独白
『彼』はそこに立っていた。
そこにじっと立ち尽くして、一面に細かい氷の粒が浮かぶ景色を見つめている。
この場所には四季がないから、いつしか定期的にめぐってくるこの景色を時間の流れの継ぎ目にするようになった。
吐く息が白い。
吹雪は止んでも気温はむしろ下がっている。
『彼』のリザードンは薄着の主人が凍えてしまわないように、護る様に傍らにいる。
いつもなら『彼』の肩の上にいるはずのピカチュウは、嫌いなはずのモンスターボールの中とこの寒さとを比べて、まだボールの方がましだと出てこない。
細かい氷の粒子が、煌いている。
太陽は見えているが、薄雲がかかってぼんやりしていた。
幻想的な風景。
もう何度、この景色を見ただろうか。
分からなくなるほど長い時間をこの場所で過ごしていた。
ここが好きなわけじゃない。
寒さと孤独は暴力的なまでで、慣れても好ましく思うことはなかった。
ただ、忘れた頃に訪れるこの景色だけが、『彼』を少しだけ慰める。
帰ってくればいいじゃないか、とかつて共に旅立ちポケモントレーナーとしての技を競った友人は言った。
そうするのもいいな、と思った。
母にも何年も会っていない。
会いたいと、思わないはずがなかった。
優しく温かいふるさとを、懐かしいと、思わないはずがなかった。
それでも『彼』はここを動かない。
動くことが、できない。
「そらをとぶ」であっという間に飛んでいけるはずなのに。
『彼』は知っている。
『誰か』が『彼』を、ここにいるように『設定』した。
ここで立ち尽くし続けて、待ち続けるだけの存在として、『彼』は決められている。
まるで彫像のように。
オーキド博士に図鑑と初めてのポケモンをもらって、旅に出たあの頃の記憶は、今でも鮮明なイメージと共に彼の中にあった。
ただ、そのイメージはまるで映画のように、リアリティを伴わない。
どこか、別の世界で起きた出来事のようにも思われた。
雪と絶壁。
ここには『彼』がかつて胸を躍らされたはずのものは何もない。
カントーのチャンピオンになったなら、他の地方に行くなり、できることは他にもあったはずだ。
それでもこの場所を、こんな場所を、『彼』が選んだのは。
寒さで色を失っている顔が、わずかに笑みのような表情を形作る。
ああ。
あの頃はあんなにも自由だったのに、
今はこんなにも縛られている。
滑稽ではあるが仕方がないことだ、と『彼』は思う。
『彼』はひどく自覚的だった。
主人公が変ってしまったのだ。
そして自分はその新しい主人公を待ち続けるだけの象徴として、この場所を動けない。
――――早く。
――――早く、ここまであがって来い。
ずっと、望み続けていた。
毎日、毎日。
ふと傍らのリザードンが低く鳴いた。
ざく、と雪を踏む音がした。
――――ああ、やっと。
『彼』はゆっくりと振りかえった。
いつの間にかリザードンはボールに収まって、気がつけばひとりきりだった。
そういう『設定』になっていた。
笑って何か言おうとして、声も出せず、表情も変えられないことに気づいた。
――――何も、言わせてもくれないのか。
仕方なく、帽子のつばを少しだけつまんで下げる。
あの頃の『彼』と同じくらいの歳の少年が、『彼』を見つめていた。
視線は、まっすぐで、決意に満ちている。
『彼』はかすかな既視感と共にその視線を受け止めた。
かつての『彼』がそうであったように、いずれはこの少年も『彼』を倒すだろう。
勝てない敵は、敵として成り立たないから。
それでも。
ボールの中のピカチュウが、ため切った電気を威嚇するようにばちばちと鳴らしている。
『彼』はそんな相棒に小さくうなずいた。
ああ、そうとも。
簡単に負けてやるつもりは、ない。
「……… ……… ……… ………
……… ……… ……… ……… ▼」
さあ、始めよう。