三 幸福体
「一か月以上もハンターに追いかけられないなんて、なんだか変な感じがする」
トゲチックは訪れた真の平穏を、未だにむず痒く感じるらしい。
「だったら、また追いかけられてみる?」
「それは遠慮するよ……。望まなくたって、他の仲間が私の居場所を嗅ぎつけてやってくるかもしれないし」
「そうだね。そうなったら追い返してやるけど」
「あのときは、アメモースがいてくれなかったら勝てなかった。いつも数で押されて、それでも助けてくれるひとは誰もいなかったから」
「十回は聞いたよ、その話」
「何度したっていいじゃない」
「そんなことより、ちゃんと飛ばないと危ないよ。いつ気流が乱れるか分からないんだから」
ふらりふらりと安定しない飛び方を続けるトゲチックを、僕は咎める。しかし、トゲチックはまったく気にしない風だった。
「こうしてると不規則な風気持ちが良いんだよ。アメモースもやってごらんよ」
「もうちょっと上手く飛べるようになってからにするよ」
「何事も挑戦、だよ」
そう言ってトゲチックはふわりと落下していった。出会った頃のか弱いイメージはがらりと変わり、ときどき驚くほど無茶な飛行をするものだから冷や冷やしてしまう。
だが、それはきっといいことなのだろう。もうトゲチックには悲しみが似合わなくなり、代わりに笑顔が似合うようになった。幼い頃から持ち続けていた諦観も、あの戦いを経て捨てることができたようだ。
惜しいことがあるすれば、あの美しい流涙を見られなくなったことだ。もちろんそんなことは心の奥底に仕舞ってある。トゲチックに言ったら顔を赤くしてどこかへ飛んでいってしまうかもしれない。
僕は僕でトゲチックに励まされている。あの戦いで植えつけられた空への恐怖心も、トゲチックがずっと勇気づけてくれたおかげで、徐々にではあったが克服できた。そして、今では一緒に空を飛ぶ楽しさを共有できるようになった。これも一種の幸せの形だ。
しかし、僕にはもう一歩踏み出す勇気が要る。何十歩も前進したトゲチックのように、僕も進まなければならない。
今よりももっと素晴らしい幸せのために。
「明日、しようかな……告白」
翅の動きを止める。僕は、落ちていったトゲチックを追い、自由落下した。