終
久しぶりに入る資料室は、埃と紙のにおいが充満していた。
「苦労しそうだな……」
本棚は部屋の大部分を占有していて、さらに本の並び順はまったく秩序立っていない。背表紙だけが目的の本を探す手掛かりだ。
しかし、こうして見てみると本当に古い本が多い。本来ならば処分を免れ得ぬはずだった蔵書たちが、無造作に投げ入れられているだけの墓場。資料室とは名ばかりの物置だ。
あの頭の呆けた同期が目的の本をここに収納したなんて言わなければ、こんな部屋に入る道理もないのだが。
「ウルガモスと古代イッシュの太陽信仰、ウルガモスと古代……」
探し物の題名を復唱しながら、本棚の中を確認していく。せめて五十音順でまとめておいてくれれば、と心の中で愚痴る。
「……信仰……、ウルガモスと古代イッシュ……ん?」
半ば諦めかけていた頃、一冊の本が目を引いた。
他の本と同じく埃を被っていたそれを、私は遥か昔にどこかで見たような気がした。
指を引っ掛け、埃が舞わないようにゆっくりと引っ張り出す。
「これは……」
現れたのは、くたびれた濃赤色の重厚な表紙に、金文字で『虫ポケモン図鑑』と書かれている本だった。
「……懐かしいな」
こんなものがこんなところにあったのかとひどく感慨深い気持ちになる。子供の頃、図書館からこれと全く同じものを借りてきては飽きもせずに読み耽っていた。どの虫ポケモンたちも魅力的だったが、とりわけ私が興味を示していたのは――。
「……あったあった」
二一六頁から数頁にかけて載っているヌケニンの説明だった。
森の中でひたすら逃げ惑った私は、地面から飛び出している木の根につっかかって転び、動けなくなってしまった。絶体絶命とも言うべき状況で、私は一筋の光明を与えられた。興味本位で兄の部屋に忍び込み、兄の本性に触れてしまった憐れな私に。
初めは身震いした。魂を吸い取るなどという眉唾物の言い伝えを、私は真偽に関わらず信じていたのだ。それは平時においてはただ恐怖をもたらす抜け殻でしかない。
しかも、その抜け殻の目に点っている光は、兄のと非常によく似ていた。そのせいで私の混乱と恐怖は余計に増長した。
しかし、それが功を奏したのかもしれない。私は掻き乱された頭で右往左往しながら生き延びる方法を模索し――自殺行為としか思えないような発想も容易く受け入れた。
ヌケニンの中に自分の魂を封じ込めてしまえば兄から逃れられるのではないか。
突飛で、頭の中を疑うような考えだ。
結果的にこの方法は間違っており、封じるべきは自分自身ではなく兄の方だったのだが、一応は及第点だった。
私はその図鑑を自らの薄暗い研究室へと持ち込んだ。やたらと大きな機械の中で、パッチに全身を覆われたメラルバが静かに眠っている。私は機械を作動させるのを後回しにして椅子に座り、机上の電灯に照らされながらその黄ばんだ説明文を読んだ。
何もかもが懐かしく感じられる。既に絶版から二十年以上は経っているであろうから、もう二度とお目にかかることはないと思っていた。
だが、あの非日常的な記憶がこの図鑑のように色褪せることなど、絶対にありはしない。
私の背後に、ぬらり、と黒い影が忍び寄る。文字を追う私の目が止まった。
「まだ還しては……くれないのか?」
ゆらり、と影が揺れて、それ以降気配はしなくなった。
私はふっと笑った。
そう、絶対にありはしないのだ。