第十八話:時の歯車
――セカイイチの入荷情報を聞いて来てくれないか?
そう頼まれたのは、いつものように朝礼を済ませて依頼を見に行こうとした矢先のことだった。
珍しくペラップが話しかけて来たからなにかと思えば、親方様の大好物のリンゴ――セカイイチがそろそろなくなってしまうらしい。かと言ってなくなる度にリンゴの森へ取りに行っていては手間がかかりすぎるので、もしお店で売っているようなら買ってしまおうという算段のようだ。
「プクリン、晩御飯の時いつも楽しそうだもんね」
そういうわけで、現在私達はトレジャータウンへと来ている。
プクリンのセカイイチ好きは異常と言っても過言ではないだろう。夕食の時はよっぽど嬉しいのか頭の上に乗せて小躍りしているのを毎回見かける。
もしもセカイイチがなくなるようなことがあれば、ペラップが顔色を悪くして俯き、言葉を詰まらせたのを見ればどうなるかは想像に容易い。
ドゴームが小さく見えるくらい強力なハイパーボイスは私の軽いトラウマになっている。
「でも、セカイイチって希少品なんでしょ?」
「そうなんだよねぇ」
以前、ペラップに頼まれてセカイイチを取りにリンゴの森に行ったことがあったが、あの時はドクローズに邪魔されてあわや手ぶらで帰ることになりそうだった。……そういえば、まだその借りを返してなかった。次会ったらただじゃおかないわ。
そんな事情もあってできれば売っていてほしいものだが、どうだろうか?
トレジャータウンに存在する道具屋――カクレオン商店は木の実やリンゴなどの食料から装備品に至るまで豊富な品揃えが売りのお店だけど、希少品のセカイイチはどうなることやら。
「あ、ヨノワールさん!」
一抹の不安を抱えながらもカクレオンのお店に辿り着く。しかし、どうやら先客がいたようだ。
黒を基調とした大柄な体に巨大な手、赤い一つ目を持つ幽霊のような相貌のポケモン――ヨノワール。数日前にここトレジャータウンを訪れた凄腕の探検家だ。
彼の素性を知って、憧れの探検家としてすっかり魅了されているカズキ。いつもは呼び捨てなのに尊敬の表れかしっかりとさん付けしている。
「おや、あなた達はギルドの」
「うん!僕達はリリーフ、ギルドで働いてるんだ。よろしくお願いします!」
当初はヨノワールの行くところにはポケだかりができて大盛り上がりとなっていたが、今ではそれも落ち着いてこうしてゆっくり話すことができる。それでもヨノワールに対する執着が消えたわけではなく、道行くポケモン達は皆尊敬のまなざしを向けていた。
「ところで、ヨノワールさんはなにをしてたの……ですか?」
慣れない敬語を使っているせいかカズキの話し方がぎこちない。憧れの探検家を前にして緊張してしまったのだろうか?
でも、やっぱりカズキに敬語は似合わない。違和感がありすぎてちょっと面白いかも。
「いえ、おしゃべりしてただけですよ」
「ワタシが呼び止めたんです!いやぁ、本当にいろんなことを知ってるんですね、もう感激しました!」
まるで恋をした相手にどう接していいかわからず、悪戦苦闘している初々しい少年のよう。ヨノワールが笑ったように見えたのは気のせいではないだろう。
それでも気さくに返すヨノワールに対してカクレオンは興奮している様子だ。
商売している関係上、道具に関してはカクレオンもかなりの知識を持っているはずだが、素晴らしいと褒めちぎっている。
有名なのもあるだろうが、この世で知らないことはないと言われるほどの知識を持っているという噂もあながち間違いではないかもしれない。
「みんなも言ってたけど、ヨノワールさんて物知りなんだね!」
「いえいえ、私の知識なんて拙いものですよ」
軽く手を振って謙遜する姿でさえ堂々たる風格がある。カズキの憧れ度が急上昇していくようだ。もしもそれを見ることができるならそろそろ振り切れるのではないだろうか?
興奮しっぱなしのカズキに対して私はさして表情を変えることはない。確かにすごいポケモンだとは思うけど、憧れの対象ではないというか、有名な探検家として尊敬はするけどそこまでじゃないし。
「ところで、カズキさん達はどうしたんですか?もしかして、なにか買いに来てくれたとか♪」
目の前に尊敬する探検家がいてもそこはやはり商売ポケモン。いつもの接客スマイルを振りまいてなにか買わないかと誘ってくる。
ペラップの頼み事など、ヨノワールのおかげですっかり記憶から抜け落ちて首を傾げているカズキに代わって用件を伝えた。
というかカズキも興奮しすぎだ。いくら尊敬してるからってそんなにはしゃがないの。……そう窘めたところで聞かないだろうから心の中に留めておくけど。
「セカイイチですか」
「はい、ありますか?」
買いに来たのではないとわかると少々残念そうな顔を見せたが、それでも在庫はないかと調べてくれた。
ガサゴソと店の奥で作業しているのが見える。しかし、しばらくして手ぶらで戻ってきたと思うと申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありませんねぇ。セカイイチの入荷は当分ありませんし、在庫もないようで」
「そうですか……」
まあ、ある程度は予想していた。希少品だし仕方ないだろう。
それにしてもどうしようか。ペラップに報告したらがっくりと肩を落とすのは目に見えてるけど、どうしようもないしなぁ。
当分入荷がない以上、しばらくはリンゴの森へ通うことになりそうだ。ウィンに案内してもらったセカイイチの森ならまだたくさん生ってそうだしね。
「ルリリ、早く―!」
「待ってよお兄ちゃん!」
トコトコと走る小さな足音と二匹の幼い声。聞き覚えのある声に振り返ってみれば、後ろの妹を気にしながら走るマリルに転びそうになりながらも必死に追いかけるルリリの姿。
「あれ、マリル君にルリリちゃん。そんなに急いでどうしたんだい?」
「あ、カクレオンさん!」
「それにヒナタさん達も!」
通りかかった常連客を前にして黙っているほどカクレオンは寡黙ではない。しかし、それは商売としてではなく、病気の母親のために毎日お店に通っている幼子を心配してのことだ。
慌てている様子の二匹だったが、私達の姿と声を聞いて素直な瞳を向けてくる。
以前、ルリリがお尋ね者のスリープに攫われるという事件を解決してからしばしばトレジャータウンで会うが、怖い経験をしたのに怯えることもなく無邪気に兄の背中を追いかける姿を確認している。まだ子供だけど、心はとても強いと思うわ。
「ぼく達、ずっと落とし物を探してたんです」
「落とし物?それって、前に言ってた?」
「はい、“水のフロート”という道具です」
「水のフロート?それはまた貴重な道具ですね」
二匹が先を急ぐ理由はどうやら落とし物――水のフロートにあるようだ。
その単語に興味を持ったのか、今まで静観していたヨノワールも話に入ってくる。
巨大な体に一つ目の相貌は子供の目には少々怖く映るのではないかと身を引いていたようだが、そこは人気者のヨノワール。ギルドの弟子達ほどの興奮はないが、冷静に応対するマリルに怖がる様子は微塵もなかった。
「はい。ですのでずっと探してたんですが」
「そしたらね!海岸で水のフロートが落ちてるのを見たって!」
「それで、海岸に急いでいるというわけです」
長い間見つからなかった探し物がとうとう見つかった。それが嬉しいのか、丸い尻尾の上でぴょんぴょん飛び跳ねているルリリ。
前に聞いた時はどこで無くしたのか手がかりもなかったみたいだけど、見つかったようでなによりね。
「そっか、よかったね!」
「はい!それでは、急ぎますので」
「早く行こう、お兄ちゃん!」
「うん、行こうルリリ」
早く水のフロートを見たいと言わんばかりに兄の手を引くルリリ。それはマリルも同じのようで、若干早口になりながらも一礼してその場を後にした。
引き止めたのはちょっと悪いことしたわね。
「ケッ、聞いたかズバット?」
「へへっ、もちろん聞いたぜドガース」
そんな私達を物陰から見ていた二匹組。一部始終を聞いていたドガースとズバットは、これは使えると思った。考え出した結論は――
『さっそくアニキに報告だ』
にやけながら去っていく二匹の存在に気付くものは誰もいなかった。
「ところで、水のフロートというのはワタシも知りませんねぇ。一体どんな道具なのですか?」
唐突に出てきた質問は先程去って行った幼子が残した道具の名前。道具屋であるカクレオン商店の店主からその質問を聞くとは思わなかった。
ヨノワールがふと口に出した、貴重なものだという言葉に興味をそそられたらしい。豊富な知識を持ったヨノワールに期待のまなざしを向ける。
「水のフロートというのはなかなか手に入らない貴重な道具で、ルリリ族に不思議な加護を与えると言われています」
とても貴重でめったにお目にかかれない道具。そん所そこらの探検家では知りもしないことをヨノワールはあっさりと答えてみせる。
もちろん私も見たことはないし、道具の調達のために各地を駆け回っていると噂のカクレオンでも知らない情報を知っていることには脱帽するしかない。
「商売しているワタシですら知らないんですから相当珍しいものなんでしょうねぇ」
「貴重と言っても存在しないわけではありませんから、いつか巡り合えるかもしれませんよ?」
「そうなるといいですねぇ!」
水のフロートをきっかけに再び話が盛り上がってしまったのか、珍しい道具の話題で話し始めてしまい私達はすっかり蚊帳の外となってしまった。
やっぱり商売していると珍しい道具とかも興味があるのだろうか?かくいう私も探検隊として興味はあるのだが。後で見せてもらおうかな?
「そろそろ戻ろうか」
「そうだね」
とにかく、入荷の予定も聞いたことだしギルドに帰るとしよう。
しかし、聞いたと言っても結局入荷の予定はなかったわけだからなんにも解決してないんだけどね。きっとペラップに報告したら「なんだってぇ!?」と大声で叫ぶに違いない。
「なんだってぇ!?セカイイチの入荷予定はない!?」
「はい、残念ながら」
ギルドに戻って早速ペラップに報告したが、まさかここまで予想通りの反応をしてくれるとは思わなかった。カズキほどではないが、ペラップも十分大げさだと思う。
いや、セカイイチに関しては別に大げさでもないか。セカイイチがなかったらプクリンが黙っちゃいない。そうなったらギルド崩壊の危機だ。
「あ、あの、私達が取ってきましょうか?」
翼で頭を抱えてこの世の終わりだとでもいうような青ざめた顔を見せているペラップに遠慮がちに申し出てみる。
私だってプクリンの超振動ボイスなんて聞きたくないし、今から取りに行けば夕食までには間に合うはず。
「い、いや、お前達には別のことをしてもらいたいのだ」
しかし、返ってきたのは丁重なお断り。片翼で頭を抱えつつもう片翼で私達を制する。
以前、ペラップからセカイイチを取るように頼まれたものの見つからず、夜遅くまでかかってしまったことが気がかりなのだろうか?
あの時はプクリンが出てきて事なきを得たけど、内心かなり焦っていたのかもしれない。
「別のこと?」
「ああ。“静かな川”というダンジョン付近に不審なポケモンがいるという情報が入ってな」
静かな川というと“滝壺の洞窟”の下流にある比較的安全なダンジョンだ。依頼のランクで言うとEランクかDランクあたりだろうか?やはりセカイイチ確保に行かせたくはないらしい。
ギルドの生活にも慣れ、探検もそこそこ成功させている新人に食料確保を任せたら戻ってきたのは門限を大幅に過ぎた夜遅く。危うくプクリンの制裁を受けるところだった。
そんなことがあったら不安になるのは仕方ないだろうけど、少しは信用してくれてもいいと思うけどなぁ。一応持ってこれなかったわけじゃないし。
「というわけで、頼んだぞ」
「はぁ、わかりました」
まあ、そんなことをペラップに言っても仕方ないし、素直に依頼をこなしましょうか。
なんとなく納得できていない顔をしているカズキを引っ張ってその場を後にする。その途中、後ろで深いため息と愚痴が聞こえた。
「ペラップも気にしすぎだよね。あの時もヒナタが頑張って見つけてきたのに」
静かな川。その名の通り川にはさざ波すら立たず、穏やかなせせらぎを響かせている。トレジャータウンの住人もたまに訪れるのどかな場所だ。
訪れる度にわずかに地形が変化しているため不思議のダンジョンに指定されているが、変化は些細なものでただの川と言っても差支えないほど。
近くにできた不思議のダンジョンに呼応して巻き込まれるようにその影響を受けているだけで実質のところダンジョンではないだろう。
「まあまあ。プクリン絡みだから仕方ないわよ」
「むぅ、それはそうだけどさぁ」
不思議のダンジョン特有の襲ってくるポケモンも少なく、こうしてカズキが愚痴をこぼすのを聞いてあげるくらいの余裕もある。
一応不審なポケモンの調査に来ているわけだから気を抜くのはよくないんだけど、ペラップの態度に不満たらたらなカズキを放っておくわけにも行かない。
私のために怒ってくれているみたいだけど、今は仕事中なわけで。寝る前にでも聞いてあげるから少しは警戒してくれないかな。
「お、ちょうどいいところに」
それでもなお愚痴り続けるカズキに苦笑を浮かべながらも話を聞いていたが、ふと目の前に現れたポケモンによってそれは中断された。
敵襲かと思い瞬時に飛び退いて距離を取るが、そのポケモンはきょとんとした表情を見せて攻撃してくる気配はない。
襲ってきたわけじゃないみたい?
「あ、あなたは?」
「ん?ああ、オレはスカイだ。それよりも聞きたいことがあるんだが――」
獅子のような四足の逞しい体躯に橙と黒のストライプ模様。首元や尻尾にはふさふさとした薄い橙色の毛が美しい。名の通り風のように軽やかに走ると言われるこのポケモンはウインディという種族だ。
襲ってくる気配はないとはいえ正体がわからない以上警戒を怠るわけにはいかない。構えを崩さず慎重に質問を投げかけるが、スカイと名乗ったウインディはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに早口で流す。
そわそわとして落ち着きがない様子は、このポケモンが急いでいるのではないかと容易に想像できた。
「なんでしょう?」
「トレジャータウンってのはどこにあるんだ?」
スカイの両前足にはトゲのような装飾が付いた腕輪がはめられている。
探検家ならば装備品としてスカーフやバンダナを付けていることがあるが、あんな装備品は見たことがない。おそらく、ここに現れた不審者というのはスカイの事だろう。
変わった装飾を付けたウインディは私の不信感などお構いなしに道を尋ねてきた。しかもそれは私達の見知った場所。
もしかして、ただの迷子だったりするのだろうか?
「それならここから南西に行ったところにありますけど――」
「そうか!サンキューな!」
――よろしければ案内しますよ。そう続けようと思ったのだが、方角を聞くや否や踵を返して一目散に駆けていってしまった。
急いでいるというのは予想できていたが、せっかちすぎるにもほどがあるでしょう。人の話は最後まで聞くものだよ。
というか――
「そっちじゃないですよー!?」
走り出したはいいもののその方角はまるで逆。急いでいるが故に間違えたのか、それとも方角を理解していないのか。どちらにしろ悪い方に迅速すぎる行動に放心してしまい、追いかけることも忘れていた。
追いかけようと思った時にはすでに差が開きすぎており、追うに追えなかったので仕方なくギルドへと帰還した。敵意も感じられなかったし、特に悪さをするようなポケモンにも見えなかったからたぶん大丈夫だろう。
ペラップに報告してみたが、前脚に腕輪を付けたウインディなんて見たことがないらしい。いったい何者なのだろうか?
とりあえず、お尋ね者というわけでもないようなのでしばらくは放置することになった。
「みんな、夕飯を食べる前に伝えたいことがある」
時が過ぎ、夕食の時間となって弟子達が食堂に集まった時のこと。まさに料理に手を掛けようとしたところでペラップから待ったが入った。
今日も一日精一杯仕事をこなし、腹ペコとなった弟子達にとって夕食は安らぎの時間。それに水を差されたとあってはそこかしこからブーイングが飛んでくるのも仕方のないことだ。
こうなることはペラップの重々承知のはず。それでも制止を掛けるということはそれだけ重要な話ということだ。
翼をバタつかせて精一杯の大声で「静粛に!」と連呼すると、弟子達も不満な表情を浮かべながらも少しの間口を噤んだ。
「先程入ってきた情報なのだが……時の歯車が、また盗まれたらしい」
『なッ!?』
――時の歯車が盗まれた。予想を遥かに超えた重大な報告に弟子達は一様に絶句する。
時の歯車は世界の時間を司ると言われる秘宝中の秘宝。各地の隠された場所に点在し、その地域の時間を護っているとされる宝物だ。
時の歯車が奪われた地域は、風も吹かず、葉っぱに滴った水滴すら動きを止めてただその場に佇むのみ。すべての時が止まった灰色の停止空間へと姿を変える。
にも拘らず、今回で盗まれた時の歯車は二つ目。犯人はそれがわかっていながら盗み続けたというわけだ。常識では考えられないことだ。
「と、時の歯車が盗まれたって……」
「今度はどこの時の歯車が!?」
「ま、まさか……霧の湖の……?」
盗まれた地域の時間が止まってしまう。それを考えれば弟子達の反応はごく自然のものだ。しかし、このプクリンのギルドに限ってはもう一つの不安要素がある。
――霧の湖。それはギルドの遠征の際に見つけた幻の湖だ。そして、そこに眠る秘宝こそ、時の歯車なのだ。
「いや、違う。盗まれたのは別の場所だ」
霧に覆われた閉ざされた地で時の歯車を守護する役目を負ったユクシーとの約束。記憶を消すことができる番人は私達プクリンのギルドを信用し、あの美しい光景を心の中に留めておいてくれた。
もしも霧の湖の時の歯車が奪われるようなことがあれば、ユクシーに対して申し訳が立たない。
「だが、盗まれた時の歯車はこれで二つ目。みんなの事は信用しているが、遠征で見たことについては、絶対に誰にも言わないように!わかったな!」
だからこそ、長年共に歩んできた信頼のおける仲間にも念を押しておく。
これ以上、時の歯車を盗まれるわけにはいかない。せめて、霧の湖の時の歯車だけは知られてはいけないのだ。
鬼気迫る勢いのペラップに弟子達は口々に同意する。弟子達の意見は同じだ。
「みんな頼むぞ。――では、待たせたな。せーのっ!」
『いただきまーーす!!』
先程の緊迫した雰囲気とは打って変わって食事となればいつも通りの食べっぷり。さすがに空気を読んで黙って見ていたプクリンも今では嬉しそうにセカイイチを頭の上で回している。
ふと、霧の湖に行った時の事を思い出すと、たった数日前のはずなのに随分と昔の事のように思えてくる。ユクシーは元気にしているだろうか?
湖の中心に沈む時の歯車が放つ淡い緑色の光。そして、湖上を飛び回るバルビートやイルミーゼによるホタル火。それに定期的に吹き出す間欠泉の噴水が合わさると、この世の景色とは思えないとても美しい光景が映し出される。
「やはり、信用すべきではなかったのですね」
しかし、今はそれを楽しんでいる余裕はない。
ドサッ!と音を立ててグラードンの幻影が崩れ落ちる。対侵入者用にユクシーが作り出した幻影は、幻影とは思えないほどの質感に重量、パワーを持っているはずだが、この侵入者はそれをいとも簡単に倒して見せた。
「あの者達の記憶は消しておくべきでした」
侵入者の威圧感に押されてか、湖上のホタル達は蜘蛛の子を散らすように姿を消した。間欠泉も収まり、湖は再び静寂へとつつまれる。
グラードンと戦ったにも拘らず涼しい表情で見つめる先にはユクシーではなく湖に沈む淡い光――時の歯車に向けられている。
「……なんのことかわからんが、違うな」
時の歯車を優先し、対峙するユクシーの言葉を聞き流していた彼だったが、なにか誤解をしているのが気になったのか静かに呟いた。
数日前に訪れたプクリンのギルドの記憶を消さなかったことと、再び侵入者が現れるのが早すぎること。このことからあの者達の誰かが情報を漏らし、彼に伝えたのだと思った。
確信に近い予想だったが、彼の言動からして違うようだ。では、一体誰が……。
「俺は誰かに聞いてここに来たわけじゃない。俺はここに時の歯車があることを“前から知っていた”のだ」
「なっ!?」
前から知っていた?そんなことあるわけない。ここは霧の湖。霧で閉ざされた秘境の地。
普通なら認知すらされないし、仮に謎を解いてここにたどり着いたとしても記憶を消している。この場所を事前に知っておくなんてできないはず、なのに。
動揺を見せたところで彼の攻撃がユクシーに直撃し、声もなく倒れ込んだ。
「悪いが、もらっていくぞ。三つ目の時の歯車を!」