね。楽しかったよ』

 ハコベラの言葉が明瞭にダイケンキの耳朶を打った。だが、ダイケンキの眼には諦めなど浮かんではいなかった。瞳に滲ませた憎悪を蒼く燃え盛らせ、ダイケンキはもう一本のアシガタナを逆手に握った。何をするのか、ハコベラとレックウザが察する前に、接近してきたレックウザの身体へとアシガタナの切っ先を突き刺した。レックウザが痛みに悶え、叫び声を上げる。絡みつく力が増し、今にも内臓もろとも押しつぶされそうになる。ダイケンキはそれでも攻撃の手を緩める事は無かった。突き刺した傷口から血が滴る。左手のアシガタナの柄から刀身へと水色の光が流れた。刹那、レックウザの身体を氷の刃が突き破った。レックウザが痛みのあまり、口腔内に溜め込んだ破壊光線を周囲に乱射する。完全に制御などされていない、純粋な暴力のつぶてがビルの壁面を突き破り、地面へと墓標のように突き立った。だが、それは光としてすぐに消えた。 

 身体が軋み、電流のように走る激痛が限界を伝える。だが、今離せば二度と接近できるチャンスはない。もうダイケンキとて限界が近かった。先程の逆鱗の一撃に加え、断続的に締め付けられている。弱点で攻めているとはいえ、タイプ一致ではない。このままでは、と思っていた心に水を差すようにダイケンキは急激な浮遊感に襲われた。レックウザがダイケンキに絡みついたまま、空に飛び上がっているのだ。神速を使っているのか、空気が破れ、音の壁を突き破るのが全身で伝わってくる。

 持久戦に持ち込むつもりはないのだろう。

 一気に片をつけるつもりであることは読めていた。逆手に握った手も限界に近く、レックウザの速度から逃れるような術もない。右手を振るい上げようとしたが、がっちりとレックウザが尻尾でくわえ込んでいる。それ自体にもダメージはあるはずだが、ハコベラとレックウザはどうやら細く長くよりも太く短くを選んだらしい。そもそもレックウザのステータスでは対氷タイプの攻撃に持久戦は不向きだ。ダイケンキならば弱点を突かれなければ耐え切れる。その点ではダイケンキに分があったが、明らかに馬力ではレックウザが上だ。月の石による底上げでも、伝説と普通のポケモンの差が埋まる事はない。

 ダイケンキは右手に握っていたアシガタナの柄に力を込める。氷の刃を広げようとしたが、レックウザが絡みつく事によって阻まれている。これ以上、攻撃力が上がる事を危惧しての事らしいが、レックウザ自身にもダメージがあるはずだ。それをおしてでも攻撃を封じる事に専念するということは余裕が無いという事になる。もっとも、それはお互い様と言えた。

 レックウザの高速急上昇に身体がついていかないのか、ダイケンキは全身が虚脱するのを感じた。思わず、右手の力を緩める。その一瞬をレックウザは見逃さなかった。解いた尻尾で氷の大剣を払った。無論、それさえもダメージだ。レックウザの尻尾の先端が氷の刃で切れた。それでも払う力のほうが大きかったらしい。ダイケンキの手からアシガタナが離れる。アシガタナに必死に手を伸ばそうとするも、逆手で刺し込んだもう一方の剣が邪魔をした。レックウザの音速の籠に包まれたまま、ダイケンキは高高度に到達しつつあった。

 空気が薄くなるのを感じる。ダイケンキのように陸上と海中が主な生活圏のポケモンからすれば高空は未知の世界だった。空気、以上に頭がくらくらとして今にも意識が閉じそうになる。血圧も異常値であろう。レックウザはオゾン層の手前で動きを止めた。レックウザの縄目文様から黄金の燐光が迸り、レックウザはダイケンキを抱いたまま空を舞い、回転した。「りゅうのまい」だ。

 先程とは異なる動きだが、その技に違いはない。龍の舞を踊るたびに、レックウザの身体から放たれる輝きが増していく。レックウザは必殺の一撃へと布石を打とうとしているのだ。その事にはダイケンキも気づいたものの、身体がまるで動かなかった。レックウザが突然、頭部を下げ固まった空気の壁を打ち破って流星のように降下する。ダイケンキの角を構成する甲殻がぴしぴしと音を立てて皹が入る。青い身体も水分が吸い取られ、ほとんど干からびていた。このままレックウザが逆鱗を放ち、急速落下のエネルギーを利用した一撃で仕留めるつもりである事は、察するまでも無く分かる事だった。

 燐光から迸るエネルギーの奔流がダイケンキの身に粒子の針となって突き刺さる。

 ダイケンキは痛みに呻きながら、雄叫びを上げた。今更臆する相手ではない。ダイケンキは怯えさせるために雄叫びを上げたのではなく、逆手に持ったアシガタナを引き抜くために雄叫びを上げたのだ。ダイケンキの肩の筋肉が膨れ上がり、落下の熱とダメージを蓄積している肉体が軋みを上げる。それでも、ダイケンキは逆手に突き刺したアシガタナを、咆哮一つで抜き去った。

 レックウザの身体から血飛沫が舞い、ダイケンキの顔を濡らす。レックウザはそのダメージにたじろいだようだったが、それでも既に決定された攻撃が中断される事は無かった。レックウザの全身を黄金の光が包み込み、レックウザそのものを金色の火球へと変えていく。火球に焼かれるさだめなのは、咎人だからか。それとも、伝説のポケモンに対して傲慢にも立ち向かった報いか。ダイケンキの内奥に位置するコルドの答えは出ず、ただ一言、怨嗟の叫びを放った。

 ――お前だけは、必ず!

 その言葉はハコベラの耳に入る事無く、金色の流星が焼け焦げたビルの谷へと吸い込まれるように落下した。轟音が響き、激突したビルが滑るように景色の中を流れる。建物の基盤ごと、移動させられているのだ。それほどの一撃に、月の石で強化したとはいえ、普通のポケモンが耐え切れるのか。線を描くように真っ直ぐにたゆたう砂煙が、強風に煽られたように一気に掻き消された。レックウザが身を引いた衝撃波だ。レックウザは身体を宙に浮かせたまま、裂けた口で荒い息をついている。レックウザとて消耗していた。これだけ矢継ぎ早に技を繰り出したのだ。普段使われていないだけに、体力の消耗は激しい。だが、ハコベラにはこのステータスはまるで分からない。彼はレックウザから受信される映像と音声を受け取っているに過ぎないからだ。

 空中で振り払われたアシガタナが回転し、レックウザの背後にあるビルに突き刺さった。レックウザはそれを見る事はない。既に勝ちを確信していても、これだけ手こずらせた相手に対して、レックウザは一種の畏敬の念を抱いていた。伝説のポケモンとはいえ、トレーナーに使われる以上は戦いを重ねなければ精神的な成長はない。破壊するだけの獣から、ようやく自我が芽生えかけていた。感情の光を灯したレックウザの視線の先に、ダイケンキはいた。ビルに身体の大部分を埋もれさせている。全身に裂傷や衝撃波によるダメージが深刻に焼き付いており、戦闘継続は絶望的に見えた。それでもアシガタナを握っているのは最後の足掻きだろう。龍の舞いを二回積んだ逆鱗の猛攻に耐え切った事に、レンズ越しのハコベラは少なからず驚いていた。

『……これがルナポケモンという奴か。恐ろしい力だ。これからのカイヘンのためにも、その力は断絶されなければならない。僕のレックウザが、ここで禍根の一つを摘み取る。悪く思わないでくれ』

 レックウザが大口を広げ、空気中から微弱なエネルギーを吸い取り、オレンジ色の光が回転し、瞬き、鋭く攻撃の光を拡大させる。これで終わりにするつもりなのは明白だった。逆鱗二発に耐え切った相手に、レックウザは心の中に灯りかけた感情の一滴をすくい上げようとしたが、果たせなかった。それが憐憫なのか、それとも全力を交し合った戦士の間にある情のようなものなのか。掴みかけて、主人の言葉に掻き消される。

『レックウザ、破壊光――』

 その時、不意にダイケンキが鳴き声を上げた。思わず発射しかけた破壊光線が霧散する。口角から一筋の血が流れ、震える片手を上げようとする。アシガタナが今にも取り落とされそうになりながら、少しずつレックウザへと照準を向ける。だが、今更であった。真正面からの冷凍ビームが避けられないほど、レックウザは鈍くはない。龍の舞いで素早さも上げているレックウザには、直線的な攻撃は通用しなかった。たとえ最後の力を振り絞りハイドロカノンを撃とうとも、ほとんど無意味だ。ダイケンキは震える手をもう片手でしっかりと握り締めながら、ようやく真っ直ぐにアシガタナの切っ先を向けた。耳元でハコベラの声が静かに聞こえてくる。

『無駄だ。やめたほうがいい。君がどんな技を撃とうが、僕のレックウザが避けられない道理はない。直線攻撃など今更意味がない。無駄な足掻きは君の誇りを傷つける。最後にはせめて、正義を胸に抱いて死ぬといい』

 ダイケンキはそれでもアシガタナを向けたまま、レックウザを睨みつけた。ハコベラの言葉など聞く耳を持たない。この意志は何よりも硬く、そして強い。伝説のポケモンゆえか、それとも拳を交え過ぎたのか、相手の思っている事が手に取るように分かる。レックウザはもう一度、破壊光線を充填し始めた。今度は主人の命令ではない。自分の意志だった。せめて早く終わらせるべきだと判じたのだ。そのほうがお互いのためだ。

 ダイケンキは真っ直ぐにアシガタナを向けたまま、動こうとしなかった。この一撃しかない。その覚悟がありありと伝わってくる。水色の光が柄から刀身へと流れ、切っ先に至ってアシガタナそのものが光り始めた。今までとは違う。全力の冷凍ビームに他ならなかった。ダイケンキが眼を強く閉じた。最後の一撃を発する前の、一瞬の瞑想だ。その胸に去来するものは何か、推し量る事しか出来ない。その眼をカッと開いた。

 刹那、ダイケンキのアシガタナの刀身そのものの形状をした水色の光線が放たれた。通過するそばから空気を凍てつかせるほどの氷の切っ先がレックウザを襲う。だが、直線的な攻撃だ。見切れぬわけがない。レックウザが身をそらそうとした、その時、背後に激しい痛みを感じた。

 振り返ると、なんと尻尾から凍結しているではないか。冷凍ビームは食らっていないはずなのに、なぜ。その視界の中に、反対側のビルに突き刺さったアシガタナの切っ先が目に入った。振り向いてダイケンキを見やる。その口元が僅かに笑みを浮かべているように見えた。その時になってようやく、全て計算通りであった事がレックウザの頭脳を激震した。正面の冷凍ビームが腕のある部分を一瞬にして凍りつかせる。挟み撃ちの冷凍ビームが身体の自由を奪う。このまま氷の彫刻になる事に、恐怖よりもこの戦いが出来た事の誇りが勝った。縄目文様が凍りつき、レックウザの身体から迸る黄金の光が失せていく。首筋まで至った氷がレックウザの身体の神経を根こそぎ奪っていった。もはや痛みも凍傷の熱さも感じない。氷の檻に包まれていく感覚に身を委ね、レックウザは目を閉じた。何も出来なかった事が今更に悔やまれる。よくやった、とは言わないだろう。しかし、レックウザ自身は満足のいく戦いであった事には変わりなく、消えゆく一瞬に心の灯火が光った。それを掴み取ったレックウザは安らかな顔をしていた。























「……挟み撃ちの冷凍ビーム。決死の策だったけど、うまくいったみたいね」

 コルドがフワライドの上に蹲りながら、言葉を発する。もはや、ほとんど体の自由が利かなかった。ダイケンキも残り一回動かせるか動かせないかだ。コルドは身体を仰向けにして空を仰いだ。生憎の曇天だったが、それが自分の最期には相応しいと感じた。もう日向の下で歩く事など出来ない人生だったのだ。それでも外に出られて風を感じられた事自体が、自分にとって奇跡にも等しかった。コルドは深く呼吸した。新鮮な空気が肺を満たすが、これが最期の呼吸かと思うともっと空気の綺麗な場所がよかったと我侭が出てしまう。

「もう、目を閉じよう。口も閉じて、全てを預けるわ、ダイケンキ。私に、出来なかった、全てを」

 コルドは瞳を閉じた。レックウザのエアロックが解除され、今まで溜め込まれた雨粒がバケツをひっくり返したように振り出した。

 コルドは雨に打たれながら、二度とその身を動かす事は無かった。
























 今、主人からの最後の思惟が届いた。

 アシガタナを杖代わりにして、ビルから起き上がったダイケンキは眼下へと目を向けた。そこには氷付けにされて動かないレックウザの姿があった。ダイケンキはアシガタナを握り締める。かつては主人と共に武人として、正義を貫くために戦った。死地は主人と一緒ならばどこでもいいと思っていた。それほどまでに主人を愛していた。忠義を超えているのかもしれない、とダイケンキは思う。しかし、悲しみと不条理を一身に背負った身に戦う以外にしてやれなかった自分には想う事しか出来ない。

 戦う以外の事が出来るほど、器用ではなかった。武人というものは、そうやって生きて死ぬものだ。

 ダイケンキは最後の力を振り絞り、ビルから跳躍した。レックウザの頭部の前に立つ。最後の相手が伝説のポケモンというのはこれ以上ない誉れだった。人間ならば、気の利いた言葉の一つ出るのだろうが、生憎ポケモンの身にはそんな言葉も無く、ただ主人の最後の意志に応えた。

 ダイケンキはアシガタナを振り上げ、レックウザの眉間へと深々と剣を突き刺した。凍結しているレックウザが恐らく痛みを感じないのがせめてもの救いだろう。ダイケンキはアシガタナを手離し、そのまま仰向けに倒れた。降り出した雨が頬を伝う。主人をなくした悲しみか、それともようやく過去の因縁から解放された主人の感情の堰が切れたのか。

 雨はとめどなく降り続けていた。


オンドゥル大使 ( 2013/03/01(金) 22:32 )