まっしろな闇











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リコリスにて
Page 47 : 落
 クロ達がリコリスに帰還したのは、戦闘から二晩を跨いだ夕方のことだった。家の方にはソフィから帰りが遅くなることは連絡が入っていたが、その空白の期間はルーク家の誰もが気が気ではない状態であった。今日帰宅すると宣言があり騒然とした家内に、沈んだ表情で帰ってきたクロの表情を見た瞬間圭は息を呑んだ。
 頭と右手に巻かれた包帯。外見からは分からないが、長袖の服装の下の胴体にもそれは厳重に巻かれている。怪我の程度を考えればほんの少ししか日数が経っていないのにも関わらず普通に歩けている方が不思議である程だ。深緑の瞳が圭を捉えた時、圭の体は凍りついた。帰ってきたら即座に彼に事件の詳細を聞こうという考えはいとも容易く彼方に吹き飛び、ただ茫然と目の前の現実に立ち尽くすだけだった。


 *


 見慣れたリビングに一同は集まる。既に緊張感が張りつめている中でクロは話を持ち出した。
「俺達はもう荷物を持って、すぐに出発します」
 クロははっきりとした口調で言い放つ。ラーナーも既に同意しているようで特に驚く素振りも見せず無表情で一つ頷いた。しかしルーク家にとっては突然の申告であった。家に待機しており事件を間近で体験してはいないジークやフェルナンは一斉に反対の意を唱える。
「大怪我じゃないか、何もすぐに出て行かなくても、少しここで休んでいったらどうだい」
「というか、よう医者も許したもんだ」
 ジークの慌てた言葉に呆れた口調のフェルナンの声がクロに浴びせられる。しかしクロの表情は微塵も変化しない。
「もうこれ以上迷惑をおかけするわけにはいきません」
 使い古された常套句だ。すらすらとなんの抑揚も無く躊躇いも無くクロの口から流れる。それ以上に、クロから発せられる周囲を完全に拒否しているような刺々しい雰囲気に一同は言葉が出なくなる。
「十分すぎるほど良くしてもらいました。俺は頑丈にできてるので、このくらい大丈夫です。俺よりも、ソフィ達の方に気をかけた方がいいかと。心を傷つけた、それだけでもう俺はここに居る資格はありません」
 淡々と、しかし鬱々とした口調でクロは言う。
 その言葉にソファに腰掛けていたソフィは視線を落とす。そしてソフィの胸に頭を沈め部屋の雰囲気に耐えきれていないミアの頭を撫でる。
 戦いの直後、クロの傷だらけの体とそこから溢れる血を彼女たちは目の当たりにした。ウォルタでラーナーが目の前で似たような光景を見て記憶に張り付いたように、それらは至って平穏に過ごしていた娘達の心に衝撃的な傷痕を残した。現実を見れば、彼女たちはクロに怯えている。まだ幼いミアはクロを見るたび泣いてしまう始末だ。それはクロ自身も納得していた。戦いに巻き込まれながらそれでもクロを支援し続けているトレアスのアランやオーバン夫婦の方がよっぽど異常なのだ。
「でも」ジークは依然納得しない表情だった。「今すぐは、いくらなんでも」
「ジオさんは優しい人ですね」
 クロは嘲っているような口調を示す。
「少し優しすぎると思いますよ」
「クロ」
 ラーナーは居ても立ってもいられなくなったように隣から牽制する。
「……お気持ちは有難いんです、本当に。でも、やっぱりあんな騒ぎの後だから、この辺りからはすぐに離れなきゃいけなくて」
 沈痛な趣でラーナーは言う。
 彼女の言うとおり、ホクシアは今大変な状況になっていた。
 火事に残された大量の血痕。有名な市場の町でもあり一般人でも怪我人も出たというから最早全国的なニュースにまでなっていた。その状況はクロは勿論逃亡の最中であるラーナーにとって好ましくなかった。情報を得る限り盛る炎の強さや戦いの壮絶さのおかげか、現在の明らかになっている確定事項はザングースが居たということくらいか。情報の流出を嫌う黒の団が何か噛んでいる可能性もある。ただ、これからどんな証言が出てきてもおかしくはない。少なくともホクシア周辺には近づけないし、なるべく早い段階で遠くへ離れ、ほとぼりが冷めるのを待ちたいというのが正直なところだった。
 しかしジークやフェルナンは相変わらず顰め面を貫き通している。
「ラナは本当にこれでいいのかい?」
 半ば苛立ったような声音でジークが問うと、ラーナーは口を堅く結び複雑な表情を見せながらも、しっかりと頷く。紛れもない覚悟の印だった。真剣で強い視線に彼は押し負け、諦めたように溜息を吐くしかなかった。
 重い沈黙が流れ、クロはふと思い出したように背筋を伸ばし辺りを目だけで見まわす。
「ところで、圭はどこに行ったんですか。話をしたいんですけど」
「連絡がとれないんだよ、それが」
 クロの問いにジークは更に肩を落とす。
 この場所に唯一居ない人物、それが圭だ。騒然とした空気に紛れたように目を離した隙に姿を消してしまった。彼が普段寝るのに使っている六畳ほどの客間にはポケギアが残され、完全に連絡手段を断った状態である。少なくともログハウスのすぐ近くには居ない。声をあげて呼んでも返事は無く、仮に近くで隠れていたとしても、いくら小柄な体とはいえその明るいオレンジの髪が目についてしまうのだ。目の届かない場所に行ってしまった圭の動揺した様子もまた、家族に重い空気をもたらす一滴だった。
「……私、探してくる」
 息が詰まりそうな程重い沈黙を突き破ったソフィはゆっくりと立ち上がる。
「お父さん、ミアをお願い」
 必死にしがみ付くようにして手を離そうとしないミアを無理矢理剥がしてジークに預ける。ジークはまだ小さな背中を優しく撫でながら温かく全身で包み込んだ。
 身軽になったソフィは一度クロの方に体を向け、少し躊躇うような素振りを一瞬見せた後に口を開く。
「今日一晩は、居て。体のこともそうだけど、少し落ち着いてから出てほしい。圭は、私が絶対に見つけてくるから!」
 クロに対して距離を置きながらも揺るぎない決意を光らせる。彼女が培ってきた度胸の据わった強さが佇む。クロが返答に迷っていると、ソフィは返事を待つことなく唇を噛みしめ踵を返した。
「コノハナ、手伝って。圭を探そう」
 涙目を浮かべながらソファの陰に隠れていたコノハナはびくりと体を震わせ、いつにない強い口調の命令に慌てて立ち上がる。傍にやってきたのを確認するとソフィは乱暴にリビングを出ていき、数秒後には玄関を出ていく音がログハウスに響いた。
 平穏な空気は既に壊れ、息苦しい気まずさだけが残る。ジークの服を握るミアの手が力を強めた。
 原因であるクロは居たたまれなくなり、ゆっくりと立ち上がる。一同の静かな視線が背中に突き刺さるのを感じながら、ソフィが出て行った後を追うかのように廊下へと続く扉へ足を向ける。それを制止しようと咄嗟に腕をつかんだのは、ラーナーだった。
 普段なら反射的に振り払うクロだったが、まるでそのような素振りを見せず驚いた目でラーナーを見るだけだった。ラーナーが見たことの無い程力の無い表情だった。
「どこへ行くの? 圭君なら、ソフィに任せよう」
「違う。ちょっと外の空気に当たってくる」
「あたしも行くよ」
 虚ろな深緑の瞳にはかろうじてラーナーの姿が映っている。僅かな嘲笑が彼女に向けられる。
「見張り役のつもりか」
「そうじゃない」
「なら、一人にさせてくれ」
「何もしないし、何も言わない。約束する」
 骨と肉だけの細い腕を掴む手が強くなる。
 切実に絞り出した要求を拒否する力など、今のクロには残されてはいなかった。


 *


 一メートル程距離を置いてラーナーはクロの後を追う。夕日は西の山々に沈み、周りは瞬く間に暗くなっていく。真上で輝き始めた星の大群を視界に入れて、なんの会話も無くひたひたと歩いていく。旅で歩いているときはクロのやや速い歩き方にラーナーは追いつくのが精一杯という状態が通常であるのに、現在の歩行速度はそれと比較すると随分と遅い。ラーナーの方がクロに合わせて一定の距離を保っている有様だ。平然としているようで全身を蝕む痛みがそのまま表れているのだ。地面を踏むたび、特に背中に鋭い痛みが走る。それなのに、彼は歩き続けていた。
 どこに行こうというあても無かった。外に出たい、それだけを理由に家を後にしたが思考はそれきり進まない。
 その時、ふと彼は足を止めた。神経を尖らせていたラーナーはほぼ同時に止まる。
 夜に残る光に照らされて佇む向日葵達が、クロの視界に突き刺さる。太陽の光を失ったためにどれも頭を垂れており、独特の侘しさを醸し出している花畑に彼は無性に惹かれた。道沿いに腰を下ろし、通り抜けていく涼風に目を閉じる。帽子を外している今は、少し長い髪が風になびいていた。
 ラーナーはやはり距離を置いて同じように座り込んだ。
 それからしばらく沈黙が続いた。重苦しい沈黙だった。ただ、ルーク家にあったものと種類が違うのは、恐らく外という開放的空間にいるおかげだろう。
 砂を掠める音がラーナーの耳に入ってきて、隣に視線を送ってすぐに目を丸くする。
 クロは背中を僅かに丸め軽く折り曲げた膝に両腕を乗せ、顔を埋めていた。縮こまり弱々しい様子はまるでいつもとは状況が違い、ラーナーは思わず声をかけそうになるが、約束を思い出し寸前で止める。
「……」
「……」
「……」
「……なに」
「……」
「そんなに見られても」
「……」
「別にどうだっていいけど」
 何をクロが言おうとラーナーは口を固く結んだまま声を発そうとはしない。
 先に折れたようにクロは溜息を吐くと共にゆっくりと顔を上げた。
「甘かった」
「……」
 呟かれ始める弱音が、彼の揺れる心をそのまま表す。
「体も動かなかった。助けられてようやく逃げることができた」
「……」
「一人じゃ戦えない程弱くなってしまった」
「そんなことない」
 思わず飛び出た言葉にクロは顔を上げる。慌ててラーナーは口を塞ぐ。
「何も言わないんじゃなかったか」
 ラーナーは首を思いっきり横に振る。何も言っていないとでも表現しているようで、クロは息をついた。
 話は続いた。
「黒の団を倒す、そう思ってここに来たんだ。圭を誘うつもりだった」
 ラーナーにとってクロの立てたその目的は初耳だった。凝視するが、そんな彼女には気が付いていないかのようにクロはまた言葉を連ねていく。
「なのにこんなボロボロになって」
「……」
「なんで生かされたんだろうな。敵に命を助けられたようなものじゃないか」
「……」
「俺はなんでまだこうして生きてるんだろう」
 理由を求める独り言がぽつりぽつりと呟かれる。
 クロの深淵に触れているようでもあった。
 激しい戦闘は確かにクロを追い込んだだろう。しかし、ここまで憔悴してしまっていては、あまりにも見ていられない。ラーナーは声を出したくてたまらなかった。気合の一つでも入れるために背中を叩いてやりたいくらいだった。
 クロは長く深い溜息を吐いた。
「命なんてどうだっていいのに」
「!」
 低い呟きにラーナーは目を見開いた。
 衝動とはつまり、今の彼女のことを指すのだろう。思わず彼の名前を張り裂くように呼んだ。静寂の中でそれは異様に響いた。
「そんなこと言わないで」ラーナーは歪んだ表情で、驚いた彼の瞳を必死に見つめた。「あの日……クロに死んじゃいけないってあの時手紙に書いてくれたから、あたしは今ここにいられる。……そんな風に自分を追い込まないで」
「――そう押し付けられても困る。それより喋らないって」
「それは、だって……見てられなくて」
「あんたが思ってるより俺は平気だ。こんな怪我、すぐ治る」
「いや怪我の問題じゃなくて、それも心配なんだけど」後ろめたさを感じているように、そっと重たい瞼を伏せる。「あんまりに弱々しいから」
「約束」
 低く苛立った声でクロが突き放したためにラーナーは胸の中にもやを残したまま仕方なく押し黙る。
 その様子を確認してからクロはあからさまに大きな息を吐いてみせる。
「心配されると調子狂う」
「心配しない方が無理だよ」
 ラーナーがそっぽを向いた状態で唇を尖らせて咄嗟に呟くと、クロは思わず彼女を睨みつける。ラーナーはその姿を目に入れてないが彼の鋭い視線が突き刺さっているのだろうと直感していた。
 何のためにここに来たのだろう。ラーナーは肩を落とす。気まずい雰囲気を作り出すためじゃない、でもどう行動すれば彼を励ますことができるのだろうか。何も言わないという約束も破り、苛立った空気に乗り、それなのにどうして元気づけられようか。うまくやれない自分に腹が立つ。
「……まあいいや。今日はもう疲れた」
 クロはゆっくりと立ち上がり向日葵畑の向こう側を見つめる。
 こんな夜ではキマワリにも会えないだろうか。ラーナーは考える。キマワリの笑顔でも見れば彼も笑うかもしれないと思ったが、彼女自身も言い知れぬ倦怠感に襲われており体は動かなかった。重苦しい空気が彼等に纏わりつき、心も体も重くする。
「明日、ここを出る」
 熟考した末答えを弾きだしたクロは横目でラーナーを見やる。
「圭はここに残るにしたって出ていくにしたって、腹を括る必要がある。それをちゃんとはっきりさせてから、出ていく。それでいいな」
 彼の最後の言葉は了承を得るためのものではない。ただの命令に過ぎない。まるでこれから刃を向けようとしているかのような殺気立った冷たい氷の眼光に怖気づいたラーナーは恐る恐る頷いた。
 ホクシアでの戦いをきっかけに、クロは雰囲気が変わってしまった。病院にいる間もそうだった。小さく怯える子供のような弱々しさと剣のような鋭さ、あまりに極端に豹変する彼の精神状態は心許ない。揺らぎというには激しく、彼を常に支えてきたポニータも負傷しボールの中で眠っている。
 まるで、ひとりで溺れかけているかのようだった。
 だからこそ。
 ラーナーはふっと息を吐き、自分の胸に手を当てて決心を固めるように唇を噛みしめ、彼の背中を見つめる。
 だからこそ、しっかりしなくちゃ。


 *


「ああああぁあああぁぁああああ!!」
 溜め込んだものを全て吐き出すように、現実に抵抗するように、枯れきった叫び声をあげながら圭は木刀を振り切った。また一つ傷が幹に加えられる。ぐらりと大木が大きく揺れる。それだけの力が籠もっていた。汗が全身を覆い尽くし、激しい動きをするたびに飛び散る。そのたび体に反動の衝撃が走る。
 そんなのはかまわなかった。
 ふと動きを止め、一度木刀を下ろしてその場に大の字に転がった。体全体が心臓になったように脈打ち、熱が溢れる。全身で呼吸をするように胴体は膨らんではしぼみ、大きく大きく繰り返す。頭が熱さでくらくらと混乱しそうだった。それでも一向に胸の中は満たされない。空虚とわだかまりとが支配したまま。
 場所は彼が暇さえあれば来ると言い放った、林の中にぽっかりと空いたギャップ部分。
 一人になりたい時にやってくる場所。
 その中心に転がった圭は暗くなりつつある空を仰いだ。
「クソッ」
 右手で地面を叩きつけた。
「くっそ……くそお!!」
 張り裂いた。何度も何度も繰り返す。底の知れない悔しさが彼を掴んで離さない。発散しようとしても離れようとはしないそれは圭を蝕み、体を傷つけていくだけだった。
 しばらくしてふっと我に返り、再び大波となって押し寄せてくる虚しさに茫然と暮れる。
 自身の中で動と静は忙しく波打つ。
 脳裏に記憶がよみがえる。夕陽を背景に落ち込んだ顔で帰宅してきたソフィの様子だ。無事か、そんなありきたりな言葉をかけた。振り返ってみれば怪我をして帰ってきたのはクロだけだが、ソフィもミアも修羅場を潜り抜けてきたかのような重く疲れ切った表情を浮かべていた。ソフィは大丈夫だと答えた。相変わらず生気を失ったような顔で言われても説得力があるはずもなく、圭がそれに言及しようと一言かけようとする前に、彼女は小さく付け加えた。
 ――でも、ちょっと怖かった。
 肩身を狭めて怯えきった目での彼女の言葉は、ちょっとという程度では済んでいないことなど圭には手に取るように理解できた。
 ミアはソフィの背後に回り顔を一切見せようとはしなかった。
 そんな光景とクロの怪我をした姿を思い出し、圭は歯を食いしばる。
 どうしてだ。
 圭は混乱で今にも崩れ落ちてしまいそうな心の中で力無く呟いた。

( 2012/11/29(木) 00:25 )