海想う
海想う
海想う
満月の夜で、人工の光がほとんどないタンバの浜辺は、月明かりとそれが海に反射した光だけでひどく明るい。


カイは砂浜に腰を下ろして、ぼうっと海を眺めている。


こんな夜は、普段深海にいるチョンチーやランターンたちが水面まで上がってきて、
まるで海の中にも宇宙があるかのような、幻想的な光の世界を描く。


ホウエンでは、蛍のような虫ポケモンたちが、夜光って飛び回ると言う。
写真で見たことがあるけれど、カイはタンバの海のほうが好きだった。


沖に渦巻き島列島が見える。
渦潮が多く、航行の難しい魔の海域。
そんな中を悠々とマンタインが飛び跳ねているのが見えた。


「あのマンタイン・・・大きいな」


タンバに育ったカイは、マンタインをよく見る。
あの大きさなら、長く生きていそうだ。


あるいは、あのマンタインなら知らないだろうか。
あの人たちが行ってしまった海のどこか深く。


もっと近くで見たくて、カイは立ち上がり、海の方へ歩いていく。
水に足が浸かっても、気にせず進んでいく。
足がつかなくなっても、どんどんと泳いでいく。



「!」

ぱりっ、と足に痺れのようなものを感じた。
見ると、チョンチーがすぐ足下にいて、警戒するように左右の発光器をちかちかさせていた。
「わ、ごめん。でも、」
もうちょっと、と顔をあげると、すでにあのマンタインは見えなくなっていた。
「あ・・・・」
カイは呆然とかの大魚が去った方を見つめる。
落胆して肩を落とした。


カイに敵意が無いことが分かったのか、近くにチョンチーたちが増えていた。


足下が明るい。水底まで見通せそうで、見えなかった。


カイはチョンチーを刺激しないように、ゆっくりと波に身体を横たえ、身を任せてみる。
晩夏の水は生温くて優しい。
高く上った月が眩しくて、目を閉じると、波の音だけが身体に染み入ってくる。
眠ってしまいそうだった。





「カイー!カイ!どこ!?」



聞き覚えのある騒々しい声が聞こえて、目を開いた。
浜を見ると、幼馴染の少女が自分を呼んでいた。


「マナ」
「カイ!?何やってんのよ!探した」
「・・・なんで」
ゆっくりと岸まで戻り、緩慢な動作で水からあがると、濡れた身体に風が冷たかった。
寒いな、と感じる。


マナはびし、とカイを指差しねめつけた。
「ポケギア鳴らしても出ないし、部屋に行ってみたらモンスターボールもぜーんぶ置きっぱなしじゃない。心配したのよ」
「べつに、海見てただけ」
「馬鹿。見るだけじゃ濡れないわよ」
呆れたような顔で大きなタオルを放ってきたから、大体予想はできていたみたいだ。
「・・・悪い」
「もう」
大げさにため息をつきながらどっかと砂浜に腰を下ろしたので、なんとなくカイもマナが濡れないように気を遣いながら隣に座った。


「綺麗ね」
「ああ」
海を見つめる彼女の長い髪が風に僅かになびいている。
海はいよいよ黄金色に揺らめいていた。


「・・・・おじさんとおばさんのこと、考えてたの?」
マナは恐る恐るたずねた。
カイは答えない。
ただ、じっと海を見ている。


一匹のマンタインが水面を跳ねた。
遠くにその大きな影が見えなくなった頃、カイが口を開いた。


「ばあさまが、海の神様が父さんと母さんを連れて行ったんだって、言ってただろ」
「う、うん」
急に話し始めたカイに、マナはあわてて相槌を打つ。
「どうしてかなと思ってさ」
水平線のその先を見るような遠い瞳でカイは言う。
マナはじっと聞いている。



「俺も、連れて行って欲しかった」




「・・・・・うん」


水難事故は、海と共に暮らすタンバではそれほど珍しいことではない。
ただ、それを海神が連れて行ったと解釈するだけだ。
迷信だと皆知っている。
ただ、悲しみを紛らわせる手段として、海神を使っているだけだ。


マナは少年の手に自分の手を重ねてみた。すい、とよけられる。
「俺の手、今冷たい」
「大丈夫」
もう一度手を伸ばすと、今度はよけなかった。
冷え切った手は大きくてごつごつとしていて、マナのものとは随分と異なっている。
幼い頃は、大して変わらなかったのに。

ぎゅっと握り締めた。


「カイが行っちゃったら、やだよ」
「行かないよ」


「嘘つき」


マナはふくれっ面で言った。
「知ってるんだから。本土で勉強して、就職しようとしてるって」
「・・・・・なんで」
カイは驚いた顔をして、初めてマナのほうを向いた。
「ばあさまに聞いた。最近こそこそ受験勉強してるみたいだったから」
カイは苦笑する。
「ばあさまは口が軽すぎる」


「・・・・・やだよ」
「うん・・・・ごめん」
視線は合わない。ただ、ひたすら二人とも海を見つめている。


「タンバが嫌いになった?」
「違う。海も・・嫌いになるかと思ったけど、なれなかった」
「じゃあ、いいじゃん。ここにいれば」


手は繋いだままだったけれど、マナは隣の少年がどんどんと遠くなっていくのを感じている。
カイも、また。


「・・・いつだって帰ってこれるよ」
「帰ってこないかもしれない」
「帰ってくるよ」
「・・・嘘つき」
「嘘じゃない」
「・・・・馬鹿」
「・・・ごめん」
「何で謝るの」
「ごめん」


海風がふいて、くしゅん、と小さくカイがくしゃみをした。
「ちゃんと拭く」
繋いでいた手が離れて、被っていたタオルを少女の手がごしごしと動かしていく。



そのとき。
ざ、と波の音が強くなった。チョンチーたちの明滅が激しくなっていく。


カイは目を瞠った。
「マナ、あれ・・・!」
「あ・・・・・」


銀色をした流線型の大きなポケモンが、海をつきぬけて飛んでいった。



「ルギア・・・・・」

「うん・・・」
タオルがぱさりと砂浜に落ちた。
二人は呆然とかのポケモンが去った方角を見つめている。
今の光景が嘘のように、海は凪いでいた。

不意に、カイが立ち上がった。
「帰ろうか」
「・・・うん」

今度はカイが、マナの手を握る。



まだ、あのきらめく銀色の姿が目に焼きついている。



あれは。

あれは、ポケモンだった。

恐るべき力を秘めた唯一無二の神だとしても、それでもあれは、ポケモンだった。


ポケモンでしか、なかった。


気まぐれに人を海の底に連れて行くような存在ではなかった。


カイは心を保つために信じてきた神話が、音を立てて崩れたのを感じた。

両親はただ、運が悪かっただけだと。
知っていたけれど納得はしたくなかったのに。

マナに見えないように唇をかむ。


やはり出て行こうと思った。


もう二度と、あの、人のような矮小な存在などなんとも思っていないだろう、雄大で神々しい姿を、偶然でも目にしたくはなかった。




マナはそんなカイの心の動きに気づかない。
ただ、ルギアを見た感動の余韻に、浸っていただけだ。



二人が消えた浜辺は、月に照らされて銀色に光っていた。



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■筆者メッセージ
ポケモン世界には神様がたくさんいます。
信仰のあり方というのは、地方によって違うようですけれど、ゲームの中のちょっとした町の人の話で、それらが語られるのが結構好きです。
( 2012/02/08(水) 22:57 )