おとなになること
イーブイはある日疑問に思いました。
――おとなになるってどういうことだろう?
きっかけはついこの間のことでした。
お兄さんのブースターが誕生日を迎えたのです。しかもただの誕生日ではありません。その日からブースターはなんと「おとな」になるのです。
誕生日会はいつもよりも豪華に行われました。部屋いっぱいに飾りをつけ、シャワーズお母さんは特大のお手製ケーキを作ってくれました。モモンとカイスの絶妙なソースの味は今でも思い出せます。
パーティーの中みんなが次々にブースターに言います。ついにおとなになったね、と。でもどうして「おとな」になるのがそんなに良いことなのでしょう。「おとな」になれば何かが変わるのでしょうか。考えても考えても子どものイーブイにはまったく答えが出せません。
こういう時はひとに聞くのが一番。そう思い立つとイーブイはよいしょと立ち上がり部屋を出ました。
まずはじめに来たのはブースターの部屋。おとなになったばかりのお兄さんなら、子供とおとなの違いが一番わかっているかもしれません。
誕生日プレゼントを一つずつ開けて楽しんでいるブースターに、イーブイは尋ねてみました。
親切にもブースターは作業を止め、質問の答えを考えます。
「おとなになることかあ……。うーん、なんだろう?」
子供と大人の違いはブースターにはまだぴんときていないようです。もふもふと首周りの毛をいじってさらに考えます。
「お酒が飲めるようにはなるけど――イーブイが聞きたいのはきっと違うことなんだよね」
確かにおとなになればお酒が飲めるようになるし、みんながおいしそうに飲むのは憧れます。が、それはちょっと違うような気がしました。
「あとは思いつかないかなあ……。役に立てなくてごめんね」
「ううん、一緒に考えてくれてありがとう。他のひとにも聞いてみるね。わかったらお兄ちゃんにも教えてあげるよ」
「うん、お願いね」
ブースターにお礼を言い、プレゼントのキャンディを分けてもらうと、イーブイは次を探しに行きました。
リビングにいくとサンダースのお父さんがいました。葉っぱのソファに座って、ペリッパー新聞を読んでいます。
イーブイはサンダースにてててと近づくと、さっきと同じ質問をしました。サンダースは新聞を脇に置いて考えます。
「おとなになることか――。やっぱり強くなることじゃないか? ほら、弱い大人ってあんまり見たくないだろ」
強くなること。言われてみればそんな気がします。頼りがいがあって、引っ張ってくれる。そんな大人は素敵です。
「でもブースターお兄ちゃん、よくバトルに負けるし、すぐ泣いちゃうよ?」
「あー……」
イーブイの言葉にサンダースはブースターの部屋の方に視線を向けました。
「……とりあえず他のひとにも聞いてみろ」
「うん、そうする……」
部屋の向こうからくちゅんと可愛らしいくしゃみが聞こえます。イーブイはソファから降りると、ちょうどリビングに来たお母さんの方へ向かいました。
「おとなになることねえ――」
「考えてもけど、全然わからないの。お母さんどう?」
「そうね――寛容になる、なんてどうかしら?」
「かんよう?」
「そう。心が広くなること。小さなことで怒ったりせずに、まずは起きたことを受け止める。そういうひとをおとなだと思わない?」
確かに。気持ちをそのままむき出しにしてしまうのは、あまりおとなとは言えません。感情を抑えられるのはの条件の一つなのかもしれません。
それでも、
「けどまだぴんと来ないなあ。わかってきたような気はするんだけど――」
胸の中で灰色の雲がもやもやとしている感じがするのです。
「だったらもっと色々なひとに聞いてみたらどうかしら? たぶんそれぞれの答えを教えてくれるわよ」
シャワーズの提案にイーブイは首を縦に強く振りました。
「うん、そうしてみる!」
そうと決まれば止まってはいられません。早く次のところに行かないと。
イーブイはシャワーズにお礼を言うと、駆け出しました。
「お家の中は走っちゃだめよ。――でも、それを考えることがもう『おとな』のいっぽなんだけどね」
シャワーズは穏やかにイーブイの行った方を見つめるのでした。
次の部屋は天井の高いところでした。本棚がぐるりと部屋を取り囲んでいます。下の方のカーテンは閉まっていて、昼だというのに薄暗くなっていました。ブラッキーのお兄さんとそのお嫁さん、エーフィの部屋です。
床の上では黄色い輪っかを浮かび上がらせて、ブラッキーが寝息を立てて倒れていました。
イーブイはブラッキーに近づくと、ゆさゆさと揺すります。
「お兄ちゃん聞きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
「すぅ……けーき……そんなにいらないよ……」
だめです。使いものになりません。
ふうとため息をついていると、本棚の上からエーフィが降りてきました。
「お昼寝してるときは何しても無駄よ。ぐっすり眠っちゃうから。いたずらしても気づかないんだもん」
エーフィに言われて見てみれば、耳としっぽにかわいらしい赤いリボンがついていました。起きて本人が見たらどんな反応をするのでしょう。
それはさておき、ブラッキーはだめなので、エーフィに聞いてみます。
「おとな……見識を広めることかしら?」
「けんしき?」
難しい言葉が出てきました。
「色々知るってことね。知識とか経験ってだいたい長く生きてる方が豊富でしょ? で、それを使いこなせるようになったら、おとなになれるんじゃないかしら」
それも正しいような気がします。でもさっきのシャワーズのも間違っているとは思えなくて、おとなになるには本当は何が一番必要なのでしょう。
「答えは一つじゃないのかもしれないわね」
「じゃあおとなになるには全部クリアしなきゃいけないの?」
「それがそうとも限らないのが難しいところなの。けど簡単に答えが見つかっても面白くないと思わない?」
それはそうなのですが、気持ちがずっとすっきりしないのも楽しいものではありません。イーブイはエーフィにお辞儀をすると、また次を探しに行きました。
胸のもやもやが残ったまま、イーブイは隣の部屋を訪ねます。ノックするとグレイシアのお姉さんとリーフィアのお兄さんが迎えてくれました。ふたりとも思い思いにのんびりとしていたようです。そこでさっそくイーブイは同じ質問をすると、先に答えたのはリーフィアでした。
「おとなになるには、恋をすることかな」
「うーん……」
なんでしょう。確かにそれは素敵なことなのですが、自信満々に言われるとなんだか説得力がありません。それに、
「あなたこの前フラれたばかりじゃない」
「うっ……」
「それにその理屈でいくとあなたは恋に失敗しておとなになれなかった残念なひとってことになるわよ」
ぐさっとリーフィアに言葉の矢が刺さる音が聞こえました。部屋の隅っこでさめざめと泣くリーフィアをよそに、今度はグレイシアが答えます。
「おとなになるってことは、それなりに責任が伴うってことじゃないかしら」
「責任……?」
また難しい言葉が出てきました。
「そう。おとなって子供と違って自由に色々出来るでしょ。でも自由ってことは、それを選んだ本人に責任が出てくるの。お酒を飲むのも自由だし、旅に出るのも自由。けど自分のしたことにはちゃんと責任を持って受け止めなきゃいけないのよ」
そう聞くとおとなになるのはただ楽しいことだけじゃないみたいです。そういえばさっきサンダースが言っていた、「強くなる」というのもそうなのでしょう。おとなになっても現実からただ逃げているのは格好悪いことです。
「おとなになるのって大変なんだね」
「そうね。でもやっぱりおとなって楽しいわよ」
そう笑うグレイシアの表情は"おとな"のお姉さんのものでした。
イーブイはぺことお辞儀をすると、気分転換に外に散歩することにしました。少し頭を整理したかったのです。
「結局おとなになるってどういうことなんだろう?」
夕日が反射する川のほとりを歩きながらイーブイは考えます。
――おとなになるって強くなること?
――おとなになるって心が広くなること?
――それとも物知りになること? 恋をすること? 責任を持つこと?
一体答えはどれなのでしょう。
うつむき加減で進んでいると、柔らかな何かが体に触れました。ピンク色のひらひらとしたもの。ニンフィアのリボンです。
振り返ると従姉のニンフィアが前足を挙げていました。
「落ち込んでどうしたの? お姉さんでよかったら聞いてあげるよ」
「それがね……」
イーブイは今までのことをニンフィアに全部話しました。
おとなになるってどういうことなのか知りたかったこと。みんな返ってくる答えが違うこと。どれも合ってるような気がしてならないこと。
ニンフィアは親身になって聞いていて、とても話しやすくしてくれました。
聞き終えたニンフィアはリボンでイーブイの頭を撫でます。
「お姉ちゃんは、おとなになるってどういうことだと思う?」
イーブイの問いに答える前に、ニンフィアはもう一つ前の質問に答えました。
「エーフィも言ってたみたいだけど、みんなが言ってたことはどれも正解だと思うわ。でもそれはそのひとにとっての正解なの」
「どういうこと?」
正解なのに正解じゃない。けれどニンフィアは不正解とも言っていません。では一体何なのでしょう。
「"大人になる"ことの答えはね、ひとによって違うの。あるひとは賢くなることが条件だし、あるひとは寛容になれたらおとなになれる。もちろん恋をするのだっていいわ。どうしたらおとなになれるか、私の答えは『おとなになる方法を見つけること』。これでどうかしら?」
「えっとつまり――」
ニンフィアの言ったことを頭の中でもう一度再生します。おとなになるために必要なこと、おとなになるのはどういうことなのか。
「まず、自分が自分を知るのが大切ってこと?」
それを聞いてニンフィアはにこっと微笑むと、リボンでイーブイを抱き寄せます。
「それが、あなたが今日考えて出した答えなら、間違ってるなんてことはありえないわ。『自分で自分を知る』それができるおとなって素敵だと思うわよ」
誉められてイーブイは嬉しくなってきました。ニンフィアを見上げてイーブイも笑顔になります。
「じゃあ頑張ってみるね! あれ、でもどうやってすればいいんだろう?」
目標が見つかっても、方法がわかりません。そこでニンフィアは任せなさいとばかりに胸を張りました。
「どんなおとなを目指すにしても大切なのは合縁奇縁。ほんの巡り合わせが大きな影響を与えたりするの。つまりチャンスを逃さないでってこと。もし行き詰まったら『むすびつきポケモン』の私がいつでも助けてあげるから。心配しないで!」
力強く言い放つニンフィアがとても頼りに思えます。でもまずは自分の力でやってみよう。
「おとな」を見つけにいくんだ!
とんと地面に降りると、イーブイはニンフィアにぺこりと頭を下げ、駆け出しました。
おとなのいっぽはどこへ向かうのか。それはイーブイの足が教えてくれるのでしょう。