カクレオンと司書さんの土曜日
「・・・そのポケモンがうまれて、私たちは何かを決意し、
行動するようになった・・・」
ミオ図書館の児童コーナー。
毎週土曜日は読み聞かせの日である。
ミズゴロウの絵柄のエプロンをつけた司書の女性が、シンオウ神話を分かりやすく絵本にしたものを、子どもたちに読み聞かせていた。
子どもたちは司書をぐるりと取り囲み、真剣にそれに聞き入っている。
「・・・はい。今日はおしまい」
ぱたん、と司書が絵本を閉じると、途端に部屋の緊張感は薄れ、子どもたちはわいわいとさわぎ始める。
「面白かった?」
司書が尋ねると子どもたちは口々に答える。
「うん!」
「神話ばっかりでつまんなーい」
「あの蒼いのかっこいいな」
「ええー、ピンクだよ。かわいいもん」
「私はきいろのかなー」
男の子が言うと、女の子たちが反論する。
司書はそんな子どもたちの様子をほほえましそうに眺めてから、膝に置いた絵本の表紙に目をやった。
知恵の神、ユクシー。
意志の神、アグノム。
感情の神、エムリット。
司書はううん、と少しうなった。
詳しい文献に載っている彼らの姿とは、この絵本に描かれた姿はあまり似ていない。
子どもたちに間違った知識を植え付けるのはどうだろう、とも思う。
司書はしばしばやってくるチャンピオンが、これが一番正解に近いと言っていた文献の、彼らの姿を思い出した。
「ねえ、みんな。今日はもうちょっと難しい本を見てみる気はある?読まなくてもいいわ」
「なんでー?」
「難しいのはわかんないよ」
そういいながらも、立ち上がった司書に子どもたちはぞろぞろとついていく。
ミオシティは、古くから読書が盛んな街だ。
この街では、無骨な船乗りやジムトレーナーたちにも、読書を楽しむ習慣が根付いていた。
ミオの子どもたちは、海で泳ぎ、校庭でサッカーや鬼ごっこを楽しんで、それと同じ感覚で図書館にやってくる。
とくに土曜日の読み聞かせには、毎週街のほとんどの子どもたち(といっても15人程度だ)が訪れた。
「静かにね」
「はーい」
返事も小声で、司書と子供たちは階段を下りていく。
一階まで降りると、司書はぐるりと見回して一般客がいないことを確認すると、子どもたちを呼び寄せた。
子どもが大勢いるだけで不快に感じる客もいるからだ。
それからカウンターを預けていた自らのポケモンに声をかけた。
「カクレオン」
・・・・・・・・
返事はない。
「・・・もう」
司書は頬に手を当てて小さくため息をついた。
「ミヨコせんせー、カクレオンは?」
一番年少の男の子が、エプロンを引っ張って聞いた。
司書はしゃがんで男の子に視線を合わせて答える。
「カクレオンはかくれんぼ中なの。見つけてあげて?」
「! わかった!」
男の子はかくれんぼの一言にぱっと顔を明るくした。
他の子供たちはすでに一階のあちこちを探し始めている。
男の子もあわててそれに加わった。
「さて、今日は誰が見つけるかしら?」
カクレオンは客がいないとしばしばこういう悪戯をする。
子どもたちに捜させるが、見つけられる場合はそうそうない。
結局いつも司書が見つけることになる。
と、思ったところでもう目の端に赤いぎざぎざが揺れているのが眼に入った。
本棚の高い所に登っているらしい。
子どもは基本的に自分の目線の高さより下にしか意識をむけることがないから、あれではなかなか見つからないだろう。
司書は手が届かないので、掃除用のはたきをカウンターから取り出し、柄を向けて赤いぎざぎざをつついた。
「見ぃつけた」
「けろ」
緑色の体が現れた。
「あー!またミヨちゃんせんせーが最初」
「そんなところにいたのか」
「ずるいー!」
「けろ」
子どもたちから大ブーイングが起こるが、カクレオンは平然としている。
「はーいみんな、しー、よ」
さわぎ始めた子どもたちに、人差し指を口の前に持っていってみせる。
子どもたちはあわてて口に手を当てた。
「図書館はしずかに」
「じゃないとせんせーに怒られちゃう!」
「ご本よんでくれなくなっちゃう!」
「やだあー」
「しーだよ、しー」
「しー」
子どもたちがお互いにお口にチャックしあうの見て笑いながら、司書はまだ本棚の上にいるカクレオンに声をかけた。
「ちょうどいいわ。そこの右から3番目の本、とってちょうだい」
「けろ」
カクレオンは指示通りの本を本棚から抜くと、ひたりと音もなくカーペットの床に降り立った。
「はーいみんな、注目」
「なあに?」
「さっきゆってたのってこの本なの?」
「ぶあついね」
「むずかしそう」
司書はぱらぱらとページをめくっていく。
チャンピオンにそのページを見せてもらったのは随分と前だから、どのあたりだったか忘れてしまっていた。
何度か最初のページと最後のページを往復して、やっと目当ての絵が載っているページに辿りついた。
「みんな、これがさっきのユクシー、アグノム、エムリットよ」
子どもたちは競うようにページを覗き込む。
「何かちがうね」
「こっちの方がすき」
「ちょっと怖いな」
「見えないよう」
「交代で見るのよ?」
ミオの子どもたちは好奇心旺盛だ。
おそらく内容は理解できないだろうが、それでも分厚い専門書に熱心に見入っている。
「他にも何かあったかしら・・・あんまり前で覚えてないわ」
「けろ」
「あなたも覚えてないの? 頼りにならないわねえ」
子どもたちの熱心な様子に、もっと資料を見せてあげたいと思うが、司書とはいえ膨大な蔵書を誇るミオ図書館すべての本の内容と質を把握できているわけもない。
「今度シロナさんがいらっしゃったら、また教えていただかなくちゃ。ね、カクレオン?」
「けろ」
そこで、入り口の自動ドアが開いて、一般客が入ってきた。
「あら。みんな、その本もってあがっていいから、上で見ましょう」
子どもたちは別のページを開けてそれも熱心に見ている。
一番年長の子どもが司書の言葉に気づいて本を持ち上げた。
「いくぞ」
「「はーい」」
「じゃあ、カウンター頼んだわね」
「けろ」
司書はカクレオンにカウンターの管理を託すと、子どもたちの後ろをついて児童コーナーに上がっていった。
「けろ」
カクレオンは階段を登る飼い主の背中を無表情に見送ってから貸出カウンターの椅子によっこいせと座った。
シンオウの午後の鈍い光が窓から差し込んで、図書館は今日もとても静かで、少しだけ賑やかだった。