カクレオンと司書さん
静かな港町、ミオ。
娯楽の少ないその町では、人々は昔から読書を好んだ。
その象徴として町には立派な図書館がある。
「カクレオン、そのカートの本、あそこの棚に戻してね」
「けろ」
ミオ図書館を管理しているのは、若い女性の司書と、彼女の手持ちであるカクレオンだ。
彼女とカクレオンは、毎日毎日、本の群と共に生きる。
「これが終わったら、明日の読み聞かせの会の題材を選ばなくちゃ。ね、カクレオン」
「けろ」
流れるような動作で棚に本を置きながら、ひそやかに彼女とカクレオンは会話を交わす。
平日の昼間であるため、ほとんど館内に人はいないけれど、大きな声は図書館に似合わないから、小さな声しか出さないのだ。
「シンオウ神話は子供向けのものはもう読みつくしてしまったし・・・たまには普通の童話がいいかしらね、カクレオン?」
司書が顔をあげると、傍にいたはずのカクレオンが見当たらない。
「もう」
彼女がきょろ、と見回すと、すぐに赤いぎざぎざがカーテンの横に揺れているのを見つけた。
ちょん、とそのぎざぎざをつくと、カクレオンが姿を現した。
「まだ終わってないでしょ。遊ぶのはあとよ」
「けろ」
カクレオンは何事もなかったかのように作業を再開する。
司書も小さくため息をついて、作業に戻る。
カートに入っていた本が、もう残り少なくなる頃。
「まねー!」
小さなピンク色のポケモンが、ちょこんとカートに飛び乗りくるくると踊った。
「あら。あなたは」
「まね!」
こつ、こつ、と革靴の底が鳴らす硬質な音が聞こえた。
「マネネ。粗相をしてはいけませんよ」
振り返ると、スーツを着てサングラスをかけた青年が立っていた。
マネネはぴょこんと跳ねて、青年の足下でまたくるくる廻った。
「ゴヨウさん、」
「すみません」
「いえ。大丈夫ですよ」
司書は微笑んだ。
「返却に来ました」
「ありがとうございます。・・カクレオン」
「けろ」
カクレオンはゴヨウの手から数冊の本を受け取ると、返却手続きをするためにカウンターの方へと歩いていった。
マネネがそれを真似して追いかけていく。
「こら、マネネ」
「大丈夫ですよ、今はお客様もほとんどいませんし」
叱ろうとしたゴヨウを司書が止めた。
「返却も、言ってくだされば宅配も利用できますよ?リーグがお忙しいのではありませんか」
「いえ、僕がここが好きで来ているんですよ」
「まあ、嬉しい」
「それに、前にいる3人ががんばってくれますから、僕やチャンピオンはそれほど忙しくないのです。特に彼女はリーグにいることのほうが少ない」
役得という奴ですよ、というゴヨウに司書はくすくす笑った。
「よく来てくださいますよ、シロナさん」
「ええ。ここはシンオウ神話に関する文献が豊富ですから」
「読書がひと段落着いたら、他の地方を回った話なんて、してくださるんです。羨ましいですわ。私はほとんどミオしか知りませんから」
司書は遠い異国に思いをはせるような遠い目をした。
ゴヨウは穏やかな顔で聞いている。
「おそらくシロナさんよりあなたの方が多くの世界を知っていますよ」
そして多くの世界に囲まれて生きている、とゴヨウは言った。
「そうですね。これだけの本の中で生きられるのだもの、幸せなことです」
カクレオンとマネネが戻ってきた。
「けろ」「まねー!」
「ご苦労様。・・・休憩にしましょうか。お茶を入れますから、ゴヨウさんもいかがですか?」
「おや。それでは、お言葉に甘えましょうかね」
図書館のテラスはちょうど、午後の鈍い日が当たっていてほのかにあたたかい。
「紅茶でよかったかしら」
「ありがとうございます」
ゴヨウが口をつけようとすると、眼鏡が曇った。それを見てくすくすと司書が笑う。
ゴヨウは決まり悪そうな顔をして、眼鏡をはずした。
「読書のときは、サングラスは目によくないですよ」
「僕の手持ちはエスパータイプが多いですからね。技も光を発するものが多くて」
「ああ」
司書はなるほど、とうなずいた。
テラスから見える小さな芝生の広場で、マネネとカクレオンが遊んでいる。
というよりも、マネネが一方的にカクレオンにまとわりついているだけだった。
「カクレオン、ちゃんと遊んであげなさいな」
「いいんですよ。マネネには十分ですから」
本を読んでも?とゴヨウは聞いた。どうぞ、ここは図書館ですから、と司書は答えた。
司書もエプロンの大きなポケットから文庫本を取り出して見せた。
会話はなく、ページをめくる音と、カップをソーサーに置く音と、マネネの笑い声だけが響く。
「いつ来てもいいですね、ここは」
ゴヨウは呟いた。司書も顔をあげる。
「本当に静かだ」
「ええ」
私もここが好きですわ、と司書は言った。
「けろ」
「まね!」
二匹がたたた、と走ってきた。
「なあに?」
「けろ」
「まあ、バトル?駄目よ、ご迷惑だわ」
「まねー!」
ぴょん、とマネネが司書の膝に飛び乗った。
「けろ」
「いけません」
「構いませんよ」
オーバ君によると、こういういい天気の日はバトル日和だそうですから、とゴヨウは呟いた。
司書は首をかしげる。
「いいのかしら、四天王の方と私みたいな一般人が」
「大丈夫ですよ。リーグを離れれば僕らもただのトレーナーに過ぎません」
「まあ」
「けろ」
「じゃあ、お願いします」
「こちらこそ」
「ルールは一対一でいいですか?」
ゴヨウは眼鏡を直しつつ聞いた。司書はうなずく。
「お手柔らかにお願いしますわ」
「では、はじめましょう」
ゴヨウがコインを投げる。地面についた瞬間が、バトル開始だ。
「マネネ、」
「カクレオン!先手必勝よ、かげうち!」
「けろ」
先制技である、かげうち。カクレオンの影がぐぐぐ、と長く伸びて、マネネを攻撃する。
「まね!?」
「物理ですか・・・しかもエスパーに抜群のゴースト技・・・ふむ」
では、とゴヨウは呟いた。
「マネネ、リフレクター」
「まねー!」
光る壁がマネネの前に現れる。
「サイコキネシス」
「けろ!?」
「ああ、カクレオン!」
「マネネ、もう一発です」
「二発目は効きませんよ」
司書は不敵に笑った。
ゴヨウは顔をしかめる。最初のサイコキネシスよりも、明らかにダメージが少ない。
「“へんしょく”ですか。・・・厄介ですね」
「カクレオン、だましうちです!」
「けろ」
「まねー!?」
マネネは防御力が低い。リフレクターを張っていても、効果抜群の悪技に耐え切れずに倒れた。
「お疲れ様、カクレオン」
「まだ安心するのは早いですよ」
司書の方を振り向いて僅かに自慢げな顔をしたように見えたカクレオンが、倒れた。
司書は驚いて目を瞠る。
「カクレオン!?」
「運がよかった」
ゴヨウは笑って、よろよろと起き上がったマネネの持ち物を見せた。
「きあいのハチマキ・・・・」
「運頼みは好きではないのですけども」
司書は目を回して倒れてしまったカクレオンを抱き上げた。
「最後の技はシャドーボールですね」
「ええ。カクレオンの特性を利用させていただきました」
「やっぱりバトルは難しいですわ」
「そんなことはありません。そのカクレオンもよく育っていますよ」
げんきのかけらを食べさせると、カクレオンは目覚めた。
「けろ・・・」
あまり表情のない顔がしょんぼりしている。
「お疲れ様。今回は残念だったわ」
「けろ」
「さあ。遊びはおしまい。明日の読み聞かせの本も選ばなければいけないし」
「おや、明日は読み聞かせの日ですか。ならば明日来るべきだったかな」
ゴヨウがマネネに傷薬をふきかけながら言った。
「子供向けのものですよ」
「題材は?」
「それがまだなんです」
「それではこちらがお邪魔してしまったみたいですね」
「いえ、そんな」
司書は困ったように眉を下げた。
ポケモンたちは首をかしげた。
ゴヨウは笑って、ではそろそろ失礼します、と言った。
マネネをボールに戻す。
「あ、ゴヨウさん。リーグに戻ったらシロナさんに、返却期限はなるべく守っていただくようにと伝えてくださいな」
「・・・なかなかルーズな所のある人なんです」
「存じてますわ。できるだけ、で結構ですから、とも」
「わかりました」
ゆっくりと、ミオの海に太陽が沈んでいく。
シンオウの夜は寒い。冷たい海風が吹いて薄着の司書はふるりと震えた。
「風邪をひいてしまいます。早く中へ」
「ええ。ぜひ、またいらしてくださいね」
「もちろん」
「けろ」
カクレオンがボールの中のマネネに手を振った。