親愛なる僕への鎮魂歌
Requiem
for them and me
  ◆◇◆◇◆




「イオをメンバーに迎えてのコンサートは初めてだね」
 いつも溌剌(はつらつ)としているクロロスの面持ちはわずかに緊張の色を帯びていた。
「一月ぶりかしら。随分と難産だったものね、あの曲は」
「いくら練習してもし足りなかったですね……でも、以前よりもずっと上手く演奏できるようになりました」
 フロールとアスターの会話はほとんど耳に入らなかった。クロロスと同じか、それ以上に緊張している自分がいた。
 この一か月は、前進と後退を繰り返しながら、布を織るように少しずつ作曲を進めていた。クロロスやフロール、アスターの手を借りながら、あれでもないこれでもないと、納得できる着地点を昼も夜も探っていた。ようやく完成した曲は、三十分にも及ぶ壮大な楽曲になった。
 砂浜に聴衆が集まり始めて、ざわめきが大きくなる。公演開始まで、あと少しだ。
「イオ」
「ん」
 返事をするや否や、クロロスは僕の頬に触れた。
「楽しく歌おう。みんなに俺たちの気持ちが届くように」
「……そうだね」
 想いはすべて込めた。消えた者、残った者、愛した者に。過ぎ去りし過去と、これから来たる未来に。仲間たちそれぞれの痛みと、彼らの手がもう届かない場所へ飛んでいった者たちに。
 そして何よりも――テルロとセレノに。
 みんなと目で合図して、各各が定位置についた。一番前にいるのは、僕だ。
「今日も俺たちのコンサートに集まってくれてありがとう」
 クロロスの水晶のような声によって、聴衆は水を打ったように静まり返った。
「今日は一曲だけだけど、みんなに初披露する曲だよ。そして、こっちは最近合唱団に入ったイオ。みんなどうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
 一礼し、深呼吸する。ぽつぽつと拍手が鳴って、心臓が高鳴った。
 目を瞑る。まだ頭が一つだったころのように真っ暗な世界の中に、テルロとセレノの生きた町を思い浮かべた。
 余計な導入は要らない。
「それでは聴いてください。曲名は――親愛なる僕らへの鎮魂歌(レクイエム)



 限りなくピアノのそれに近い音色を、アスターが紡ぎだす。とめどない単音の羅列が、森を吹き抜ける風に乗せられた。

 序章――まだ頭が一つだったころの思い出。クロロスもフロールもアスターも、僕と時を同じくして生まれた。それぞれのささやかな幼少期を、楽しげなピアノの音で軽やかに表現する。

 僕の歌声。高いトーンをアスターに重ねた。同じようにクロロスとフロールも、透明感と重厚感を併せ持ったコーラスで追随する。

 まだ何にも染まっていなかった混じりけのない僕らは、必然的な運命によって音楽を手に取った。

 飛翔するように四匹の声が絡み合って上昇する。ピアノの音は茂る樹木のように枝分かれし始め、複雑になっていく。

 クロロスとの邂逅。未熟な僕らの下手くそな歌が、殺風景な波止場を彩る。お互いが初めての友達で、明朗なクロロスと静謐な僕のコントラストは今この瞬間でさえ変わっていない。

 ピアノの音が止まって、フロールも歌を止めた。僕とクロロスだけの合唱。クロロスの瞳は、太陽に照らされてきらきらと輝いていた。胸に手を当てて歌う彼の歌声は、水晶の籠の中で乱反射するように弾ける。僕も負けじと声を張って、爽快な空に歌声を突き刺していく。

 アスターが演奏を再開し、フロールが再びコーラスし始めた。

 僕の進化の時。イオが終わり、レフとデクスが誕生する。

 蕩けるような昼下がりが、きっと永遠に続いていくと信じていた彼らを、僕は後ろから見ている。最期の瞬間をまだ知らない彼らが、夢の中でずっと幸せに泳げるように、祈っている。

「僕たちは」
「幸せだったね」

 テルロとセレノが僕らの歌に呼応して、歌い始めた。

 それは、僕以外の三匹が思わず歌うのをやめてしまうほど綺麗なハーモニーだった。天上と下界を繋ぐ繊細な糸を渡りゆくように、触れれば壊れてしまうような声で、聞いたことのない音色を奏でた。

「本当に幸せだった?」 

 僕は心の中で問う。

「何もかもを失っちゃったけど」
「もう、一つとして不満はないよ」

 アスターがピアノの音に加えてヴァイオリンの音まで奏でだした。フロールが力強い歌声を響き渡らせる。クロロスが澄み切った曇りのない声を空に投げ上げた。

 さらに上の次元へと昇華した鎮魂歌は最高潮に達して、テルロとセレノが高らかに歌い上げる。ヤヤコマのさえずりのような、それでいてキングドラの作り出す渦潮のような、誰にも真似できない声が、この小さな島を包み込んだ。

 重層的で幻想的な音に、僕が軸を挿す。奏者が渾然一体となって生みだした音楽は、この世界に蔓延る悲しみや苦しみや痛みを吹き飛ばすように広がって、虹色に光った。



 白い部屋の中で、双頭の竜と対峙している。少女の奏でるピアノのか細い音だけが鳴っている静かな部屋。はめ殺しの窓の外にある空は真っ青で、大砲の音などもう聞こえてこなかった。
「ありがとう、イオ」
「無理やり引き受けさせて、ごめんね」
 謝る必要はどこにもないよと、流涙する彼らを撫ぜる。
 やがて、彼らは半透明になったのち、光の粒となった。その粒を触ると、竪琴(ハープ)のような、ヴァイオリンのような、歌声のような、不可思議で美しい音を立てて弾けていった。

 ぽろろん。ぽろろん。
 ぽろろん――









  ◆◇◆◇◆









 水平線の向こうから、太陽が顔を出してきた。希望の朝が、いつもどおりやってきた。
 海岸には僕とクロロス、フロール、アスターだけがいて、あとは砂浜に打ち上げられた流木や、パルシェンの貝殻が散らばっているのみだった。
「じゃあ、行ってくる」
 僕は六枚の翼をふわりとはためかせた。テルロとセレノに目を落とすと、ぱちりと瞬きをした。もう、彼らは歌うことをしなくなってしまった。僕に従属するただの腕として存在している。
 僕は一匹で合唱できる変なサザンドラから、少し歌が上手いだけの普通のサザンドラになった。
「行ってどうするの?」
 フロールが尋ねる。フロールだけではなく、クロロスとアスターも僕の返答に興味があるようだった。
「そうだね……まずは、ユズリのお墓を作りたいな。それくらいしかやることは決めてないや」
 僕に記憶はない。だからこそ、テルロとセレノが生きた場所を、置いてきた想いを、やり残したことを、夢の中ではなく現実で探したいと思った。
 僕の思い出はこれからどんどん作られていく。そのたびに、過去は少しずつ風化してしまうだろう。もう、何も忘却の彼方へ置き去りにしたくはないのだ。
「俺も行っていい?」
「えっ?」
 クロロスは何を驚くことがあるとでも言いたげな表情をした。
「だって、爆弾が落ちてすぐ逃げてきちゃったし、誰の無事も確かめないままだったから。そろそろ戻ってみるのもありかなって考えてたところなんだ」
「でも」
「気にしないよ。ほとんど死んじゃったりいなくなったりしてることはわかってる。受け入れたくない現実に直面することもあるかもしれないけど……もしかしたら、生きてる知り合いがいるかもしれない」
 会いたいんだ、とクロロスは付け加えた。
「まったく……クロロスが行くなら私も行くしかないわね」
「ボクはちょっと……自分で泳いでいくわけでも飛べるわけでもないのに」
「そんなの私の背中に乗ればいいだけでしょう。私が疲れたらイオの背中に乗ってもらうわ」
 いつの間にやら、全員で島を離れる話になっていた。いずれまた島に戻ってくるつもりだったので、決して大袈裟な話ではないのだが、僕は困惑を隠せない。
「泳いで海を渡るの、三日はかかるんだよ? 大丈夫なの?」
「そんなこと、イオに言われなくてもみんなわかってるさ。まあ、空路より海路のほうがずっと遅いけど、イオなら俺たちに合わせてくれるよね?」
「いやだよ、面倒くさい。僕一匹なら一日で着けるのに」
 本心ではない。クロロスの前では、素直にならないことにしている。もっとも、僕がそんな態度をとってもこの三匹は気にしない。
「長旅になるなら、食料を準備しないとね。私の棲み処にあるのを全部持っていきましょう」
「全部フロールさんの背中に乗せちゃうんですか? ボクの乗る場所がなくなっちゃいますよぅ」
「ならやっぱりイオに乗ってくのがいいわね」
「誰かを乗せて飛んだことないから、振り落としちゃうかも」
「ええ!? 勘弁してくださいよ……」
 からからとした四匹の笑い声が、潮騒に紛れていく。
 物言わぬ両腕の双眸は、どこまでも群青色に染まる水平線の向こうを、静かに見つめていた。







 fin.




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朱烏 ( 2017/07/19(水) 21:43 )