まっしろな闇











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道中にて
Side 1 : ブラッキー
 視点を移そう。
 これは、彼女達を守れと強く言い渡された、彼女の傍に居るある獣の話。
 人は知り得ない、縛られた獣の思いの話。


 *


 目を閉じると彼女の姿はいつも思い出される。長い栗色の髪。最後に見た時には白髪も増えてしまっていたけど、触ると気持ちが良くて眠たくなってしまいそうなくらい、ふわりとした質感の髪。ちょっとだけ鋭い栗色の瞳。嗅ぎ慣れた薬品の臭い。少し小柄な体格。笑いかけてくるその表情は可愛らしい。
 俺の本当の主人。世界中見回しても他にいないただ一人のおや。――ニノ・クレアライト。
 数年経った今でも時折思いを馳せる。
 彼女は決して美化するような人物じゃない。聖女のような性格ではないし、母親としては恐らく一般世間から非難されるし、功績だって全て褒められるものじゃない。ガキ共が知っていることなんて、ある一面の彼女に過ぎない。彼女は残酷だ。勿論、元々というわけじゃない。環境が彼女をそうさせた。彼女は変わった。百八十度変わった。よく笑い、よく話した彼女はいつから影を顰めていたのだろう。何が本当の彼女だったのか。明るい彼女なのか、泣く彼女なのか、笑う彼女なのか、残虐な彼女なのか。
 記憶に新しいキリでの出来事、あのクラリスという娘の家の真実。ネイティオが人間の手によって能力を引き上げられていたことに対しラーナーは信じられぬ表情を浮かべていたが、母親も似たようなことをしていたと知ったら、一体どんな顔をするのだろう。
 永遠の別れとなる前に、彼女は心を鬼にした。対象は俺とエーフィ。
 強制的に無理矢理技を教え込み、全身が痺れるような痛い注射を打って、苦い薬を飲ませて、モンスターボールから自力で飛び出せる術を身に着けさせて、訓練させて、調教して。まさか自分がこういった事態に陥るとは思っていなかった。けれどついていった。何をされたのかは解らない。知らない。しかし受け入れた。彼女は泣きながら痛めつける。ごめんと何度言われたか分からない。ごめん、ごめんねと。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。
 何度も。
 謝りながら、それでも手を休めない。焦燥は痛いほどに滲み出ていた。狂った彼女を止める術はなかった。

 いいよ、あなたが望むなら。
 あなたが望むなら、いいよ。

 ――ブラッキー、あの子達を守ってね。
 ニノは俺をきつく抱きしめながら懇願した。もう、彼女の涙は枯れ果てていた。
 ――支えてあげてね。勝たなくていい。ただ、逃げるだけでいいの。何があっても、守ってあげて。
 絞り出した最後の声が、今も耳にこびり付いて離れない。
 俺は、ご主人を守るべきだったのに。


 *


 旅で人間達が歩いている間、外にいることは殆ど無い。一緒に歩いているのはあのポニータだけで、俺もエーフィも基本的にずっとボールの中で休息をとっている。特にそこに理由があるわけではないが、なんとなく習慣化しているだけだ。いざという時以外は指示が無い限りボールで待機。ずっとそうしてきたから、今更疑問もない。
 けれど、今は少し状況が違う。俺もエーフィも外に出て、ラーナーを挟み込みつきっきりの形で歩き続けていた。そのことにラーナー自身最初は戸惑いを見せていたが、状況が状況故、悟ったのだろう。無理矢理ボールに戻すことはしなかった。
 鞄でいつも感じているリズムより随分ゆっくりだ。それはラーナーが完全に回復していないこともあるが、ポニータの足を庇っていることもある。リハビリらしい。ご苦労なことだ。
「もー、何を苛々してるのー」
 溜息混じりに尋ねてくる声がして、ちらと見やる。エーフィが不満げな顔でこちらを見ていた。
「苛々してない」
「嘘。そうやってねえ、隠してもねえ、分かるんだよー」
「黙れ。今はその間抜けな声を聞きたくないんだ」
「ひどーい。そんなこと言って、ご主人を守れなかったのが悔しいんでしょー?」
「その舌掻き切ってやろうか」
「そんなことできないくせにー。あなたは守り屋、でしょーが」
「煩い」
「まあ満足いくまで反省してくださいなー」
 二股に分かれた尾が妙に余裕ぶってゆったりと揺れた。
 ああもう本当に煩い。黙らせてやりたい。こんなのんびり屋で苛々するような喋り方をする奴のくせに、バトルになれば別物になる。理不尽だ。俺なんかよりずっと強い。いや、そんなことは今関係ない。奴の言葉に対して言い返せない。だからこそ、鬱陶しいのか。
 わかってる。
 解ってるから、悔しい。あの時、あのキリの電撃事件の瞬間、俺はボールから出るタイミングを失った。空中であっても躊躇せずに跳び出していれば間に合えたかもしれない。結果的にラーナーは助かったから良かっただけだ。こんなんじゃ、いけないんだ。


 *


 ニノはエーフィの攻撃を、俺の防御を特化させた。
 元々バトルの才があったエーフィもニノによって桁外れの念力を手に入れた。俺自身もちょっとやそっとの攻撃では痛みすら感じなくなっていたが、特に求められたのは、“守る”の精度と瞬発力。どんな攻撃も無に帰す技、守る。本来一度使うだけでも大量のエネルギーを消費し、連続で使うのは体が追いつかず失敗する確率がぐんと高くなるし、使う回数も限られる。けど、ニノはそんな常識は御構い無しに、守るの訓練を続けた。体力も気力も引き裂かれて、内臓は悲鳴をあげて、身体の隅々まで何度吐血しただろう。筋肉が途切れて萎縮して立てなくなろうとも、彼女は叫び強制的に立たせる。あのヒステリックともとれる声を聞けば立ち上がらずにはいられなかった。その間も彼女は何度も謝罪する。言葉と行動の足並みは合わない。歪だった。最早彼女は正常の精神でなかった。そんなご主人から離れたら、いよいよどうなるか分からない。俺はただ立ち続けた。足は速くなかったが、咄嗟に動けるようより鋭利で機敏な動きをできるよう要求された。痛くて、苦しんで、吐いて、痺れて、痩せて、傷ついて。先が見えない暗闇は、夜よりずっと暗い。
 誰のために苦しんでいるのか。
 即答だ。家族のため。更に言えば彼女の子供達のためだ。
 まだまだ幼い頃のラーナーとセルドは今でも覚えている。セルドなんてまだまだ赤ん坊で、ようやく首がすわった頃。ラーナーはシャワーあがりに体を拭き切らないうちに丸裸でリビングを走り抜けていたようなやんちゃぶりだった。その上俺やエーフィを力いっぱい叩いたりするようなクソガキだった。ガキは力の加減を知らないから嫌いだ。どう考えても反抗できないことをわかってやってたに違いない。たちが悪いのは、俺は明らかに嫌悪感を剥き出していたのに、やたらとやってくるから余計訳が分からない。そのくせ一人ですっ転んでは泣き出すからなんとなく放置できない。そしてまた何事も無かったようにけろっと笑うし、まったく。
 まあ、その賑やかさは眩しかったけれど、安心できる空間だった。そう、確かに幸せだった、はずだ。
 それももう、ずっと前の話だけど。俺とラーナーの明確な交流なんて彼女の物心がちゃんとつく前の話だ。
 あの子達を守ってね。
 彼女は言った。彼女が望むのなら俺は従う。そこに疑問は生じない。
 何時の間にか彼女は随分とやつれてしまっていた。若々しかった頃は嘘のようで、本来の年齢より随分と老けてみえた。
 最期はあっけなくやってきた。
 リュードと共に車を走らせていたとき、突風に煽られ高速道路から転落したのだ。その前後は、ボールの中に居て詳しい状況を把握できていない。ただ、転がり落ちた崖の下、ガソリンの引火によって爆発した炎は狂乱し、燃え移った火は森を燃やし辺りはあっという間に火炎地獄と化した。そして、大破した車の残骸に彼女は潰されていた。既に意識が消えていたニノの顔や体に、硝子や車体の破片がいくつも突き刺さり、血が噴き出していた。最早、彼女の原型を留めていなかった。計り知れない衝撃に、涙も出てこなかった。怖くなった。心臓が震えた。吐き気がした。煙が体内を侵食していった。脳が痺れていた。逸らしたかったのに、焼き付けんとするように彼女を見つめ続けていた。我に返ったのは、エーフィの悲痛な絶叫を聞いた時。熱風の轟音に負けない金切声の叫び。普段の彼女からはまるで想像できないそれによって、かえって冷静さを取り戻す。そして、エーフィの方を振り向いたとき、偶然遠くに見覚えのある黒い出で立ちを見た。停止していた思考がはたらき始め、理解した。この場を離れなければならない。心が追いつかなくても、行かなければならない。どちらにしろ、あの場に居続ければ炎に焼かれ死ぬことは目に見えていた。共に死ぬことも選択肢にあったのだろうけど、咄嗟の判断はそれを選ばなかった。生きたかったから。そして、もうニノやリュードの姿を見たくなかったから。怖かった。辛くて、痛かった。発狂したエーフィだったが、得意のサイコキネシスは俺に効果が無い点は幸いだっただろう。彼女を説得しながら半ば引き擦るように場から離した。それが、ニノとリュードを見た最後だった。
 それから、俺達は鬱蒼とした森の中を彷徨い続けた。野生としての本能は殆ど残っていなかったが、ニノから与えられた地獄と比べれば、鍛え上げられた肉体で生き延びることはそう難しいことじゃなかった。やがて小さな村に辿り着いて保護され、心身を癒し、そのうちポケモンの施設に送られることになった。元々入っていたボールが無いため情報が無く、またエーフィとブラッキーという珍しい種であるために扱いは非常に慎重で、腹立たしかった。早くラーナーとセルドの元へ行きたかったのに。しかし、広いアーレイスで彼等がどこに住んでいるかなど地図を見たところで俺達に分かるはずがなく、おとなしく待つしかなかった。そんな俺達の気持ちを踏みにじるように、エーフィとブラッキーというポケモンを欲しいがために、おやと名乗るいくつもの偽りの引き取り先が相次いだ。強硬手段に出ようとした者も居た。施設は当然混乱する。おかげで俺の人間嫌いは加速し、結局子供達の親代わりとなっていたらしいエイリー夫妻の元に行くのにまた長い年月を要した。ただ、その時には既にラーナーとセルドはエイリー夫妻の家を出ていたのだ。
 漸く大きくなったラーナーに再会できた時にはセルドが既に殺されていたことなど、どうして予想できただろう。
 今なら言える。ニノもリュードも黒の団に殺された。あれは事故なんかじゃない。自然現象による事故に見せかけただけだ。あの事件の直後に見た黒装束の人間が、それを物語っているようなものだ。わざわざ現場に確認しにきたのだ。ニノ達が死んだことを。
 そう、奴等が俺やエーフィ、そしてラーナーから全てを奪った。絶対に、許せない。一人残らず消えてしまえばいい。全員の喉元を抉りたい。顔を潰したい。性格をも捻じ曲げられたニノが最期に受けた痛みを奴等も知るべきだ。その中でも――あの眼鏡野郎は、ニノを狂わせた根源であるあいつは、ラルフォは、特に。


 *


 俺はニノを守れなかった。リュードを守れなかった。不可抗力とはいえ、セルドを守れなかった。
 だからラーナーだけは。
 やんちゃな子供だったはずの、彼女の横顔は、哀しむ姿は、とても、ご主人に似ている。
 何があっても、守ってあげて。
 縛る声が土砂降りの如く胸を叩く。
 今度こそ、絶対に。

■筆者メッセージ
人々を取り巻く、しかし人々は知り得ぬ物語。
( 2013/10/07(月) 23:02 )