一 落体
雨は止んでいる。空が幾分か明るい。
とにかく頭が痛い。しばらく気を失っていたようだった。僕は何をしていたのだったか。
ああ、そうだ。墜落する白いポケモンを受けとめようとして――そのまま激突したのだ。
そういえば、そのポケモンは――いた!
「ねえ、大丈夫!? 起きて!」
ぐったりした様子で倒れているポケモンが、僕のすぐそばに。水溜まりに半身を浸らせた状態で、横向きに倒れていた。
純白にうっすらと金色の色素を混ぜたような、不思議な色。羽毛は濡れて寝てしまっているが、細やかで綺麗だった。胴は卵のような形をしており、奇妙な赤や青の三角模様が描かれている。長めの首、そして頭頂部はぎざぎざしている。背中には――小さな翼。
確か、トゲチックといったはずだ。一度見たことがある。ただ、トゲチックは雪のような純白の体色をしていたはずだが、記憶違いだろうか。
しかし、そんなものはもはやどうでもよかった。体の至るところに大小さまざまな傷があり、綺麗な毛色は一部が深紅に滲んでいる。痛痛しいことこの上ない。
目はまだ閉じたままだ。顔つきから見るに、雌のようだった。
「起きて」
もう一度声をかけた。それが傷ついたトゲチックの耳に届いたらしい。
トゲチックはおもむろに目を開いた。
円らな瞳だった。雨に濡れそぼち、流れる血がまだらに染め上げるその体に、潤った瞳が映えていて――。思わず見惚れた。こんなに綺麗なポケモンがこの世にいていいのだろうか。途方もなく眩惑的――、
などと考えていられたのはほんの数秒だった。精神的な意味でも物理的な意味でも、この出会いの衝撃はあまりにも非日常的で、僕の頭は一刻も早く現実感を取り戻そうと働いた。
「よかった、目が覚めたんだね」
トゲチックはゆっくりと体を起こし、僕を見据えた。
目をぱちぱちと瞬かせて、小さな口を開け閉めしている。何かを喋ろうとしているのだろうか。
「……逃げなきゃ」
「え?」
トゲチックはそう言うや否や、翼を動かさずに浮遊し始め、静かに飛び立った――ように見えた。見えた、というのは、そう認識するには時間があまりにも短すぎたからだ。トゲチックは間もなく地面にぽとりと落ちていた。その間抜けな所作は、僕が抱いた可憐なトゲチックのイメージをわずかに崩した。
「だめだよ無理しちゃ! 怪我してるんだから」
「で、でも、逃げなきゃ……」
「逃げるって……」
誰かに追われているのだろうか。もしかして、体の傷もそいつが原因なのか。こんな可愛らしいポケモンを傷つけるなんて――。
「ハンターが……来るかもしれないの。だからここにいると狙われちゃう……」
「ハンター? よくわからないけどそんな奴、僕がやっつけるよ!」
「……ありがとう。でも見ず知らずのポケモンを危ない目に遭わせるのは」
そのとき、そう遠くないところから、湿った空気を打ち震わせるような怒声が聞こえてきた。
「この辺りをくまなく探せ! 絶対に近くにいるはずだ」
トゲチックの言葉尻は掻き消えた。
「そんな……ハンターが」
今の声の主が、ハンター――。
絶望に打ちひしがれているようなトゲチックの表情が、僕の心を強く締めつける。
戦闘は決して得意じゃない。でも、追っ手を追い払うくらいはしなければ。
声のする方に向かって一歩踏み出す。
「だめ! 行かないで……お願い」
トゲチックは僕が行こうとするのを止めるべく、僕の細い脚を掴んだ。目を潤ませて懇願してくる。
なんだってこんなときに色仕掛けじみたことをするのだろう。こっちが折れるしかないではないか。
「どこかに、隠れられる場所は……?」
トゲチックは、戦ったり、追い払ったりという危険な選択よりも、身を隠すほうが賢明だと考えているらしかった。ここは一度彼女の考えに任せることにする。元から開けていない湿原には、身を隠せる場所は山ほどある。
「こっち」
そして、最適な場所を思いついた。目立たぬよう、嗄れた怒鳴り声が絶え間なく聞こえる方とは逆の方角に向かう。僕の後ろをついてくるトゲチックは、この湿原ではいささか目立つ体色だったが、どうにかして発見されないようにと長い首を屈ませている。
そうしてなんとか湿原の端を切り取る森林まで辿り着き、乱雑に生えている木々の根元――隆起している土や絡まりあった草の間に紛れた。
「流石にこっちまでは追ってこないと思うよ」
そうは言いつつ、やはり声をひそめてしまう。
「……でも」
見つかったらどうしよう、とトゲチックは続けるのだろうか。トゲチックの不安の度合いは、ここに隠れる前とほとんど変わっていないように見えた。その傷ついた体では、見つかってしまえば最後、逃げおおせないことをわかっているのだ。
なんとかして安心させたい。
トゲチックの不安を取り除くために、僕はもう一度腹を決めた。
「絶対に見つからないよ。もし見つかったって、僕が絶対に君を守ってみせるから!」
知り合って間もない、見るからに非力そうなポケモンから『絶対に君を守る』と宣言されて、いったいどれだけのポケモンが安心できるのだろうかと自問する。
頼りないことはわかっている。でも、どれだけ滑稽であろうとできることはこれしかない。
「絶対に……守ってくれる?」
トゲチックは未だに不安げな顔を僕に向ける。僕は静かに、そして力強く頷いた。
するとどうだろう。彼女の顔に――ともすれば見逃してしまいそうなくらいわずかな変化だったが――微笑みの色が灯った。
「ありがとう」
トゲチックはふっと目を閉じた。
不快な怒声が湿原をうろついている間、僕はずっと押し黙っていた。神経を尖らせ、トゲチックを探さんとする人影の行く先を注視する。空にはハンターの仲間と思しきポケモンたちが円を描いて飛んでいた。
緊張は最高潮に達していた。見つかれば、トゲチックは連れて行かれる。そのときは当然戦うが、もし敵わなかったら――。最悪の事態が頭をもたげる。
だが、張りつめた空気は唐突に緩んだ。
「ここにはいない! 他の所を探すぞ!」
地鳴りのような声は、その仲間たちに移動することを告げて慌ただしく去っていった。
ああ、ようやく乗り切れた。
「あいつら、どこかに行ったみたいよ」
僕は、背後に身をひそめているトゲチックの方を振り向いた。トゲチックは血に染まった小さな翼を無造作に広げ、木の根元に寄りかかってずっと眠っている。体力的に限界に達していたのだろうが、それにしたってなかなか図太い神経をしている。
西の空を見やる。太陽は煌煌と燃えていて、空もそれに倣って黄金色に輝いている。あれほど美しく映えた夕焼けは久方振りだ。
ふと、トゲチックはいったいどれだけの距離を飛んでいたのだろうかと考えた。しかし、想像するには空はあまりにも果てしなかった。
月明かりが湿原を照らす。鏡のような湖面が、湿原全体を青白く染め抜いていた。
あの忌々しいハンター達はもう来ないだろうと、僕らは水浸しの草原に繰り出していた。
「そういえば、まだ名前聞いていなかったね。あ、僕はアメタマ」
僕らが並ぶと、トゲチックの方が幾分か背丈は高い。草に滴る露がトゲチックへまとわりつき、月光を淡く反射している。目を逸らさずにはいられない。顔つきはあどけないのに、どうしてこんなにも妖艶で綺麗なのだろう。
「私は見ての通りトゲチック。助けてくれて本当にありがとう、アメタマ」
顔がさあっと紅潮するのが自分でもわかった。お礼など改めてしなくてもいいのに。
「顔、赤いよ?」
「気のせいだよ! そんなことより、どうしてハンターに追われていたの?」
「それは……」
トゲチックは大きな水溜まりに足を踏み入れ、まだ血で汚れている部分を水ですすぎ始めた。
「たぶん、私が色違いだからだと思う」
色違い。ポケモンは何万匹に一匹という割合で、通常とは異なる体色を持って生まれる。彼女が変わった色をしているのもそれで納得した。
「それを差し引いてもトゲピーとかトゲチックって珍しいポケモンらしくて、よく人間から狙われるの。それだけでも参っちゃうのに、仲間と色が違うせいで余計に狙われやすいの。いつも気がつけばハンターに追われて、その度に逃げたり隠れたりする生活」
月光に照らされたトゲチックの顔は、とても悲しい顔をしていた。まるで、生まれたときから世を儚むことを課せられていたように、悲しみが顔に馴染んでいた。それがまたひどく美しく感じるのはどういうわけだろう。自らの妙な不健全さに罪悪感を覚えるが、トゲチック自身が、周りにそう思わせてしまう不思議な魅力を持っているのだとも言える。
「仲間と力を合わせて戦おうとしても、こっち以上の敵の数にいつも押し切られる。初めから負け戦なんだよ。それでも最初の頃はよかったの。私の体を傷つけると価値が下がるからって、できるだけ穏やかなやり方で捕まえようとしてたから、隙をついて追い返せたの。でも、なかなか捕まえられないからって日に日に執拗になって、攻撃も厭わなくなって……」
トゲチックの醸し出す雰囲気に飲み込まれて、僕は一言も言葉を発せない。トゲチックが完全に背をこちらに向けたので、表情はまったく見えなくなった。
「しあわせのこな、って知ってる?」
「……しあわせのこな?」
トゲチックは聞いたことのない単語を口に出した。
「私たちの種族は、優しいひとやポケモンに幸せを分け与えるって言われているらしいの。そのとき、そのひとに振りまくのが光る羽毛。それをしあわせのこなと言うらしいの」
「素敵だね」
雪よりも細やかな、きらきらと淡く輝く羽毛のような粉を想像した。ぎんいろのかぜに舞い散る銀粉のようなものだろうか。空から降ってきたらとても綺麗だろうなと思った。
「どうやら人間たちはそれが欲しいみたい。しかも色違いのものとなればすごく珍しい。だから喉から手が出るほど欲しい……、そう思われてる」
人間は喉から手が出せるらしいことに驚きながら、トゲチックの物言いに違和感を覚えた。自分の種族のことを語っているのに、ほとんど断定的に喋らない。
「こなを人間に分けちゃえば追われないかも」
「幸せを分け与えるってこと?」
トゲチックはこちらを振り向いた。その瞬間、心臓がぎゅっと締めつけられて苦しくなった。
トゲチックは涙を流していた。とめどなく流れるそれは、水溜まりにぽたりぽたりと落ち込んだ。
「ないものを、どうやって分け与えればいいの?」
星を散りばめた夜空を映す大きな湖面が、青白い愁いを帯びていた。
トゲチックが幸せを知らないのか、それとも感じられないのか、僕にはわからない。
再び眠りについたトゲチックの背中は寂寞としていて、今にも露と消えてしまいそうだ。血は洗い落せても、負った傷はまだ癒えていない。それでも、体の傷なのだからそのうち治るだろう。
だが、心の傷はそう容易く癒せない。そして、日々ハンターに追われる恐怖と戦うトゲチックの心情を推し量る術を、僕は持ち合わせていない。
どうしたらトゲチックは幸せになれるのだろうか。小さい頭で考える。考えて、考えて、考えて。
それでも、よくわからなかった。
僕の幸せは、とても簡単にできているのだけれど。
雨の中を散歩し、鳥ポケモンの落とした羽根を拾い、粉雪に身を震わせる。全部楽しくて、幸せを感じられる。空が落とすものは、僕に幸せを運んでくれるのだ。
あとは――トゲチックと一緒にいるときも、同じような幸せを感じている気がする。なぜだろう。
もしかしたら、トゲチックも空から降ってきたものだったからなのかもしれない。
トゲチックもそう感じてくれているといいなと思う。僕の一方的な押し付けかもしれないが、それが叶わないのならば、せめて幸せになる手伝いくらいはさせてほしい。
きらりと瞬いた星に、そっと願いを乗せた。
トゲチックの体の傷はゆっくりと、しかし確実に癒えていった。元気に飛べるようになるのも時間の問題だろう。しかし、それを喜ぶようなことをトゲチックはしなかった。体の傷に対しては無関心を貫いているようにも見えた。「傷、良くなってきてるね」と声をかけると、「うん」と笑顔で返してくれるものの、そこに漂う悲しさは濃さを増していた。
トゲチックがここに留まってくれるのはとても嬉しいが、帰る場所がないわけではないだろうし、何より慣れない場所にずっといることで、ただでさえ疲弊している心に余計な疲れを与えてしまうのではないかという危惧があった。幸せにするどころか、これ以上不幸にならないようにすることで手いっぱいだった。
「元いた場所に帰ることは考えていないの?」
それで、魔が差して要らないことを言ってしまった。トゲチックの悲哀がより暗く深くなった。
「帰っても、また追われるだけ。そうなるんだったら、ここでずっと暮らしていた方がいい。人間もあまり来ないみたいだし、安らげるから」
トゲチックは、不幸を消すことは考えていても、幸せになることは考えていなかった。
何度も自分の無力さを実感した。不安を取り除くことも、笑わせることも、トゲチック相手には何一つ満足にできなかった。でも――、
「トゲチックがそうしたいなら、僕はずっとそばにいるよ」
僕がそう言った後にトゲチックが向けてくれた一瞬の微笑みを、絶対に守りたいと思った。
その日もちょうど一週間前と同じく、空に居座る雨雲は大量の水を抱えている様子だった。
以前のように強風が伴わなければ、そう危険には晒されないだろう。だから、もし雨が降ったら波立つ水溜まりの上を泥だらけになって遊ぼう、とトゲチックに提案した。けれどもトゲチックは露骨に嫌がった。トゲチックと僕では感性があまりにも違いすぎたのだ。それを計算に入れていなかったのは完全な過ちだった。
トゲチックはというと、いつ降るかわからない雨のために、木の下に避難していた。行動が消極的なのはいつも通りだった。
「一緒に遊びたかったけれど……しかたないか」
何かふたりで一緒にできることはないだろうか。いつも憂鬱そうなトゲチックを無理に連れ出すのは気が引ける。かといってこのまま放っておいたって幸せになれるはずもない。トゲチックが自ら動こうとしないのは、目立つ行動が命の危険に直結してしまう生活をしてきたからだろう。だから静謐を好むのだ。しかしそれは不幸を避けると同時に、幸せの放棄だ。事実、トゲチックはとてもつまらなそうな顔をしている。ならばきっと、その板挟みから引っ張り出してあげるのが僕の役目だと思っている。でも、
「どうやってそんなこと……」
方法がまったく思いつかなかった。共有できる楽しみなんてないし、そもそもトゲチックが何に楽しみや幸せを感じるのかがわからない。
この地に留まり、時間を経れば、トゲチックは自然と幸せに巡り合えるのだろうか。ならば何もせず、一緒にいて、その時を待つべきなのではないだろうか。
それが僕にできる唯一の方法のような気がした。
だが、小さな頭を絞りに絞って至った結論は、トゲチックの一言によって立ち消えた。
「私、明日にはここを発とうと思うの」
再び性懲りもなくトゲチックを湿原の真ん中に連れ出そうとした、そんな矢先のことだった。
「ど、どうして?」
「やっぱり、これ以上あなたに迷惑かけられないもの」
全く予期していない答えだった。何日か前には、ずっとここにいたいなんて話していたはずなのに。この心変わりは解せなかった。
「迷惑だなんて、そんなこと一度も思ったことないよ」
「あなたならきっとそう言うだろうと思ってた。でもね、やっぱり私ひとりの問題にあなたを巻き込んじゃいけない」
「そんな……」
「わかって。誰かに迷惑をかけてると思うと、ただでさえ心が苦しいのに余計に参っちゃうの」
ただただ呆然とするしかなかった。ひょっとしたら、僕はトゲチックにとって足枷のような存在でしかなかったのかもしれない。
「誤解しないでね。私、あなたと会えて本当に良かった。安らぎとか静穏とか、私には無縁なものだと思っていたけど、あなたといるときはずっと平和で……平和で……」
トゲチックが言葉を詰まらせる。円らな瞳には涙を湛えていた。その表情には、いつも悲しさと美しさが同居している。悲しみをぼかすために、別の要素を併せ持たずにはいられないのだ、と僕は一目見たときから勝手に決めつけていた。
そのせいかもしれない。今のトゲチックの涙は、悲しみを表すために流されたものなのではないと気づくことができなかった。
「これでも、幸せだったんだから」
濡れそぼったトゲチックの体が光った。何かの粉か、粒か、それとも細かな羽毛か。きらりきらりと僕たちの周りを舞い、降りかかるそれは、紛れもなくトゲチックの言っていた『しあわせのこな』だった。
トゲチックが何に幸せに感じて、しあわせのこなを振りまけるようになったのか。僕の小さな頭じゃやはりわからなかった。けれど、そんなことはどうでもよかった。
今、トゲチックは幸せで、僕はそれが嬉しい。
そして、幸せが壊れるのはいつだって唐突だ。
「きゃっ!」
「うわっ!」
僕たちの間を何かが通り抜け、凄まじい風圧で弾き飛ばされた。一瞬の出来事に転がり倒れ、その間に考えることができたのは、何かの正体よりも、トゲチックが無事かどうかであるだけだった。
上方から悲鳴が聞こえる。空を見やると、信じられない光景が繰り広げられていた。
トゲチックが三匹の鳥ポケモンに追い回されていて、その攻撃を必死に回避していた。
「ハトーボー、かぜおこし! オニスズメ、みだれづき! ウォーグル、エアスラッシュ!」
思わぬ襲来は、既にここを去っていたはずだったハンターとその仲間だった。ハンターは僕から少し離れた所に立って鳥ポケモンたちに指示を出していた。ここまではっきりとハンターの風貌を確認できたのは初めてだった。体格はよく、黒ずくめで、帽子を目深に被っている。ドンカラスを思わせる様だった。
「きゃあ!」
悲鳴。かぜおこしでバランスを崩されたトゲチックが、オニスズメとウォーグルの攻撃の餌食になっていた。
「トゲチック! くそっ、バブルこうせん!」
すべてをぶち壊そうとする理不尽を薙ぎ払うかのように、僕は目いっぱいの力で上空にバブルこうせんを放った。しかし、鳥ポケモンたちの動きはあまりにも速く、泡は一つたりとも当たらなかった。その間にもトゲチックの体には傷がつけられようとしていた。
幸せだと僕に言ってくれたトゲチックの心が、またこんな奴らに蝕まれるのか。それだけは絶対にさせてはいけない!
「バブルこうせん!」
もう一度同じ技を放った。ただし今度は空ではなく、ハンターに向かって、だ。
「なっ!」
ハンターは驚きの声を発し、乱れ飛んでくる膨大な泡に圧倒され、地面に倒れた。同時に、鳥ポケモンたちの動きも緩慢になった。あいつらはハンターの指示なしには動けないのだ。
その拍子に、すかさずトゲチックは反撃を開始した。
無数の木の葉がトゲチックの周囲にゆらゆらと現れると、不規則な動きで鳥ポケモンたちに襲いかかった。マジカルリーフは必ず敵を捉える技だと、以前トゲチックは言っていた。
鳥ポケモンたちはぎゃあぎゃあと喚きながら四散した。一方的だった形勢はなんとか持ち直ったが、それでも数的には依然不利だった。
「トゲチック、逃げよう!」
「うん!」
トゲチックはすぐさま鳥ポケモンたちから離れ、僕もついていこうとした。が、
「エアスラッシュ!」
背を見せたときに、僕はまともに攻撃を喰らった。僕の軽い体はいとも簡単に吹っ飛び、水溜まりに打ちつけられた。
「アメタマぁ!」
トゲチックの叫びが湿原に木霊する。
「ふん、邪魔が入ったか。おい、先にこいつを片付けるぞ! ハトーボー、でんこうせっか! オニスズメ、つばめがえし!」
既に立ち上がっていたハンターは己の分身たちに迅速に指示を出していた。
避けなければ――そう思った。しかし、遅かった。
僕の体は宙に弾き飛ばされていた。指示と攻撃の間にまったく時間差がなかったと錯覚してしまうほどに速いでんこうせっかだった。
「やめてぇ!!」
トゲチックが一体何を叫んだのかは聞き取れなかった。直後につばめがえしという二連攻撃が襲いかかり、僕はうめいた。飛行タイプの技は、受けてしまえば大ダメージだ。視界が暗転し、地面に叩きつけられる。
「あ……あ……」
奈落の底に霞んでいるような意識の中で、虫の息とはこういうことなのかと思った。トゲチックは生け捕りにしなければいけないのだろうが、連中にとっては僕のような虫ポケモン一匹何とも思っていないのだ。
霞む視界にかすかに白く映っているのは――トゲチックだった。僕のそばから離れない。
なんで逃げないんだ。僕を気にかけているからか。これじゃ本末転倒ではないか。こんなことになるなら、仲良くなんてしなければよかった。
「アメタマ! アメタマ! しっかりして!」
トゲチックは僕の名を何度も呼ぶ。ただの残響のようにも思えた。
額に何かが落ちた。トゲチックが流し落とした涙だろうか。
いや、違う――。
ぽつり、ぽつり、と淡く静かな音がする。湿原中の水溜まりが、トゲチックの残響を強める。
やがてそれは土砂降りになった。
「……雨だ」
それは、僕を幸せにしてくれるもの。
僕はゆっくりと立ち上がる。
まだ負けてはいけない。天気はまだ、僕の味方をしてくれている。