第五章
第二十五話:ウィンドモード
水晶の洞窟の奥底。道中で苦戦しながらも時の歯車が眠る水晶の湖へと辿り着いた私達。湖の美しさに心奪われ見惚れていたのもつかの間、時空の叫びで見た通り、湖の小島でアグノムがジュプトルに倒されるのを目の当たりにした。俊足の種を使って素早さを上げ、なんとかジュプトルの前に割り込むことに成功する。
今度こそ、時の歯車は奪わせない。これ以上時の歯車が盗られたら、いずれ世界全体の時間が止まってしまうかもしれないのだ。それだけは、なんとしても阻止しなければならない。ここで必ず、ジュプトルを止める!

「……そうか、ならば仕方がない。ここでお前達を倒す!」

「させない!」

手首に生えた葉が鋭さを増し、噴出した草のエネルギーは葉を刃へと変貌させる。リーフブレード。地底の湖では攻撃の瞬間を見ることすら叶わなかったが、今は違う。俊足の種の効果で素早さを上げたおかげか、わずかながら剣撃の軌跡を捉えることができた。初撃を予測し、横に跳び退って回避する。かわされるや否や、返す刀でルナを狙ったが、見えない壁に阻まれ攻撃は弾かれる。

「なに!?」

「今度はこっちの番だ!」

「ちっ!」

予想外のところで攻撃を弾かれ、バランスを崩したところにカズキの炎が炸裂する。勢いよく放たれた炎の柱はうねりを上げてジュプトルへと迫る。しかし、ジュプトルもそう簡単に当たるような真似はしない。持ち前の素早さで瞬時に危険と判断すると、軸足をバネにしてジャンプ回避してみせた。――だけど、それも予想通り。

「葉っぱカッター!」

「シャドーボール!」

「くっ、小賢しい真似を」

回避位置を予測して攻撃を仕掛ける。アグノムを下がらせたウィンも少し遅れて続いた。ポケモンにもよるけど、空中では大体のポケモンは行動を制限される。少なくとも、回避するだけの距離を移動するのはかなり困難なはずだ。仮に回避できたとしても一回程度、追撃までは避けれまい。
渾身の攻撃は見事にジュプトルを捉え、直撃する――はずだった。本能的に避けられないと悟ったのか、あろうことか草の刃で一閃した。斬りつけられた黒い球体は真っ二つに切り裂かれ、葉っぱカッターは無残にもバラバラになって散った。行き場を失ったシャドーボールは湖へと着弾し、大きな水飛沫を上げる。

「嘘ッ!?」

「邪魔をするなぁ!」

技を切り裂く。並大抵のポケモンにはできないような芸当をさらりとこなして着地したジュプトルは、落下の勢いに乗じてルナに斬りかかった。とっさに防ごうと試みるが、あまりの速さに対応しきれず、斬り裂かれる。さらに頽(くずお)れるルナに対して、追撃と言わんばかりに蹴りを食らわせ、小島の端へと追いやった。なす術なく倒れるルナを見て呆然とする。
ルナはお転婆な性格とは裏腹に自ら進んでしゃしゃり出てくることはない。どちらかと言えばウィンのサポートに徹している事が多いだろうか。代わりに防御面では不思議な技のせいもあってかなり固い。強固なシールドで“守る”にも似ているが、本人曰く、“妖術”というらしい。不可視の壁を作り出す言霊“禁”。たった一言で発動するにも拘らず、それすらできないほど攻撃は速かった。
まだ俊足の種の効果は残っているはず。なのにジュプトルの動きを見切ることができなくなりつつある。明らかに素早さが上がっている。まさか、実力の半分も出していなかったとでも言うの!?

「ルナ!?」

「ヒナタさん、下がってください!」

「ぐぅ……!?」

ウィンの声に反応してとっさに身を引く。すると、さっきまで私がいた場所に一筋の亀裂が奔った。同時に頬にわずかな痛みを感じる。少し掠ったみたい……。
動揺してはだめだ。倒れて動かないルナの事は気になるが、今よそ見でもしたら二の舞になる。さっきだってウィンがいなかったらどうなっていたことか。
ジュプトルの異常なスピード。元々が早いというのもあるんだろうけど、ここまで速いとなると素早さに特化したポケモンでもそうはいない。となると、考えられる可能性は一つ。高速移動――自らの俊敏性を高め、素早さを上げる技。おそらくこれだろう。しかし、いつ使ったのだろうか?アグノム戦であらかじめ使っていたのか、それとも――

「リーフブレード!!」

「アイアンテール!」

新緑の軌跡と硬化した尻尾がぶつかり合い、火花が散る。まさに神速とも呼べるスピード。何とか応戦しているウィンだが、二回、三回と攻撃が重ねられるたびに焦りの色が濃くなり、次第に押されていく。体格差があってどちらの攻撃が重いかは明白だし、そもそも腕と尻尾の勝負では小回りが利かないウィンはかなり分が悪い。いくらウィンが熟練の探検家だとしてもこの差を埋めるのは厳しいものがある。――いや、悠長に分析している場合じゃない、なんとかしなくちゃ!

「この、火炎放射!」

「甘いな」

「え、うわぁ!?」

執拗にウィンを攻撃するジュプトル。全員まとめて相手にするより一匹一匹倒した方が早いと踏んだのか、一番厄介そうなウィンを潰したいのか、はたまた私など眼中にないのか。お見通しだと言わんばかりに、助けに入ったカズキの炎も軽々とかわし、お返しと言わんばかりに腕を振るった。一瞬遅れて、風圧と共にカズキの体が後方に押し出される


「カズキさん、危ない――ぅぐッ!?」

「他人の心配している場合か?」

『ウィン!!?』

一瞬、注意がカズキに逸れたところで尻尾を大きく弾かれ、無防備に懐をさらしてしまったウィン。がら空きの所をジュプトルは容赦なく袈裟斬りにした。軽い身体はいとも簡単に吹き飛ばされ、何回かバウンドして湖に落ちてしまった。
前回と同じならおそらく峰打ちだろうけど、いくら峰打ちでもあれだけ吹っ飛ばされたとなると威力も尋常じゃないはず。しかも湖に落ちてしまった。くっ、私がもっとうまく立ち回れていれば……。

「次はお前達だ」

結構な傷を負った状態で水の中に入ったら痛みもかなりのもののはず。しかも、すぐに上がってこないところを見ると、気絶しているのかもしれない。すぐに助けに行きたいが、ウィンが上がってこないのを確認したジュプトルは踵を返してこちらを睨む。素直に行かせてくれそうにない。

「くっ、こうなったら……!」

カズキに目で合図を送り、それぞれ逆の方向へ駆け出す。攻撃は回避され、回避予測からの攻撃も薙ぎ払われる。ならば、二手に分かれて少しでも攪乱させ、隙を見せたところを叩く!私とカズキ、どちらを優先するかしら?
あわよくば私につられている隙にカズキの炎で大ダメージを見込めたらいいなと計算を立てる。だが、即興で建てた作戦などジュプトルにはお見通し。ある意味予想通り、カズキを狙って行動を起こした。

「タネマシンガン!」

「うっ!?」

思いっきり息を吐き出すように、口から放たれた粒状のエネルギー弾は走る目標を捉え、半分以上の弾を命中させた。私達の動きは、今のジュプトルなら見切ることはたやすいだろう。小さく呻き声を上げたカズキは着弾した弾に足を盗られて転倒する。いくらタイプ的に効果が薄いと言ってもジュプトルと私達ではレベルの差が大きすぎる。
しかし、私とて闇雲に走り出したわけじゃない。ジュプトルがカズキに気を取られている今、攻撃を仕掛ける絶好のチャンスだ。

「食らいなさい!」

バッグから数個の種を取り出し、ジュプトルに向かって投げつける。本来なら、今の私にジュプトルへ致命的なダメージを与える攻撃手段はない。だけど、道具の力を使えばそれも補えるはず。
カズキに気が向いているとはいえ、大声で叫んでいるしジュプトルなら気配で攻撃を察知できることだろう。実際、さっきもウィンに気が向いていた時にカズキが助けに入ったが、軽くかわされて反撃を受けた。だけど、盛大にばら撒かれた無数の種を気配だけで瞬時に察知し、かわすことができるかしら?私の予想通りなら――

「ちっ……!」

追撃を仕掛けようとしていたジュプトルだったが、私の攻撃に気付いてとっさに両手をクロスさせて防御態勢を取った。その瞬間、着弾した種は爆裂音を響かせて炸裂する。
“爆裂の種”。口に含んだり、衝撃を与えたりすると炸裂し、小さな爆発を引き起こす危険な種。それが無数に飛んできて、且つ避けられない状況だったとするなら取れる行動は防御する。あるいは迎撃するしかない。本当はリーフブレードで切り裂いてくれたら無防備なところに大ダメージを与えられたけど、ジュプトルも爆裂の種の危険性を知っていたようだ。まあ、爆裂の種に限らず不思議のダンジョンで生成される種は下手に攻撃すると危険なものが多いけど。

「カズキ、今よ!」

「う、うん!」

防御されたとはいえ、さすがに少しはダメージを与えられただろう。硝煙にまみれて動きが止まっている今、ここで一気に接近し畳み掛ける他ない。切り裂かれたルナに湖に落ちてしまったウィンの事も気にかかる。早く戦闘を終わらせて助けないと。

「舐めるなよ」

『ッ!?』

ジュプトルに肉薄した瞬間。両手に宿らせた新緑の刃が私達の体を切り裂く。私達の体は振りぬかれた刃に運ばれ、水晶の床に思い切り叩きつけられた。
ジュプトルが防御態勢を取ってから私達が接近するまでにわずかに数秒。傷を負い、硝煙で視界が悪い中放たれたリーフブレードはかなり正確に私達を狙っていた。攻撃の瞬間、ぎりぎりで気づいてとっさに体をひねらなければやばかった……。

「くっ、うぅ……」

剣撃は肩口から首元にかけてを浅く切り裂いている。真一文字に切り裂かれた部分は血が滴り、口を開くと傷が開いて痛みが走る。攻撃の正確さ、明らかにこちらの行動を見切った反撃だ。まさか、動けない振りをして私達が近づいたところを仕留めようと狙っていたというのか。

「くぅぅ!カズキ、煙幕!!」

「う、うん……!」

ともかく、この場を脱出しなければ危ない。とっさにカズキに指示を出し、黒煙に紛れて一度距離を取る。カズキもとっさによけようとしたのか、左手首と足の付け根辺りに傷がある。致命傷は避けたようだが、痛むのか走り方がぎこちない。
ルナ、そしてウィンが倒され、戦力は前回と同じ。俊足の種の効果がそろそろ切れると思うから完全に素の状態になる。いや、ダメージも蓄積しているから前回よりも状況は悪いだろう。こうなってはまともに戦っても勝ち目は薄い。だったら――時間を稼ぐまでだ。
ここ、水晶の洞窟にはヨノワールを含むギルドメンバー全員が探索に来ている。誰かが大水晶の道を発見し、ここまでたどり着いてくれれば戦力差はぐっと縮まる。すでに戦闘が始まってからそれなりに時間は経っているはず。あと数分でも耐えれば、あるいは!

「目くらましのつもりか?」

「さあ、どうでしょうね!」

もはやウィン達のことを気にする余裕もなくなってきた。私達に残された手段は、ウィン達の無事を祈り、ギルドの弟子達の到着まで耐え凌ぐこと。ジュプトルは高速移動の効果で素早さが上がっている。対してこちらは種の効果も切れて通常スピード。予備の種もないし、ここからは相手の二手、三手先を読まなければ一瞬で攻め込まれる。
一時的戦線離脱の他に、牽制と追撃妨害のために煙幕を張ったが、どうやらジュプトルは意に介していない様子。時の歯車を盗む際、闇夜に紛れて行うこともあっただろうし、難解なダンジョンを突破してきた実力もある。どこまで暗視できるかわからないけど、ある程度は慣れていそうだ。なのに、あえて追撃してこなかったのは余裕の表れだろうか?こちらとしては助かったが。

「葉っぱカッター!」

とにかく今はどうやって耐え凌ぐかだ。煙幕を突っ切ってくるのか、ジャンプして抜け出すのか、はたまたじっと動かないのか。ただでさえ先読みをしなければならないというのにこんな時に限って迷ってしまう。ウィン達が倒されたことに動揺し、秘策の種の効果も切れた。それに、峰打ちとはいえ斬られた時の痛みはかなりのもの。地底の湖の時と同じ状況が故に無意識に体が恐怖している。様々な要因が重なり、それらが判断を鈍らせるのだ。さっきまではある程度読めていたジュプトルの行動も今では全く読めていない。だからこそ、正面に向かって攻撃を放つという安直な行動に至った。

「甘い!」

「ぐぅ!?」

「ヒナタ!?」

煙幕は黒い煙で視界を遮ってくれる。しかし、それはこちらも同じこと。闇雲に放った攻撃が当たるはずもなく、煙幕から飛び出してきたジュプトルに組み伏せられてしまった。首根っこを掴まれ、強い力で床に押し付けられる。傷口が開き、滴る血の量が増す。痛みから逃れようと必死にもがいてみるが、力は強く焼け石に水。びくともしなかった。

「諦めろ。これ以上手を出させるな」

「誰が、諦めるもんですか!」

首根っこを掴まれ、床にうつぶせ状態で這いつくばらされる。もがいても外せそうにないし、手足も短くて届かない。まるで潰れたカエルのよう。自分をそんな風に例えるのは複雑な気分だが、例えカエルだとしても、ただのカエルではない。私にはもう“第二の手”があるのだ。
背中のタネの付け根から伸びたツルはジュプトルの腕と足に絡み付いて動きを封じる。いくらジュプトルが速かろうが、動きを封じてしまえば関係ない。前回と同じようにリーフブレードで両断されていたら終わっていたが。複雑に絡みつかせ、簡単にはほどけないように結びつける。

「カズキ、今よ!」

「う、うん!火炎放射!」

今までまともに攻撃できなかったが、ようやくその機会が回ってきた。硬く結んだとはいえ、ジュプトルの力は強い。振りほどかれるのも時間の問題だろう。だからその前に大きな一撃を。ジュプトルの弱点ともいえる炎の痛打で、この戦闘における致命傷を与えてくれ!
放たれた猛火は一直線にジュプトルへと着弾し、身体を炎で包み込む。さらに、あまりの激しさに飛び散った火花は煙幕へと吸い込まれ、小規模な爆発を引き起こした。弱点を突かれ、至近距離での爆発。さすがのジュプトルもこれは堪えたのか、首にかけられた力が抜けていくのを感じた。

「ケホッ、ケホッ!やったかしら?」

「ヒナタ!大丈夫?」

「な、なんとか……」

直後、ばたりと倒れるジュプトル。なんとか、倒せたみたいだ……。
ジュプトルを倒すためとはいえ、私だってただでは済まない。ジュプトルを捕まえていたツルは炎で焼けて途中で千切れてしまったし、ジュプトル越しとはいえ至近距離で起きた爆発は私にも被害を与えた。煙幕に引火するのは計算外だったが、ジュプトルに止めを刺す追撃になってくれたのなら嬉しい誤算、かな?でも、その弊害として焼きただれたツルは動かそうとしてもまったく反応しないし、爆発の際の煙と一緒に水晶の破片でも吸い込んだのか、切り傷の影響も相まって内外の二重に喉が痛い。あとでチリーンに診てもらわないと。

「……悪いな」

『えっ――』

水晶の洞窟の秘密を解き明かし、盗賊ジュプトルを撃破した。時の歯車も無事。すべてが終わり、一件落着。そう思っていた矢先の事。首筋に鋭い痛みが走り、私とカズキはなす術なく倒れ込んでしまった。一瞬にして手足が言うことを聞かなくなり、動こうにも頭がくらくらして思うように動けない。かすむ視界の中、目の前に現れたのはさっき倒したはずのジュプトルだった。

「な、なんで……」

「身代わりだ。煙幕を張ったのは軽率だったな」

身代わり――自分の体力を削って分身を作り出し、文字通り身代わりにさせる技。ということは、さっきカズキが攻撃したジュプトルは偽物だったということか。
煙幕はジュプトルの視界を僅かばかり奪ったが、同時にこちらからはジュプトルの姿を見ることはできなくなった。おそらく、煙幕を張った時にすり替わったのだろう。私の葉っぱカッターで位置を確認して身代わりを突撃させて油断させる。でも、カズキの炎で煙幕に引火すると思ったから慌てて穴を掘って地面に潜っていたといったところか。水晶の床は固そうだけど、アグノム戦でところどころ破損してたみたいだし、掘るのはそう難しいことじゃなかっただろう。
相手に利用されることの危険性。自分の位置を知らせてしまった軽率な攻撃。さらには勝ったと思って警戒を怠った。完全に私の判断ミスだ。仲間が倒されて動揺していた。目の前で敵が倒れて油断していた。いくらでも言い訳は浮かぶが、こうなってしまった原因はジュプトルというポケモンを甘く見てしたということ。

「もらっていくぞ。時の歯車を」

ジュプトルの素早さを考慮し、俊足の種を持ち込んだのは間違っていなかったはず。だが、その後が問題だ。種によって同等の素早さを手に入れたとしても、急に自分の素早さが上がっては動くのに多少の慣れが必要だった。事実、使った当初は足をもつれさせそうになったし、積極的に動くこともそこまでしなかった。使っていたのはジュプトルの動きを見切る動体視力だけ。それに、仮に慣れていたとしても同じ素早さの土俵に立っただけで、戦闘に関してはリーフブレードに注意することという曖昧な考えしかなかった。それもギルドメンバー総出で挑んだことによって生まれた安心感からか、大丈夫だろうと特に気にすることもなかった。さらには予備俊足の種の不足。手に入りにくい不思議のダンジョンの産物とはいえ、時の歯車を盗む大盗賊を相手に四つだけというのは少なすぎる。倉庫にあったものだけでなく、カクレオンにでも相談しておけばもう少し用意できたかもしれない。

「そこを退け」

万全の対策をしてきたはずなのに裏を返せばこの通り。初歩的な第一問目を解いただけで喜び、後の応用問題に全く手を付けていない怠け者の発想。所詮私はその程度の人間。時空の叫びという不思議な力を持っているだけの愚か者だ。
カズキ、ウィン、ルナ。みんな……ごめんね。

「どうしても退かないつもりか」

自分の至らなさを噛みしめて、静かに意識を手放そうとした時だった。声を荒げるジュプトルの声が気になり、視線を向けてみる。
そこには一匹のポケモンの背中が見えた。よろよろとふらつきながらも立ち、両手を広げてジュプトルの前に立ち塞がる。ジュプトルの声にびくりと肩を震わせるが動かず、顔を上げて威嚇しているようにも見える。背中の炎はすっかり消えて赤い斑点が見えてしまっているが、私の目には出会った当初では考えられない、頼りがいのある大きな背中に見えた。

「カズ、キ……?」

「……………!!?」

私の掠れ声に反応したのか、肩越しに何かを言っている。しかし、数回口を動かすと驚いたように表情を変え、慌ててジュプトルの方へ向き直った。カズキがなにを言ったのか、私は理解できなかった。頭がくらくらして聞き取れなかっただけかもしれないけど、自分の声くらいはちゃんと聞こえる。もしかしてカズキ、声が出ないの?

「(こ、声が出ない……!?で、でも、絶対に退くもんか!)」

首元に一撃もらったのが原因だろうか。何かをしゃべろうとしても開いた口からは空気が漏れるだけ。喉に何かがつっかえたように言葉が出てこなかった。そんなカズキの心情を知ってか知らずか、目の前の障害に鋭い視線を向けてジュプトルが迫ってくる。仲間は倒れ、自分もフラフラ。まさに絶体絶命の状況。
でも、自然と恐怖は感じなかった。時の歯車を護るために必死で気が付かなかったというのもあるんだろうけど、それ以上にヒナタを護りたいと思ったんだ。弱虫だった僕に勇気をくれた、最高のパートナーを。

「……そうか。ならば、仕方がない」

「カズキ、ダメ……!」

ジュプトルのリーフブレード。さっきまでは速すぎて見切れないくらいだったのに今はやけにゆっくりに見える。手首に生えた葉から新緑色のエネルギーが噴出し、刃の形を成す。同時に腕を振り上げ、硬直しているカズキに向かって振り下ろす。一挙一動が鮮明に目に焼き付き、目を反らすこともできない。この後に起こる最悪の結末を一時停止を交えながらじっくりと見せられているよう。喉の痛みなど構わずに叫んだ声もジュプトルには届かず、攻撃が止まることはなかった。

「ウィンドモード!」

リーフブレードがカズキの首を捉え、袈裟に斬り下される。その刹那の事だった。私の後方、時の歯車が沈む湖から突如として水飛沫が上がった。続いて突風が吹き、煽られた水しぶきが戦闘の舞台に降り注ぐ。突然の事態にジュプトルは攻撃を止め、後方に飛び退って距離を取った。
時の歯車の守護者アグノム。そして、駆け付けた私達とクレスントの二匹。誰もがジュプトルに圧倒され、もはやこの場にはジュプトル以外に戦える者はいないはずだった。しかし、倒されてもなお戦うことを諦めていない者がカズキの他にももう一匹。

「はぁはぁ……甘く見ないでくださいよ」

「お、お前は……!」

水飛沫が止み、突風を引き起こした張本人が姿を現した。息を切らせながらも、私達を庇うように前に出てジュプトルを威嚇する。
青鈍色の毛が全身を覆い、首元には真珠のように底光りする銀色の毛並みが一周している。背中には一対の青みがかった白い翼が生え、耳や尻尾の先端はしなやかに羽ばたく鳥の羽を連想させた。一見するとイーブイのような体躯。しかし、それと比べると体は一回り大きく、毛の色も雰囲気もまるで違う。しかしただ一つ、威嚇している鋭い目の色。まるで晴天の一部を切り取ってそのまま溶かし込んだような澄んだ水色の瞳が、そのポケモンの正体を教えてくれた。

「え、ウィン!?」

私もジュプトルもウィンの変容ぶりに驚きを隠せない。声が出ないカズキも目を見開いてウィンを見つめていた。
イーブイは進化ポケモンと呼ばれ、その場の環境に適応して数種類のポケモンへと進化できる。話には聞いていたことだが、今のウィンの姿はそのどれにも当てはまらない全くの新種。毛色も翼も初めて見るものだ。
危機的状況に反応して進化したのだろうか?だとしても、湖の中にいたのだからしたとしても普通はシャワーズになりそうなものだけど……。

「今度はこちらの番……ですよ!」

軽く片前脚を前に出し、身体を屈めて前傾姿勢を取る。周囲に風が渦巻き始め、ウィンの体を包み込むように風のベールが形成される。辺りに張りつめた空気が流れ始め、呆気にとられていたジュプトルも何か来ると本能的に察知することができた。ふぅと息を吐き出し、目の前の目標――ジュプトルの姿を今一度確認したウィンは、目を閉じ、小さく呟く。

「“終焉の疾風”」

「なッ!?」

刹那、ウィンの姿が掻き消え、ジュプトルの背後に現れた。短く呻き声を上げたジュプトルは腹部を押さえ、驚愕の表情を浮かべている。なにが起こったのかわからぬまま、すぐさま切り替えしたウィンの姿がまた消え去り、別の場所に現れる。まるで瞬間移動でもしているかのように次々と場所を変え、その度にジュプトルの体にいくつもの裂傷が刻まれていった。

「フィニッシュ!!」

「ぐはぁ!?」

裂帛(れっぱく)の怒号と共にジュプトルの体が吹き飛び、水晶の床に叩きつけられる。よほど強く叩きつけられたのか、衝撃で床に蜘蛛の巣状に亀裂を奔らせた。ジュプトルはもや起き上がる気力もないのか、激しく肩を上下させて突っ伏したまま動かない。
私達と戦っていた時はほぼ無傷だったジュプトルの体がいくつもの裂傷に覆われて鮮血が滴っているのを見てようやく気が付くことができた。ウィンは瞬間移動してたわけではなく、“見えないほどの速さで攻撃していた”ということに。それもジュプトルよりももっと速い、神速とも呼べる速さ。自身の素早さに適応するためにジュプトルの目はかなり鍛えられていたはず。それなのに反撃や防御をなにもできないまま倒されたということは、それを上回る速さで攻撃していたということ。姿が変わっただけでなく、恐るべき身体能力を見せつけられて声を出すことすら忘れていた。

「はぁ、は、ぁ……これで、僕達、の……」

青鈍色の毛並みは元の茶色へと戻り、翼は消え、変形した耳や尻尾も元通り。数秒後には元のイーブイ姿のウィンが倒れているのみだった。体力を使い果たしてしまったのだろうか、あっという間に元の姿に戻ったウィンを見るとまるで今のは夢だったのではないかとさえ思ってしまう。しかし、現実にジュプトルは傷だらけで倒れている。形はどうあれ、なんとかジュプトルを止めることができたようだ。これで、世界の時間は、守られる……。

「でも、これじゃ、ね……」

私は爆発とジュプトルからのダメージで起き上がれないし、カズキもジュプトルが倒れたことで安心したのか、ぱたりと倒れて気絶してしまった。ルナやアグノムもまだ目覚めそうにないし、これって誰かが見つけてくれないと帰れないんじゃ……。
ポケモンの体となった今、高い治癒能力のおかげで多少の無茶をしても一晩寝れば治ってしまう。けれど、さすがに今回は無茶しすぎたかもしれない。

「気を付けてたはず、なんだ、けど、な……」

極限の状態で繋ぎとめられていた意識も障害がいなくなったことによって安堵し、役目を終えたようにぷつりと途絶えてしまった。もうすぐギルドの弟子達も来る。ガラン達だってそんなに遠くで別れたわけじゃない。ここで意識を失ってもすぐに見つけてくれることだろう。今はただ、身体が休息を欲していた。


ウィンデル ( 2015/06/30(火) 23:55 )