第十話:リンゴの森で
遠征の発表があってから数日。みんな遠征隊のメンバーに選ばれるよういつも以上に仕事をこなしている。
もちろん私達もだ。まだまだ難しい依頼はあんまりできないけど、出来る範囲でこつこつと依頼を達成している。
遠征、行けるといいな。
「えー、今日は朝礼の前に新しい仲間を紹介するよ♪」
この調子で今日も頑張ろう!そう思った矢先、ペラップの言葉に目を丸くする。
「お、また弟子入りか?」
「どんなポケモンでゲスかね」
弟子入りとは珍しい。ペラップ曰く、厳しい修行に耐えかねて弟子達が脱走するほどの名門であるこのギルドは、弟子入りするポケモンはそうそういないそうだ。
まあ、厳しいのは修行よりも報酬の少なさのような気もするけど。
「おーい、こっちに来てくれ♪」
脱走の原因の一つを作っていると思われるペラップは、それを知ってか知らずか上機嫌な様子で呼びかける。
その言葉に反応して、梯子から三匹のポケモンが降りてきた。
――って、え!?
「ケッ、ドガースだ」
「へへっ、ズバットだ。よろしくな」
「クククッ、そして俺様がこのドクローズのリーダー、スカタンクだ。覚えていてもらおう」
現れたのはドガース、ズバット、スカタンクの三匹。以前掲示板の前で会った三匹だ!
あの時の強烈な臭いは今回も健在で、弟子の何匹かが思わず顔をしかめる。
「特にお前達にはな」
「なんだ、知り合いか?」
「……一応ね」
スカタンクは私に向かってガンを付けてくるが、すでに一度会っている私にそんな脅しは通用しない。
それにしても、あいつらがなぜこんなところに。弟子入りなんでするわけなさそうだけど。
「それなら話が早いな♪この三匹は弟子入りではなく、今回の遠征の助っ人として参加することになったのだ♪」
「えっ!?」
そういえば、前にあった時にカズキが少しだけ遠征のことを話してたっけ。
どうやって潜り込んだか知らないけど、絶対ろくなこと考えてないわね。
「短い間だが、みんな仲良くしてやってくれ♪」
「は、はぁ」
周りを見れば、他の弟子達もしかめっ面であまり乗り気ではないようだ。
グレッグルはいつもとあんまり変わらないみたいだけど。というか、あんまりしゃべらないからよくわからない。
「さあみんな、仕事にかかるよ♪」
『おおー……』
毎日活気のある掛け声で仕事に取り掛かる弟子達だが、今日に限ってはその声も弱弱しい。
いきなり悪臭を漂わせるポケモンが現れて、しかもしばらく一緒に過ごしてくれと言われては無理もないかもしれないが。
というか、ペラップもプクリンも臭くないのだろうか?我慢してる風には見えないけど……。
「あれ、みんな元気ないね?」
「だって、なぁ?」
「こんなに臭いんじゃやる気もなくなるわ」
口々に不満を言う弟子達。みんな考えることは一緒のようだ。
「たぁ……」
ふと、悲しげなトーンの声が聞こえると、ざわついていた弟子達の声がぴたりと止む。
見れば、いつの間にか起きていたプクリンが目に涙を浮かべてプルプル震えていた。それに合わせて、部屋全体がガタガタと揺れ始める。
「ま、まずい!みんな、無理にでも元気を出すんだよ!今日も仕事にかかるよ!!」
『おおーッ!!』
それを見たペラップはもう一度掛け声をかける。
みんなこのままプクリンを放置したらどうなるのかわかっているのだろう。慌てて叫んだ掛け声はいつも以上に大きかった。
なんとかプクリンを落ち着かせることができたところで、弟子達は仕事に取り掛かった。
以前にドゴームが朝礼に遅れると親方様のたぁーっ!が来るみたいなことを言ってたけど、あれがそうなんだろうな。
プクリンのハイパーボイスは軽くトラウマになるくらい強力だから、下手したら建物が壊れるんじゃないだろうか。いや、絶対壊れる。
「ああ、お前達。ちょっと来てくれ」
プクリンのハイパーボイスについて勝手な妄想をしていると、ペラップに呼びかけられた。
一瞬びくっと体が跳ねてしまったのはさっきの緊張のせいかな。プクリン恐るべし……。
「は、はい、なんですか?」
「今日はお前達に食料を取ってきてほしいのだ」
いったんプクリンの事は忘れ去ってペラップの話に集中しよう。
「食料って、少し前にチリーンが補充してなかった?」
「うむ、そのはずなんだが。昨日の晩ドクローズさんを迎えた時にはあったのだが、今朝朝礼の前に食料庫を確認してみたらなぜかいきなり減っていたのだ」
頭に翼を当ててうーんと唸るペラップ。
もうドクローズが来た後にいきなりなくなってたってだけで原因はわかってる気もするけど……。
ペラップって意外と鈍いのかな?
「しかも、親方様の大好物“セカイイチ”だけがすべてなくなってしまっていた」
「セカイイチ?」
「大きくてとってもおいしいリンゴだよ。ほら、夕飯の時にプクリンが頭の上で回してるでしょ?」
「ああ、あれね」
いつも椅子にも座らないで楽しそうに踊ってるのは見てるけど、なんであんなことしてるんだか。
聞いた感じ高級そうだし、もしかしてギルドの資金ってほとんどセカイイチに当てられてる?……まさかね。
「セカイイチがないと親方様は……なのだ」
「え?」
「だから頼む。セカイイチを取ってきてくれ。 言っておくが、これは重要な仕事だ。失敗するんじゃないよ!」
「は、はい」
……まあ、プクリンが大好物を食べれないなんてことがあったらどうなるかなんてペラップの焦った顔を見なくても大体想像はつく。
これ、失敗したらプクリンのたぁーっ!を食らうことになりそう。というか下手したら遠征に行けないんじゃ……?
が、頑張らないと!
「セカイイチは“リンゴの森”という場所にある。頼んだぞ!」
『わかりました!』
プクリンという存在の底知れないプレッシャーを感じつつも、私達はリンゴの森へと赴いた。
その名の通りリンゴの木が多く自生しており、道中にはあちこちにリンゴが転がっている。木々の間をすり抜けてくる風は仄かに甘い香りで、深呼吸すると心に安らぎを与えてくれた。
「気持ちのいいところだね」
「ええ」
落ちていたリンゴを頬張りながら歩を進めるカズキ。
仮にも不思議のダンジョンなのだからもう少し警戒した方がいいのではなかろうかとも思ったが、先程から敵襲が全然ない。
心地よい香りで心を落ち着かせる“アロマセラピー”という技があるけど、ここではそれに似た効果があるのかな。だからあんまり敵意が起きないとか。
「それにしても、なんで食料がなくなってたんだろうね?」
「さあ?どこかのコソ泥さんの仕業じゃない?」
まあ、本当にそうなのかはわからないが。
わざわざギルドに乗り込んでまで遠征に参加しようとする根性は認めるけど、動機が不純すぎて全く好きにはなれないわ。
どうせ遠征で手に入ったお宝を横取りしようとか考えてるんだろうなぁ。
「ドクローズのこと?うーん、確かにあいつらならやりそうだね」
「きっとろくなこと考えてないだろうし、遠征が終わるまでは注意しておかないと」
でも、プクリンの機嫌を損ねたら遠征にも支障が出るだろうし、たぶんこれ以上は何もしてこないだろう。
注意するとは言ったものの、心の底ではそんな考えがあった。
だから気が付かなかったのかもしれない。甘い香りの中に場違いな悪臭が紛れていたことに。
その後も目立った敵襲もなく、私達はリンゴの森の奥地へとやってきた。
リンゴの木で円形に囲まれた広場の中央には一際大きなリンゴの木が聳(そび)えており、真っ赤に熟れた大きなリンゴがいくつも実をつけていた。
辺りにはリンゴの濃密な香りが漂っており、思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
例え実物を見ていなくてもこれが普通のリンゴではなく、セカイイチだと一目でわかる。
「これが、セカイイチの木?」
「そうだよ。セカイイチの木は数が少なくて、ギルドの近くだとここくらいしかないんだよね」
セカイイチの見た目はリンゴ。というか実際リンゴなのだが、その大きさは通常のリンゴの二倍。大きいものだと三倍くらいある。
大きいからといって味が悪いわけでもなく、大きさ、味、どちらもまさしく世界一と言えるだろう。
「数が少ないし、とってもおいしいから、お店でもなかなか見られない貴重品なんだ」
「へぇ」
確かにギルドに入門してから何回かカクレオン商店に立ち寄ったことはあるけど、セカイイチを見かけたことは一度もなかった。
そんな貴重品を毎日食べてるとなると、報酬を十分の一にされる仕来たりにも納得が……いや、それでもさすがに減らしすぎだろう。
「それにしても高いね。ジャンプしても届きそうにないや」
「うーん、ツルのムチでもギリギリ届くかどうか」
実が大きいだけあってかセカイイチの木自体も普通のリンゴの木に比べて相当大きい。
さて、どうやって取ったものか。と、考えていた時だった。
「クククッ、遅かったな」
セカイイチの木がざわめいたかと思うと、木の上から三つの影が飛び降りてきた。
ズバット、ドガース、そしてスカタンク。今回の依頼の原因であると思われる三匹。
「ドクローズ、参上!」
「やっぱりあなた達でしたか……」
なんというか、予想通り過ぎてため息が出る。こんなところまで先回りしてご苦労なことだ。
「へへっ、待ちくたびれたぜ」
「ケッ、おかげでちょっと食い過ぎちまった。ゲフッ」
相変わらずのニヤニヤ顔で私達にも聞こえるようにわざとらしく大きなゲップを一つ。
というかこいつらセカイイチを食べてたのか。下手したら全部食べられてたかもね。
「ヒナタ、セカイイチはまだ残ってる。あいつらを倒して持ち帰ろう!」
「ええ!」
「おっと、勘違いするなよ。俺様はお前達に協力してやろうと思って来たんだぜ?」
『協力?』
スカタンクの意外すぎる言葉に思わずカズキと顔を見合わせる。
その言葉に警戒心でいっぱいだった心がわずかに緩んだ。
「セカイイチは見ての通りあんなに高い場所にある。だからこうしてやるのさ」
自信たっぷりに話すスカタンクはセカイイチの木に向き直ると何度か体当たり。
すると、生っていた実が振動でバラバラと落ちて木の下に散乱した。
「クククッ、簡単だろ?さあ、好きなだけ持っていくがいい」
「………」
スカタンクと転がったセカイイチを交互に見ながら思考する。
一体どういうつもりなのか。急に親切心でも芽生えたのか?いや、そんなはずない。
相手はカズキの遺跡のカケラを奪った奴らのリーダー。絶対に何か企んでるはず。
「どうした?さっさと拾って持って行けよ」
「……どうせ罠なんでしょ?油断して近づいたところを攻撃するつもりでしょ」
私が動くより先にカズキが先手を打った。
やはりカズキも罠だと思っているのか、警戒した顔でスカタンクをにらみつける。
その様子に後ろで待機していたドガースが目を丸くする。
「おい、こいつ騙されないぜ?」
「おかしいな。すぐに引っかかると思ってたんだが」
「やっぱり罠か」
警戒していた私は二匹の話声を聞き逃さなかった。
こうなった以上、セカイイチを手に入れるにはこいつらを倒すしかない。私達は戦闘態勢を取った。
「クククッ、バレちゃしょうがねぇな」
作戦がバレたというのにスカタンクは全く動じることもなく余裕の表情。
どうやら初めからバレることを前提に進めていたらしい。スカタンクに合わせてドガースが前に出てきた。
「カズキ、来るわよ」
「うん!」
「クククッ、食らいな!俺様とドガースの“毒ガススペシャルコンボ”!」
掛け声とともにスカタンクとドガースが大量の毒ガスをまき散らしてきた。
「!?」
毒ガスは予想していたが、ここまで広範囲のものだとは思わなかった。
毒ガスはあっという間に広場を埋め尽くし、私達は逃げる間もなく飲み込まれてしまった。
「ぐぅ……」
前に食らったものより数段悪化した悪臭が鼻を突き、思わず蹲ってしまう。
退避しようにも辺り一面毒ガスまみれ。私達はただ毒ガスが消えるのを待つしかなかった。
しばらくして毒ガスの煙が晴れた時にはすでにドクローズの姿はなかった。
「けほっけほっ!ヒナタ、大丈夫?」
「なんとかね」
スカタンクとドガースの毒ガスを合わせた攻撃は強力だったが、この森の甘い香りがそれを中和してくれたようだ。
少し頭がくらくらするもののなんとか無事だ。
咳き込むカズキを心配しつつ体勢を立て直し、周りの状況を確認してみる。
「でも、やられたわね……」
セカイイチの木の前にいたドクローズはもちろんいなくなっていたが、それ以上に痛かったのは毒ガスの影響でセカイイチがほとんど腐ってしまっていたことだ。
黒く変色したセカイイチを拾い上げて歯を食いしばる。
「どうしようヒナタ、もうセカイイチが……」
「ええ……」
こんな腐ったセカイイチでは持ち帰ることはできない。
他の場所を探そうにもカズキの話ではセカイイチの木は数が少なくとても貴重だと言っていた。
いつもの依頼ならここで引き返して後日また取りに来るといったこともできるが、今回はペラップからの、しかも急を要する依頼。
失敗したらどうなるか、その後の展開が容易に想像できた。
「(このままじゃ失敗は確実。そうなれば、プクリンのお仕置きを受けるのはもちろん、最悪遠征メンバーから外されちゃう……!)」
顔からさぁーと血の気が引いていくのがわかる。
まさかあいつら、初めから私達の依頼を失敗させるのが狙いだったの?
……くそ、やられた。
「カズキ、悪いんだけど先に帰って報告してくれる?」
「え?な、なんで?」
唐突な発言に首を傾げるカズキ。
「ちょっと用を思い出してね。お願いできる?」
こんな状況になったのは私が油断してあいつらの攻撃を予測できなかったから。
こうなったら私が。私が、なんとかしなくちゃ……!
「わ、わかったよ。先に戻るね」
「ありがとう。すぐ戻るから」
歯切れの悪い理由に怪訝な顔を浮かべていたものの、真剣なまなざしを見て折れてくれたようだ。
こうなったら、なんとしてでもセカイイチを見つけ出すしかない。
私はカズキを残して森の奥へと走り出した。
―――――
ヒナタを見送った僕は言われた通りギルドへと戻った。
なんであんなこと言ったのかはわからないけど、すごく思いつめた顔してたから思わずうなずいちゃった。
ヒナタはよく問題を一人で抱え込んじゃうからちょっと心配だなぁ。
「おお、帰ってきたか♪」
「あ、ペラップ」
ギルドに戻るといつもの場所にペラップがいた。
あっ、そういえばどうやって報告しよう。失敗したなんて言ったら怒るだろうなぁ……。
「それで、セカイイチは?」
「え、えっと、それが……」
で、でも、言わないわけにはいかないよね。
「えぇっ!?取ってこれなかったぁ!!?」
「ひぃぃ!?」
大声で怒鳴るペラップの声にびくんっと体が跳ねる。
い、いきなり大声あげるから変な声出ちゃった。
「あぁ、どうしよう!親方様になんと報告すれば……!」
「で、でも、取れなかったのはドクローズが……」
「言い訳なんて聞きたくないよ!!それにヒナタはどうした!?」
「ひ、ヒナタなら用があるってどこかに行っちゃって」
「なんだと!?……ぐぬぬ、しょうがない。この件はヒナタが帰ってから親方様に報告する。私が親方様のあれを受けるのは不公平だからな!」
プクリンに対する恐怖と依頼を失敗してきた弟子に対する怒りですごい顔をして喚き散らしているペラップ。
うぅ、怖いよぉ……。ヒナタ、早く帰ってきてぇ。
一方、リンゴの森では――
「ダメだ、見つかんない……」
なんとしてもセカイイチを見つけると飛び出したはいいが、いくら探してもセカイイチの木はどこにもなかった。
森の話せそうなポケモンに聞いたりもしたが、不思議のダンジョンの、しかもそんな貴重な木の在り処を知っているポケモンは誰もいなかった。
すでに日はとっぷりと暮れ、空には太陽に代わって月が出始めていた。
「やっぱりこの近くにはもうないのかな……」
カズキもこの辺では奥地にあった一本しかないと言っていたし、これだけ探してないとなるとそうなのかもしれない。
どうしよう、このままじゃ……。
「お困りのようですね」
「ッ!?」
セカイイチの木は見つからず、これでは帰るに帰れない。
そんな途方に暮れていたその時、突如背後から声をかけられた。
「誰ッ!?」
バッと跳躍し、振り返りつつ距離を取って臨戦態勢をとる。
「誰?そうですね……月の使者とでも呼んでください」
「つ、月の使者?」
暗がりのせいでよく見えないが、声色からすると私と同い年くらいだろうか?
私が警戒しても落ち着きのある声で動じている様子はない。
なんだこいつは……。敵意があるようには感じないが、こんな夜の不思議のダンジョンでなにをしている?
まあ、それは私もなんだけどさ。
「警戒しなくてもいいですよ。僕はあなたの味方ですから」
「……………」
見た目の怪しさとは裏腹に透き通るようなきれいな声。その声には優しく包み込まれるような不思議な安心感を感じる。
怪しさと優しさが混合する。私はどうしていいかわからなかった。
「……そうだ。少しついて来てくれませんか?」
「え?」
「いいものを見せてあげますよ。まあ、強制はしませんが」
何もしゃべらない私を見かねたのか、向こうから一歩踏み出してきた。月の光によって今までよく見えなかったその姿が露わになる。
その大きさは意外にも私より少し小さいくらいだった。だが、全身に黒い布のようなものを纏っていてどんなポケモンかはわからなかった。
「こっちですよ」
その怪しさに不釣り合いなきれいな声で森の奥へと進もうとしている。私を案内するかのように後ろを気にしながらゆっくり歩いているが、このままでは見失ってしまいそうだ。
私は迷った。もしこいつの言うことが嘘で私を森の奥へと誘い込もうとしているのだとしたら、私はここに留まるのが正解だ。こんな遅い時間、不思議のダンジョンと言えどポケモン達は皆寝静まっている頃だろう。
そんな時に現れた謎のポケモン。……どう考えたって怪しすぎる。
「……でも」
私の足は自然と後を追うように動き出していた。
警戒心がなかったわけではない。やけになっているわけでもない。だけど、私はこの状況を変えたかった。
カズキが楽しみにしていた遠征。それを私のせいで台無しにしたくなかった。もし、この状況を変えることができるなら、ついて行くのが得策だと思えた。
ゆっくりだった足取りがだんだんと早くなり、やがてそれは駆け足へと変わっていった。
足元に気を付けながらしばらく進むと、暗がりの中にぼぅっと浮かび上がる淡い光が見えてきた。
その光は近づくにつれてその量を増し、追いついた時には視界を埋め尽くさんばかりの光のカーテンができていた。
「ここです」
「すごい……」
その光景を見た私は口を半開きにして呆然としてしまった。
どういう原理かわからないが、月明りで光っているわけではなさそうだ。犇(ひし)めき合った背の高い木々。その葉の部分がぼんやりと光っているのを見るとたぶん実が光っているのかな?
しかも、その実というのが――
「ここは森のポケモン達もほとんど知らない“セカイイチの森”です。――これなら、依頼を果たせるでしょう?」
そう、今回の依頼のターゲット。ドクローズに邪魔されて入手できず、血眼になって探していた極上のリンゴだ。
「え、なんでそれを!?」
喜びに思わず両手を挙げて飛び上がりそうだ。だが、月の使者?の予想外すぎる言葉にそれは驚きへと変換される。
私は依頼の事なんて一言も話した覚えはない。それどころか、まともに会話すらしていない。なのになんで……。
「さあ?一生懸命なあなたを見て、ちょっと手伝いたくなっただけですよ」
――答えになってない。一生懸命だから?わけがわからない。
まさか、今日の出来事をすべて見ていたのだろうか?そんな気配は全くしなかったはずだけど。
頭の中で記憶を辿ってもそれらしいものは見つからない。
「ふふ、頑張ってくださいね。――ヒナタさん」
「えっ」
顔をあげた時、先程までそこにいたはずの月の使者はいなくなってきた。
「いったい、何者だったんだろう……?」
地面にうっすら残った足跡を見つめながら呟いたその問いに、答える者は誰もいなかった。
「遅い!!」
苛立ちを露わにして怒鳴り散らしているのはペラップ。
ヒナタの帰りを待ってギルドの入り口でカズキと共に待っているのだが、あまりの遅さに喚いているようだ。
既に日はとっぷりと暮れ、空には漆黒の中に散りばめられた星々が燦然と輝いている。――後でうるさいって苦情が来そうだな。
「いったいどこで何をやってるんだ!?」
「き、きっともうすぐ帰ってくるよ」
そんなペラップをなんとか宥めようと発したこのセリフは何回目だろうか?
もともと臆病なカズキではこれ以上ペラップを押さえることはできそうにない。
「うるさいっ!そのセリフは聞k――」
「あ、帰ってきたよ!」
私が帰ってきたのは、今にもカズキに当り散らそうとしているそんな時だった。
ようやく帰ってきた弟子の姿に一瞬怒りを抑えたが、矛先をカズキから私に変更して再び発散された。
「た、ただいま戻りました……」
「遅い!!ヒナタ、お前今までどこに行ってたんだ!?」
「ご、ごめんなさい!!」
早速ペラップに怒鳴られる。こんなに遅くなったのだからそれは仕方のないことだ。
だが、私は説教が始まる前に遅くなった理由を差し出した。
「こ、これは……!」
「ごめんなさい、リンゴの森で取れなくて、今まで探してたんです……」
驚くペラップの目に映っているのは、自分が依頼したリンゴ――セカイイチ。
トレジャーバッグいっぱいに詰められた大きな赤い実に怒りが引っ込んで目を丸くしていた。
「ヒナタ、これずっと一匹で探してたの?」
「うん、心配かけてごめんなさい……」
驚いているのはカズキも同じだった。
あの時、先に戻っていてと一匹で森の奥へ進んでいたが、まさかセカイイチを探して板なんて思わなかった。
こんなに遅くまで、僕にも言ってくれたらよかったのに……。
「そ、そうだったのか。うーむ、どうやって親方様に報告したものか……」
確かに依頼品は持ってきたが、門限はとうに過ぎている。
これはどう処理すれば……。
「あ、ヒナタ帰ってきたんだ♪」
『えっ?』
頭を抱えるペラップ。心配するカズキ。申し訳ない気持ちで頭を下げる私。
三者三様の表情を見せ固まった空気の中、流れを変えたのはフレンドリーな声。
「お、親方様!?」
「ふふ、セカイイチを取ってきてくれたんだね。ありがとう!」
「……はい」
ギルドの入り口から音もなく現れたプクリンはバッグの中にあったセカイイチを一つ手に取り満足げな表情を浮かべる。
だが、これだけ遅くなったとなると今日の晩御飯はセカイイチを食べられなかったはず。きっと心の中では怒ってるだろうな……。
「見事に依頼達成だね!」
「え?でも……」
予想外の返答に思わず顔をあげる。
「こうしてちゃんとセカイイチを取ってきてくれた。十分成功だよ!」
「親方様……」
「じゃあ、もう遅いから君達もはなく寝なよ?」
そう言い残してプクリンは中へと戻っていった。
しばらく呆けていたが、やがて許されたのだとわかると目元がうるんだ。
親方様、本当にありがとうございます!
……………
「どうやら彼女で間違いなさそうですね」
とある古風なお屋敷の一室。窓から差し込む月明りだけに照らされて黒布を纏った謎のポケモンは呟いた。
自らを月の使者と名乗ったそのポケモンは、窓の縁に座り込んで地上を静かに照らす月を見て物思いに耽っている。
「そろそろ、ですね」
まるで月に向かって誓うように意志が込められたその言葉は、どこか哀愁を漂わせていた。