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「完成、完成!」
テキトーさんはそう言うと、ふう、と満足そうに長く息を吐き出しました。今までの、張りつめた感覚から抜け出すように、大きく伸びをします。バーナードの方は声を出さず、しかし目をきらきらさせて、テキトーさんを見つめていました。彼女はそれを、ひとつ、ウインクで返します。彼は、ようやく口を開きました。
「物語が一つ、できちゃった」
バーナードのその声は、震えていました。同時に、腹の底から湧き上がる感動と興奮が彼を満たして、もう、はち切れそうなほどです。テキトーさんは彼の様子を見て、思わず彼の両手を取りました。彼の手のひらの汗を感じます。そのまま大きく縦に振って、笑顔で二人「ばんざい!」と大きく歓声を上げました。
「素晴らしい。さすが楽器をやっているだけあるわね。助かっちゃった」
バーナードはそれを聞いて、得意げに「そりゃよかった」と返します。ほめられて、いい気持ち。思い浮かべたメロディを口ずさんでしまいそうです。ふと、楽器を吹きたくなってきました。
「何だか、この紙がとっても価値があるように見えるわね。いくらで取引できるかしら」
テキトーさんは微笑みながらそう言って、手元のコーヒーを飲み干しました。バーナードも釣られ、コーヒーを一口。冷めきったそれに時間の経過を思い知り、ちらりと時計を見やります。そして、彼は心底驚きました。まずい、家に帰らなければ。外を見やると、既に空は薄暗くありました。
「僕、そろそろ帰ります」
バーナードの様子を察して、テキトーさんはすぐに立ち上がりました。リングマが、のしのし、と奥から出てきて、小さい布袋をテキトーさんへ手渡します。中身を確認してから、彼女はその口を紐で結びました。
「長居させちゃってごめんなさい。チーゴのスパイスも出来上がっていたわ。リングマにお礼を言ってね。太陽が沈み切る前に帰るのよ」
「分かってますよ」
すっかり慣れた様子で彼は笑いながら、軽口でそう返します。仏頂面のリングマにお礼を言ってから、もちろん、テキトーさんにもお礼を言いました。
「本当に、楽しかったです。また、ここに来ていいですか?」
「もちろんよ。わたし達がここに居るかどうかの保証できないけれど。気が向いたら来なさい。きっと、歓迎するわ」
玄関の戸を開け、テキトーさんはバーナードを見送ります。別れ際、バーナードは何度も何度もお礼を言いました。
「前を向いて歩きなさいよ!」
手を振り声を張るテキトーさんに、大きくバーナードはうなずきます。彼は勢いよく、家に向かって駆け出しました。
なんだか、清々しい心地。僕は、やっぱり僕は、楽器を続けよう。バーナードはテキトーさんの声という追い風を受け、自分の作った物語を回想しながら、そんなことを考えていました。
「あら、おかえりなさい」
玄関の開ける音。がたがた、どたどた。物音を派手に鳴らして、大きな荷物を抱えたテキトーさんが家に入ってきました。その奥には、サーナイト。彼らを出迎えた女性とリングマに、軽く会釈をして入ってきます。
「留守番を、ありがとう。悪かったね、一日で帰ってくる予定が、十日になってしまって」
女性は「いいのよ」と返します。
「別に予定もないし。お客様もいらしてね。バーコード君って言うの。一緒に遊んだわ」
「アレクサらしいね」
テキトーさんはそう言って、荷物を降ろし始めました。
テキトーさんは、いつも適当です。
それはどれほどかと言うと、彼の友人たちが彼を語る時「あいつは、いつも適当だからな」と口をそろえて言うくらい適当です。しかし彼は、友人たちの誰からも愛されていました。どこかで誰かが集まるという話になれば、テキトーさんにも、もちろん連絡がいきます。しかし、テキトーさんは必ずそこに現れる訳ではありません。友人たちは呆れながら、いつも通りだ、と笑います。しかも、テキトーさんが居ないからといってつまらないわけでもなく、来たからといって盛大な歓迎をするわけでもありません。友人たちですら、もはや適当なのです。
アレクサもまた、いつも適当です。
それはどれほどかというと、テキトーさんが彼女を語る時「あの人はいつも適当だからね」と言うくらい適当です。しかしテキトーさんは、アレクサのことを嫌いでは無いようで、彼女が訪ねて来た時にはいつでも歓迎します。テキトーさんの方からも訪ねて行くこともありますが、しかし必ずしも彼女の家に行くとは限りません。古書店やレコード屋に立ち寄って、そのまま自分の家に帰ってしまったこともあります。テキトー、テキトー。
「いやあ、まいった。思ったより、荷物が増えてしまってさ」
テキトーさんはふう、と一つ大きな息を吐き出して、椅子に腰かけました。荷物の入れてあるぼろぼろのホロ布の口が開き、なだれ落ちてきたのは、古書やレコード、それからがらくたたち。ただでさえ物が溢れかえるその部屋を、それらは埋め尽くしてしまうかのようでした。テキトーさんの後ろに付けていたサーナイトは、何も語りません。きっと「やれやれ」と心のそこから思っていることでしょう。
「長旅お疲れ様。いい工務店は見つかった?」
アレクサは、それを全く気にすることもなく、テキトーさんへ問いかけます。テキトーさん達はこの十日間、この家からいくらか遠い、街へ出ていました。立て付けの悪い窓を直してくれる、工務店を探すためです。その留守を、アレクサが頼まれていたのでした。
「それがね、ちっとも見つからないんだ。探していなかったわけじゃないよ、ましてや古書店に立ち寄ったり、レコード屋に行ったり、演劇を見たり、そんなことばかりで時間をつぶしていたわけでは無いんだよ」
コーヒーを持ってきたリングマは、何も語りません。しかし「やれやれ」と心のそこから思っている事でしょう。
「演劇はどうだったのよ」
やはりそれを全く気にすることもなく、アレクサはテキトーさんへ問いました。リングマが淹れたコーヒーを一口飲んで、彼へ勧めながらです。彼は身を乗り出して、彼女へ答えます。
「よかった、本当によかった。今ならセリフを上から下まで言う自信があるよ。『そして、作ろう。新しい、イッシュの国を!!』長くなるから、やらないけどね」
そう言いながらテキトーさんは、コーヒーを一口飲んで「まずい」と続けます。リングマを呼びつけて、砂糖を注文しました。
テキトーさんが見た演劇。それは、どこかの国の伝説が描かれている、どこかの碑文をモチーフにした作品です。クライマックス、主人公が国旗を掲げて理想を叫ぶシーンをテキトーさんはひどく気に入ったようで、アレクサに夢中でその魅力を伝えます。
しばし語らい、サーナイトが床の荷物を片付け終えたところで、テキトーさんは思い出したように言いました。
「そういえば、バーナーナ君だっけ。彼のご用件は、何だったんだい?」
「バーコード君よ。あ、そんなことより」
テキトーさんの話をそっちのけでアレクサは、手元に広げた本の中から、小さな紙きれを引っ張り出しました。
「あなた、これ、なんだかわかる?」
彼女はぴくりとも微笑みを見せず、とっても真面目な顔をしてテキトーさんに問います。それを受け取ってテキトーさんも、真面目な顔で答えました。
「なんだろう、分からない」
「でしょう? 昔の人が書いた楽譜なの。旅先で見つけてきたのよ」
得意げにそう言ってから、テキトーさんの耳にあえて小さな声で、こそこそと話し始めます。
「これはね、とっても価値があるものなのよ。とっても惜しいんだけど、あなたになら譲ってもいいかなと思ってね」
テキトーさんは、紙切れをまじまじと見つめました。
「そりゃありがたいね。一体どんな曲が書かれているの? 全然読めないよ」
アレクサは、一呼吸置いて、テキトーさんと目を合わせました。口元だけ微笑んで、もったいぶって、続けます。
「まず、砂漠の聖霊の伝説から話さなくちゃいけないわね」