第二十二話:地底の湖
ルナティックの刺客――ギブドとの戦闘を経て再び静寂を取り戻した砂漠。抉られた地面や変色している砂など、戦いの爪痕は色濃く残っているものの、すでに敵の姿はなく、探索の時と同じようにさらさらと砂の流れる音が聞こえるのみ。
ギブドが砂に身を沈めて姿をくらまし、気配が消え去った後でも周囲を警戒して気を張っていたスカイも追撃は来ないと判断してようやっと胸を撫で下ろす。
「いや、しっかし、また会えてよかったぜ!時渡りの途中ではぐれちまった時はどうしようかと」
「ええ、本当に。無事で何よりです」
私達を苦しめていた毒沼もギブドが消えたことによって効力を失い、徐々に本来の色を取り戻し元の大地に戻りつつある。終わらない毒状態からようやく解放され、一安心。スカイが持ってきた木の実で毒と失った体力を癒し、全快とは言えないものの歩くのに支障がない程度までは回復できた。
それにしても、草タイプの他に毒タイプを合わせ持つフシギダネの私まで動けなくなるほどの猛毒。迫りくる体力の限界が感じられるだけにその恐怖も一入(ひとしお)だった。正直、あの状況で生き残れたことは奇跡だと思う。これも最後まで戦ってくれたガランとアラン。そして、スカイのおかげね。
「まったくだ。特に、ルナちゃんを見失った時は心配で心配で……。あの野郎、今度会ったらただじゃおかねぇ!」
「大丈夫だよ。その時はウィンが助けてくれるから♪」
「ちょっ、そこは俺って言ってくれよぉ!?」
「あはは、相変わらずですね」
ウィン達との再会に上機嫌な様子で笑いあうスカイ。ウィンの肩をばしばしと叩いたり、調子に乗ってルナに一蹴されたり、その様子にほぼ初対面の私達もつられて笑いがこぼれる。
それにしても、静かな川で出合った時は話を聞かないせっかちな性格に方向音痴が重なってトレジャータウンと真逆の方向に走って行ったけど、まさかこんなことろまで来ているとは。こうして助けに入れたってことは、かなり迷走してたみたいね。
「ふぅ……」
「大丈夫?」
「あ、ああ。なんとかな」
まだまだ元気いっぱいといった様子のスカイに対して、ガランとアランの二匹はへなへなと座り込んでいた。命懸けの戦闘を潜り抜けたという実感から、受けた傷が痛みを思い出したのだろう。オボンの実で傷を癒したとはいえ、内臓にまで響くような重症が一瞬で治るはずもなく、患部を押さえて苦しそうに顔を歪めている。心配したカズキが手を貸そうとするが、実際に戦闘をして絆を深めたウィン達と違い、初対面のカズキではまだ抵抗があるのか大丈夫だと言ってその手を拒んだ。
「おい、無理するなよ?」
「ひとまず、いったんギルドへ帰りましょうか。皆さん毒が残っているでしょうし、ガランとアランの傷の手当てをしなければ」
その提案に異論を示す者は誰もいなかった。ウィンの言うとおりだし、本来の目的である時の歯車も見つからない以上ここに留まる理由はもうない。体の大きいスカイがガラン達を背中に乗せ、風を操り鬱陶しい砂嵐を弱める。
帰路の道中、往路では頻繁に起こっていた砂嵐が全く起こらないことに疑問を抱いていたが、それがスカイの能力によるものだと知るのはもう少し先の事だった。
ギルドに帰る頃には日が暮れかかっていた。そこまで長居したつもりはなかったのだが、あの戦闘によってかなりの時間が経過していたようだ。日が落ちるにつれて急激に下がる気温を懸念して急いだ結果、なんとか門限に間に合ったようだ。
「おお、帰ってきたか。あんまり遅いから心配したぞ?」
「すいません、ちょっとトラブルがあって……」
大所帯となって帰ってきた私達に目を丸くするペラップに事情を説明する。しかし、ルナティックの事は伏せておいた。ギルドにルナティックのことを話したら、ギルドのみんなにまで危害が及ぶかもしれない。そう考えると言うに言えなかった。報告の途中で言葉を噤んだ私の様子に訝しげな表情を向けるペラップだったが、すぐさまウィンがフォローして事なきを得た。
「なるほど。じゃあ、お前達もギルドに入門したいんだな?」
「あ、ああ」
とりあえず、ガラン達の事は武者修行の旅をしているチームで道中出会った私達に共感を得てぜひともプクリンのギルドに入門したいと頼んできた……ということにしておいた。なんだか無駄に細かく設定を付けてしまった気がするが、かなーり大雑把にいえば間違ってない、よね?
結果的に私達がギルドの勧誘をしてくれたというのが嬉しかったのか怪しまれることもなく上機嫌で迎えてくれた。こいつちょろいな、とぼそりと呟いたスカイを必死に黙らせて、なんとか無事に三匹をギルドに迎えることができたようだ。
「さっそく登録しよう♪……と言いたいが、まずは怪我の治療だな。お前達、チリーンのところへ案内してやれ♪」
「わかりました」
怪我の事は……いや、今思い出すと恥ずかしくなってくるからやめておこう。とにかくペラップに気に入られようといい人(ポケモン)アピールをしたせいでだいぶ変な設定を付け加えてしまった。おかげでペラップからは信用されたようだが、後で後悔した。そもそも入門者の少ないギルドなんだからそんなことしなくても普通に入門志願者たと言えば入れてくれただろうに。なにやってるんだ私は。
「ふふ、名演技でしたよ」
「お願い、言わないで」
クスリと笑うウィンの声に顔が赤くなるのが嫌でもわかる。今日はいろいろと散々な日だ。チリーンから治療を受ける時も夕食の席もスカイやカズキに散々いじられてその度に顔を赤くしていた。
翌日、チリーンの治療の甲斐もあり、毒による傷はほぼ完治していた。治療のおかげもあるだろうが、フシギダネの姿になってからポケモンの治癒能力の高さには驚かされてばかりだ。人間なら入院が必要な大怪我でも一日寝ればほぼ治るし、治らなくても日常生活程度なら問題なくできるくらいには回復できる。だからこそ、毎日毎日探検に出かけても問題なく活動できるのだが、その分多少の無茶もできてしまうのは考えものだ。記憶の片隅に眠っている人間だった時の私の感覚がそうさせるのか、誰かが傷つくたびに内心ひやひやしている。特にカズキは探検となると臆病な性格がどこかに行ってしまうので心配だ。
「……というわけで、今日から仲間になったガランとアラン、それにスカイだ♪」
「チーム“イクリプス”のリーダー、ガランだ。今日からよろしくな」
「オレはアラン。よろしく」
ぶつぶつと頭の中で呟いていると、いつの間にか新入りの紹介の話になっていた。昨日、夕食の時に軽く自己紹介は済ませたが、プクリンの登録(たぁー!)を受けて正式にギルドに入門したということで、朝礼にて再びご挨拶と相成った。
すでにギルドの弟子達とは顔を合わせているが、緊張しているのか表情が硬い。昨日受けた傷が遠目では見えなくなるくらいに治っていることに驚いたが、それよりクールっぽい印象を持つ二匹が緊張しているという意外な一面を見れて微笑ましかった。昨日の夕食の後、チーム登録を済ませたガランが怯えた様子で、あいつは化け物か?と言ってくるから思わず笑ってしまった、という小話もあった。印象よりも意外と表情豊かなのかもしれない。
「そして俺が新しく“クレスント”に入ったスカイ様だぜ!二匹とも固まってねぇで楽しくいこうや!はっはっは!」
「お、おう……」
「やかましい」
それとは打って変わってスカイは印象通りのハイテンションで豪快に笑い飛ばした。ばしばしと背中を叩かれて思わず苦笑いを浮かべる二匹。昨夜はガラン達と同じくイクリプスとして入るかで悩んでいたようだが、結局ウィン達のチームであるクレスントに入ることにしたようだ。理由は単純にルナがいるから、だそうだ。うん、昨日振られてたのにまだ諦めてないんだね。後から聞いたが、スカイは前からこうだったようで、その度に振られてるらしい。懲りない雄ですね。
「よし、今日は各自自由に探索に向かってくれ♪ジュプトル逮捕に向けて、今日も頑張るよー♪」
『おおーッ!!』
ペラップの掛け声を合図に拳を振り上げ、それぞれ探索の準備を始める弟子達。
昨日、私達が探索した北の砂漠を含めて三つの場所をそれぞれ探索したが、ヨノワールの読みは外れ、どれも時の歯車を見つけるには至らなかった。霧の湖の例もあるし、いくら優秀な探検家と言えど一発で見つけられるほど簡単な場所には隠されていないらしい。今日は作戦の練り直しが済むまで自由探索となったわけだ。
「さて、どこに行こうかしら?」
「自由にって言われてもねぇ」
そう、まさにカズキの言うとおり、自由にというのが一番困る選択肢だ。どこにでも落ちているような――例えば、オレンの実をどこからでもいいから拾ってきてくれというなら簡単な話だが、今探しているのは時の歯車。当然ご近所にあるようなダンジョンにあるわけないからもっと遠くを探すことになるだろうが、隠されている場所のヒントは“湖にあるのではないか”ということだけ。それも霧の湖のように存在を隠された秘境の湖。そんな場所の心当たりがあるはずもなく、地図と睨めっこしながら数分考えてもあまり状況は変わらないと思った。
「うーん、だとしたら……」
ただ一つ、気になることがあるとすれば昨日の北の砂漠の奥地。大量の流砂が犇(ひし)めき、閉ざされた道。あの時、私は奇妙な感覚を覚えたことを思い出す。初めて来たはずなのに、どこか懐かしいような感覚。霧の湖でも同じ感覚に襲われたし、もしかしたらあれは時の歯車に関係する場所で起こるのではないか?推測ですらないただの勘に過ぎないが、他に行く当てもない今なら勘に任せてもいいのではないかと思う。問題があるとすれば――
「カズキ、もう一度北の砂漠を調べようと思うんだけど」
「えっ!?う、うん、あそこかぁ……」
カズキが露骨に嫌そうな顔を浮かべている。まあ、正直言えば私も行きたくはないのだが……。
暑いというのはもちろんだが、そこに砂嵐が加わるとさらに厄介なことになる。照りつける日差しをシャットアウトしてくれる効果はあるが、代わりに吹き荒れる砂に視界を奪われまともに歩けなくなる。そこを敵に襲われようものならかなりの苦戦を強いられるのは想像に容易い。というより体験済みだ。つい昨日体験したことだからこそ、大丈夫だろうという甘えもなく、故にあんな思いはしたくないと、行きたくないと思ってしまう。
しかし、行く当てがないのも事実。いつまでも部屋に留まって地図を眺めていてはそのうちペラップに大目玉を食らいそうだ。結局他に行くところも思いつかず、しぶしぶながらも了承したカズキ。なんだか悪いことをした気がする。後で赤いグミのジュースでもご馳走しようかな?
「じゃあ、行こうか」
「うんっ」
トレジャータウンで準備を整え、再び北の砂漠へと足を踏み入れた私達。常に砂嵐に見舞われているわけではないが、それでも頻度は高い。なんとかならないかとカクレオンに聞いてはみたが、砂嵐を無効にするような道具は売っていないとのこと。一応、不思議玉の一種である“雨玉”などで天候を変えることはできるそうだが、雨ではカズキが余計に苦しくなりそうなのでやめておいた。結局催眠を防ぐ効果があるという“不眠スコープ”という道具を購入し、せめてもの砂避けに使わせてもらうことにする。意外に高かった……。
「カズキ、大丈夫?」
「う、うん。砂が目に入らないからまだ楽かな」
しゃべると口の中に砂が入ってくるため口数少なく歩いてきたが、ある程度歩みを進めると砂嵐も収まってきた。相変わらずの茹だるような暑さで体力を奪われるものの砂によって視界を奪われずに済むというだけでだいぶ違った。本来とは別の使い道だが、これは好評価だ、買ってよかった。
しばらくして、前回到達した流砂の間へと辿り着いた。吹き荒れる砂嵐が隠したのか、昨日の戦闘の後はほとんどわからなくなっていた。ギブドの件もあり、今回もウィン達が同行しようかと申し出てきてくれたが、何の根拠もなしに過酷なダンジョンに連れて行くのは気が引けたし、ようやく会えた仲間とも話したいだろうからと断った。勝手な推測だが、おそらく一度戦った場所には来ないだろうし、もし来たとしてもそのための準備もしてきたから大丈夫だろう。
「さて、ついたけど」
「やっぱり流砂しかないよ?」
「うーん……」
見渡す限り流砂以外に目立ったものはない。これ以上は先に進めそうにないし、なにかがあるとしたらここしかないのだが……。なんとなく、ツルを伸ばして流砂に触れて感触を楽しんでみる。不用意に流砂に近づいた私を見てカズキが危ないと止めに入るが、この程度なら大丈夫だ。さらさらと流れる砂がツルを撫でて滑り落ちていくのが少しくすぐったい。
昨日ウィンが言っていたことだが、ここまで大量の流砂があるのは珍しいとのこと。流砂はさらさらとした砂や水分を含んだ脆い地盤がなにかしらの圧力を受けてできるもので、こんなにぽこぽこできるものではないと言う。触ってみるとわかるが、確かにかなりさらさらとしているし、ツルを少し潜り込ませてみるとひんやりとした感覚が伝わってくる。ウィンの言うとおり、水分を含んでいるのかもしれない。
「もしかして……」
水分を含んだ砂。昨日触れた時は何とも思わなかったが、よく考えたらおかしな話だ。見渡す限り砂だらけの乾燥地帯であるはずなのに、少し砂に潜り込ませただけで湿っているなんて。辺りを見渡してもオアシスのような水の湧き出るポイントはなかったし、つい昨日の戦いの痕跡が消えてしまうほど激しい砂嵐があったみたいだから、雨が降ったわけでもなさそう。だとしたら、考えられる可能性は地下に水脈があるのではないかということ。
「ん?ヒナタ、どうしたの?」
「カズキ、時の歯車はたぶんあの中だよ」
時の歯車はそん所そこらに落ちているようなものではない。霧の湖の時を考えれば、普通じゃ考えられないような隠された場所にあるはず。仮にここに時の歯車があるとするならば、ここで取れる行動は一つしかない。
「あの中って、ええ!?」
「うん。流砂に飛び込むんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよヒナタ!?」
私が指差す先を見て、流砂と私を交互に見やり驚愕の表情を見せるカズキ。だが、それも当然の反応だろう。常人ならば、普通は流砂に飛び込もうなんて絶対に言わないし、仮に言ったとしても冗談程度のもの。しかし、私の真剣な目を見たカズキはそれを冗談とは思えず、困惑している。
私も突拍子もない考えだとは思う。滝壺の洞窟の時見たく時空の叫びが見えたわけでもないし、私の推察が合っている保証もない。ただの直感。しかし、ここを訪れた時に感じた奇妙な感覚やおかしな地形や状態。それらを考えると自分の考えは正しいのだと思えてくる。
「……本気で、行くの?」
「うん」
「――わかった。僕もついてくよ!」
一刻も早く時の歯車を見つけ、盗賊ジュプトルを捕まえなくてはならない。その使命感からくる焦りもあったのだろう。普段ならば躊躇するような行動をすぐさま実行に移せたのは後から考えると思い切ったことをしたなと自分に感心し、そして恐怖した。
根拠のない自信を頼りに危ない橋を渡らなくてはならない。そう思うと足がすくんでしまったカズキだったが、私の決意を見て覚悟が決まったのか一緒に行くと申し出た。
あの時――滝壺の洞窟の時だって、ヒナタを信じて滝に飛び込んだから洞窟を発見することができた。だったら、今回だってその予感は当たるはず。大切なパートナーだからこそ、信じることができた。なにより、ヒナタと一緒にいると自然と勇気が湧いてくるんだ!
「じゃあ、せーので行くよ?」
「う、うん!」
「それじゃあ……せーのッ!」
覚悟を決め、一番大きな流砂の中心に向かって勢いよくダイブする。急激にかかった圧力によって砂の流れが勢いを増し、私達の体を地中へと誘っていく。カズキとしっかりと手を取り合い、砂に身を任せて沈んでいく私達。小さな体はあっという間に砂に呑みこまれ、やがて見えなくなった。
砂に呑みこまれ、視界はなく、身体も砂に圧迫されて思うように動けない。呼吸すらもままならない状況がどれくらい続いただろうか。なかなか出られないことに焦りを覚え、やはりこんなことするべきではなかっただろうかと後悔をし始めた時、視界がぱっと晴れると同時に浮遊感に襲われた。
「え……」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
突然の事態に即座に対処できず、なすがままに落下して地面に叩きつけられた。
幸いにも流砂によって降り積もった砂がクッションとなり大事には至らなかったが、離れまいと手をつないでいたのが災いし、カズキを押し潰す形となってしまった。
「ぐえっ!?」
「あ、ご、ごめん!」
着地の直後、潰れたカエルのような声を上げて白目をむいたカズキ。すぐさま離れるが、お腹を押さえてうずくまったまま動けない様子。
こ、これって、私のせい?そ、そんなに重くはないと思うけど……。
ひとまず降ってくる砂に埋もれないように移動させてお腹をさすってあげる。しばらくすると、弱弱しいながらも「大丈夫……」と言って立ち上がった。
「ご、ごめんね、カズキ?」
「う、ううん。平気だから……」
相当痛そうなんだけどなぁ。とはいえ、歩けるみたいだししばらく休めばよくなるだろう。
カズキが落ち着くまでの間にざっと辺りを見回してみる。どうやら結構な高さから落ちてきたようだ。上を見上げてみると私達が落ちてきたらしい穴が小さく見える。ところどころに砂の山ができており、おそらく流砂の砂がここに堆積しているのだろう。そこそこ広い空間には砂と共に巨大な岩が転がっており、相当な年月を経ているのか、あちこちに落ちている岩は触れるだけで崩れ去り、砂の一部へと成り果てるほどに脆かった。
「ヒナタ、ここは?」
「ええ。たぶん、予想が当たったみたい」
不思議な地下空間の一角には奥へと続く通路がいくつか見受けられた。おそらく、この先のどこかに時の歯車はあるはず。
「カズキ、行くわよ!」
「うん!」
不思議のダンジョンは入るたびに様相を変える。どういう原理かはまだ解明されていないが、別れ道、部屋の数、階段の位置など訪れるたびに毎回変わってしまう。北の砂漠の地下であるこの洞窟――“流砂の洞窟”も例に漏れることなく不思議のダンジョンの影響を受けていた。しかし、今回のダンジョンは影響が強いように見える。というのも、道が幾重にも折り重なっているせいで一度通った場所でも方向を把握するのが難しく、気づけば落ちてきた地点へと戻ってきてしまうのだ。
「ま、またここ……」
「これも時の歯車を護るための仕掛けなのかしら?」
もう幾度目かの場所の光景に思わずため息が漏れる。正確な時間はわからないが、かれこれ一時間くらいは彷徨っているはずだ。……下手したら帰れないわね。
不思議のダンジョンは道のりが長いほど攻略が困難になる。そう実感した瞬間だった。地下であるためか地上と比べてかなり涼しく、また、隠された場所のためか野生のポケモンも見かけないのがせめてもの救いか。
「疲れてきた……」
「カズキ、頑張って」
北の砂漠に引き続き洞窟の探索。合わせるとすでに相当な時間歩きっぱなしだ。バッグの食料ももうすぐなくなりそうだし、そろそろ見つけないと本気で帰れなくなってしまう。焦りが表情に出始め、自然と歩幅が大きくなり、時の歯車よりも出口を求めてしまい始めてしまった。ただでさえ洞窟で薄暗いというのにこんなところでずっと彷徨ってるなんて真っ平ごめんよ。
「あ、ヒナタ!あそこ!」
「光?行ってみましょう!」
さらに歩くこと数分、先の通路から淡い光が漏れているのを見つけた。出口?それとも、時の歯車の光?どちらにせよ、やっと進展できると思うとほっと一安心。私達はその光に向かって走り出した。
光を頼りに歩みを進めると、開けた空間が広がっていた。きめの細かい砂の先には霧の湖にも引けを取らない美しい湖が広がっており、淀みなく清涼な空気が満ちている。湖の中心から放たれる淡い緑色の光は水を通して洞窟を優しく照らし、光の反射によって変わりゆく水模様はまるで巨大な水の珠に包まれたような不思議な空間を作り出していた。
「すごい……」
「砂漠の地下にこんなところがあるなんて……」
神秘的な光景にすっかり心を奪われ思わず感嘆の声が漏れる。探検隊として、未知の場所を探検し、そこに眠る財宝を手にする。確かにそれも喜ばしいことだが、それ以上に心躍るのはこうした絶景に巡り合えること。景色は物として存在しないがために持ち帰ることはできないが、金銀財宝よりも価値のあるものだと私は思う。かけがえのないパートナーとの思い出の一ページとして刻まれるものだから。
「――あれ、時の歯車だよね?」
「ええ。近くで見てみましょう」
「待て!なんなの、お前達は?」
しばし湖に見惚れていた私達だったが、本来の目的を思い出す。湖の中心で淡い緑色の光を放っているもの。遠目ではよく見えづらいが、あの輝きは霧の湖で見た時の歯車のものと同じ。きっと、あれが時の歯車に違いない。
確認のために近づこうとしたとき、何者かの声がそれを阻んだ。思わず足を止め、辺りを見回す。
「だ、誰!?」
「私はエムリット。地底深くのこの湖で、時の歯車を護る者だ!」
突如、目の前に白い光の塊が現れたかと思うと、そこから一匹のポケモンが姿を現した。
妖精のような姿をしており、すべすべとした白い肌に二本の尻尾。額や尻尾には宝石のような赤い石が埋め込まれており、丸みを帯びた顔の頭部には淡いピンク色をした房が四本垂れている。見開かれた黄色い瞳は敵を威嚇するように鋭く吊り上り、敵対の意思が色濃く見えた。感情の神と呼ばれるその存在は、小さいながらもとてつもない威圧感を放っていた。
「お前達、ここになにしに来た!?」
「ぼ、僕達は時の歯車を探しに……」
「なに!?あれに触れてはだめだ!」
興奮しているのか一言一言に怒気が孕み、言葉を発するたびにまるで心臓を鷲掴みにされるような奇妙な感覚に陥る。エムリットの質問に対して怯えながらも応えるカズキだったが、すべて言い切る前に遮られてしまった。
ユクシーと同じような容姿だし、時の歯車を護る守護者だと言うのは間違いないだろう。ということは、時の歯車を盗ろうとする者に対しては容赦しないはず。さっきのカズキの発言のせいで勘違いしてるみたいだし、なんとか誤解を解かないと……。
「時の歯車は渡さないよ!」
「エムリット、違うの!私達は――」
「うるさい、侵入者め!」
ダメだ、興奮してて全く話を聞く様子がない。――最近思うけど、何でみんな話を聞いてくれないんだろうね?いや、時の歯車の番人だし、侵入者に対して厳しい目を向けるのはわかるけどさ、少しくらい話を聞いてくれてもいいと思うんだ。こんなことを思うのは私くらいかな?でも、今回みたいに勘違いで敵だと思い込んでると対処に困るというか……。ともかく、ここで下手に刺激するのは危険だ。ここはいったん下がろう。
「わ、わかったわ。でも、これ以上近づかないから話を聞いて?」
「泥棒に話すことなんてない!」
「僕達は泥棒じゃないよ!」
誤解である以上こちらから仕掛けるわけにはいかないし、かといってこのまま帰っては本来の目的を果たせなくなる。だからなんとか話を聞いてもらいたいのだが、こちらを完全に敵と認識しているのか全く聞く耳を持ってくれない。だが、感情の神というだけあって、これだけ怒り散らしているのに襲い掛かってこないところを見ると感情を完璧に制御しているわね。普通なら怒りに任せて襲いかかってきてるところなのに。
「とぼけるな!私はユクシーからテレパシーで聞いてるんだよ!霧の湖の時の歯車が盗まれたことを!」
「え?」
ユクシーからのテレパシー。なるほど、同じ時の歯車の守護者として離れることはできなくても連絡手段はあるってことね。あの口ぶりから見ると、聞いたのは時の歯車が盗まれたことだけなのかしら?でも、霧の湖の時の歯車が盗まれたのは私達が遠征で訪れた直後の話だし、もしかしたら私達ギルドのポケモンに気をつけろと言われたのかもしれない。どっちにしても誤解だけど……。
「あれはお前達の仕業だろう!?」
「ち、違う!私達じゃない!」
「じゃあ誰だっていうの!?」
「それは多分、俺の事じゃないかな」
『!!?』
興奮するエムリットに対して二の句を続けようとした瞬間、第三者の声に誰もが驚いた。すぐさま声のした方に振り向くと、そこには一匹のポケモンが立っていた。
緑色の体色に強靭に発達した太もも、腕や頭には鋭利に尖った葉っぱのような房を生やし、葉のような形状の尻尾は空気中の湿気を読み取り、天候を読む役割を持つ。顎下から股腹にかけては赤く、腰に当たる部分には帯のように緑が一周している。鋭い眼光は野生の色を残した黄色をしていた。
間違いない、三つの時の歯車を盗んだお尋ね者として指名手配されている盗賊。
「ジュプトル!?」
「もめてるところ悪いが、こっちも急いでるんでな。時の歯車はもらっていくぞ」
気配もなにもなく、突然に現れた盗賊は私達のことなど眼中にないかのように湖の中心を見つめていた。彼が狙うのはただ一つ、時の歯車のみ。驚いてぽかんと口を開けている私達を尻目に時の歯車へと向かうジュプトル。突然の乱入者に呆気にとられていたエムリットだったが、すぐさま自分の使命を思い出し、ジュプトルの前に立ち塞がった。
「待て!時の歯車は絶対に渡さない!」
「そうか。なら……仕方ないな」
言うが否や、素早く腕を振り上げると腕についた葉っぱ状の刃でエムリットを袈裟斬りにする。瞬きする間に行われた攻撃にエムリットは反応できず、地に崩れ落ちた。
腕の葉の形状が変化している。数センチほどだった葉は腕と同じくらいの長さまで伸び、鋭さも増加しているようだ。淡く緑色に発光する葉には草のエネルギーが満ちており、これが“リーフブレード”だと理解できた。
「ぐっ!?」
「大人しくしていろ。そうすれば、命までは取らない」
理解はできたが、ジュプトルの異常な速さには目を見張った。なにしろ、ジュプトルが動いてからエムリットが倒れるまで僅かに数コンマ。気づいたら倒れていたと言っても差支えないほどその攻撃は速く、そして重い。静かだが、明確な強さを目の当たりにして体が無意識のうちに震えた。
「ま、待て!」
「その先へは、行かせない!」
守護者を打ち倒し、再び時の歯車へと近づくジュプトルの前に今度は私達が立ち塞がる。正直、今のを見て勝てる気はしないが、エムリットが倒れた今動けるのは私達だけ。時の歯車を取られたら、この地域の時は停止し、いずれ世界そのものの時間が止まってしまう。それだけは何としてでも防がなければならない。私達が、やるしかない!
「……悪いな」
「うっ!?」
「く、は、速い……!」
意気揚々と飛び出したはいいが、根性だけでどうにかなるほどこの世界は甘くない。先程と同様、瞬時に斬り払われた私達はなす術なくその場に崩れ落ちた。体験してみてより速さを実感する。ジュプトルが動き、斬られたと認識してから数秒後に痛みが伴う。一瞬、体が斬られたことに気付かないほど、その攻撃は速かった。
「お前達に恨みはない。だが、俺には時間がないんだ。悪く思わないでくれ」
「うぅ……」
息一つ切らさぬまま私達を倒したジュプトルは、短く呟くと湖へと飛び込んだ。とっさにツルのムチで牽制しようとしたが、斬られた部分が痛み、数ミリ動いた程度に留まる。このままでは時の歯車を盗られてしまう。なのに、身体は言うことを聞いてくれない。カズキとエムリットもなんとか動こうと試みているが、呻き声を上げることしかできないでいた。
「と、時の歯車が、盗まれちゃう……」
「す、すまない。ユクシーが言っていたのは、あいつの事だったんだね……」
自分の過ちに気付き、私達を犯人扱いしてしまったことを詫びるエムリット。
もしも、話し合いがうまくいき、協力してジュプトルを相手取れば結果は変わっていただろうか?今更咎める気はないが、みすみす時の歯車を盗られてしまうという現実を見ると、とっさに言葉が返せない。
息を切らせながらもなんとか立ち上がる。怪我の様子を見てみると、背中から脇腹にかけてまっすぐ赤い線が引かれている。線上にあったバッグのひもは荒々しく切断されており、リーフブレードの威力を物語っている。しかし相性の影響からか、切り傷から血が流れているものの、そこまで深い傷にはなっていないようだ。
「き、気にしないで……。それより――」
ゴゴゴゴゴゴッ!!!
他の二匹の怪我の具合を見る限り、どうやら一番重症なのはエムリットのようだ。少しでも傷を癒そうと、バッグからオレンの実を取り出した、その時。地響きとともに全速力で去って行くジュプトルの姿。その背後には色をなくし、時間という概念が消え去った灰色の空間が徐々に広がりつつあった。時の歯車を失い、この地域の時の番人がいなくなった今、この空間は時間を飲み込む死の空間へと変わりつつある。
「ま、まずい!このままだと、私達も巻き込まれてしまう!」
迫りくる灰色の空間には時を刻むものは何もない。湖に反響する波紋も動きを止め、水滴は重力すら無視して空中に佇むのみ。あれに巻き込まれたらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。しかし、それが今現実に起ころうとしている。
手負いの状態の私達では走って逃げたとしても速さが足りず追いつかれてしまうだろう。時間が立てば少しは回復するだろうが、そんなものを待っている余裕はこれっぽっちもない。このままでは確実に飲み込まれてしまう。
「ひ、ヒナタ、どうしよう!?」
「落ち着いて!これに、賭ける!」
私はとっさに、バッグから手の平ほどの大きさの青い球体を取り出すと、地面に思いっきり叩きつけた。パリンッ!と乾いた音を立てて割れた球体はまばゆい光を発し、その場の三匹を包み込む。
ここを訪れる前、私は砂嵐対策の他にももう一つ対策をしていた。それはルナティックによる襲撃。昨日、襲って来たのはガランとアランが目的だったみたいだけど、その標的の中に私が含まれているかもしれないということはルナから聞いている。奴らの戦闘力は異常で、まともに戦っても勝ち目がないのは目に見えていた。そこで用意したのが先程の青い球体――不思議玉。
不思議玉は不思議のダンジョンで稀に生成されるもので、様々な効果を秘めている。それは敵を硬直させたり眠らせたり、あるいは自分達の素早さを上げたりと多種多様だが、その中でも私が持ってきたのは“穴抜けの玉”と呼ばれるもの。効果は侵入したダンジョンから脱出できるというものだ。
「はっ、ここは?」
「な、何とか間に合ったみたいね……」
すでに時の停止はすぐそこまで迫っている。もうだめかと思った時、視界が真っ白に染まり、次に視界が晴れるとそこは地上だった。目の前には砂嵐が続く砂漠が広がっている。どうやら北の砂漠の入り口まで戻ってきたようだ。
「助かった……」
穴抜けの玉を使えば、仮にルナティックに見つかったとしても、瞬時に逃げることができる。そう思って持ってきたのだが、こんな形で役に立つとは。時間停止の影響もそこまで広範囲には広がらないのか、しばらくその場に留まってもやってくる気配はなかった。
「うっ……」
「あ、エムリット!大丈夫?」
どうにか危機を脱したことにほっと胸を撫で下ろす。しかしそれも束の間、エムリットが急に倒れ込んだ。脱出できたことに安心したせいで気が緩んだのだろうか、ジュプトルに切り付けられた部分からは血が滴り、呼吸も早くなってきている。早く処置をしなければ危ないかもしれない。
「カズキ、急いでギルドに戻るわよ!」
「う、うん!」
私達も手負いをはいえ、エムリットよりは傷は浅い。痛む体に鞭を打ってエムリットを背負うと、走るたびに襲ってくる痛みをオレンの実で何とか誤魔化しつつ、ギルドに向かって出来るだけ早く移動した。