第三十二話:未来世界!?広がる不安
暗い暗い真っ暗な空。星も、月の光も、自然の光が何一つないどんよりとした空の下、今にも崩れ落ちそうな塔が存在していた。――いや、すでに“崩れている”と言った方が適切だろう。外壁は剥がれ落ち、中央部には横に亀裂が奔り真っ二つ。それでも、塔は辛うじて形を保っていた。空中に塔の一部が静止している。
「お待たせいたしました、ディアルガ様。少し苦労しましたが、ようやく捕らえることができました」
そんな塔の最上階。そこには二つの影があった。恭しく頭を下げて報告をしているのはヨノワール。そして、彼が向かっているの時の神。
『グルルルルル……』
「心得ております。歴史を変えようとする者は、消すのみ。――すぐに排除いたします」
かつては世界の時を護り、時を司る神と崇められたディアルガも今ではこの通り。言葉すら忘れ、闇のディアルガと成り果てた今のディアルガは例えるなら……そう、“人形”と化していた。
『グルルルルル……』
「わかりました、必ず。……それでは」
「……ねぇ、ヒナタ!起きてよヒナタ、目を開けて!」
「うぅ……」
誰かが私の体を揺さぶっている。必死の声に重い目蓋を開くと、そこには心配そうに顔をしかめるカズキの姿。なんだろう、妙に体がだるい。くらくらする頭を押さえてなんとか立ち上がるが、足から伝わる冷たい石の感触に違和感を覚えた。あれ?私達、トレジャータウンにいたはずじゃ……?
「あ、気が付いた!よかったぁ」
「カズキ……?ここは、一体……」
辺りを見回してみると一面石の壁だった。床も天井も、規則正しく並んだ石壁はちょっとやそっとで壊れるような代物ではないことが一目でわかる。唯一壁でない場所には大きな鉄の扉があったが、固く口を閉ざしていた。
「僕もさっき起きたばかりだからよくわからないけど……たぶん、牢屋じゃないかな?」
「ろ、牢屋!?」
「う、うん。さっきあの扉を開けようとしても開かなかったんだ。他に出口も見当たらないし、僕達閉じ込められたんじゃないかな……」
牢屋――確かに言われてみればそう見えなくもない。むしろ、牢屋そのものだ。試しに私も扉を開けようとして見たが、カズキの言う通りびくともしない。どうやら鉄でできているらしい。ちょっとやそっとの攻撃じゃ歯が立たないだろう。もちろん、他の石壁も。
「開かないし……完全に閉じ込められてるわね」
「どうしてこんなことになっちゃったのかな?あの時は確か、ヨノワールさんに掴まれて――」
いまいち状況が呑み込めない。閉じ込められているとして、どうしてこうなったのか、その理由がわからない。
カズキの言うように、私達はさっきまでトレジャータウンで未来に帰るヨノワールを見送っていたはず。その時、急にヨノワールが掴みかかってきて――。
そこまで考えて、私はハッとした。あの時、ヨノワールがそのまま私達を時空ホールへ引きずり込んだのだとしたら、ここは……この世界は!
「未来の、世界……?」
「あっ!」
ポツリと呟いた声が聞こえたようだ。今いる世界がなんなのか、それに気づいたカズキはハッとして辺りを見回す。よく見れば、牢屋の形状や扉の形など、どれも私達がいた世界では見たことがないような作りだ。
みるみるうちにカズキの顔が青ざめていく。この考えが合っているとしたら、自分達もジュプトルと同じようにタイムスリップしてしまったということ。ただし、帰り道を知らない分それは一方通行のまま。
「ど、どど、どうしようヒナタ!ぼ、僕達、未来に来ちゃったよ!?」
「カズキ落ち着いて!」
「どうやって帰ればいいの!?僕達どうなっちゃうの!!?」
「何か方法はあるはずよ!とにかく落ち着いて!」
帰れないかもしれない。その事実がカズキに重くのしかかる。パニック状態となったカズキを私は必死に宥めた。うっすらと目に涙を浮かべているカズキの背中を何度も撫でる。しばらく喚いていたカズキだったが、何度も大丈夫だと言い聞かせているうちに何とか落ち着いたようだ。
正直、私だって不安だ。帰る方法なんて知らないし、どうして閉じ込められてるかもわからない。もしかしたら、このままここで一生……いや、やめておこう。そんなことを考えても気が滅入るだけ。今は、何とかここを脱出する方法を考えないと。
ガコン!
「ウィー!起きていたか」
その時、大きな音を立てて扉が開き、数匹のポケモンが入ってきた。
暗闇に溶け込むような暗い紫色のボディに鋭い爪。目はまるで宝石のような形状で、暗い空間の中で怪しげに光を発している。トレジャータウンでも見たジュプトルを連行してきたポケモン――確か、ヤミラミという種族だ。
数は六匹。私達が意識を取り戻しているのを確認すると囲うように陣取りながらじりじりと近づいてきた。
「おい、手っ取り早くやるぞ!」
「て、手っ取り早くって何を……わぁ!?」
後退りするもののすぐに追いつかれ、白い布のようなもので私達の目を覆った。元々明かりもない薄闇の部屋だったが、さらに視界を塞がれてはうかつに動くことはできなかった。
「さあ、こっちに来るんだ!」
「いてっ!押さないでよ……」
成す術なく体を掴まれ、無理やり歩かされる。抵抗を試みるが、相手が六匹もいては多勢に無勢。私達は大人しく連行される他なかった。
未来世界に来てしまい、薄暗い牢屋に入れられ、わけもわからないまま連れていかれる様はさながら絞首台を上る罪人のよう。冤罪だといくら声を張り上げても誰も信じてくれない。そんな状況下に置かれたようで、私は不安で胸が張り裂けそうだった。
「着いたぞ」
しばらくして歩みを止め、目隠しを外される。明かりはなく、辺りは一面真っ暗な空間。目隠しをされているときとほぼ同じ状態に近い。しかし、目をいくら凝らしても何も見えない感覚は、目隠しと比べてより不安感を煽った。今すぐにでも逃げ出してしまいたい。そんな気分。
「こ、ここは!?真っ暗で何も見えない……」
隣から声が聞こえる。信頼できるパートナーの声を聞いて少しだけ気持ちが落ち着いた。本当ならすぐにでも近くに行って背中の炎で辺りを照らしてほしいと頼みたいところだが、あいにく私の体は動けるような状態ではなくなっていた。
体を締め付ける無数のロープ。どうやら柱か何かに磔にされているようだ。いくら力を込めても何重にも巻かれているのか緩まる気配は見えない。おそらくカズキも同じ状態なのだろう。先ほどから聞こえるのは力んだ時の短い声。
「カズキ!大丈夫?」
「その声は、近くにいるの!?よかったぁ……」
とりあえず存在だけでも伝えてお互いの無事を確認する。ロープで拘束された状態で、しかも暗闇で、どう考えても無事じゃないけど声が聞こえるだけでも心の支えにはなる。今はなんでもいいからすがるものがほしい。ただでさえ苦手な暗闇の中にいるというのに一人ぼっちになんてなったら気が狂いそうだ。
「フンッ!これからどうなるかも知らないで、随分と呑気なものだな」
「ッ!?」
「あれ、今こっちから声が……」
闇の中に響く第三者の声。ヤミラミとも違う落ち着いた口調の声がどこからか聞こえてきた。暗闇では視界が利かない分音に敏感になる。極度の緊張の中そんな声が聞こえれば心臓が跳ね上がるのも仕方がないことだ。もしも縛られてなかったら飛び退いていたことだろう。胸の痛みをこらえながら声のした方に視線を向けると、同時に部屋に暗闇が晴れた。
『じゅ、ジュプトル!!?』
明かりが灯ったとはいえいまだに部屋は薄暗い。しかし、その緑色の体を見るには十分な光度だった。私達と同じように柱に縛り付けられ、それでも淡々と話し続ける姿勢はある種の貫録を感じる。
「お前達、ここがどこだか知ってるか?」
「し、知らないけど……?」
「ここは――処刑場だ」
『なっ!?』
さらりと言ったが衝撃の事実に思わず息を飲む。処刑場とは犯した罪を命をもって償わせる場所。それも、よほど凶悪な犯罪を犯さない限り来るような場所ではない。一気に頭が真っ白になっていく。なぜ?なぜ私はこんなところにいるんだ?知らぬ間に罪を犯してしまったのか?一体どういうことなの!?
「ちょちょ、ちょっと待ってよ!ジュプトルが処刑されるのはわかるよ?でも、なんで僕達まで!?」
「知ったことか。何かろくでもないことでもやったんじゃないのか?」
「僕達は何もやってない!一緒にしないでよ!」
カズキの言うことはもっともだ。星の停止という大きな罪を犯したジュプトルが裁かれるのは理解できる。私達がいた時代には死刑なんてないけど、未来の法ではあるのだろう。しかし、これといって罪を犯していない私達が処刑される道理はない。これは何かの間違いだ。
「どっちだっていい。そんなこと言ってる間にほら、お出ましだ」
反論するカズキを軽くいなしてジュプトルは顎をクイッと上げる。その先にはここまで連行してきたヤミラミ達。そして、その背後にある扉から一匹のポケモンが姿を現した。
赤い一つ目、巨大な手、お腹にある不気味な口。薄暗い部屋に溶け込むような黒色は私達もよく知っている探検家。
「ヨノワール様、三匹を柱に縛り付けました」
「よろしい」
ジュプトルを捕まえ、役目を終えて未来へと帰る時の柔和な表情は跡形もなく消え去り、冷徹な視線を向けるヨノワール。とても同じポケモンとは思えない威圧感を感じる。しかし、ヤミラミに指示を出す声は探検家ヨノワールのものと酷似していた。
「ヨノワールさん!いったいどういうこと!?なんでこんなことになってるの!?!?」
「では、ヤミラミ達よ。これから“三匹の”処刑を始める」
『ウイィーーーッ!!』
カズキの必死の訴えにもまるで反応を見せず、平然と私達を含めて処刑を始めると言い放った。嘘だと思いたい。でも、じりじりとにじり寄ってくるヤミラミ達がこれが現実だということを思い知らせてくる。
ヨノワールさん、いったいどうしちゃったの?やだよ……こんなところで、死にたくない……。
「あいつに何を言っても無駄だ。それより……(ここからはあいつらに聞こえないように小さい声で話せ)」
「うぐっ……(ち、小さな声で?)」
絶望的な状況、しかしジュプトルは平静を崩さずに声を潜めて話し出す。等間隔に並ぶ柱に縛られ、カズキを挟んでいるため若干距離があるが、私にもぎりぎり聞こえるような音量だ。ヤミラミ達に気づかれないよう目線は向けずに声だけを聞く。
「(まず、確かめたいことがあるんだが、ヨノワールの後ろの扉に隠れているやつ。誰だか知ってるか?)」
「(え?)」
ジュプトルに言われ、扉を注視してみると確かにポケモンの影が見える。ヨノワールの体に隠れて少し見えにくいが、オレンジ色の体毛に傷のある長い尻尾は見覚えがある。
「ッ……!?(れ、レイさん!?)」
「(知り合いか?)」
「(う、うん。探検隊じゃないけど、すっごい強いんだ)」
「(ほぅ……)」
レイの方もこちらが気付いたことに気が付いたらしく、こちらにもわかるように声を出さずゆっくりと口を動かした。その動きを読むと、「今助ける」だった。私はそれにうなずき、了解の意思を伝える。
それにしても、この状況下で扉に隠れていたレイを見つけるなんて、ジュプトルの洞察力には舌を巻く。私なんて、自分のことで精いっぱいだったのに……。
「むっ!貴様、何者――」
「フラッシュ!」
「ぐぅ!?」
一拍呼吸を置いて、勢いよくヨノワールの前に飛び出したレイは即座に強い光を放って相手の目をくらませる。ヤミラミもヨノワールも本来は暗闇を好む種族、突然目の前で眩い光が発せられれば怯む確率は高かった。手で目を覆い、その場に座り込むのを確認すると、すぐさま私達に向き直る。
「急いで逃げるぞ!」
レイは手に電気を集めると仄白く光る短剣を作り出し、素早くロープを切っていく。何重にも巻かれた頑丈そうな縄だったが、ものの数秒で切り終えると扉の方へ走れと促した。
「通路にサンとウィンがいる。一緒に逃げろ!」
「で、でも、レイさんは?」
「すぐに追いつく、早く行け!」
一緒に来ないのかと少し疑問を感じたが、今はレイの言う通りに逃げることが先決。目が眩んでいるとはいえ、ヨノワール達だってもうすぐ復帰するはずだ。レイを信じ、カズキと共にヨノワールの横をすり抜けて出口へ急ぐ。
「あとで合流しましょう!」
「ああ!」
「……さて」
ヒナタとカズキが扉の先に消えたのを確認すると、レイは短剣で最後の一匹の縄を切った。まさか自分の縄まで切ってくれるなんて思っていなかったのか、ジュプトルは不思議そうにレイを見つめていた。
「お前も一緒に来い」
「いいのか?俺みたいな犯罪者を助けて」
ジュプトルは疑問を感じていた。目の前のライチュウがあいつらの仲間なら、なぜ敵である自分の縄を切ったのか。いつヨノワールが復帰してくるかもわからないこの状況で、悠長に敵を助けることには何のメリットもないはずなのに。
「こんな時ぐらい強がるな。無月から話は聞いている」
「なに!?だが、あいつは……」
過去の世界に渡り、盗賊として時の歯車を集めていた俺には、一人を除いて仲間なんていなかった。そんな中で、俺の話を信じて協力してくれたのが無月、そして長。最後の時の歯車を取り損ねた時には助けてくれたし、再度取りに行く時も共に戦ってくれた。――しかし、上辺だけだったのか、あいつらは俺を見捨てて逃げた。だから、その名前を聞いても素直に喜ぶことができなかった。
「見捨てて逃げたって?あれは戦略的撤退だと言っていた」
「そんなこと……」
「とにかく今は逃げるのが先、説明は後だ。一緒に来い!」
「――わかった」
無月には無月なりの考えがあったということか。すぐには信じられなかったが、こうして助けられた以上、無駄に命を散らすのはもったいない。どんな形であれ再びチャンスが巡ってきたのだ。今は素直にこのレイに従ってもいいだろう。
ぶっきらぼうに差し出された手を取り、出口へと駆け出した。
「ぐっ、おのれぇ……」
フラッシュが収まり後に残されたのは、処刑者がいなくなった三本の柱と悔しげに呻くヨノワールとヤミラミ達だけだった。
「出口はこっちだよ!急いで!」
無機質な石レンガで作られた通路に荒い息遣いと硬い足音が交差する。通路に待機していたサンとウィンと合流した私達はサンの先導の元、必死に走っていた。ここが処刑場だとしたら、私達が縛り付けらていた部屋にいたポケモンの他にも敵がいる可能性が高い。こんな通路で挟み撃ちにされた日には苦戦を強いられるのは必至。だからこそ、早急に外へ出る必要があった。
先導しているとはいえ、サンもこの場所に詳しいわけではない。だから、こうして道を決めている基準は完全な勘。しかし、サンの大きな耳は敵のわずかな足音すら聞き分けて安全そうなルートを決める。それが出口につながっているかは定かではないが、少なくとも敵と会う確率はぐっと下がっていた。
「ねぇ、ウィン。ここはもしかして、未来の世界なの?」
「ええ、そうです。残念ながら……」
「そっか……。僕達、元の世界に帰れるのかなぁ……」
わかっていたことだが、わずかな期待を込めて投げかけた質問の答えは、無情にも期待を裏切って見せた。未来の世界。私達のいた世界とはまるで別の、言うなれば異世界に来てしまったことへの恐怖。帰る方法もわからず、信頼していた探検家に裏切られ、不安は募るばかりだった。唯一救いがあるとすれば、こうして仲間達が一緒にいてくれること。もし、私一匹だけだったら、もう諦めているかもしれない。
「今は逃げることが最優先です。考えるのは、逃げた後でも遅くはないでしょう」
「捕まったら元も子もないからね!――あ、出口が見えてきたよ!」
不安定な精神状態の中、必死の逃走はようやく実を結び、外へと繋がる扉が目の前に姿を現す。ウィンとサンはスピードを上げると勢いよく扉に体当たりし、無理矢理に扉を開け広げた。
「やった!やっと、外だぁ!」
転がるように外へと飛び出し、ようやく処刑場を脱出できたことにひとまず安堵する。まだ完全に安全というわけではなく、夜なのか辺りは薄暗く視界も心もとなかったが、閉鎖された空間から脱したということに自然と体を伸ばしていた。
「うまく出れたみたいだね」
「ええ。少々暗いのが気になりますが……月も出ていないのでしょうか?」
ふと、空を見上げるウィン。つられて私も空を見上げてみるが、ウィンの言う通り月は見えない。いや、星の瞬きすらも確認することはできなかった。雲で隠れてしまうなど、月や星が見えないことは珍しいことではない。どうしてこんな時に限って月明かりがないのか。
「はぁ……!?なっ、こ、これって……!?」
運が悪いな。そう呟きながら視線を下に下げた時、そこには驚くべき光景が広がっていた。