ポケモンなりきりサンデー
「ふー、あっついねー」
風呂から上がり、上着も着ずに冷蔵庫から缶ビールを取り出して、テレビの前に座る。グラスに注いで一気に喉に通していると、ペルシアンが服を持ってきてくれた。「だらしないぞ」と注意の声を私に向ける。
だって暑いんだもんと文句を言いながら、袖に手を通す。
その間テレビでは、子供たちがカイナの海ではしゃいでいる様子が映されていた。
「そっか、世間は今日から夏休みだっけ」
七月第三週の土曜日。切り替わる映像はどこも家族連れでいっぱいだった。
対して私は社会人二年目。お盆休みまではもう少しある。
「いいなー、楽しそう」
そうぼやく私に、ペルシアンも同意の声を上げた。
最近家にいてもパソコンとにらめっこしていることが多いから、ペルシアンも面白くないのだろう。私の仕事の要領が悪いのもあるんだけど、もう少し遊ぶ時間増やしてあげないとなあ。
「私が子供の頃、夏休み何してたっけ?」
どうにも宿題に追われてた記憶が大半を占めてるんだけど、それは置いておこう。でも大して量の多くない小学校の宿題が、やってもやっても終わらないなんてことはありえない。宿題をするのを忘れてしまうほど、夢中になってたことがあるはず。――確か友達もみんな、あとになって「宿題が終わらない!」って慌ててた気がする。
『わたしピカチュウね!』
『じゃあ俺ジュプトルだ!』
『えー、プールでみんなで競争するって昨日言ってたじゃん!』
『そうだった! じゃあプールまで、みんなでギャロップレースね!』
『負けないぜ!』
『わたしだって!』
思い出した。
子供の頃流行っていたポケモンごっこ。みんなでポケモンになりきって、毎日夕方まで遊んで。なんだか懐かしい。身も心もポケモンになりきるから、溜まっているエネルギー全部爆発させて、すっきりした気分になれる。
「そうだ」
ふといいことを思いついた。幸いお隣さんは家族旅行で出かけているし、少しぐらい騒いでも大丈夫だろう。明日の予定を想像しながら、私は眠りについた。
翌日。一通りの家事を終えると、私はテーブルの上にマーカーと道具箱を広げた。横ではペルシアンが「何するの?」と不思議そうに眺めている。
まずは鉛筆で型紙に絵を描いていく。最初は――ペルシアンにしよう。さらさらと下書きをしていき、黒のネームペンで線をなぞる。紙にペルシアンの顔が浮かび上がると、今度はマーカーペンで色を付けていく。最後にはさみで外のラインを切ると、ペルシアンのお面の出来上りだ。両端に輪ゴムを通し、さっそく額の上につけてみる。
「どう?」
自慢げにペルシアンに見せると、「やるじゃん」と感嘆の声が返ってきた。同種族の彼から、お褒めの言葉を授かったところでさっそく、
「じゃあ、私今からペルシアンね」
両手をグーにして猫のポーズを取る。それを見たペルシアンは「は?」と呆気に取られていた。――まあ無理もない。
「要するに――」
言いかけてペルシアンに飛びかかる。突然のことでペルシアンは為す術なく、私とともに床に倒れてしまった。「何すんだよ!」と抗議の声が下から聞こえてくる。
「言ったでしょ。私は今あなたと同じペルシアンなの。だから技だって出せちゃうのよ。こんな風に」
いまだ私の下敷きになっているペルシアンの首筋にそっと舌を触れてみる。びくびくっとペルシアンは体を痙攣させ――さらに暴れ始めた。マヒの効果は一瞬だけだっみたいだ。じたばたと前足を動かして、伸ばした爪の先が私の腕に引っかかった。
「いたた……」
つーっと赤い筋が三本でき、そこから血が流れ出す。私は起き上がると、脇の救急箱からガーゼを取り出した。ペルシアンははっとした顔になると、おろおろと私を見上げる。
「大丈夫大丈夫。気にしないで。襲ったのは私の方だし」
「けど……」とそれでもペルシアンは不安げな表情を見せる。
「ほら、私は今ペルシアンだから。傷なんて全然気にしないの!」
さっと止血を終わらせると、ペルシアンを抱いて、今度はソファの上に寝転がる。思いっきり腕を伸ばして息を吐く。
「うん、気持ちいい! あなたいつもこんないいところ独占してたのね。私も今度からここで寝ようかな」
つっこみが来るかなと、彼を横目で見ればそれはなく、なんだかそわそわと落ち着きない。
「ペルシアン?」
呼びかけると、ペルシアンは私のお面を指した。お面がどうかしたのかな。
「もしかして――ペルシアンも他のポケモンになりきりたいの?」
尋ねてみると、ペルシアンは小さく頷いた。一人でやるよりもふたりでやった方が楽しいから大歓迎だ。さっそくポケモンの本を持ってきて、どれがいいか聞いてみる。
ページをめくって、止まったのはエーフィだった。
「それがいいの?」
上目遣いでペルシアンが見上げる。
「エーフィかわいいもんねー。額の宝石もお揃いだし、一回なってみたかったの?」
うんうんと首を縦に振る。彼のこんな様子は珍しくて、とてもかわいい。
「じゃあペルシアンの分も作ってあげるね。ちょっと待ってて」
型紙をもう一枚取り出して同じ要領でエーフィのお面を作る。痛くないように輪ゴムの代わりにゴムバンドでつけてあげる。
「どう?」
そわそわしていたのが一転、ペルシアンの表情が綻んでいた。
「それじゃあエーフィ、午前はとにかくごろごろしてのんびりしよう!」
エーフィと呼ばれたことがとても嬉しかったらしく、ペルシアンはいつにもましてご機嫌で、「にゃあ!」と鳴くと、フローリングの床にダイブした。私は横のソファにもう一度飛び込む。伸ばした腕にテレビのリモコンが当たり、手にとって電源を点ける。画面の中では、よく見る芸能人とパートナーのポケモンがラフティングをしていた。急な川でオールを操りバランスを取る。水しぶきとスリルのおかげでだいぶ気持ち良さそうだ。
他の人にはとても見せられない格好だけれど、たまにはこんな風にするのもいいだろう。テレビに飽きたら扇風機の前で涼んだり、ペルシアンとアイスを半分こにして食べたり。
そうこうしているうちにあっという間に昼になり、一度食事休憩。食べ終わったら後半戦の始まりだ。
お面を新しく作って今度は外へ。今日は一日中家でごろごろしているつもりだったけど、ポケモンになっていたら、体がうずうずとして我慢できなくなってきたのだった。
庭に出て私は手にホースを握る。額にはシャワーズのお面。反対側ではペルシアンがわくわくと身を震わせている。そちらはウインディのお面をつけていて、足と尻尾には綿のもふもふを装備。あんまりつけると暑いから顔と首は省略しておいた。
いったいこれから何をするのかというと、
「それじゃあウインディ、バトル始めるよ!」
「にゅあっ!」
お互いの声を合図にホースから水が放たれる。
そう、なりきりのポケモンバトルをするのだった。私はホースで「みずでっぽう」を、ペルシアンは体当たりで「しんそく」を使うことにしている。
「さあウインディ、かかっておいで!」
みずでっぽうをペルシアンに狙いを定める。それでもペルシアンの方が素早くて、なかなか命中しない。
次々と技をかわすことができて、ペルシアンは「しんそく」の気分にご満悦だ。少しずつ私との距離を詰めていき、「とどめだ!」とばかりに飛びかかった。
よし、今だっ!
「これは避けれるかな?!」
ホースの先端を握って先端をすぼめる。水の出る量が減った代わりに、技の範囲が左右に広がる。空中のペルシアンは突然の攻撃パターンの変化に目を丸くして、手をばたばたさせるも、避けきれずに水をすっかり被ってしまった。
水を吸ってしぼんだ綿と同じく、ペルシアンはしゅんと尻尾を垂らしていた。勝てたと思ったのに、技を受けたのが結構悔しかったらしい。あとせっかくのもふもふがなくなってしまったのもダメージなようだ。
「元気出して。綿だったらまたつけてあげるから」
頭をぽんぽんとたたいて、彼を慰める。
「それよりもほら、まだまだ遊ぶのはこれからよ」
お面を数枚取り出して、ペルシアンに見せる。ペルシアンははっとした表情になると、ぶんぶんと頭を振って落ち込んだ気分をリセット。早く早くと次のお面をせがんでくる。
「焦らない焦らない。じゃあ次はね――」
テールナー&フォッコになって枝探し。服の間に差してどれが一番ぴったりか試してみたり、形を一個ずつ見比べておいしそうに見えるものを探したり。
リオル&ルカリオになって、相手の思ってることを当ててみたり。
そうして気がつくと日が暮れかかっていた。お面も作った分はひととおり楽しめたので、今日はこの辺にしておこう。
すっかり日曜日を満喫できて、とても気持ちいい。なんだか、この数年間で一番すっきりしたような気がする。ポケモンになりきって心からアクションできたおかげかもしれない。また明日からお盆休みまで頑張れそうだ。
またこんな風に、ポケモンになるのも楽しそうだ。今度はもっとお面を増やして。
夜十一時。ちょっと早いけど、ベッドの上に身を任せる。リモコンで照明を豆電球にして、ペルシアンにおやすみの挨拶をかけると、返事はこなかった。
「ペルシアン?」
代わりに「にゃあ……」と控えめな声がする。いつもはリビングの隅で毛布を被って寝るのに、今日はまだ自室のドアから私を見つめてくる。
「どうしたの?」
そう聞くと、ペルシアンは私の後ろの壁を前足で示した。そこにはポケモンのポスターが貼ってある。描かれているのはプラスルとマイナン。なかよしな応援ポケモンだ。この二匹がどうかした――ああ、なるほど。
ペルシアンが言いたいことがわかった。つまり、
「じゃあ今日最後のなりきり。今から私はプラスルね。マイナンは一緒に寝る?」
掛け布団を広げて、私はベッドの左端に寄る。
ペルシアンは、ぱあっと表情を輝かせると、布団に飛び込んできて私に頬をすり寄せる。
「じゃあ今度こそおやすみ、マイナン」
うんと頷いて、ペルシアンと私は目を閉じる。
そうして二匹のポケモンは、夢へ入っていったのでした。