まっしろな闇











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道中にて
Page 65 : 散在
 目的地にはまだ少し距離がある。
 町を越え、野を越え、線路を越え、橋を越え、彼等は道を歩き続ける。旅を続け、キリを出た日から、四日が経とうとしていた。
 ポニータは、目を見張るどころか目を疑うような勢いで回復していった。果たしてあの時立ち上がることすらできなかった状況は一体なんだったのかと一同は声を揃えるが、当の火馬は涼しげな顔で闊歩する。包帯を巻かれて固定されたままではあったけれど、表情に歪みが出ることは殆ど無くなっていたし、軽く走れるようにもなった。ポケモンの自然治癒力は元々人間の比ではないといわれているが、それにしても早い。元来強い体なのかとラーナーがクロに問うと、少し間を置いてから頷いた。けれど、彼もまたポニータの歩く様子に困惑の表情を浮かべていた。そんなクロもまた、順調すぎる程に回復していた。包帯を外し、ぎこちない動きだが日常動作はできる。歩いている最中も、開いては閉じて、開いては閉じてと、感覚を取り戻すような地味な行為を繰り返していた。
 そんなクロとポニータのぎこちない安定感を、ラーナーは遠巻きに眺めていた。
 喜ぶべきなのだろう。
 なのに喜びきれないのは何故だろう。ラーナーは溜息を落とした。
 きっと元通りになれば、再び彼等は無茶をする。自分のことなど忘れたように、火炎にも躊躇わず飛び込み傷だらけになろうと立ち上がる。
 自分の手首に戻ってきたブレスレットに視線を落とした。光を発したということなど嘘のように黙り込んでいる。
 思えば、クロも自分をニノ・クレアライトの子供だと確信したきっかけもこれだった。母親と父親が黒の団に何か関わっていたのはウォルタで出会った黒の団の発言からして間違いない。けれど、何があったのか。治癒の力。母親ができたのなら、もしかして自分も。そう考えたものの、こうして自分で身に付けていても何の変化もない。当然だ。日常的に付けていた頃にも怪我などいくつもしてきたが、そのような摩訶不思議な出来事にあったことはない。
 残るのは喪失感。或いは孤独感。
 掻き消される弟の声。消えるクラリスの声。聞こえてこない両親の声。
 視線を横に逸らして真っ青に満ちている空を仰ぐ。彼らが歩いている道の脇は腰の高さほどの草原がすうっと奥まで広がり、遠くの山へと続いていた。時の流れが鈍くなったような長閑な場所で、遠景には魚の鱗のような雲が群を成している。
 前を歩いているクロと圭の話し声が遠くなり、傍を歩くエーフィやブラッキーの存在すら認識が危うくなる。一人じゃないのに、一人で歩いているような気持ちが襲い掛かる。咄嗟に前に視線を戻す。確かに彼等はいる、背中が在る。
 薄い唇を締める。
 もう、誰も失いたくない。誰も離したくはないのだ。


 *


 寝不足の日々が続いていた。ただでさえクロ達よりも体力が欠如しているラーナーだったが、余計に動きは鈍くなる。
 秋に入り暴力的なまでに青々しい時期は通り過ぎ空は高くなりつつあったが、未だ真昼は太陽が唸りをあげており、直射日光を浴びている状態で長時間歩いていれば、自然と疲労は蓄積される。何も考えず、何も喋らず、倦怠感が纏わりついても、呼吸が静寂の中で乱れても、ただ歩くというその行為を続ける。周囲に注意がまわっていなければ、声をかけられてもすぐに気が付けない。自分でも気がつかぬ間に、ふらりと視界が回って眩暈が襲いかかって、明らかな違和感に見舞われれば時既に遅し。その場に倒れる、と至れば旅も中断せざるを得ない。それが、今のこの時だ。
 ほぼ意識が飛んでいたラーナーをクロが背中に担ぎ、彼等は町と町とを繋ぐ道の途中にある休憩所にやってきていた。道の駅ともいえる場だった。首都へと続く道の途中であり、広い駐車場を構え、小休止のできる喫茶店や周辺地域の土産物を売るフロアまで揃えたここは明るい賑わいを見せていた。活気づいた光景を横目に、彼等は出来るだけ人だかりを避け、建物の影のベンチに腰を下ろしていた。
 圭は休憩所の品物を見て何か体に良さそうなものを探しに行くと言って飛び出していき、一方のクロはエーフィとブラッキーを彼女の傍に残し、ポニータと共に自販機の前に立ちながら使い古したポケギアを取り出していた。
 何度か回線を繋いで数十秒が通り過ぎた後、相手はようやく通話口に出てくる。
『――もしもし?』
「もしもし」
『お前から電話してくるなんてどういう風の吹き回し? 明日は嵐だな。ああもう薬切れたなんて言ったらぶっとばすぞ』
「違う」
 温度差に苛立ちながら断言するとスピーカーの奥で快活に笑う声が響いた。
 早口で淀みが無い流暢な話口は、トレアスに住むクロの馴染みの友人であるアランのものだった。クロは時折襲ってくる強烈な発作を抑えるための薬を、彼と彼の師匠であるガストン・オーバンに用意してもらっている。
 懐かしい雰囲気だとクロは思う。以前出会ってから大きく間隔を開けていないはずだが、如何せん悪い意味で目立つ出来事が立て続けに起こったものだから、クロ自身も精神的に疲れ、現実よりも時間を長く感じていた。そんな出来事をアランが知るはずもないのは仕方がない。分かっていながらも煩わしさが走る。しかしある意味、動揺や緊迫が逸れたきっかけになり、帰郷したような錯覚が不安を和らげたのも確かだった。
『悪い悪い、でなに? またこっちに寄るのか?』
「違う。ちょっと聞きたいことがあって」
 クロは小銭を自販機に投入する。点灯するボタン。ぼんやりとした瞳でラインナップを見渡す。
「ラーナーが倒れたんだ」
『……』
 数秒の沈黙の後、向こうで何か飲み物を啜り、直後乱暴にカップを机に置く音がした。よく音を拾うポケギアだが、それを敏感に聞き取ってしまう耳にクロ自身も時折嫌になる。
『ぶっとばすぞ』
 ようやく出てきた言葉には、思いの外怒気が籠もっていた。見当違いなコメントにクロは数秒思考を置いて、電話越しの相手にも伝わるようあからさまな溜息を吐く。
「何を勘違いしてるんだ」
『……冗談は置いといてそりゃまたどうした』
 ひらりと躱すようにアランは少し柔らかくなった口調で返す。なんなんだ、とクロは心の中で呆れてしまうが、一旦は飲み込む。
「睡眠不足とか貧血とかそこらへんで、なんか……どうするのが一番いいのか、というか」
『ああ、そういうことか』
 心なしか安堵したような口調だった。考えるように一呼吸置いたが、返答はすぐにやってくる。
『状況がよくわからんが寝かせとくのが一番だろ。まだ暑いし熱中症の類もあるのかもな。あとそうだな、スポドリとかで水分摂取だよ』
「そうか」
 打てば響く人物だ。あっさりと水が流れるように出てきた助言には安心感がある。先程は呆れたが、まるで見通してるみたいだ、と今度は感心する。丁度飲み物を買おうとしているところまで見えているかのよう。ボタンを押せばすぐにガコンと音がして、半透明の飲料のたっぷりと入ったペットボトルが顔を出した。
『なあ』
「なに」
『またラナちゃんに無理させてんのか?』
「……」
 クロはペットボトルを取り出そうとした手を止め、屈みこんだまま動けなくなる。次に出てくる言葉も全く浮かんでこない。
『……させてたんだな』
「違う」
 向こう側から、溜息の音。
『お前なあ貧血とか睡眠不足で倒れたっていうその事実が証明してるようなもんだろ。トレアスを出てから何やってたんだ。あの時ちゃーんと仲直りできたと思って信じて送ったのに』
「色々あったんだよ」
『また誤魔化すのかよ』
「いちいち説明するのも疲れるんだ」
 逃げている、と自分で自分に後ろ指をさした。ただ面倒臭いだけだ。アランがクロの状況を知らない状況に苛立ちながら、教えようとしない、矛盾。
『へえ』アランは小さく感嘆の声を漏らす。ぐっと関心が近づく。『お前が弱気見せるなんて珍しいな』
「……るさい」
『いい機会だ、どっちにしろじっくりとした休息が必要だ。ラナちゃんもお前もちゃんと休め。まいるほど色々あったっていうなら尚更。心身健康でいなきゃいざってときに力なんて出せっこないんだから』
「そんな暇、ほんとは無いんだけど」
『……っはあ……ほんっとにお前なんも分かってねえな!!』
 瞬間、アランの声が一気に荒くなり怒号が張り裂ける。萎縮していたクロの心臓は途端に跳ねる。
『何言ってんだこの気まぐれ旅人! かっこつけやがって。いいから休め分かったな。時間なんざたっぷりあるだろうが気持ちの余裕無さすぎ! そうだなあとちゃんとラナちゃんともじっくり話すといい。暇が無いとかこの期に及んで言うんじゃねえよそんなんじゃ絶対いつか足掬われるぞ! いいかいい機会だから言ってやるけどお前の都合でどんだけ周りが振り回されてると思ってんだ! お前周りの人間の気持ちや考えをちゃんと知ろうとしたことがあるか!? こんな言い方偉そうだからしたくないけどお前は一人じゃなくって周りがいてこその藤波黒だってこと解ってんのか!?』
 捲し立てるアランの勢いがクロの心を逆立てた。思わず歯に力が入る。
「そんなこと、分かってる!」
『解ってねえんだよだったらなんで倒れるまで無茶させるんだよもっと周り見てくれよそれになんで俺達になんも話さねえんだよ! お前だけの旅じゃないんだからな!!』
 一気に吐き出されてきた荒さにクロの声も思わず大きくなった。しかし、それを更に上回る怒声。スピーカーに向けて思わず唾を吐きたてる勢いなのが手にとるように分かる。それ以上言い返せないクロは歯を強く食いしばりながら、視線を落とした。時間のみが淡々と過ぎていく。熱くなった鼓動を無理矢理落ち着かせようと、冷静になれと自分に語りかけた。それから、向こう側からは溜息が返ってきた。
『……ほんとにお前等不器用だし危なっかしいよどうしようもない。ほっとけねえよくっそ苛々する』
 苛立ちと諦めと呆れが混濁した、アランのトーンの低い声。
「……お前こそどうしようもないお節介だよ」
『良い奴だろ』
「自分で言うな」
 乾いた笑みがスピーカーから零れる。
『お前にはちゃんと元気でいてもらって今までの貸しを利子つきで返してもらわないといけないんだ頼むぜ』
「わかってる」
『解ってねえよ馬鹿』
 呟くと、先程までの怒号が嘘のように、アランは妙にリラックスしたような落ち着いた声で「でも」と小さく続ける。
『こんだけ言ったけどさ、俺ちょっと嬉しかったんだ』
「なにが? 電話したこと?」
『ちげえよ調子乗んな野郎の声なんざ誰が喜んで聞きたがるかどうせならラナちゃんの声に癒されたいよ。……ってそんな話じゃねえ』
 自分で逸らしたんだろうとクロは内心突っ込みながら、彼の話の続きに耳を傾ける。
『お前そもそもラナちゃんが倒れてどうしたらいいかわかんなくてこの電話したんだろ? 倒れたとはいえわざわざ俺にこんなことで連絡しねえだろ。連絡なんてトレアスに寄る時だけだったもんな。もっと周りに目を向けろって言ったけど、まあ、お前向けようとはしてるんだよな。俺としては割と嬉しいぜ。ちょっと変わったなって。まあラナちゃんつれてきた時も思ったけどさ、更に確信したというか』
「……なんだよ、それ」
『自分の胸によーく聞いてみるんだな俺はまあまあ良い傾向だと思ってるけど』
「はあ」
 アランの抱いている感慨深さをクロは理解できなかった。それが伝わったのか、小さなスピーカーから乾いた笑いがこぼれる。
『……まあ、じっくりでいいんだけどな。こちとら耐久戦には慣れたもんだ』
 電話越しの相手はゆっくりと息を吐く。
『……こっちに来る予定はないのか? 次はどこに行くつもりなんだ』
 話題の転換にクロは肩を落としながら、ようやく買ったペットボトルを拾い上げて呟くように応答する。
「首都」
『首都!?』
 突然相手の声が音割れを起こすほどに大きくなる。周囲に人が居ればその声がはっきりと聞こえる程だ。思わずクロは不審に思い眉を顰めた。
「なんだよそんなに驚くことじゃないだろ」
『いや、すげえ偶然と思って』
「は?」
『俺も来週に行くんだ。師匠が首都で研究会があってそれについていく』
「……ふーん」
『ふーんってなんだよ驚かねえのかよこれすげえチャンスなんだぜ』
「別に」
『相ッ変わらずドライなやつだなラナちゃんが心労抱えるわけだ』
「うるさいな……」
 素直に嫌がるとアランからは苦笑が返ってくる。
『で、クロ達はいつ首都に着く予定なんだ?』
 妙に気乗りしているな、とクロは不審感すら抱く。
「状況が状況なだけに未定。けど来週には着いてると思う」
『そっかじゃあどっかで会おうぜ。結局お節介だけど今思ったわやっぱりいろいろ不安だ。薬も持っていく。俺も予定がどうなるかよくわかんねえけど同じ町にいれば会おうと思えばいつでも会えるだろ』
「適当なやつ」
『そんなもんだまた着いたら連絡しろよ』
「ん。じゃあ切る」
『え? ああ待て待て』
「何」
『貧血って体が冷えるんだ。体をさすってあげれば体も心も落ち着くし冷たくなった手を握ってあげればなおさ』
「切る」
 話が長くなる前に無理矢理電波を切断。ボタンを一つ押すだけの簡単な動作だ。虚空に電話が切れた証の音が途切れ途切れに響く。結局その後かけ直してくる気配も無い。
 クロは肩をすとんとおろし、左手に持つスポーツドリンクをなんの気もなくじっくりと眺めた後、その場で踵を返した。
 そこで、頭から忘れかけていた存在がすぐ傍で空をぼんやりと眺めているのが目に入った。顔を上げ、遠くを見つめているポニータから、クロはどこか近寄り難い雰囲気を感じ取った。それはクロの錯覚に過ぎないのだが、急に胸が粟立って落ち着かなくなった。アランの言葉を思い返す。周囲を振り回していること。その周囲を理解していないこと。周囲に支えられているということ。
 気が付いてみれば、もう何もかも理解しているはずのポニータの存在すら、今までより遠くに感じられていた。
 いつの間にばらばらになっていたのだろう。何もかも。
 それとも、元々ばらばらだっただけで今ようやくそれに気が付いたのか。
「ポニータ」
 ずっと佇み特に挙動を見せていなかった相棒にクロは声をかける。なんの違和感もなく、火馬は黒く丸い目をきょとんとクロの方に向けた。ああ、変わらない、いつものポニータだ。妙な安堵感に見舞われる。そして、そんなポニータが相手だからこそ、本音は零れていく。
「……俺ってそんなにわかってないのかな」
 呟く。いつになく弱々しい声音で。
 そして連想する。自分の周りにいる、関わってきた者達の存在を。
 理解する、とはどういうことなのだろう。自分は彼等の何を知っている。
 素直になれば、何も分かっていないのは確かだ。自分のことを知ってほしいと思わなかったように、周囲を知ろうともしてこなかったのだから。
「自分のことも他人のことも、お前のことも……ニノのことにしろ、確かにな」
 ポニータはゆっくりと彼に歩み寄り、頭を近づける。目の前で揺らめく炎。思わず癖でそれに包まれた額を撫でる。熱くない。ポニータが彼を信頼している証。小さくポニータは喉を鳴らす。クロの知る、優しく見守ろうとするポニータの顔だった。
「もっと、向かい合うべきなんだろうな……きっと」
 今をもがく彼は、手探りで行先を模索する。

( 2013/11/05(火) 00:38 )